SS詳細
羽化登仙
登場人物一覧
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――参ったな。夜ご飯食べそこなっちゃった。
閉まりきったレストランの扉を見つめ、ぐしぐしと髪の毛を掻き上げるグレイル・テンペスタ。
ラサ傭兵国家の要請で依頼に出向いた彼は、依頼を達成する事は出来たのだが銃や矢の傷を負ってしまって非常に億劫な通院生活を強いられている。
――痕、残るかなぁ。
治りかけの銃創と矢傷を、包帯越しに引っかいた。常人なら死んでいてもおかしくない大傷。それが一週間も経たない内に治っていく様子は、グレイル自身にとってはドコカシラ白昼夢の出来事に感じられた。
ライツクネヒト達が自分が倒れない事に驚いていたサマを思い返す。
希望を呼び寄せる可能性の力。イレギュラーズが持つパンドラというのはそれだけ凄い力なのだろう。それが自分に宿っている事実は、不思議とグレイルを勇気づけた。
……しかし、その力が無かったら自分はどうなっていたのだろう。
「そんなに此処のパンが食べたかったのか?」
複雑な表情をしているグレイルに、後ろからやってきてそう声を掛けるローレットの傭兵エディ。彼も治療を終えてきたようだ。
「……エディさん……傷の具合、大丈夫……?」
「どちらかといえば空腹の具合を心配すべきだな」
軽い調子でグレイルに言葉に応えた。
あの作戦が終わった後も裏切り者の始末や捕縛した者の引き渡し、ギルド支部への報告、そして治療……様々な要因が重なり、結局こうやって自由になるまで丸一日近く費やして二人ともマトモな食事をとっていない。
なればレストラン街で食事でもと思っていたのだろうが、あいにく辿り着いた時にはレストランはどこもかしこも閉店の時間帯だったのである。
グレイルはどうしようと思い悩んでいると、エディは頷いてから違う方角へと歩き始めた。
何処に行くか尋ねたグレイルへ、また軽く言葉を返す。
「酒場ならまだ開いてるさ」
その傭兵に連れて行かれた先には、こんな時間帯にも関わらず眩しいくらいの光源が店内に灯されていた。こうしていれば開店しているのは誰の目にも明らかだ。
しかし、グレイルには店内の様子と併せて、その光の様子が何故か少し下品に感じられた。大男達の楽しそうな笑い声。若い女達が彼らを囃し立てる黄色い声。
そんなグレイルの表情をエディは横目に見て、また静かに頷いた。
「気持ちは分かるが、食事にはありつける」
グレイルはその言葉を聞いて、なおさら不安そうに顔をくしゃっと顰めた。
「……いかがわしい、店……?」
目を丸くするエディ。数秒してから「違う違う」と首を振って急ぎ足で店に入った。
二人が店に入るやいなや、派手な衣装のウェイトレスが擦り寄ってきて、そのまま店のカウンター席へと半ば強引に歓迎される。
グレイルは不安げに店内を見回してみると……幻想の貴族達が好き好んで利用しそうなお上品なバーとは違い、此方は酒飲み達が毎日通いそうな内装とメニューの取りそろえ方をしている。大男達が赤ら顔で愉快に飲み合っているのがその証左だ。
「いらっしゃい。どんな酒にする? それとも食事にしてから飲むか?」
酒の注文を前提に気さくに応対してくるカウンターのマスター。エディとグレイルは顔を見合わせた。
「あー、食事から。それと強い酒を一つ」
「……えっと、ボクは……食事と、ジュースで……」
ジュースといわれて、店主に少し変な顔をされた。微笑ましいものをみるような、あるいは、小馬鹿にされたような。
グレイルは少し恥ずかしく思えて、顔を伏せた。
「体質や気分の問題だ。恥じる事じゃない」
仏頂面のまま、そう述べるエディ。グレイルはふるふると首を横に振ってから、エディへ少し真剣な眼差しを向けた。
「……うぅん、そうじゃなくて……そういう点でも、及ばないんだな……って……」
エディは不思議そうに首を傾げて、続きを促した。
「……ライツクネヒトの人達と戦っていて、改めてそう感じたんだ……」
狗刃のエディ。古参の部類である彼は、ローレットの中でも比較的実力者といえる存在だ。
それはグレイルから言わせてみれば先輩として頼りになる存在でもあり、自分はその実力に及んでいない。
「……エディさんや……仲間の人達がいなかったら、あの人達を倒せなかったと思うし、ボクだってもっと酷い目に遭ってた。……でも、だから、いつか……背中を護り合えるくらい……ボクも強くなれたらいいな、って……」
グレイルは言葉を続けるにつれて、その声色は段々弱々しくなっていった。不安、なのだろう。自分がそうなれるかどうか。それまで生き残っていられるかどうか。
エディはその言葉を全て聞き終えてから、彼にしてはやや珍しく大層呆れた様な顔をした。その顔を見て、顔を伏せたまま何も言い出せなくなるグレイル。
「ライツクネヒト? なんだ、お前。あの傭兵団討ち取ってきた奴か?!」
注文を届けに来た店主が食い入るようにエディに迫りながら、声を荒らげる。ウェイトレスのいくらかも興味津々に加わろうとした。
しかし、大袈裟な仕草で手を左右に振るエディ。そのまま人差し指をグレイルに向けてこういった。
「あいつらを討ち取ったのは俺じゃない、その時いた他の傭兵と、こいつだ」
周囲の視線が一斉にグレイルに注がれる。顔をあげて「ぽかん」と口を開けるグレイル。エディはそれに視線を合わせるようにしてから、コップにある酒を一口飲み込んだ。
「俺から言わせてみれば……グレイル。君は既に傭兵としては一人前なんだ。今回も仕事を果たし、打倒すべき敵を討ち取った」
わざとらしかった呆れ顔を、いかにもエディらしい不器用な笑みに切り替えてからグレイルへ伝えた。
「……だから酒の一つ飲めないくらいで『いつか背中を護り合えるくらい強くなれたらいいな』なんて寂しい事は言わないでくれ」
そのままエディのコップを大きく持ち上げ、また一口飲み干した。その表情は手やコップに隠れてよく見えない。
その言葉の真意は分からない部分もあるが、少なくともグレイルが抱えていた一種の不安を払拭するには十分だったのであろう。
「へへ、傭兵と知らずにどうもこりゃ失礼を……」とグレイルに苦笑いを向ける店主。しかしグレイルは、何処かふわふわとした笑顔を浮かべると、柔らかい声色で店主に受け応えた。
「……大丈夫、もう気にしてないから……」
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食事が進み、しばらくして。エディの酒が入ったコップをじーっと、見つめるグレイル。気付かないフリをしているエディ。
店主はグレイルに気を利かせて、「ライツクネヒトを打ち倒した傭兵様に」と同じ物をコップに注いでくれた。
ロックアイスと共に入れられた茶色い液体は見た目アイスティーそのものだ。酒の苦いイメージを払拭させる、鼻をくすぐるフルーティーな匂い。
「……いただきます……」
口に含んだ途端、舌に広がる紅茶を思わせる味。苦くない。甘い。美味しい。これなら平気だと、グレイルはそれを一気に飲み干した。
酔いが回って気持ちよさそうにカウンターに突っ伏して眠っているグレイル。
エディが店主を睨む。
「へ? いや、てっきり」
このアイスティーのような酒、好き好んで飲む人もいるが『レディーキラー』の異名を持つ度数の高い酒だ。狼さん御用達というヤツである。
「……この子は男だ。お互いその手の趣味は無い」
また変な誤解が生まれかけた事に、苦い顔をするエディであった。