SS詳細
風に乗り、朝の続く限り
登場人物一覧
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(で、ちゃあんと、届いたかのかね……)
ヴィーザル地方、ノルダイン。
ラグナル・アイデ(p3n000212)は、狼たちと準備を手伝いながら、なんともなしに理由をつけて港に出かけて、やってくる船を見あげていた。
鉄帝国北部の辺境とあっては、基本的には郵便なんてのは信頼できないものである。普通に手紙を出すなら、数日の遅配はザラだった。
いや、滞りなく運ばれたとしても。かの友人、ジルーシャ・グレイ(p3p002246)といえばスゴ腕のイレギュラーズだ。ちょうど良く見てくれるとは限らない。
今頃、どこでなにをしているのだろう?
ノルダインに生まれたラグナルが知っているイレギュラーズの姿はほんのわずかなものだが、活躍はここでも噂されている。
どうにも、イレギュラーズというのはずいぶんモノ好きな連中らしく、東奔西走、「天空に浮かぶ島」だとか、あるいは「竜」がいるとされるような未踏の地にすら出向くという。話に聞いていただけのころは全くおとぎ話も良いところだと思っていたが、彼らを知った今となっては「そのくらいしてしまうだろう」と納得している。
どこまでも自由な彼らは、国の思惑を超え、幾度となく世界を救ってきたらしい。
イレギュラーズの冒険心には、ラグナルは大いに感謝している。
……そうでなくては、こんな奥地までやってくることはないだろうから。
今、ラグナル一行は客人の送迎の役割をかって出ていた。
祭りの時期、いつになくちゃんと働いている気がするが、狼たちだってこれには賛成している。どことなく生き生きと、毛皮はつやつやしているように思われる。
もしかしたらジルがやってきて、早く会えるだろうかと思ったのは、ラグナルと狼たちのナイショの話。
「うわっ、ちょっ、お前ら! 急に急ぐなって! 曲がりきれないぞ」
狼たちの駆ける速度が急に速まり、ラグナルは手に持った綱を握りしめた。
後方に配置された若い狼が力強く地を蹴って前方にはみだし、リーダーのベルカとストレルカがそれをたしなめながらもスピードをぐいぐいあげていく。
彼らの鼻は、もうすでにジルをとらえているのだろう。
「まったく、先に会えるのはいいよな」
ラグナルは呟いた。
「どんな顔してそうだ?」
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入り組んだフィヨルドに囲まれた港。
いつもであればヴァイキングのひしめくようなノルダインの港は、騒がしくも緊張が漂っているようなものだが、今日ばかりは違う。
夏至祭だ。
色とりどりの花に飾られた小舟がゆっくりと港に入ってくる。その中に友人の姿をみとめ、ラグナルは心から嬉しくなった。
「あら、そうなの。腰が痛むの。それは大変ね。……よかったら、これ、試してみてほしいわ。もちろん、無理にとは言わないけれど。お風呂に浮かべてね、そうね、バーニャってあるでしょう、この前……」
ジルーシャは、船の漕ぎ手と楽しそうに語らいあっていた。
からからと笑う老人の声を聞いて、ラグナルは心底驚いた。
あの人は結構なへんくつ爺さんなのに。笑うなんて知らなかった。
ジルには氷に心を閉ざしたような、そんな人物の心ですらも溶かしてしまうような不思議な熱がある。激しく溶かし尽くすような熱ではなくて、じわじわと暖かくなるような火だ。
「ヴォオウ! アオオオーーン!」
「ストレルカ!」
「おーい、ジルー」
「ラグナルね! ラグナルー!」
大きく吠えた狼にも負けないように手を振ると、ジルはあの柔らかい微笑みを浮かべてはにかんだ。
留め具を外すと突撃していく犬、もとい犬と化した狼たちを押しとどめることはできなかったが、なんとか列くらいにはすることができた。
(すまないジル、今の俺にはこれが限界だ)
「アラ、今日はベルカたちもお洒落してるのね。皆とっても素敵よ♪」
