SS詳細
幽霊屋敷の夜は長く、そして賑やかに。
登場人物一覧
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──カア! カァー!
鬱蒼とした森の中から鴉がけたたましく鳴き一斉に飛び立つ。その際にハラリと羽が抜け、落ちた先はとある洋館の庭の中。どことなく不吉で不気味な森の中の、人々に忘れ去られた古い洋館……その扉を開ける者が、1人いた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
クウハがやや立て付けの悪い扉をギッ……と軋ませながら開くと、階段の手すりを掃除していた
「晩餐はいかがなさいますか?」
「あー、俺が作るわ。和食の気分だ」
「かしこまりました。後ほど食事を摂れる者には周知しておきます」
モヨトは穏やかな声音でクウハの言葉に頷いた。モヨトは物腰柔らかく控えめで、他者のやることに合わせて柔軟に対応できる男なのでクウハから見ても非常に付き合いやすい。……これで時折、その柔和な笑顔のまま子供幽霊たちの数倍狡猾な悪戯を仕掛けなければ、さぞ執事の仕事などが向いていることだったろう。
「さぁて、と」
エントランスホールを抜けて厨房へと入るとまず冷蔵庫と貯蔵棚を開けて中身を確認する。館へ帰る間際に買い付けてきた食材と併せて自分の食べたいものが作れそうだと確認すると、虚空を見上げてやや大きな声で呼びかけた。
「おーい、今から飯作るぞー。暇な奴は手伝えー」
少しして、
【ワーーーーーーッ】
空気を震わせない音無き声が聞こえてきたかと思うと、厨房の中に次々と気配が満ちる。壁から、床から、天井から……あらゆる箇所から突き抜けるように入室してきたのは全てこの洋館に住む幽霊たちだ。水子から老人まで実に幅広い年齢層の幽霊が住み着いているものの、今厨房にやってきているのは子供幽霊が圧倒的に多い。幼くして死んだ彼らは素直なもので、クウハが何かをやるぞと呼びかけるとすぐに集まってくるのだ。
【クウハ、何作るの?】
「できてからのお楽しみだなァ。このじゃがいも洗ってくれ」
【ぼく、ハンバーグがいい!】
「残念ハズレだ、ってか食えねーだろ。オマエはこいつを洗ってくれ。水じゃ無くてお湯で頼むぜ」
【なぁに、これ】
わいわいがやがや。賑やかなおしゃべりが厨房を満たし、ポルターガイスト現象で食材が踊り、皿が浮かび上がる。その様子をクウハは満足そうに眺めて、包丁を片手に持つと子供幽霊に洗ってもらった芋の皮を剥き始めた。別に細々とした調理作業が面倒だということはないし、なんなら手際を考えるとクウハ1人でやった方が時間がかからない。しかし黙々と調理だけに時間を費やすというのが、退屈を嫌うクウハにはどうにも性に合わない。それでこうして、調理の度に館内で暇している幽霊たちを呼び集めて賑やかに調理をしているというわけだ。
【ねぇクウハ、人参可愛くして!】
「あー、あれか? 人参は乱切りが味が染みるんだがなァ。……ま、いいだろ。ちょっと待ってろ」
苦笑をひとつ浮かべたクウハは、じゃがいもを一口大に切り終えると今度は人参を輪切りに切り始めた。クウハにおねだりをした少女霊はその間に調理台の引き出しからある物を取ってくる。
【はい、クウハ!】
「おう。さんきゅ」
ふよふよと浮かんできたそれは、『クッキー用の型抜き』であった。星や桜、小さなウサギの顔……クウハがやや分厚く切った輪切りの人参にそれらをごりっと押し付けるとたちまちバラエティに富んだ人参の型抜きが誕生していく。
【可愛いーーっ】
「使う時までにはその容器に入れといてくれよ」
型抜きされた人参を浮かべ、うっとりと眺める少女霊にクウハはしっかり釘を刺してからフライパンをコンロに乗せた。熱されたごま油がいい匂いを立ち上らせた頃に牛肉を放り込む。肉に焼き色が付いた頃に少女霊を嗜めてじゃがいも、人参、たまねぎ、糸こんにゃくを入れ、油を具材に回したところで一度火を止めて調味料を入れ始める。
「おーい、ちょっとそこの砂糖取ってくれ」
【うん!】
米酒、醤油、練達で売っていた白だしを入れたところで近くにいた少年霊に声をかけると、元気よく頷いた彼が棚に置いてあった砂糖入れを持ってきた。……しかし、渡す時の少年霊の期待するような、どこか落ち着きのないソワソワした視線をクウハが見落とす筈もなく。瞳だけをニンマリと細め、わざとらしく大仰な仕草で蓋を開くと中の粉を指先に付けてひと舐めして見せた。
「あァ、こりゃ塩だな? 危ねェ危ねェ、クソしょっぱい料理が出来上がるところだったぜ」
【あっ、何で舐めちゃうの! 普段そんなことしてないのに!】
「そりゃオマエさん、見て分かったからさ」
なんでなんでー! と空中で地団駄を踏む少年霊に向けて、ケッケッケと盛大にクウハは嘲笑う。傍から見るとだいぶ大人気ないが、そこは自称・悪戯好きの幽霊。仮に指摘しても本人はどこ吹く風である。
「普段から料理してりゃそれぐらい分かんだわ、質感で。ママの手伝いも碌すっぽしてこなかった奴にゃ分からんかもしれんがね! 同じ白い粒だから騙せるって思うなんざ、文字通りの『子供騙し』ってやつだ。百年早ェ」
【うーっ……】
