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皐月の風が吹いたから
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「こんにちはにゃ!」
明るい声音でローレットへと訪れたちぐさはきょろきょろと何時ものように周囲を見回した。挨拶を返したのはユリーカとプルーのみ。他の情報屋達は忙しなく混沌各地へと出掛けているのだろう。
ちぐさの目当てであった黒猫フードの彼の姿は見えやしない。首を傾いでからカウンターに近付けば、ちぐさの探し人にアテが付いていたのであろうユリーカは「ショウさんならちょっと所用で出ると言っていたのですよ」と直ぐに欲しかった返事をくれた。
5月22日となったこの日、ちぐさはちょっぴり期待していた。情報屋である彼のことだ。ちぐさの期待の内容には見当が付いていて、直ぐにでも顔を合わせてくれるのではないかと期待していた。美味しいランチや、少しの街歩きにも付き合ってくれるのではないだろうか――見たいな、淡い期待もふんわりと湧いていたが、それもどうやら今日は無理そうな気がする。
ちぐさの蒼銀色の猫耳も、尻尾のたらんと垂れてしまった。折角のお誕生日だというのに彼はどこに行ってしまったのだろう。
せめておめでとうの一声だけ聞きたかったが――どうやら、帰還する時間は未定なのだそうだ。
何時も自分に懐いてくれている蒼銀色の髪をした少年がいる。外見こそ10歳代の幼さではあるが、猫又というものは100年生きるとなるとも言われているそうだ。
つまり、ショウよりもうんと年上である可愛らしい少年、ちぐさの誕生日がやってくるのである。シャイネンナハトもグラオクローネも彼は一緒に過ごそうと声を掛けてくれた。
猫又であるちぐさにとって『猫』仲間である事がどうやら刺さったらしい――というのはショウの認識だ。本来的な意味合いではちぐさ自身は面倒見の良い情報屋に父性を感じているが、それはまだ心の内に秘めておくのだろう。
「猫仲間の誕生日があるのだけれどね」
頬杖を付いたまま、そう切り出したのは5月21日のことである。ローレットの情報屋たるもの、イレギュラーズの情報はしっかりばっちり把握しておきたい。登録冒険者であるちぐさの誕生日が翌日である事位、ショウは知っていた。
「勝手に知っていると彼は驚くだろうか?」
「喜んでくれるのではないでしょうか」
ぱちりと大きな若草色の眸を瞬かせるユリーカに「そうだといいね」とショウは頷いた。実年齢は兎も角しても外見年齢に由来する精神年齢を有するちぐさならば細かに考えることなく喜んでくれそうではある。
「いや、困ってしまったのはプレゼントのことなんだ。最近は中々に忙しかったから、彼の誕生日にぴったりの品を用意し忘れていて」
「あら、それってとってもスモーキーな話じゃない? あれだけ慕ってくれているのに」
非難めいたプルーの声にショウはやれやれと肩を竦めた。長い間共に過ごしている同僚に言われなくともショウとて分かって居る。猫仲間としてあれだけ慕ってくれてる少年を無碍に扱うわけもなく、愛らしいかと聞かれれば「勿論さ」とショウは即答できる。そんな愛らしい友人にプレゼントの一つも用意できないダメな男に成り下がってしまいそうなのだ。
「けれど、今から彼のための誕生日プレゼント――と言うわけにも行かない。時計の針は生憎止まらないからね。
ちぐさにぴったりなプレゼントを考えたけど、そうだな。屹度、神秘防御力が上がるアクセサリーが良いと思う」
「ちぐささんって実年齢はうんっと上なのですよね? ショウさんの好きなお酒とかでも喜んでくれそうなのですが」
「ちびちびと舌を出して猫らしく飲むというのもオツだけれどね、酒のプレゼントは彼の心が大人になってからというのが良いとは思わないかな」
