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悪態を吐いた
登場人物一覧
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ガヤガヤと、ガヤガヤと。
声、会話、衣擦れ、足音、電子音。『ひとの音』がする夜の街を歩いている。
この街の人は、疲れることを知らないのだろうか。夜には眠ることを知らないのだろうか。
もうすっかり日も暮れて、夕食にも遅い時間だというのに、道を行く人々の数は寧ろ昼間よりも多く、確かに夜だというのに、太陽とは違う形で何もかもが光り輝いている。
眠らない街、などという表現があることを最近教わった。言葉尻だけでは想像もできなかったが、こうして体験してみると、馴染みのないソアにもわかる。
その通りだ、この街はきっと、日が昇ってから、次に日が昇るまで起きている。この街は本当に、眠ることを知らないのだと、錯覚じみた確信を得ていた。
ソアが育った場所、見て、聞いてきた場所とは何もかもが違う街。この再現性東京という場所は、ソアにとって、剣と魔法の世界より、よほどファンタジーに見えていた。
しかしながら、全くもって外の世界に見えるこの街でも、他の混沌と同じように、ごく一般的な決まり事は、共通したものが存在するもので。
例えば、人通りの少ない、暗い道に入ってはいけない、だとか。
「ん……あれ?」
きょろきょろとあたりを見回しても、先程までのキラキラした街並みが嘘のように、伝統は薄暗く、電球の寿命がつきかけているのか、時々、不規則な点滅を繰り返している。
人が居ない、わけではない。しかし密集とすら感じていた表よりは明らかにまばらであり、誰もが正面を見据えず、どこか陰鬱な雰囲気で佇んでいる。
建物と建物の隙間に、ふと目が行ったのだ。これだけ街は綺羅びやかなのに、その奥だけが薄暗く、その向こうだけが別世界に見えた。
普段ならきっと、足を踏み入れたりしない。知っている街並みならきっと、その向こうに行ったりしない。だけどそれは、眠らない街の熱気がそうさせたのか、それとも騒がしいばかりの通りに少しだけ飽きが来ていたのか。気づけばその先に、歩みを向けていたのだ。
ここが明らかに異様であるということは、ソアも当然のように感じ取っていた。この場所は危険だ。きっと、表の街の明るさに比例して、影が濃く溜まった場所なのだ。その先は好奇心で冒険して良い場所ではない。
道を戻ろう。踵を返そうとした、その時だ。
「泣き声?」
耳をピコピコと動かして、音の元を辿る。たしかに今のは、泣き声、それも、女の子の泣き声に聞こえた。
声のもとを辿れば、想像通りのものがそこにいた。
年端もいかない少女がひとり、地べたに座り込んで泣きじゃくっている。
どうしてこんなところにと思いはしつつも、それを捨て置くことなどできなかった。
「おね、ちゃん、お姉ちゃん……」
「どうしたの、まいご?」
しゃがみ込んで視線を合わせ、涙する少女に声をかける。
泣きぐずるだけだった女の子が、その声に、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
ひと目見て、可愛らしい子だと印象を受ける。金髪、金眼。そのあどけない顔に、どこか既視感を覚えた。
「きみは……」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、やっとみつけた!」
そう言って、少女は涙まみれの顔を輝かせると、こちらに抱きついている。
それはそうだと、ソアは納得する。自分はこの少女の姉なのだ。どうして忘れてしまっていたのだろう。こんなところにひとりで、寂しかったに違いない。
「もう、ひとりはやだよ! ずっと一緒にいて!」
「うん、だいじょうぶ。もう、ずっといっ―――」
孤独の辛さを訴える妹を、優しく抱きしめようとした、その時だ。
「何してんだよ、離れろ!!」
ぐいと、その肩を後ろへと、誰かに引っ張られた。
突如かかった力に抵抗できず、妹を手放し、尻餅をつく。
その痛みに顔をしかめながらも、後ろを振り向いた。突如行われた乱暴な行いに、抗議のひとつもと考えたのだ。
「ねえ、その……」
しかし、その乱暴者の顔を見るなり気持ちも失せてしまう。表情は薄く、しかし覚悟を伴ったのだとわかったからだ。
意を決した。勇気を振り絞った。懸命だった。そういう顔をしていて、そういう決意で行われたのだと理解できたからだ。
「危ねえだろ! あれが何に見えてたから知らないけどさ!」
あれ、と言って、その乱暴者―――青年は妹を指さした。
随分な物言いだ。かわいい女の子をさして、そのような。思いはすれど、視線は指先の方へ向く。そうして、絶句した。
「―――!?」
