PandoraPartyProject

SS詳細

天涙に紅をさす

ソアの傾 千悠による2人トップピンナップ

登場人物一覧

焔宮 鳴(p3p000246)
救世の炎
ソア(p3p007025)
無尽虎爪


 その日も空は泣いていた。
 この地一帯を見守るお天道様が泣き虫なのか、はたまた慈愛による恵みの雨か。晴れやかな青い空にぱらぱらと降り注ぐ雨は、天の涙と書いて天涙(てんきゅう)とも言うらしい。
 珍しいはずの天気雨が何故こんなにも多いのか。それは定住する者さえ知らないが、この現象が漂わせる神秘的な空気を感じ取り、迷い込む者は後を絶たない。
 大きな水たまりを虎の足で踏み込み、しなやかに飛び越える少女――『雷精』ソア(p3p007025) もその一人だ。
「これって雨……なんだよね?」
 雨雲は見当たらないし、空には太陽が輝いている。
 朝方ローレットに居合わせた仲間と「一日中いい天気になりそうだ」なんて他愛もない話をしたばかりなのに、好奇心の赴くまま、街から離れてぶらついた結果――濡れ鼠とは何事か。ちょっとそこまでお散歩するだけ。そんな感覚で出て来たものだから、雨具どころか頭をかばう物すらない。
「――あ!」
 珍しい現象に意識を向けつつも、獣のように鋭い彼女は、すれ違う小さな影を見逃さなかった。草むらを移動する野ネズミへ、慌てた調子で声をかける。
「ねぇ! ここらへんに雨宿り出来る場所ってない?」
 キィキィ。返されたのはただの鳴き声、しかし彼女にとってはそれ以上の価値がある。特異運命座標の証、ギフト。ソアが受けた恩恵は、森に住まう人ならざる者たちと意思疎通が取れる、という物だった。
 真面目に首を縦に振り、幾度かのやり取りをすれば、曇りかけた顔が晴れやかになっていく。
「ありがとう。その屋敷を頼ってみるよ! 君たちも風邪ひかないようにね!」
 言うが早いか、彼女の姿はあっという間に野ネズミの視界から消え失せた。
 迅雷のように空を裂き、疾風のように駆け抜ける。急ぐソアの頭には、得たばかりの情報が巡っていた。

――道に咲くピンクのネリネ。その花を辿っていけば、大きなお屋敷が建っている。

 あぁ、ワクワクする! 人に近づきたいと願う彼女にとって、新たな出会いは何にも勝るご褒美だ。
 流れる風景に花の色が混じりはじめた頃。その眼は確かに、日本家屋を捉えていた。


「そろそろお風呂なのっ!」
 と呟いて、『炎嵐に舞う妖狐』焔宮 鳴(p3p000246) は筆を置く。ローレットで人助けをする合間に、文を書くのは彼女の日課になりつつあった。天気雨に恵まれがちな《天雨屋敷》は、雨宿りのあてを探して来館する人も少なくはない。そこで繋がったご縁に加え、最近では「ローレットの特異運命座標、焔宮鳴」としてめぐり逢い、鳴を頼る者も増えている。
 文通相手の多さは、彼女が多くの困難と向き合い、その努力が民の心に響いた結果でもあるのだ。
 特に戦場においての鳴は、「焔宮家の当主」として堂々と。その名に恥じぬ立ち居振る舞いで人々を惹きつけている。しかし、彼女の魅力はそれだけではない。カリスマ性に射止められて近づいた者には、思わぬ追撃が待っているのだ。それは――
“秋は衣替えの季節なのー。箪笥の奥でひっそりしていたお服が、使われはじめて生き生きするのっ! あなたも一緒に、この季節を楽しんで欲しいのーっ”
 マイナスイオンが漂って、心にじんわりと染み込むような優しい言葉が、可愛らしい文字と、ふわふわな笑顔付きで返される事だ。戦場での凛とした姿と、屋敷で過ごすオフの彼女の愛らしさ。そのギャップにやられた者は数知れず。
 結果的に、鳴との文のやりとりを生きがいにしている熱狂的なファンまで現れはじめている事を、彼女は未だ気づいていない。