もみくちゃにされながらも、なんて誉め言葉を言うものだから、狼たちはそれみたことかとラグナルを振り返る。
「なんだよ。俺は褒めてなかったって? いや、毎年同じようなもんだし……。いや、わかったよ。立派立派」
「ふふ、ラグナルも素敵じゃない」
「……。まあな~!」
てらいのない言葉は、心からの本心だろう。男が被るもんかねぇ、みたいな憎まれ口がひっこんで、そればかりかちょっと得したなあ、なんて気分にもなるのである。
ベルカがソリに行くと、花冠を口にくわえてもってきた。ジルは身をかがめてやって、目一杯の歓迎を受け取った。
「ってわけで、ようこそ、ジル! 俺の故郷を案内するぜ」
「今日はお祭りなのね。受けて立つわ!」
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「ジル、腹は空かせてきたよな?」
「もちろんよ」
首都ほどのにぎわいはないものの、それでも、今まで訪れた中では一番活気づいている。老いも若きも、それから別の部族らしき者たちもいた。
染料の匂い、それから太陽を浴びた帆の匂い。
それぞれの香りが混じり合う。
ジルーシャは、その気になればどういったものなのかを、いくらでも数え上げることもできただろう。
人々と同じくらいの数、狼たちも見えるのはこの集落だからだろうか。ラグナルの連れた狼たちがジルの横に立つと、彼らは挨拶するようにジルを一嗅ぎする。
「ベルカとストレルカは、ずいぶん尊敬されてるのね」
「まあな、ここいらじゃ一番の狼さ!」
「フフ……」
胸を張るラグナルに、ジルは微笑みをこぼした。
「これは弓かしら?」
「ところがだな、それは楽器なんだ」
ぴんとはじけば軽やかな音がする。竪琴とはまた違うような音だ。
「あっ」
ぶつかってきた子供に、ジルーシャは慌てて手を差し伸べる。
「あら、ごめんなさい! ケガしなかったかしら?」
困った人間に当たり前のように手を差し出して。自分の服が汚れることもいとわずに手を差し伸べるジルーシャは、ラグナルにとって誇らしい友人だった。
「それにしても、ほんとにいろいろなものがあるわね……」
花の砂糖漬け……。あるいは毛皮だとか干し肉だとか。ジルーシャは、どれにも目を輝かせてて驚いてみせる。……トカゲの黒焼きだとか、伝説に尾ひれのついたようなヴァイキングの斧だとか。よそ者には刺激が強いだろうか、というところを案内するかどうか迷ったが、ジルーシャは何でも面白がる。すると、店のものもまた口を開くというわけで……。
ラグナルは一つ学んだ。
聞き手に回ったときのジルーシャはすごい。なんでもペラペラ話したくなる。しかもこれは狙ってやっているやつでもないというか……。ものすごく自然に、ごく当たり前に。ジルにならばなんでも話してやりたいという気にもなるのだ。
余計なことは黙ってよう、と思ったのだが、周りがなんでも話すものだから、じぶんの初恋の話まで知られてしまった。恋の話となると、ただでさえにこにこしているジルーシャはぐいと身を乗り出して聞いてくるのだった。
「ラグナルったら年上のコが好きなの?」
「いや、どっちかというと、なんでも言うことを聞いてくれる子よりはビシッと決めてくれるコが……じゃなくて、おい、その辺にしてくれよ! プライバシーってもんがあるだろ!」
狼たちもくいくいとジルの袖を引っ張って「そろそろ勘弁してくれ」と言っている。まだトイレを覚えていなかった頃の失敗を世話係にばらされたのだ。
「大丈夫よ。誰にも言ったりしないわ。ねぇ、ラグナル! ここには見たこともないようなものがいっぱいね? アラ、このお店はなにかしら。カウンターには何も出ていないわ」
「ああ、そりゃあな」
昼寝していた店主が慌てて起き上がった。雪を払うと、氷をナイフで削ってシャーベットを出してきた。
「雪の中に保存しているのね。素敵」
うさんくさい店主はジルーシャの相づちで限りなく気を良くして言って、「あの山を2つ超えたところのてっぺんに沸いた清水があって、そこの水は太古の昔から……」みたいな話が飛び出してきた。アルコールの匂いがする。
