PandoraPartyProject

SS詳細

無彩色のテオーリア

登場人物一覧

古木・文(p3p001262)
文具屋
ルブラット・メルクライン(p3p009557)
61分目の針

 チリンと鳴いたベルの音に、カウンターで本を読んでいた古木・文は顔をあげた。
「いらっしゃ、い」
 安定感のある硬質な靴音に貴族だろうかと身構える。
 言葉をわずかに詰まらせて夜霧の如く入ってきた白い客を凝視した。
 この暑さだと言うのに純白のクロークを羽織り、黒革の手袋を嵌めている。
 何人たりとも寄せつけない清廉とした長い白髪は目立つが、それよりも顔面全体を覆う白革の仮面から目が離せない。
 どこか不気味な、死や動物の白骨を彷彿とさせるその特徴的な要素は一度見たら忘れられる筈もなく……そこまで思考を垂れ流していた文はあれと首を傾げた。
 件の相手を見やれば、むこうも自分と同じように首を傾げている。
「……古木君?」
「……ルブラットさん?」
 久しぶり、と言うにはあまりにも近すぎる再会であった。


「冷たいもので良かったかな」
「ああ」
 ミントの葉と氷が浮いた硝子のティーカップを目前に供され、構わないといった風にルブラット・メルクラインは片手を挙げた。
 淡い琥珀色の液体を口に含めば檸檬とカモマイルの香りが鼻を抜ける。
 暑い日に氷の入った物を飲むという贅を、ルブラットは少しの間楽しんだ。
「報告書の件は助かった」
「どういたしまして。あの家、明確に数字になっていないだけで被害はかなり多かったようだよ。あの結果でも特に何も言われなかったし」
 囁くように文が言えば、やはり燃やしてしまって正解だったなとルブラットは飄々と告げた。
 目立つ装飾から周囲に取っ付きにくい印象を与えがちなルブラットであるが、実際に話してみると性格は純真で物腰は柔らかい。戦闘時における冷静さや精神の安定性には一目置くところがあり、無闇と権威や力を振りかざすこともない。そんなルブラットのことを、穏やかで知的な貴族の学者、と文は見ていた。
「此処は文具を売っている店なのかね」
 ルブラットは壁に並んだインク棚を見上げた。
 それは文の店を訪れた客の大半が行う視線の動きだ。
 壁全体を包み込む棚は天窓まであり、大抵の人間はその高さに驚きを見せる。
 けれどもルブラットは平然と一度、頷いただけだった。
「薬局のようだな」
「元、だけどね」
 そこまで分かるのか、と文は嬉しそうに目を細めた。
 そういえば彼はお医者様であったか。だからこそ違和感を覚えたのかもしれない。
 軟膏の入った壺や硝子瓶の代わりに並んだ色彩を見つめ、ルブラットは入ってきた時と同じようにピタリと動きを止めた。
「どうかした?」
「いや黒や青が多いと思ってね。凄い物だ。顔料を入れる器に薬瓶を使っているのか」 
「うん。倉庫に沢山あるんだ」
 そうか、と思考に耽る声色でルブラットは呟き、話題を変えるように突如明瞭な声を出した。
「ところで、君は此処で何をしているのかね?」
 文はぎこちない笑みを浮かべた。
 テストの採点が終わって推理小説を読み、そして今はお茶を飲んでいるところだ。そんな不真面目な己の勤務姿勢をルブラットに伝えるのは憚られた。
「ここで店番をしたり、文具を作ったり、しているよ」
「そういえば職人だと言っていたな、偉いな」
 適当な言葉にもさらりと賛辞を送り、ルブラットは再びハーブティーを口に含む。
「ルブラットさんはどうしてこの店に?」
 これ以上話を広げないために文は早口で続けた。
 今の会話にどことなく引っかかる部分があったが、大したことではないだろうと頭の片隅に押しやる。
「君なら知っているかもしれないな。実はこのインクを売ったという文具屋がこの辺りにあるらしくてね。一言礼を、と参じた」
 ルブラットは手元を探ると小瓶を取り出した。
 鳥の頭蓋を模した蓋と銀百合のラベル。中で揺れる銀色の液体は随分と嵩が少なくなっている。
 ああ、とホッとした様子で文は頷いた。得心がいったと言い換えても良いだろう。
「あの新聞売りの子、無事に渡せたんだ」
「やはり、君の作だったか」
 淡々としたルブラットの口調に微かばかりの高揚が混じった。
「ルブラットさん。今日、他に予定はある?」
「いや、無い」
「じゃあ、お茶のお代わりを淹れてくるよ。コート用のハンガーを持ってくるから待っててね」


