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藤ばかし
登場人物一覧
●ばっかり
――どうして泣くの、わたくし。
何度も何度も己を問い詰めては、あの日の選択を後悔したように泣きわめく己が嫌になる。どうしたってこんなに弱いのだろう。ばかみたいだ。
毎夜泣いては朝が来て。うたた寝を繰り返せば脳裏に貴方がよぎるから、苦しい。
――どうして泣くの、わたくし。
後悔がない選択をしたんでしょう。ならば何を泣いてしまう必要があるの。
そう自分を叱咤してみても、どうしても涙は止まらない。
セピア色の思い出をゴミ箱に投げつけたのは自分のくせに。甘えたな自分が嫌になる。
――どうして泣くの、わたくし。
泣こうと名前を呼ぼうと彼は戻ってこない。
目の前で見届けたではないか。
存在することすらも許されず、光の粒子となってとけて消えていった彼のことを。
幾度となく声をかけられた楽園への誘いを。その手を。はねのけて、遠ざけたのは自分ではないか。
いつだって。いつだって。ルドラスを傷つけていたのは。
「わたくしの、ほう。じゃない……」
だから、どうして泣くの、わたくし。
身勝手で苦しませてばかりなのは自分の方なのに。どうして、泣くことを許されていると思っているのだろう?
――わたくしも、貴方も、昔と同じようには、なれない。
――もう、過去の楽園には、戻れないのです。
ああ、いとおしきらくえんよ。
どうか、かがやかんばかりのかこでありますように。
泣きつかれて眠った筈なのに。
ルドラスが灰になって、とけていく。その瞬間がなんどもなんども夢に出る。
それが嫌で、また泣いて。そんな繰り返しだった。
けれど――からん。
その日は、いつもとは何かが違うような気がした。
空気が揺れていたのか。妖怪に貰ったと言うだけあって不思議な力があったのか。それともたまたま置き場所が悪くて落ちてしまったのか。どういうわけかはわからないが、友人たる絢からもらった小瓶が小さく音を立てた。
泣きじゃくるネーヴェを慰めたいと思ったのか。それとも何か別の力が働いているのか。それは絢にしかわからない。
手紙はずっと書けていない。苦しいこと、悲しいことが波のように際限なく押し寄せている。だから感想を絢に伝えることもまだ出来ていなかった。お守りのように持たされたそれは、ただの飴。薫衣草とラベルが小さくはられている、ただの小瓶。
(どうせいただいたのなら、一口くらいは……いい、かしら)
ずっともったいなくて食べることが出来なかったけれど、こんなときのためにくれたのではなかろうか、なんて都合のいいように解釈する。きっと絢にそれを伝えれば、(何一つ伝わっていなくて)困ったように笑われるのがおちだけれど。
思っていたよりもラベンダーの癖は消えていた。ふんわりと香る程度で、甘めに調整された牛乳のミルキーな味わいが口の中に溶けて広がっていく。
どうしたことか、と思った。猛烈な睡魔がネーヴェを襲う。何も食べることも飲むことも出来ず、みるみる弱っていくだけだけだったけれど。飴ならば嚥下することはないから良いのだろうか?
(……ああ、ひさしぶりに、)
眠れるのかしら。ほんの少しの期待が、胸の奥を過った。
●化かし
「あれ、ネーヴェ?」
「……絢、様?」
「ああ、良かった。ようやく食べてくれたんだね?」
「ここは……夢、ですか?」
「ふふ、どうだろうね。まぁ……都合のいいように解釈してくれて構わないよ」
目を開いた(であろう)とき、そこに広がっていたのは快晴の藤棚。ただし天と地が逆、逆さに生えた藤棚を地面に空は広がっている。
前回とは違う景色だ。それによくよく見れば絢の格好は洋装のそれ。たとえるならばアリスに出てくる帽子屋、シルクハットに燕尾服といった普段とは全く異なる装いだ。
ネーヴェをアリスとしているのだろう、うさぎをモチーフにしたであろう義足とアリスをモチーフにしたであろう衣装が着せられている。夢でなければ、都合の良すぎる現実だ!
絢は二人分の紅茶をティーカップに注いでいる。ネーヴェには三つの、自分には一つの角砂糖を落として。
そんなことにも気付かずあたりをきょろきょろ見渡していたネーヴェは、いつのまにかセッティングされていた紅茶を口に含むふりをしながら、ずずいと身を乗り出した絢に瞬いた。
「あ、そうそう。飴の味はどうだった? ここまずいな、とかあったら知りたいんだけど」
「ええと……そうですね。お花の香りは、絢様は、強めで作られましたか?」
「ううん、なるべく残さないようにしてみた」
「すこしだけ、へらしてもいいかもしれません。ハーブのような、あじわいになってしまうかも」
「ああ、そうだね。外来の花は少しだけ扱いがめんどうで大変なんだけど……良い機会になったよ、ありがとう」
「ふふ。それなら、何よりです。調整と、おっしゃっていました、もの、ね」
「うん、そうだね。ネーヴェはもう少し甘いほうが好き?」
「……はい。甘くても、おいしいかも。しれません」
「ふっふっふ。そっか、わかった」
じゃあ、はい。と手のひらに乗せられる小瓶。ご機嫌なラベルには『Eat me Neve!』の文字が青いインクに滲んで。
見目はやっぱり変わらない飴が沢山詰まっているけれど、でもこんなに貰ったって食べられない。と、言う前に押し付けられて、絢はご満悦なのだろう、意地悪く微笑んだ。
「今回はネーヴェが遅かったからついつい会いに来ちゃったけど、次はちゃんと三日にいっぺんくらいは食べてよね?」
指をぱちんとならしてぼふんと消えた絢。と、同時に目も覚める。
「……絢様!?」
手のひらには、一粒減っていたはずなのに減っていない未開封の新しい小瓶。
そのラベルには夢と同じく、『Eat me Neve!』の文字が跳ねて、踊っていた。
ちゅんちゅんと囀る小鳥の姿はなく。空の真上に太陽が登って――即ち、只今の時刻は正午!
「つ、次に夢に絢様が出てきたら、寝すぎてしまったとお伝えしないと、いけません、ね……」
依頼がない日で良かった、と小さく安堵の息を漏らす。
ちょっぴり回復した体調。今日ならばなにか食べることも出来るかもしれない、なんて心を踊らせて、ネーヴェは外へと出かける支度をはじめたのだった。
下地を塗ってくまをとんとんとコンシーラーで隠す。ぽんぽんと粉を乗せて、薄くティントを。遠出するわけではないからアイシャドウはあったって無くたってかまわない。
久々に外に出て、ガラス越しではなく肉眼でくっきりと見つめた空の色は、夢の中でみた空の色にうり二つだった。
●馬鹿し
どうしたものか、なんていうつもりはないけれど。ちょっぴりふしぎな飴を貰ってしまった、と思う。
やはり妖怪なのか。妖怪パワーなのだろうか。けれど変わってしまったものは仕方がない、と小さくため息を吐いて。
約束通り三日後の夜。ネーヴェは新しく封を切って、その飴を口に含む。
「……あれ、」
蜂蜜の味。ラベンダーの癖は少しだけ抑えられている。それから。
「……ね、む。い」
ああ、やっぱり。とっても眠くなってしまう!
もしかして睡眠薬が溶かされているのではないかなんて考えてしまう効き目。ありがたいような恐ろしいような。
ネーヴェの方をくるりと振り返った絢は、嬉しそうに笑うのだ。
「……あ、ネーヴェ。ふふ、今度はちゃんと三日後に来てくれた。偉いね?」