少女だと思っていたものは、妹だと思っていたものは、まるで別のものに変わっていた。変貌していた。豹変していた。
首のない、女性。体のあちこちが裂け、傷だらけになっているが、血は出ていない。いや、その青白い血色は、死人そのものが立っているようにしか見えない。
その腕には赤ん坊が抱かれている。しかし乳幼児であるのは身体だけで、その顔は全くの別。大きさだけは赤ん坊と同程度のまま、鳥の頭にすげ変わっていた。あれは確か、カッコウだろうか。
「ひっ……」
思わず、声が出る。どうしてだろう、どうして、あんなものをさっきまで妹だと思っていたのだろう。
あんなものは知らない。よくよく思い出せば、さっきまでそうだと思っていた少女の顔すら、知らない人間だ。まるで見たことがない顔を、どうしてだか、妹だと思っていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
声だけは、泣きぐずる少女のままだ。しかしいまや、異物としか思えない姿になったそれは、首のない女性の足を借りて、こちらへと歩み寄ってくる。
混乱している。どうすれば、何をしたら、そんな意識がもたげては霧散し、上手く考えがまとまらない。
呼吸を荒らげていると、その腕がまた、力強く引かれた。
「ぼうっとしてんな! 逃げるぞ!!」
そう言うと、青年はこちらの手を引いて歩いてきた道を逆なりに駆け出した。
「う、うん!」
ようやっと、思考がまとまってくる。戦うにせよ、逃げ出すにせよ、まずは距離を取るべきだろう。
大人しく手を引かれ、青年のあとをついて走り出した。
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「くそっ、ここまで来れば……!」
走って、走って。
幸いなところ、あの化け物にそれほどの脚力はないようで、追ってくる雰囲気ではあったものの、その距離はしっかりと広がり、姿が見えなくなったところで物陰に隠れた。
荒い息を整えて、首元の汗を手の甲で拭う。
この季節、夜とは言え、全力疾走となると体温の上昇が大きな負担になる。バックパックのサイドホルダーからボトルを取り出すと、半分ほど残っていたそれを一気に飲み干した。
ぬるい液体が喉を通る。殻になったボトルを見て、自分が引っ張ってきた同行者のことを思い出した。走った距離は彼女も同じ。飲水は分け合ったほうが良かっただろうか。いや、初対面の男が自分の飲みさしを渡してくるなんて『きしょい』だろうか。
葛藤。しかし答えは出ず、さりとて聞くわけにもいかず、思考がぐるぐるとしだした矢先、後ろから声がかかった。
「ねえ、どうしてわかったの?」
振り向くと、連れてきた少女が制服の胸を指でつかみ、ばたばたさせて空気を取り入れていた。
言葉の意図がわからないでいると、その先を続けてくれる。
「アレがボクにはほかのものに見えていたって、どうしてわかったの?」
それは疑問と、警戒心。それだけで、この少女が見た目より、言動より、場数を踏んでいるのだとわかる。助けてくれた、一緒に逃げている。それだけで判断するのは危険だと知っているのだ。
どうしてわかったのか、と聞いている。同時に、知っていたんじゃないのか、本当はアレの仲間で、騙そうとしているんじゃないか、と聞いている。
「別に、わかったわけじゃない」
呼吸をなんとか整えて、言葉を選びながら口を開いた。
「僕には最初っからアレが、化け物に見えていた。あのまま、女の子に近づいていくんだぜ? なのに、女の子の方は怯えもしない。そりゃ、変なもの見てるとしか思えないだろ」
それが、定から見えていた状況だ。
アレは死体のような手でこの少女の頭をつかもうとしていた。後ろからで、彼女の顔はよく見えなかったが、受け入れるような、今にも優しく抱きしめるような、そのような仕草をしていたのだから、違和感を覚えるのも当然だ。
異形と出くわした混乱の中で、平左と判断を下し、行動に移せる胆力は並のものではないが。
「ふぅん……?」
少女はするりと近づいてくると、鼻をひくつかせた。
「すんすん……やれる人の匂いだね。ほんとっぽい」
「なっ……!?」
声が出たのは、意外だったからではない。少女の影から這い出て、後ろから掴みかかろうとする腕を見たからだ。
「こっちへ!」
腕を引いて、定も一緒に、後方へ跳ぶ。距離が近かったのが幸いした。もう少し近ければ、どうなっていたことか。
「テレポートかよ! そんなのずるいだろ……!」
また腕を引いて、距離を取る。あの腕は、死人のような腕は危険だ。その直感は正しかった。
「お姉ちゃん、どこぉ……?」
化け物は、近く酒瓶を抱いてのんきに眠りこけている酔っぱらいに近づくと、頭を掴んでその首をもぎ取った。
腕で、無理やり、骨も肉も血管の何もかも。そのまま、己と同じように首がなくなった男から、赤く流れるものを浴びつつ、今度はそのもぎ取った頭を自分の首に乗せたではないか。
