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家と父

登場人物一覧

ティーデ・ティル・オーステルハウス(p3p009692)
羽根撃ちの
ティーデ・ティル・オーステルハウスの関係者
→ イラスト


 王都、メフ・メフィート。
 そこに位置するオーステルハウス子爵が本宅、その執務室。
 その部屋は、幼少期より幾度となく目にしてきたティーデにして、訪れる度になお、「センスが良い」と小さな感嘆を胸中に生み出して止まない。
 執務用の机と、使い込まれた椅子。資料や必要な道具を収めてある棚に、片手で数える程度の調度品。子爵の部屋としては、簡素な部類に入るだろう。
 しかしそれらが、業務と美意識の絶妙なバランスによって完成されたものであることを、ティーデは理解していた。
 棚にある資料が定期的に入れ替えられ、本当に必要なものだけが揃えられていることを知っている。木工の調度品には埃ひとつなく、丁寧に管理されていることを知っている。
 見るものが見なければ理解できず、ただの部屋として映る。そのような、ひとの『目』を試すような、芸術の一種として出来上がった一室であるのだ。
「親父殿」
 しかし、その日のティーデに、何時もの如く、まず室内を愛でるような、そのような余裕はなかった。
 声をかけたオーステルハウス家当主、エルチェ・エリ・オーステルハウスは息子の呼びかけに視線のひとつも動かさず、積み上げられた書類のひとつに目を通している。
 焦りの気持ちもあってのことか、その態度に、ティーデは少しだけ苛立ちを感じた。
「親父殿!」
 二度目の呼びかけ。今度は多少、語彙が荒くなったことを自覚する。当主にかけて良い態度ではないことは理解していたが、それでも、この事態に関して、エルチェの、敷いてはオーステルハウス子爵家の真意を問う必要があるのだ。
 その真意の先は、アーベントロート侯爵家に関して。
 つまりは、リーゼロッテと『アーベントロート侯爵家』そのどちらに与するつもりであるのか。
 これまでは、難解な話などなかった。アーベントロートの当主代行に、敬愛するリーゼロッテが就いている。家の利害と個人の感情は一致していたのだ。
 しかし、リーゼロッテがその侯爵家に追いやられている。
 その事実は、オーステルハウス家内においても、立場を不明瞭なものにさせていた。
 二度目の呼びかけにも、エルチェは無反応に思われた。が。
 手に取った書類からは目を離さぬまま、顎をしゃくるような仕草を見せた。僅かな違和感。機能と美のバランスを保ったこの部屋において、その主が似つかわしくない行動を取る。だからその行動は、ティーデにとって、明確な意思表示に思われた。
 返事はできない。この話に取り合うことは出来ない。しかし先を、促している。
 確かに、オーステルハウス家の立場でものを言えば、今回の件において、リーゼロッテ個人につくことなどあり得ない。オーステルハウスはアーベントロートの派閥であるのだ。その恩恵を受ける身でありながら、表立って離反することなど出来るわけがない。
 そのような行為は、エルチェ本人だけでなく、オーステルハウス家、またそこに繋がる下々にまで影響を与えることになるだろう。一族を預かるものとして、そのような勝手が許されるはずもなかった。
 故に、本来はティーデの話すその先を、聞くのも危うい立場である。いくら『聞いていない体』を装ったとて、事実は変わらない。外部から見られぬよう、窓ひとつないこの部屋においても安心はできない。
 離反の話があった。その事実だけでも、十二分に立場を危うくする可能性があるのだ。
 それでも、先を話せという。思いの丈を、父に打ち明けても良いという。
 それほどの信頼感に、ティーデは苛立ちを感じていた自身の心が解れていくのを感じた。
 だからその先は慎重に、言葉を選ぶ。
「親父殿、どっちにつくんだって……いや、その話はもういいや。俺はやっぱ、好きな方の肩を持つぜ」
 誰かが聞いていたとしても、言質を取られはしない。明確な単語を口にしない。この場において、この状況において、この現状において、例えそうだとしか考えられなくとも、例え『リーゼロッテ』と『アーベントロート侯爵家』のことを指しているとしか捉えようがなかったとしても、そのような言葉は一切出していない。
 この部屋で、ティーデはただ独り言として、好ましい方の味方をする、としか言っていない。
 発言のひとつで、首が飛ぶ、とまでは言わない。しかし、ティーデは『オーステルハウス子爵家三男』であり、この立場からは生まれられない。誰しもが服を着て生まれてくるものだ。ティーデとて例外ではない。ならば、子爵家三男なりの慎みを持たねばならない。
 父が守ろうとしているものは、オーステルハウスそのものである。その中にはティーデ自身も含まれているに違いない。その思いを、息子の下手ひとつで瓦解させて良いものではないのだ。
「どっちが偉いさんだって、もちろんわかってるさ。だけど俺はさ、顔すら知らねえんだよ。だったら、どっちに着こうってな、わかるようなもんだろ」
 前提をすっ飛ばした、しかし理解されていることを踏まえた会話。
 一方的に話しているだけ。それでも、これは紛れもなく親子の会話であった。
「最悪、いなかったことにしてくれよ。俺はどうせ、妾腹の噂も立つようなドラ息子だ。親父殿にも、オーステルハウスにも、迷惑はかけねえ。かけたくねえ」
 そこでくるりと踵を返す。これでいい。これだけでいい。返事のひとつももらえていない。相槌のひとつもかけられてはいない。しかしそれでも、親子の絆は明確に感じており、それが父の中にもあると思えるのは、けして錯覚ではないはずだ。
 だからむしろ、背中に父の言葉がかかったことが、意外にすら感じられた。
「お前に、任せる」
 胸が溢れそうになる。父が、この微妙な立ち位置においてどのように考えているのか、わかっていた。わかっているつもりでいた。しかし改めて口にされるのとではやはり重みが違う。
 感じていた親子の絆が、明確なものであるとして深く深く刻まれる。
 拳を握る。振り上げんばかりに感極まるその腕を、必死に抑えている。指が痛いほど強く強く、それがそのまま、思いの丈を表すかのように。
「吾輩を、失望させてくれるな」
 前を見据える。その扉を開く。そこから先は孤独かもしれない。もはやオーステルハウスではいられないかもしれない。しかしきっと、いつだって心はつながっているだろう。
 一歩ごとに後悔はない。振り返りもしない。オーステルハウス家三男。その立場のまま部屋を出て、その立場のまま行動し、その立場のままとして振る舞う。
 今はそれで良い。そのままで構わない。しかし、心にひとつ牙を持とう。そうすることを、期待されたのだから。そうするように、背中を押されたのだから。
 胸の内に、こんなにも誇りが滾っている。

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