首を捻ったユリーカは「確かに?」とプルーを見詰めた。グラスを傾けて度数の強い酒を喉へと通したプルーは「紅茶は?」と問い掛ける。
「生憎、彼の好みを聞いていない」
「驚いたのです。ショウさん、情報屋なのにちぐささんの好みも調べてないのですか?」
「――ああ、オレも勿論驚いたよ」
何時も、自分の傍に走り寄ってくれる可愛い友人の好み一つも分からない情報屋。失格の烙印を押してやるのですと傍で跳ねるユリーカにショウはやれやれと肩を竦めた。
ローレットのイレギュラーズの数は多く居る。故に、全員の好みの把握を行っておくことは難しいが何時も声を掛けてくれるちぐさの事位は把握して置くべきだと彼は悔やんでいたのだった。
「いっそのこと本人に聞いてみるのはどうです?」
「誕生日の贈り物をしたいから、と言うのもナンセンスな気もするけれどね」
ユリーカは「面倒くさい大人なのです」とぽそりと呟いた。そうやって作戦会議をしている最中に舞い込んできた緊急の依頼は情報収集が必要なものであった。
プルーが行きましょうかと立ち上がるがショウは首を振った。隠密に動くならば外見的に派手である彼女よりも自身の方が向いているだろうと告げるショウは「お預けになりそうだ」と独り言ちるのであった。
――という前日譚が存在しているショウは現在、ローレットの本拠が存在する幻想王国から離れた海洋王国の首都リッツ・パークに居た。
潮騒の街を歩く青年は燦々と降り注ぎ始めた初夏の風を受け止めながら情報収集に当たっていた。元より孤独癖がある彼は個人行動に適した活動を得意としている。
例えば、明るく幼いユリーカの情報収集は巷の人々の伝聞を集めることに向いているし、プルーのように目立つ容貌をしていれば酒場などでの情報収集が良い。
ショウは自身は諜報や闇に溶け込むことが向いている(自称である)と感じているためにこの仕事を引き受けたが調査は難航していた。
太陽の位置を見れば分かるが昼も随分と穏やかに時間が過ぎ去った事である。屹度、ちぐさが自分を探してローレットに訪れたであろう事は想像に易く、誕生日であるのに祝の言葉の一つもなかった事に酷く落胆しているかも知れない。
(落胆させるようなことをしているくせに、嫌われると思わない辺りオレも彼に絆されたものだよね)
海洋王国の異国情緒の街並みを歩く中で、バザールを抜けるショウはふと屋台に置かれた硝子細工に気付く。薄い水色が混ざり込んだヴェネツィアン・グラスは何とも
「ちぐさにはあまり合わないかもしれないな」
喜んで抱え上げて、其の儘落としてしまいそうだとショウは楽しげに跳ねるちぐさの様子を想像してからふ、と笑った。ワイングラスをプレゼントに選ぶのも何処か可笑しい気がしてショウは露店を眺めながら少しばかり歩を進める。ヴェネツィアン・グラスのビーズで作られたネックレスならばどうか――いや、華奢な首筋をした少年には少し重たいかもしれない。
情報収集も少しばかり頓挫してしまった。ならばちぐさの誕生日の埋め合わせのためにバースディプレゼントを選んでおくのも悪くはなさそうだ。まじまじと露店を眺めていれば、店舗の片隅にヴィネツィアン・グラスで出来た猫の置物を二つ発見した。一方は澄んだ水色をしており、もう一方はくすんだ青色だ。
「やあ、可愛らしい猫だね。そちらを購入しても?」
「ああ、どうぞ。プレゼント用ですか?」
「そうなんだ。ついでに何か、10歳くらいの少年が喜びそうなアクセサリーがあれば良いと思ったのだけれどね……これが中々難しくて」
置物は飾っておいてくれるだろうが、どうせならば日常的に
「そうですねえ……華奢なチェーンで石を通してやるのもいいかもしれませんぜ。折角ならガラス細工を好ましそうな形にしてやって」