「おっちゃん、水銀売ってくれ」
「ん?」
 妙な依頼に文は笑顔のまま固まった。
 その小さなお客さんが文具屋にやってきたのは、春も過ぎた頃だった。
 見ず知らずの仲ではない。
 その少年は幻想の街で早刷りの新聞を売っている孤児で、文は彼から新聞を買うこともあった。
「そこにあるだろ。銀色の」
「ああ。あれはね、インクだよ」
 子供は納得がいかないといった風に頬を膨らませた。
「じゃあ良いや。お邪魔シマシタ」
「待って。突然水銀が欲しいなんて一体どうしたの。危ないものだから普通のお店じゃ買えないよ」
 半ば無理やり椅子に座らせ、柑橘系の果実水で口を割らせる。
「……だって旦那が好きだって言ってたから」
「旦那?」
「そう、旦那!!」
 それは英雄に憧れる子供の瞳だった。
「おっちゃんも新聞読んでるなら知ってると思うぜ。凄い御人なんだ!! お医者様で、金持ちで、イレギュラーズなんだぜ!! 世界をまたにかけて活躍して、悪い奴らをやっつけて。おれたちとは住む世界が違うのに……おれたち、いつも貰ってばかりで。だから、なにかお礼がしたいんだ」
「それで水銀が欲しかったんだねぇ」
 ある時期から子供の服や靴が良い物へと変わっていった理由を、思いがけず知った。
 善人か、それとも奴隷商の類か。
 水銀を欲しがっているという時点で危ない人物の印象が拭えないが、子供が語るその「旦那」というイレギュラーズが悪人である保証もない。
「分かった。じゃあ僕が水銀と……その旦那さん? という方をモチーフにしたインクを作るのはどうだろう。どんな人なんだい?」
 聡いとは言えまだ子供だ。好きなものを語らせれば旦那とやらの情報を落としてくれるだろう。そんなに有名な相手なら、一、二度は見たかもしれない。
 そんな軽い気持ちの問いかけだった。
「旦那は、多分元貴族で性別分かんなくてお風呂が好きで良い匂いがしてお医者様で白い草食動物か鴉みたいな仮面かぶってて信仰に厚くて厳しくてお菓子くれて甘いもんとか結構好きで優しいけど正直善人とも言えなくてでも悪人でもないっていうかナイフや毒使ってて死体が好きで、よくカミソリとかヒルを使って血をブシャって出すよ」
 文は穏やかな顔でオーダーメイド帳を閉じた。
「……今日はここまでにしよう」
「なんだよ、まだ始まったばかりだろ?」