(おっさん、酔っ払ってやがる……)
どこまで与太なのかわからないが、そういった話でも、ジルーシャは楽しそうに聞くのだ。
「なあ、信じてるってワケじゃないよな? 1億年前の氷だとかなんとか」
「フフ。本当だったら面白いなって思ってるわ」
ベリーのソースがかかったシャーベットは、舌の上でふわりと溶けてゆく。
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「おまじないのひと?」
「え?」
不意に女の子に話しかけられたにもかかわらず、やはりジルは気を悪くした様子もなかった。
「あ。こら。この人は客だから、商売してる人じゃないぞ」
「アラ、はじめましてね。アナタも、そっちの子も、こんにちは」
と、当たり前のように言うものだから舌を巻く。数えるほどしか見ていない子供たちの顔……どころか、狼だってちゃんと覚えているのか。
ジルだよ、と年長の子供が教えてやっている。
「すごくかっこいいヒーローで、狼も子供たちも救ってくれた」と。
「あと、百匹の友達の精霊がいて、天気だって自由に変えられるんだよ。故郷にはお城があって、普段はそこで暮らしてて春の匂いを運んで、やってくるんだよ」
「うん?」
あまりに尾ひれがつきすぎている。へえー、と素直に感心する子供たちにジルは慌てる。
「……ラグナル? 変な噂広めてないでしょうね?」
「いやいやいや、なんか勝手に広まっちまうんだって。俺は特に訂正しなかっただけだし。な、ベルカ!」
「あ、おまじないの人が来たよ」
「ひゃああ!?」
「うん!?」
ひっくり返りそうなジルーシャの声にこそラグナルは驚いた。
まじない師は、ガイコツの仮面を被って、おどろおどろしい仮装をしていた。……といっても、市場で奇妙なものを見ても動じなかったジルーシャのことだ。だから余計に首をかしげる。
「ジル?」
「え、いえ、なんでもないわ……。あの、なにか、面白いことがあるの?」
「うん、これからおっかなーい話をするの」
……。
「ジルおねーちゃん? ……おにーちゃん? ね、ジルのはなしも聞きたい!」
頼まれればイヤとは言えるだろうが、いたいけな子供の手前である。ジルーシャは頷くしかなかったのだった。
『……天井からポタポタとしたたる何かがロウソクを消して……』
「もしもし、ジル? ジルさーん?」
『それは、真っ赤な……血液だった! 天井には、捨てられた部族の女の』
ジルーシャは、真っ青になって耳を塞いでいる。
「こここ怖がってなんかないわよ……!? こ、これは……あれよ、さっき食べたかき氷でちょっと冷えただけ!」
ぐにゃっとしたあったかいものが手のひらに触れて悲鳴を上げる。ベルカだった。
「ああっ、ごめんなさい、ベルカ!」
「真昼間の幽霊だぞ? 怖いか?」
「だっておばけよ!? もう死んでるのよ!!? 怖いに決まってるじゃない!!!」
「ジルにも怖いもんがあるんだな……」
戦闘となれば、どんなノルダインの戦士よりも勇敢に戦ってみせるのに、と、ラグナルは思った。
……ちょっと面白い。
骨で作られた仮面を被って、とんとんと肩をたたいてみる。
「きゃーーーーーー!?」
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「心臓が止まると思ったわ……」
「いや、あれほど驚くとは。もうしない! もうしないから!」
ジルーシャをからかったラグナルはジルよりもベルカたち、そしてすっかりジルの友になった子供たちに絞られていた。
「今は何時くらいかしらね」
夜はかなり更けているはずだったが、日が沈まない日であるから、白んだ空だけではいつなのか見分けはつかない。けれども、屋台の店構えは変わっていた。樽から酒をよそうことも忘れ、飲み干す男たちの姿がある。
この場に流れる香りが、少しずつ、少しずつ移り変わってゆく。湿った雪のにおいに白檀の香りが混じった。獣の匂い。それは決して不快なものではない。ふっくらと水分を含んだ毛皮と、生命の匂いだ。