ぐらぐらと、揺れる頭。当然だ。繋がっていないのだから。ぐらぐら、ぐらぐら。残酷で、どこか滑稽で、吐き気を催すその光景。しかし、次のそれで、全てが引っ込んでしまう。
「あ、あ、あ、あぁああああああああぁああ痛いぃぃぃいいいいい!!!」
もぎ取られた首が、叫んだのだ。
「ひっ、ひっ、お、おれ、どうなって!? 痛い痛い痛い! ぁあああああああああああああアアアア!!」
叫んでいる。頭だけになった男が。まるでその化け物の首に乗っかっているから生きているんだと言わんばかりに。
「お姉ちゃん、やっと一緒になれたね。もうずっと、はなさないから!」
泣きぐずっていた鳥頭の赤ん坊が、ころっと陽気な声をだす。その間も、男は痛みと混乱でもがき続けている。
「ひぃぃいいいいいああああ……・あ」
あまりに首だけでもがくものだから、ただでさえぐらぐらとしてたのに、そのまま地面に落ちてしまう。
べちゃり。
今度はまるで、耐久性を失ったかのように。固くも脆い殻だけで守られた卵のように。地面への接触と同時にその頭は砕け、また静かになった。
収まるところを失って、アスファルトを転がる眼球。その瞳にはまだ、たしかに意思のようなものがあった。しかしそれも、その先も、化け物に踏み潰されたことで、永久にわからなくなってしまう。
「あれ、お姉ちゃん? どこ? ねえ、お姉ちゃん、どこぉ?」
また泣き始める鳥頭。それは新しい犠牲者を探して、鳥類らしく首をぐるりと回すが、その先にいたはずの、ふたりは、とっくにその場を逃げ出した後だった。
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「くそっ、くそくそくそくそくそっ」
場所はもう、先程までの路地裏を出て、表通りに戻っている。追いかけてくる様子はない。あの場所だけが、化け物のテリトリーなのだろうか。
ソアの隣で息を整える青年が、悪態をつく。余計な呼吸をすることも厭わず、無意味な行為であることにも気づいていながら、それでも、悪態を付き続けている。
全くの初対面であるソアにもわかる。この悪態は、あの化け物に対するものではない。不条理にもこのような怪異に巻き込まれたことでもない。この青年はきっと、自分に向けて悪態をついている。
それはきっと、彼の善人さがなせるものだ。
逃げ出した彼の判断は正しい。化け物の能力もわからない。どのような攻撃が有効なのかも検証できていない。彼我の戦力差も測定されていない。
あのまま戦えば、どちらかが命を落とした可能性だってある。だから逃げ出した。戦うにせよ、このまま回避するにせよ。あの場所を立ち去ることは、正しかった。
それでも、悪態をついている。見ず知らずの人が目の前で奪われ、弄ばれ、失われ、それをただ見殺しにして尻尾を巻いた。その事実に怒っている。
なんとも、善性。思えば、初めからそうだったのだ。化け物を見たのだ。自分ひとりで逃げ出しても良い。それはきっと、誰にも咎める権利がない。しかし彼は、ソアを救うことを選んだのだ。その行いを、当然のこととして踏み出したのだ。
きっとロジカルではない。きっとタクティカルではない。しかし、その感情は確実に尊い。
だからとりあえず、その両頬を肉球で挟んでやることにした。
むにって。むにってやってやる。
「だいじょーぶ? お顔かたまってない?」
毒気を抜かれたのか、ぽかんとした青年の表情に、満足気にうなずくソア。
「とりあえず、ご飯かな。いっぱいはしって、おなかすいたし」
なにか言われる前に、予定を決める。自分だけのことではなく、青年のことも含めた上で。
走り回って、お腹が空いた。暑いばかりでもう、汗だくだ。とりあえず涼しいところで、ご飯を食べて。
「そしたら、『さくせん』を考えよーよ」
あくまで前向きに。それでいて、この件から逃げ出さないことを、決定事項のように。
作戦を考えよう。準備を整えよう。自分達だけで出来なければ、誰かを頼ろう。
それでも、もうあの化け物からは逃げ出さない。
いま差し伸べられる手はない。しかし、手を伸ばす機会はきっと残っている。
これは依頼ではない。これは仕事ではない。なのに命を賭けるなど、愚かしい行為だと、誰かが笑うかもしれない。誰かが誹るかもしれない。
構うものか。青年の悪態に、乗ってやろうと決めたのだから。
「このへん、くわしくないんだよね。おいしいとこ、知ってる?」
「あー……えっと、信号ふたつ向こうの店。ハンバーグのホイル焼きがチーズ入ってて美味い」
「なにそれおいしそう! この時間でもやってるかな?」
「えっと、たぶん?」
さすが眠らない街。手を引っ張って駆け出す。場所なんて知らない。まあ指をさしていたんだ、多分あっちの方だ。
そういえば。
「そういえば、ボクはソア。君は?」