「今日はお風呂あがりにフルーツ牛乳があるの! 楽しみなのー」
 庭先にネリネが咲くこの時期は、頬に当たる風も冷たい。お風呂で温まった後のあまーい一杯は、きっと至福の時間をくれるだろう。
 湯上りに何を着ようか思案していると――ぴくん。黄金色の狐耳が、微かな音をとらえて揺れた。
「真っすぐこっちに向かって来るのー。……すっごく速いの?」
 開かれた門扉をくぐる足音は、靴音とはまた違うものだ。かといって、野の獣のように四つ足で走っているようでもない。初めての足音。――これはきっと、新しい来館者に違いない。
 半ばまで開いた衣装箪笥を閉じ、玄関の方まで向かえば、先ほど気配を感じた相手であろう人影が戸口の方まで近づいている。
「ごめんくださーい」
「はーいなの」
 格子戸を開けて顔をつき合わせると、そこには濡れ鼠……もとい、雨で全身びっしょりのソアが立っていた。
 走った先で水たまりを踏んだのか、足元は泥だらけ。屋敷に向かう間も頭を庇わなかったようで、愛らしい虎の耳までポタポタ雫が滴る始末だ。
「はじめまして! ボクはソア。よろし――」
「なのっ! た、大変なのーっ!」
 ソアの元気な挨拶に、鳴の驚いた声が重なる。円らな瞳が見開かれたのを見て、きょとんとしたのは濡れたソアの方だった。
「大変? なんで?」
「このままじゃソアさん風邪ひくのっ! お風呂を沸かしたばかりだから、入って欲しいの……とりあえず、お上がりくださいなのー」
「あははっ! 大げさだよ。銀の森で暮らしてた時は、これくらいへっちゃらだったし」
 それでも雨宿りの場を提供してもらえるのは、ソアには願ってもない事だ。軒先でプルプル身体を振って雫を散らすと、一歩踏み出す。
 この時、彼女は知らなかった。日本家屋の玄関は大抵“引き戸”である事を。そして、引き戸は敷居を跨がなければいけない事を。
「――あっ」
「?」
 ばたーん!
「うわーーっ!?」
「なのーー!?」
 敷居につま先をひっかけ、ものの見事にすっ転ぶソア。タオルを取ってこようと背を向けて、油断しきっていた鳴。
 今度は二人の悲鳴が、屋敷じゅうに響き渡った。


「ごめんね……鳴さん。怪我、してない?」
 心配そうなソアの声が風呂場に木霊する。
 よほど反省しているのか、広い浴槽の隅っこに体育座りで背中を丸め、湯舟に鼻から下をつけてぷくぷくと、小さな泡を吐いている。いつもは自分を誇示するようにピンと立っているまぁるい虎耳も、今回ばかりはへちょりと申し訳なさそうに垂れていた。
「大丈夫なの。ピンピンしてるのー」
「でも、巻き込んでびしょびしょにしちゃったね」
「鳴もちょうど、お風呂に入るつもりだったのっ! 一緒に入れて嬉しいの」
――この当主、女神だ。
 嘘偽りのない鳴のふわふわ笑顔に、ソアの瞳が星のように輝く。
「ボクも嬉しい! えっと……鳴さん、だっけ。広いお屋敷だけど、一人なの?」
「来てくれる人はいっぱいいるのっ! 特異運命座標のお友達が多いから、忙しい時期は一人の時もあるの」
「へぇ! ボクも特異運命座標なんだ。もしかして鳴さんも?」
「鳴もなの。もしかしたら、ローレットですれ違っていたかもしれないの」
 ローレットだけかな? 呟かれた言葉を契機に、過去の記憶を手繰り寄せる。
 オランジュベネ領、都市バランシェーネ。戦火の中、不殺の意志を強く持ち、誰ひとり死なすまいと最前線で戦っていたソアは、民のために凛々しく戦う鳴をどこかで見た……気がした。
 戦場で焔術を奮う鳴と、いま目の前で身体を泡だらけにしている鳴は、似ているようでどこか違う。確かめるように改めて姿を観察し、やがてその思考は――
「鳴さんの尻尾……いいなぁ。濡れてもモフモフで気持ちよさそう」
 揺れる大きな尻尾の誘惑に、完全に持っていかれた。
「ソアさんの尻尾も立派で素敵なの。虎の獣種さん……なの?」
「ううん! ボクは精霊種。雷の因子を宿してるんだよ。びりびりどーんっ!」
「なのーー! かっこいいのーっ!」
 今度は鳴の目が輝く番だった。お互いに笑いあい、楽しい時間が二人の心をほぐしていく。
 鳴の天雨屋敷のこと。ソアの故郷の銀の森のこと。ローレットで出会った人たちと、それぞれの目指す未来――。
 話題は尽きる事なく、身も心も温まりながら、のぼせる直前までお喋りはつづく。
 幾つもの場所で交差し続けた特異運命座標の運命線は、幸せな形でぶつかった。


