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白いダチュラが咲き誇る
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- トキノエの関係者
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それは月の明るい夜のことでした。
就寝前の身支度をするわたしの前に天使が白い翼を広げて舞い降りて、こう告げたのです。
「きみの大事な信徒達がクーデターを起こそうとしているよ」
まさかと言葉を無くしていれば、真白い少年の姿をした天使は血よりも鮮やかな瞳を曇らせます。
「疑うんなら彼らを集めて問い質せばいいよ」
疑うなんてとんでもない。強いて言うなら老いて遠くなった我が耳を疑ったのです、と弁明するわたしに天使は微笑みます。
「そうだね。今はまだ、強い言葉は焚き付けることになってしまうかもしれないね」
それは領主様への不満が長い時間をかけて少しずつ溜まった結果なのだと言います。たとえ牧師であるわたしに届く声が些細なものばかりでも、積り積もれば燃え広がることは確かです。
「大丈夫。長く彼らと寄り添ってきたきみなら、止められるよ」
じっくり焦らず、こっそり穏便に。まずは顔役の数名に声を掛けることから始めましょう。
その日も代わり映えのしない一日であるはずだった。
業務を終え、夕食のために執務室を出ようとする私を呼び止める声がするまでは。
「悲しいことだよね。富と権力に目が眩んじゃうなんて」
街と呼べる程には発展したとはいえ目立ったところもない小さな領地。それを治める領主たる私の部屋には、護衛などという立派なものはいない。
だからこれはおかしな話であり、実際に当時の私は嫌な汗を流しながら振り向いたのだ。
「神の教えを説くよりも、人を思うままに動かす方が楽しいのかな」
僅かに開いた窓辺、ほぼ沈みかけた夕陽で斑に染まった少年が寂しげに笑っていた。
清らかなる翼と光輪を見れば彼が何であるかは知れるが、その口から齎された情報こそが大事だ。
「牧師のお爺さんがきみの領民を扇動してまとめあげようとしてるんだ」
あの人の良さそうな御仁が、何故。いや、今欲すべきは理由よりも証拠だろう。それ無くして疑う訳にはいかない、と伝えれば天使が誘うのは闇に呑まれた教会の一角。そこに彼らはいた。
揺れる蝋燭。漏れ聞こえる言葉は遠回しに事実を伝えてくれる。
「ここで止めても、ますます反感を買ってクーデターの引き鉄になってしまうかもしれないね」
いざ事が起きた時に現場を押さえる。そのために軍備を整える。それが私に出来ることなのだ、と。
最近、街の何かが変わっていく気配がする。だが、その正体がわからない。居心地の悪さに領民の表情が曇り始めれば、必然、俺達顔役が集会を行う頻度も高くなる。
この日も朝早くから顔を突き合わせ、話題に上げるのは急に顔色を窺ってくるようになった牧師についてだ。まるであれは——
「彼はね、領主の手先できみ達を見張ってるんだよ」
——スパイのようだ。そう口にする前に聞こえた可愛らしい声は驚く程にこの場にそぐわない。
いつの間に紛れ込んだのか。上から下まで真っ白な、一度見たら忘れられない容姿。この街では見かけた覚えがない子供がそこにいた。
「ここの領主はひどい人だね。武力で押さえつけようとしてるみたい」
誰かの知り合いの子かと集まった面々はお互いを見ては首を振るなか、ふと一人が呟いた。数日前から領主様の館に武装した者が出入しているのを見た、と。
それを皮切りに、私も俺もと声は上がり、牧師が不審な訪問を繰り返していたとする目撃情報も出てきた。
「ねぇ、クーデターを起こすなら今しかないよ?」
大人が狼狽える様を見渡すように少年は翼を広げて暖炉の上に腰かけた。小さな指から数枚の書面が零れ落ちる、完璧な構図はどんな絵画よりも慈悲を湛えて。
「ぼくは悪を罰してきみ達を哀れな未来から救いたい。これは天の配剤なんだ」
年々減る税収。急激に増えた軍事費。それらを記した帳簿。拾い上げ、仰ぐ天使の尊顔。
——ガチャン。会議室の扉は冷たい拒絶の音を立てた。
『まさか! そんな危険なことを俺達がすると仰りたいんですか? 信用が無いんですね……』
どうしてと悩む暇はありません。一刻も早く、彼らの蟠りを解きほぐして差し上げなければ。
『全く、どの面を下げて……その件ならこちらで対処しているから余計な真似をして刺激するな』
今はどれだけ邪険に扱われても、わたし達の間にはこれまでに積み重ねてきた時間と天使様のご加護があります。
『ご心配なく、牧師様。貴方に相談するようなことはありませんよ』
必ずや分かり合えるはず。そう信じられるからこそ、衰えた体は今日も動くのです。
男は銃を手に取った。昔々、獣を撃っていた先祖のものだ。村が町になり、大きな街となった今では家宝として壁に飾られるばかりになっていたそれを、これから人へ向ける。街の敵——悪政を強いるべく兵を揃え始めた領主とその手先である悪しき牧師に、だ。
もしかしたら死ぬかもしれない。それでも街を、家族を守るために立ち上がった。大丈夫、俺達には天使様がいる。神様が見てくださっている。皆で呪文のように擦り切れるまで繰り返す。正義は我等に、正義は我等に。
天使様がもうそこにいないことなど、誰一人気づきもしなかった。
彼らの前に真っ先に立ちはだかったのは大軍の兵ではなかった。老いた一人の男——牧師だった。
クーデターの準備をしていたことはもう領主様の耳に入れました。兵を集めるのは民の恐怖を煽るから止め、一度話し合いの席を持つようにと忠告しましたが聞き入れてもらえませんでした。領主様の元へ行くならわたしも共に行きましょう。ただし、武器は置いていきなさい。
この局面においても真摯に説得する言葉。しかし領民達の心には響かず、空高く鳴ったのは一発の銃声だった。それが狼煙となった。
ついに来たか、と領主はその音を聞いた。
執務室に詰める護衛。屋敷内、廊下から倉庫に至るまで配置された兵。門番と敷地内の巡回兵が不作法な客らを迎えて声を張り上げた。
如何なる理由であれ、此処は誰も通さない。
盾を構えれば強固な壁の様相。普段であれば怖気付くような威圧にも、とっくに引き返せない領民達は正にこれぞ圧政の証拠であると血走った目で幾重にも罵った。
領主を出せ。さもなくば押し入るぞ、と。
兵らは動かない。動かないことが答えとなる。
怒号。悲鳴。剣戟と呼ぶにはお粗末な金属音。銃弾が穿ったのは誰の腹だったのか。それすら判別の付かない混沌であっても領民達は決して諦めなかった。
全ての音が消えた後に残ったのは血に塗れた武具を纏う雇われの兵と、もう二度と起き上がらない領民達の山。
これからのことを憂う領主の元へ一人の使者が訪れた。携えた書面は死人と同じ冷たさで、『国家転覆を画策し、領民を焚き付け軍備を揃えていると密告した牧師を殺害した』罪を謳う。
実際に牧師が告げ口をしたのかどうかさえ、その口を永遠になくしてしまえば語られない。ただどれだけ身に覚えがないと宣えど、無邪気に囁く天使の声を知る者はもう彼一人だけだった。
——なあに? それからどうなったかって?
さあ、知らないよ。天使を見失っちゃうような不信心者の末路なんて。
きみは『彼ら』みたいにならないように上手くやらなきゃいけないよ。
そのためにぼくがこうして遣わされてきたんだから。
この神託が、あなたの未来をよき方へと導きますように……ふふふ……