「それは良いな。彼は猫が好きだそうだから。猫の形のガラス細工にチェーンを通してプレゼントしても良さそうだ」
お守り代わりに日常的に所有して貰えるのではないかとショウは大きく頷いた。色彩は優しい色の蒼が良いだろうか。猫の置物と同じような色彩にしようと考えたショウを眺めていた店主は「お兄さんの目と同じ色彩ですな」と楽しげに笑った。
生誕の祝いを一日遅刻するのだ。特に幼い少年――実年齢はさておいて、だ。ショウにとっては10歳程度の可愛らしい少年――にとっての1日というものは大きく罪深いものであるはずだ。買い物を行ってから、割れ物を概して仕舞わぬようにとローレットのユリーカ宛てにでも直ぐに届けておいて欲しいと告げてショウはさっさと自身の仕事を熟すことに決めた。
5月22日内にちぐさと顔を合わす事は出来ないだろうが、当日に会えなかったと翌日の23日にもう一度足を運んでくれる可能性はある。
プレゼントの配送に忍ばせた手紙にはユリーカやプルーへの伝言が添えられた。23日に彼を誘う予定で、見かけたら引き留めて欲しいという文言だ。
折角ならばカフェーへのお誘いくらいもしてやろうか。彼は甘い者を食べて喜んでくれるはずだ。ケーキの一つ二つくらいならば奢ってやれるし、その場で何が好きなのかを問い掛けておくのも悪くはなさそうだ。
……正直、プルーやユリーカに「ちぐさの事を何も知らない」と糾弾された際にはちょっぴり傷ついた。ショウは案外ナイーブな男なのだ。
そもそもにおいて、
ローレットのイレギュラーズ達が彼が紅茶と酒と猫を好むことを知っていようが居まいが、それ以上は謎に包まれたシークレットな黒猫の姿を保ってきた筈なのだ。
それ故に、他の誰かの情報を必要以上に集めることはなかった。分かり易すぎるユリーカの事はさておいても、である。
「……何が好きか確認しておくのも悪くは無さそうだよね。好きな食べ物なんかの方がプレゼントには最適だ」
紅茶は好きか。ストレートかミルクかレモンか。猫だからやはり猫舌だろうか。甘いものの方が好ましいだろうか。グラオクローネでは苺のチョコレートフォンデュを喜んでいた。
どうやら自身の格好にも憧れを抱いていてくれるらしい。黒いコートや中二病チックな衣服をお勧めしてみるのも悪くはないだろうか。
友人として、そして猫仲間として慕ってくれている彼の好みをちゃんと把握してやればプレゼントについて此程悩まずに済んだのだと自嘲するショウは翌日を楽しみにするように帰路を辿る。
明日になれば美味しいケーキやランチメニューを選ぶ必要がある。ローレット至近の店舗のデータならばある程度有しているが故に、当日に彼に確認してみる台詞はばっちりだ。
――やあ、一日遅れてしまったけれど誕生日おめでとう。一日遅れの誕生日を祝うためにランチにエスコートしようと思うのだけれど何がお好みだい?
オムライスでもパスタでもなんだって良い。旅人達が最初に訪れる街としても良く知られている幻想には案外、様々な店が並んでいるのだ。
ショウのお勧めのバーには流石に誘わないが、カフェタイムを行っている場所ならばお気に入りの場所なのだと
猫は暗闇に潜むものなのだと真摯に伝えればちぐさはこくこくと頷いて着いて来てくれるだろう。それから、ランチをゆっくりと食べデザートプレートにバースディを祝うメッセージを描いて貰っておこう。彼が其れで喜んだならばプレゼントを渡し、一日の遅れを詫びるのだ。
最高のプランニングが決まったのだと自負してローレットに戻ったショウは「ちぐささん落ち込んでたのですよ」と頬を膨らませるユリーカと「一日遅れでプランを決めてもセラドン・グレイな気持ちは拭えないでしょう? 当日だからこそのセヴィリァン・ロートよ」と色彩の名前を交えて糾弾するプルーの言葉に少しばかり傷つくのだった。
――さあ、本番は5月23日。一日遅れの君の誕生日をお祝いする日だ。