「ああ、素敵ね」
きっとこれがアイデのにおいだ。
ジルーシャは、何かが始まるのだな、と予感する。
狼たちが、何かを見つけたように一斉に空を見た。
か細い声。
何かを主張するように、影に向かって一匹、また一匹と吠えたてる。
「ジル、これは怖くないのか? 外の連中には、結構迫力あると思うんだけど」
「アラ、どうして? 吠え続けてほしいくらいよ。悪いものを祓えそうじゃない。それにおなか一杯声を出すのって、楽しそうね」
「そりゃあ、よかった」
「ふ、ふふふ」
「クク……」
「あおーん!」
小さい子が月に向かって叫び、大人たちが叫び。丸くなって遊びあっている。……いつのまにか遠吠え大会となった。誰かが笛を吹いている。けれどもその音は人には聞こえない高音を奏でていて。それでもラグナルは思った。
ジルーシャには聞こえていたりして、と。
ジルーシャの目には何が映っているのだろう。浮世離れした、といったらそうではないが、どこか精霊に近いような不思議な気配を感じる。
「ジル、よし、見てろよ」
少しばかり酒が入って、酔っぱらったラグナルは狼の真似をして天高く叫んでいた。
「ラグナル、なんて言ったの?」
「そりゃあもう『ジルさんいつもありがとな』って言ったのさ」
「ウソなんてよい度胸じゃない。もう、冗談よ。でも、ウソばっかり!」
ジルーシャはくすくす笑う。
「もっと迫力があったわよね」
「そうだよ。狼語で今日は楽しいぜ、ってな」
こだまのように、狼たちの言葉があたりに満ちている。誰かが楽器で調子を取り始める。一人、また一人と輪になって、くるくると無邪気に踊り出す。
「ねぇ、人間の言葉ではなんていうのかしら」
「『俺たちと踊ろう』ってところかな」
「いつまで踊るの?」
「夜が更けるまで!」
夜が更けるまで、なんてことはない。
今日だけは一日中、太陽の白さとともにあるから。
ゆったりと輪になって踊りあう。リズムに合わせて、ジルーシャはぎこちないながらも楽しいと思っている。
どこからか、精霊たちがくすくす笑い声を乗せる。
「ちょっと、笑わないでったら! こういうのはノリと勢いが大事なの!」
「そうだぜ、踊ったモン勝ちだ!」
ジルーシャは思う。
精霊たちの声が、ラグナルにも聞こえたのかしら。それとも酔っ払っているだけかしら。
けれども口に出さずとも、これだけはわかる。
――ねぇ、楽しいかしら?
――ああ、楽しい! ジルは?
ラグナルが楽しそうであれば、ジルーシャも楽しい。返事の代わりに、ジルーシャはくるりと香りとともに舞って見せた。
おまけSS『続きはまた』
「ジル、今聞いてる奴の人数を数えるなよ。この話のオチはこうだ。語り終わったら人数が一人増えていて……」
「え?
ああ、精霊のコね? 部屋の隅で聞いているものね。わかってるわ」
「え? うん? あれ?」
ラグナルのちょっとしたからかいは不発に終わったようである。
語り終えるたびに、たき火に粉を放り込む。そのたびに、たき火の色が変わる。
まじない師がやってきて、かわるがわるに物語を語る。ジルーシャは、怪談話のときこそ涙目で耳を塞いでいたが、ときどきはおっかなくない話もある。それから、ジルーシャは、自分の番がくると、竪琴を片手に、心温まる冒険を分け与えてくれるのだった。
温かいスープに浸したパンのような話。
焚火の周りに集った子供たちは息を呑んで、笑ったり、泣いたり、真剣に耳を傾けている。
「ジル、次の話はぜったいに聞いておかなきゃ損だぞ」
物語の大トリ。まじない師は、狼の力を持った少年とさらわれた恋人の話を語っている。そして、緊張の面持ちとともに弓をつがえた少年は……続きは来年と言ったところで話を止める。
「え、これでおしまい? 良いところで終わるじゃない。恋人はどうなったの? オオワシは?」
「続きはまた来年、ってとこだな」
これはアイデのところにやってくる呪い師の最後の定番の話で……最後まで語らずに途絶えるのが伝統だったのだった。
つまりは来年もいらっしゃい、ということである。