悔しそうに肩を落として唸ってしまった少年霊にクウハは容赦なく、もう一個あった容器をさっさと持って来いと命じる。すると少年霊は観念して言われた通りに、塩の容器とよく似たもうひとつの容器を持ってきた。混沌肯定『レベル1』の法則を差し引いても、霊として格の高いクウハ相手に力で敵わないのだ。
「そうそう、これだよこれ……あン?」
上機嫌に容器を受け取ったクウハだったが、そこで違和感を感じて首を傾げる。ぱかっ。軽い音を立てて開いた蓋。中を覗き込むと……
「これも塩だな……。つーか、混じってるな……」
呟いたクウハの前で少年霊がバツの悪そうに視線を逸らした。こりゃあ何か知ってるぞ、とすぐに察したクウハは目の前の少年霊に問いただす。少年霊はぽそぽそと小さい声でしか話してくれなかったが、クウハは根気良くその声を聞き取った。
「あ? 何? 補充しようとして間違えた?」
【……うん】
「そういやオマエさん元お貴族様だったなァ。お貴族様じゃ使用人任せで料理の経験なんざねェか」
【ごめんなさい……】
「ああ、いや別に怒っちゃいねーから気にすんな。俺がよく使ってるもんだから、残りが少ないのに気が付いてくれたんだろ?」
純粋な失敗に落ち込んでいるのか、先ほどの悪戯とは打って変わってしょんぼりと項垂れる少年霊の頭にクウハは軽く手を乗せ、ぽんぽんと慰める様に撫でる。
「似た容器に入れてた俺も悪ィ。砂糖ならそこの棚にまだストックあったろ、それ開けりゃあ済む話さ」
次はなんか目印でも貼っとくわ。と笑うクウハに少年霊はもう一度ごめんなさいと謝ると、自ら進んで砂糖を持ってきた。クウハも素直にありがとな、とそれを受け取る。
「さーて、この塩砂糖は後で使い道を考えるとして……とりあえず目の前の料理を仕上げなきゃな」
クウハは砂糖を匙で測りながら適量をフライパンの中へ入れると、再度火をつけて調味料を材料に絡めた。全体に調味料が馴染んだらフライパンに蓋をし、火の勢いをやや弱めにして煮込む。この状態の時に子供幽霊たちがフライパンに悪戯をすることはない。あらかじめクウハに、『それ』をしたらがっつりと叱ると言い聞かされているからだ。基本的に悪戯などには寛容なクウハだが、その分怒った時は怖いのだと幽霊たちは知っている。
「……よし、こんなもんか。あとは絹さや入れてっと」
蓋を開けて具材の火の通りを確認し終えると、クウハは最後に筋を取った絹さやを一掴み入れて数分火を通す。絹さやは煮込む前に入れてしまうと柔らかくなり過ぎてしまうため、クウハは最後の最後に入れるのが好みだ。
【クウハ、これ何ー?】
「お坊ちゃんには馴染みが無ェか? こりゃあな、『肉じゃが』っていう家庭料理だ。美味いぞー?」
それを聞いて、和食に馴染みのない子供幽霊たちは、へー、ふーん。と興味深そうに中を覗き込んだり、立ち上る湯気を煙の代わりに摂取しようとフライパンの周りでふよふよ浮かぶ。
「おいこら、見えねェ。散れ散れ」
クウハは彼らを手で軽く押し退けると肉じゃがを鉢皿に盛って食堂として使われている広間に運んだ。肉じゃがは一度冷まして味を染み込ませても美味しいが、出来立ての熱々も捨てがたい。クウハはいそいそと解凍したご飯と、肉じゃがを煮込む合間に作った味噌汁を並べた。
【いいなぁ……私も食べたい……】
「って言われても今のとこ食わせる手段が無ェからなァ……。ああ、ああ、そんな顔すんなって。今度、いい方法知ってそうな奴に相談してみるから」
肉じゃが……と料理を知っている様子の少女霊が寂しそうにしているので、クウハは彼女の頭を優しく撫でてから食前の挨拶を軽く済ませて箸を手に取る。
「……うし、味も火の通りもバッチリだな。俺様天才」
肉じゃがを一口食べて自画自賛するクウハ。事実として、その肉じゃがは上手に作られていた。ほくほくと口の中で解けてくれるじゃがいもに柔らかな人参、噛むと肉汁が染み出す牛肉につるんと舌触りのいい白滝。それらに染み込んだ醤油ベースの味付けは、砂糖と出汁のバランスを取ることで下品ではない甘さに仕上がっている。ふんわりと微かなごま油の香りも、食欲を刺激して箸がどんどん進む一品だ。絹さやも火は完全に通しつつもシャッキリとした歯応えと鮮やかな緑色を残していて、彩りも非常にいい。
【クウハー! ご飯食べたー?】
【まだー?】
「おい、待て待て。急かすんじゃねェ。飯は落ち着いて食えって習わなかったのか?」
【だって、作るのはいいけど食べる段階になっちゃったら暇なんだもの!】
そうだそうだー! と飛び回る子供幽霊たちに、クウハは苦笑した。なにぶん、目の前にいるのは子供幽霊。誰も彼もが遊びたい盛りの時に、肉体から放り投げられた幼い魂ばっかりだ。大人しくしていろと言う方が理不尽なのだろう。
「しょうがねぇなァ。ちょっとお行儀ってモンが悪いが俺にゃ関係ねえ。喋りもしねえで黙々と食う飯ってのもつまらねえからな。食いながらでよけりゃ、ちょっと面白い話をしてやるよ」
──その代わり、飯食い終わったら片付け手伝えよ?
【【【はーい!!!!】】】
ニヤリと笑ったクウハの言葉に、子供幽霊たちは元気な声でお返事をしたのだった。
鬱蒼とした森の、忘れ去られた洋館。しかしながら、そこでは今日も賑やかに夜が更けていく。