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なけなしの一歩

登場人物一覧

越智内 定(p3p009033)
約束

 クソったれの人生に、クソったれだと言うことは案外簡単なことだった――

 日本海に面した地方都市。越智内 定にとって、故郷というのはただの田舎でしかなかった。東京などの大都市に憧れて居たかと言われれば実のところはそうでは無い。
 ただ、何となく漠然と良い所なんだろうな程度に考えていただけだ。順風満帆だったのは幼稚園と精々小学校中学年までであろうか。甲虫を素手で掴んで相撲をさせる程度の楽しみに心を躍らせていた頃が丁度、自分の人生で一番に輝いていたものだったとさえ思える。小学校も高学年に上がれば些細な虐め――いじめ、と言って良いべきか。奴らにとっては『陰キャ』を揶揄って遊んだ位なものだろう――にあった。
 2/14の浮き足だった頃に学校の靴箱を開けばチョコレートの空箱がラッピングされて入れられていた。
 告白を匂わせる手紙が入っていた事で心を躍らせて足を運べばクラスメイトが本当に来たと指差して下品に笑うのだ。
 クラスの輪に入れなかっただけの弱者。落魄れた存在だと笑ってくれても構わない。只の些細な出来事に他ならなかったのだ。それでも、定にとっては苦い人生経験となる。ビターチョコレートを有無も言わされずに口腔内に適当に突っ込まれたかのような感覚。甘さ辛さ渋ささえ関係もなく吐出すことも難しい胸の痼りとなってそれは残った。

 ――定君ってさあ、勘違い凄いよね。
 ――越智内ってそんなモテると思ってんの?

 友人達の揶揄うような声は耳朶を滑り落ちる事なく鼓膜に張り付いていた。そうだ。クラスメイトの言う通り誰かに好かれるなんていう思い違いが悪いのだ。そもそも、期待するから恥ずかしい思いをする。莫迦みたいに誰かに好かれて愛されて、少女漫画みたいな展開を期待しているダサい『僕』

 ――越智内って何時もヘッドフォンしてんじゃん? あれ、何聞いてると思う? 意味わかんないやつ。
 ――格好付けてるつもりかよ。笑える。

 そんな風に揶揄うクラスメイトの声さえ遮断した。何とでも言えば良いとヘッドフォンで耳とを座した。ヘヴィメタルの騒音はクラスメイトの下品な笑い声さえも遠く遠く吹き飛ばしてくれる。音楽を聞いて其れ等全ての意味を理解しているのかと問われれば定は間違いなく首を振るだろう。音楽性への理解も、歌詞への理解もこの際必要はなかった。必要としていたのはなのだという感覚だけなのだから。
 何となく地元の高校に進学しても定にとっては何の変化もなかった。中学の大部分が同じように地元のある程度の偏差値の高校を選んで適当に進学してくるからだ。大学にまで進学すればある程度の環境は自分が変えようと思えば変えられたのだろうが高校進学程度では大して変わりはない。
 新たな門出ともならず、クラスメイト達は何時だって定を指差して笑うのだ。『アイツ、小学校から暗くってさ』『オタクって奴なんだよ』と陰口を叩き続ける彼等にとっては都合の良い相手だったのだろう。定にとっては幼い頃から存在していた痼りはその存在を誇示するようになって来たのだ。
 17歳になったある日、何となく始めたコンビニバイトを初めて無断欠勤した。特別な理由があったわけではないのだ。居ても立っても居られなくなった。特段両親達に問題があるわけではない。帰宅すれば普通の日常が待っている。それでも、どうしようもなくなった。此れ迄、積み重ねてきた『越智内 定』の人生に「あれ? 僕ってあんまり意味なくない?」と感じてしまったのだ。
 寒々しい雪の日だった。正確な日付を彼は覚えて居ない。カレンダーを見たところで無気力にバイトの日程を確認する程度だったのだから。学校も行きづらくなってから暫くは欠席続きになっていた。
 下らない11月の寒くなり始めたばかりの日だった。適当な雑居ビルから飛び降りでもすれば楽に全てを終えられるだろうかと言う若さ由縁のチャレンジ精神だとでも笑ってくれて構いやしない。秋を挟むことを忘れてしまった莫迦になった気候は一気に冬を連れてきた。寒いなと身を縮めてから見下ろしたアスファルトはやけに遠く感じられて――定は少しばかりたじろいだ。此処で諦めてしまえば自ら命を絶つことも出来なかった男ではないか。定はぐう、と息を呑んでから目を伏せて――

 暖かな陽射しの下に居た。「は?」と喉の奥から翻った声が出たのは致し方あるまい。驚愕し、周囲を見回した定は鮮やかな晴天と草花の香りに口端をヒクつかせる。
「天国か……?」
 呆然と呟いた少年に『神託の少女』を名乗るカソックの娘はこれが天国でも死後の世界でも夢でもなく、現実であると懇切丁寧に説明した。死にきれなかった、と定がその時悟ったのは仕方が無い事だったのだろう。突如としてファンタジー世界になんて流行のライトノベルでも有るまいしと乾いた笑いを漏した定に彼女は練達を紹介してくれた。再現性東京アデプト・トーキョーは彼の過ごしてきた現代日本と遜色ない文化を築いているのだと。旅人と呼ばれる彼等は変わりない日常を謳歌する事を望み、そうした年を作り上げたのだと。いきなり武器を渡されて世界を救えと言われたわけではなかったことに安堵しながら、定は小さく笑った。

