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ありふれたつまらない朝の話
登場人物一覧
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優雅。耽美。それは大抵は、美しいと感じたものに使われる言葉であることを、マリエッタは理解している。
目の前に広がる鮮烈な赤にその言葉を宛行おうとした己を恥じるのは、何回目のことだろう。
惨劇の始まり。誰かの悲鳴をオープニングに幕を開けるグロテスクなシネマ。
観客はマリエッタただ一人。誰にも止められない。目を覆っても、耳を塞いでも、拒絶することを許さないとでも言うかのように、それは脳裏に流れ込んでくる。
「善良なふりをして、大人しくしているだけがいい子じゃあないのよね」
それは子供であったか。大人であったか。死体になってはわからない。
瓜二つの容姿をした女が幾つもの命をゲーム感覚で奪っていく姿をただ見続けなければいけないのは、拷問のように耐え難く苦しい時間だった。
心優しいマリエッタにとっては、尚更に。叫んだとて、喚いたとて、泣いたとて、女の狂行が止まるわけではない。
「――ふふ、貴方の血はあたしが奪う」
「もうやめて」
「あたしの為に生きてきた。そう思えばとても素晴らしい人生だったでしょう?」
「もうやめて」
「ほら、こんなに脈も早くって……素敵じゃない。素敵じゃない。素敵じゃないの! あっは、ほら! ほらほらほらほらほら!! とおっても素敵な血飛沫になった、ご苦労さま!」
「もうやめて!!」
どうしてこの声は届かないのか。
どうしてここに居るのに伝わらないのか。
目の前で殺されていった幾つもの人々を弔うことが叶っただろうに。己の無力を嘆いたとて変わらない。夢は所詮夢、干渉のしようがないのだから。
ああ、またか。
何度目の失望であろうか。何度目の絶望であろうか。
目の前で楽しげに殺戮を行う彼女は知らない。知ることもない。己の落胆を。
けれど今日は違う。今日は。
「ねぇ、ほら、よそ見をしないで?」
「……ッ?!!」
マリエッタ自身が拘束されていることに気がついたのは、女が頬を撫でたときだ。
女と確かに目があっている感覚があった。思わず身体を動かそうとすれば、がちゃがちゃと鎖が呻いて。嗚呼、殺される。なんて本能が警笛を鳴らしていた。
吠えてやろうと思った。叫んでやろうと思った。
これまでの数々の所業が嘘であれ妄想であれ。彼女はこれから確実に一人の
「やめなさい!!」
声をあげるマリエッタ。その声は届かない。悲鳴を楽しむことすらある女ならば確実に反応するであろう言葉であるのに。と、思考を巡らせたところで、気付く。
これもまた夢に過ぎないのだと。マリエッタは拷問をこれから受ける。けれども、それはマリエッタの脳が見せた都合のいい夢。誰かの身体からみた女の拷問の風景、そのひとつなのだ。
ならば声も、痛みも。夢であるから、恐ろしいと怯えるだけで済むだろうと思っていた。けれど。けれど。けれど。
今日の神様はマリエッタには優しくなかった。
「それじゃあ、あなたの声を沢山聞かせて頂戴ね」
左腕、肘と手のひら。その中間にずぶりと切れ味の悪いナイフが沈んでいく。切るのではなく力任せについていくものだから、押し負けた皮膚がぶちぶちと裂けて、えぐれて、貫かれていく。
「――――――!!!!!」
これは誰かの記憶だと認識していたのに。
これは別の、他人の人生の欠片だと思っていたのに。
どうして今、痛みを感じているんだろう?
泣いたとて、叫んだとて、これは別の誰かの身体であるのに、それなのに涙も痛みも止まらない。
マリエッタではない誰かに興奮している女は、薄皮にだけ傷をつけてひりひりと痛みを与えていく。
いたい。
「あはっ」
いたい。
「もっと!」
いたい。
「ふっ、ふふ、ふふふふ!!!」
いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
気が触れてしまいそうだった。否、もう触れていたのかもしれない。
目覚ましがマリエッタを現実へと引き戻す。
「はぁっ……はぁ、あ、あ」
思わず袖をめくって傷つけられた筈の腕を確認する。が、当然のことながら夢なのでその痛みは全て嘘だ。
腕に刻まれている禍々しい刻印が、拍動に合わせて禍々しくきらめいた。
「……っ、うう……」
いつも見ているただの夢だ。
それなのに、殺意を向けられることがこんなにも恐ろしいだなんて。
失っている記憶の蓋を開けることが、今はこんなにも恐ろしい。
そんな、ありふれたつまらない朝の話。