「そうやって、色々聞いて出来たのがあのインクだよ」
「私は君に謝った方が良いのだろうか」
 文は首を横に振った。そして不思議そうな顔でルブラットを見た。
「謝るなら無断であれこれ貴方のことを詮索した僕の方だと思うけど……どうして?」
「ヨシュアが渡した金では材料代にもならなかっただろう」
 粘性の高いインクを眺めながらルブラットは吟ずるように話を続けた。
「孤児に見合わぬ高価なものを与えると、その善意に対して最初に向けられるのは疑いの目だと言うことだ。君が私の素性を疑ったように、私もまたこのインクの作り手の殺意を疑った。いかんせん毒を贈られる生活が長いものでね。このインクの素材は真珠層、樹獣の脂……そして鉛白。此処迄は合っているかね」
 ルブラットの紡いだ素材に間違いは無い。慧眼と鑑定の正確さに舌をまきながら文は頷いた。
「あとはディロフォターナーの毒袋に森百足の血液。それから麦猿の骨からとった脂を使ってるよ」
 聞きなれない名詞にルブラットはふむ、と小さく疑問を口にした。
「それらは?」
「海洋の固有種だよ。駆除依頼で面白そうな素材があったら貰っているんだ」
「自分で調達した混沌の生物を顔料やインクの素材にしているのか」
「ごめんね、気持ち悪かったかな」
「何故謝る? 君の作品だ。自信を持ち給え。全ての物質は死を包括し、完成品には必ず始まりと経過が存在する。そも死に対して不快感を覚える者は無知な者だ。少なくとも私はこの作品が気に入り、愛用している。作ってくれてありがとう」
「こ、ちらこそ」
 顔を赤くした相手に向かってルブラットは軽くインク瓶を振り、沈澱していた粒子を流砂のように浮かせてみせた。
「毒性は?」
「子供も触れるものだから中和させたよ」
「残念だな」
 本気か冗談か。どちらとも取れる調子で言うとルブラットは腹の上で指を汲んだ。
「中和と言ったか」
「そうだね」
「君の好きな時に活性化させることも出来ると」
「しないよ!?」
「可能である、と」
「あっ」
 言葉の裏にこめられた意味をルブラットは咀嚼する。
「この世界にはまだ私の知らぬ、学ぶべき毒が多く溢れている。実に喜ばしい」
 腹を満たした美食家のようにルブラットは息を吐いた。
「古来より自然界の美色は警戒色だ。シェーレグリーン、フレークホワイト、モーブ。人を死に至らしめる毒は大抵美しいが、そこに至るまでに思わぬ色の変化を遂げることもある」
 ルブラットは棚の中に並ぶ朱色を見た。
「あの朱色は辰砂だろう」
「そうだね」
「水銀の材料だ」
 降参、と言いたげに文は両手を挙げた。
「水銀を持たない染物職人など聞いた事がない。これは純然たる興味なのだが、何故ヨシュアに水銀を売らなかった?」
「水銀に似たインクを調合するのが楽しそうだったからだよ」
 淀みない文の返事にルブラットは職人とはそういう生き物だったと思い出す。
 ヨシュアの依頼で満たされたのは一人では無いらしい。それは良い事だ。
「そうか。ならば仕方ない」
「それに気に入ったなら、きっとインクに馴染む万年筆も欲しくなると思って」
「商売人だな」
 苦笑気味にルブラットは立ち上がる。
「では君の言う通りにしよう。何か良い文具を見繕ってくれ、折角の貸切だ。ついでにインクも補充してくれないか」
「喜んで」
 ルブラットは文に小瓶を手渡した。

  • 無彩色のテオーリア完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2022年07月24日
  • ・古木・文(p3p001262
    ・ルブラット・メルクライン(p3p009557
    ※ おまけSS『年齢不詳たち』付き

おまけSS『年齢不詳たち』

「あ、旦那。おかえり」
「此処は私の家では無いのだが」
「いいじゃん。細かい事は」
 細かいだろうか、とルブラットは自問する。
 この廃教会はよく訪れる。そのため第二の家だと言っても過言――過言な気がする。
「このやり取りは何回目だ?」
「さぁ」
「凡そ十二回目だ。ところでヨシュア」
「何?」
「今日、貰ったインクの店を見つけた」
「ああ、水銀の。どうだった? 補充してもらえた?」
「ああ、お陰でインクを切らさずに済んだ」
 へへ、と茶色の少年は嬉しそうに笑った。
「残念ながら君の言う『店主のおっちゃん』とやらは留守だったが、代わりに知人のインク職人が店番をして居た」
「へぇ、珍しい。店開けてるのに、おっちゃんが出かけるなんて」
 ヨシュアは時々新聞を買いに来る、文具店の店主を思い浮かべた。
 根っこが生えたようにカウンターに座って本を読んでいる、生っ白い眼鏡の男だ。
「相手も人間だ。そういう事もあるだろう。店主にはいずれ挨拶をしたいものだな」
「旦那、嬉しそうだね」
「良い物を見つけた。万年筆用のインクとワックスタブレット。それから写筆用の筆ペン、カリグラフィーのペン先はそれは見事な彫金だった。それとインク壺だな」
「へぇ、赤いインク壺なんだ。旦那が赤を選ぶなんて珍しい」
「辰砂が釉薬に使われているらしい。焼き方によって紫にも、緑にも、蒼にも、赤にもなるのだとか。まだ若いのに見事な腕だ」
 面白いと呟き、ルブラットは戦利品をまじまじと見つめた。

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