 ――何だ、やっぱりこの世界でもモブだ。

 自暴自棄にならなかっただけ褒めてくれと言いたげに少年は再現性東京を目指した。教えられた通りと何ら変わりない街の様子は心を落ち着かせた。寧ろ、再現性東京と呼ばれているだけの事もあり、幼い頃に漠然と都会と言えばと想像していたものが一通り揃っている街は過ごしやすい。
 この場所では誰も定を知りやしない。編入制度を利用して希望ヶ浜学園に所属し寮生活を行いながら、適当なアルバイト面接を受けた。バイト面接もおどおどとしながら話す定に「希望ヶ浜に早く慣れれば良いね」と優しく店長が声を掛けてくれたことが印象深い。成程、異世界に召喚されたは良いが受け入れられなかった人々の安寧の地というのは確かなのだろう。
「君って希望ヶ浜学園の子だよね」
 カフェ・ローレットで声を掛けてきた青年はカフェでは『イケメン店員さん』として有名なであった。希望ヶ浜学園のテキストを開いてバイトまでの時間を自習する事で過ごしていた定は「ぅえ、ぁ、う、うっす」と情けない返事をした。
「実入りの良いアルバイトがあるんだけど、一寸だけ頼めない?」
「はあ」
「大丈夫大丈夫。本当に簡単だから、時給で――」
 その報酬を聞いて定はついつい『いいじゃん、何だろ? ビラ配りとか?』という調子でその場所へと足を運んだ。港湾の工場地帯に向かって欲しいと言われた時に頭に過ったのは怪しい取引だったが――詳細を聞いてみれば悪霊が出るというスポットに一人で突撃していった少女を連れ戻して欲しいとの事なのだ。
「行く?」と問うた幼いかんばせをした学生服の少年にカフェローレットのウェイトレスであった音呂木さん(美人だけど一寸ツンとしてる!)が首を振った。

 ――助けてェ――!

 明るいながらも涙を孕んだ少女の声が聞こえた。女の子が泣いている。其れを見捨てて『意味も分からないし怖いので結構です』などとは言えまい。
 希望ヶ浜学園の編入オリエンテーションで化け物に追いかけ回される貴重な経験を与えられたかと思えば此れだ。イレギュラーズである以上、怪異を撃退して彼女を助けろという事なのだろう。
「くそ、くそ、くそ――!」
 そんなの出来るわけないだろ。一般人だぞ、こっちは。希望ヶ浜学園に所属しているイレギュラーズだからって、全員が強くて英雄みたいな訳、ないじゃないか!
 そう言いたくなりながら現場に向かった定の前で泣いていたのは思ったよりも華奢で、か弱く見えるだった。
 紫色の髪に若草色の勝ち気な眸。ぐずぐずと泣き続ける彼女に手を差し伸べるほんの少しの勇気。それがなけなしの一歩を踏み出せた
 彼女のような女の子を放っておいて、自堕落に怠惰に生活を続けたら越智内 定はクラスメイト達が言っていたような勘違いクズ野郎に成り下がる。自分を許せなくなると定は強く認識していたのだ。
 綾敷なじみは怪しくない。そんな呪文のような言葉を繰り返していた不思議な女の子はイレギュラーズの為に怪談の検証を行っているのだという。
 情報提供者となって、希望ヶ浜の怪異を撃破する。その力を貸さずに目を逸らし続けては何者にもなれないままではないか。

「なじみさん……大丈夫、絶対に守るから。絶対だ!」

 畜生、と心の中で毒を吐いた。夜妖に対抗する力なんて持ち合わせてやいなかった。他のイレギュラーズのような少年漫画のヒーローみたいな力なんてなかった。
 誰よりも劣ると思った自分を見て、涙を拭って「君は優しいんだ」と笑った彼女に「護ってみせる」と告げた言葉が翻って己の力になったことを定は良く分かっていた。
 女の子が泣いていた。だから見捨てられなかった、だけ。只、其れだけだった筈だったのに。
「定くんが護ってくれたから」
 その言葉一つが大きくなった。

 再現性東京という小さな揺り籠からなけなしの一歩を踏み出して。
 研究者も、人類も、猿だって何でも良い。はじめの一歩は何れだけ難しいことだっただろうか。一歩一歩、地に足を着けるという事はどれ程に難しかっただろうか。
 これが進歩だというならば適当にでも受賞したみたいものだ。そんな事を彼女に言えば、思う存分に表彰をしてくれるのだろうけれど。

 ――定君。

 君がそうやって名前を呼んでくれたあの日。それがうらぶれた越智内 定にとっての運命が流転した瞬間。
 変わらない日常にしがみ付いてばかり居た僕にとっての新たな一歩。
 練達から飛び出して世界を映したその双眸は、死者の様に昏い色を灯すばかりでは、最早なくなっていた。

  • なけなしの一歩完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2022年07月24日
  • ・越智内 定(p3p009033

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