 そんなこんなで仲を深めた結果。
 少し前まで玄関でぎこちない会話をしていたはずの二人も、湯上り後にはすっかり緊張もほぐれきり。
「さっぱりしたーー!」
「ソアさーん! ちゃんと拭かないと風邪ひいちゃうのーー!」
 ほかほかと湯気が立ちのぼる身体で元気に走り出すソアを、慌てて鳴が追いかける……なんとも愉快な図式になっていた。
「だから大丈夫だって! これくら、いっ……ぴくちっ!」
「なのー。拭いてあげるから、じっとしてるのっ」
「はーい」
 くしゃみをして震えるソアの頭上に、柔らかいバスタオルがふわっとかぶさる。
 毛並みを整えるよう丁寧に拭かれながら、彼女は鳴の手際のよさに、心底関心していた。
 いつも自分が適当に済ませている事を、齢(よわい)12の子狐少女は、丁寧さを保ったまま、手早くサッとこなしていく。
 それはまるで魔法のよう。ひょっとしたら、これが自分の憧れていた人間なのかもしれない。
(もっと知りたい。鳴さんの事。人間の事!)
 疼く好奇心を抑えきれず、ソアは辺りを見回した。空はいつの間にか雨が上がり、夜の帳が下りている。雲の隙間から見える月明かりが、部屋に飾られた“ある物”を照らし出していた。
「ねぇ、鳴さん。あそこに飾ってる布なぁに? すっごく綺麗!」
「反物(たんもの)なのー。布じゃなくて着物なの」
「きもの……? 着れるって事?」
 いつも着ている服とま全く違ったシルエットの反物に、ソアの目はすっかり釘付けになっている。
 そわそわ。何か言いたそうに尻尾を揺らす姿を見て、鳴の目元が優しく緩んだ。
 もっと持て成してあげたら――真心を尽くしたら、ソアはどんな笑顔を見せてくれるだろう?
 つられるように、鳴の好奇心も駆り立てられる。
「はいなの。 せっかくだから、ソアさんがも着てみるのー?」
「いいのっ!?」
「お屋敷に来た時の服は、まだ乾いてないの。
 夜道は暗くて危ないし……今夜はここでゆっくりして、和の装いを楽しんでいって欲しいの」
「ありがとう! とっても素敵なお誘いだよ……、ぴくちっ!」
 またくしゃみしたソアの頭をよしよしと撫で、鳴は準備にとりかかった。ソアを着飾る事はもちろん、自分も肌着のままではいられない。

 するり。羽織った着物に袖を通す。
「ソアさん、そのまま」
「ん」
 衿先を持ち、着付けに挑む鳴の顔は真剣そのものだ。自然とソアも大人しく、されるがままになっている。
 衿の合わせ具合や衣紋の抜き加減。それは着る人の体系によって大きく変わるもの。
 豊満なソアの身体の魅力を伝えるには、着崩れが起こらないよう、鳴が着る時とは違った整え方をしなければならない。
「着心地いいね。生地がサラッとしてて……ボク、こういう服は初めてかも」
「気に入ってもらえて良かったのー。ソアさんの金の瞳に、緑の生地はよく映えるの」
 見る者を癒す爽やかな緑の反物に、乙女椿をあしらったピンクの帯をきゅっと締めれば――普段のソアとはまた違う、匂い立つばかりの美しさがそこにあった。

「これが――ボク?」
 鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめて、ソアがぽつりとつぶやく。
「これからもっと素敵になるの」
 後ろから鳴の声が降ったかと思えば、金糸の髪がすくい上げられる。結い髪に添えられるのは、赤椿の髪飾り。
「本当に綺麗。ねぇ、鳴さんは……」
――ボクにどんな魔法をかけてくれたの?
 その問いは、息と共に飲み込まれた。鳴もまた、新しい着物に袖を通し、華やかさを纏っていたからだ。
 しかもそれは、屋敷の入り口で出迎えた時の愛らしい姿とは異なる魅力。
 目が冴えるほどの艶やかな紅。肩を微かに覗かせた、色気の漂う和の着こなし。そして髪には、ソアと同じく見事な赤椿が飾られていて――妖しい魅力に、かける筈の言葉をただただ失った。
 ぽーっと頬を染めて喋るのを止めたソアを見て、のぼせたのー?と鳴が小首を傾げる。
「どうしたの?」
「……あ、ごめん! なんて言うのかな。鳴さんが凄く、大人っぽく見えたから」
 直球すぎる誉め言葉に、鳴もまた頬を染め、唇に緩やかな弧を描く。
「きっとお化粧パワーなのっ! ソアさんにも、やってあげるの」
 もっと明るい場所でお化粧を。促されるがまま連れられた縁側は、屋敷の庭園がよく見える場所だった。月の光が池庭の水面を煌めかせ、植え込みの緑の合間から、二人の出会いの導(しるべ)となったネリネの花が咲いている。
「お化粧かぁ。ボクに似合うかな」
「鳴にお任せなのっ! まずはおしろいからなの。目を閉じて欲しいのー」
 おしろいをつけて、目指していくのは透き通るような白い肌。頬紅で赤みをさして、アイラインを整える。
「あとは紅をさしたら出来上がり、なの」
「ちょっ、ちょっと待って鳴さん!」
「なの?」
「ボクの足、なんか……ピリピリ、して……」
 初着物で初正座。鳴を真似して向かいあってみたものの、足が痺れてしまったようだ。
「足を崩して、楽にして欲しいの。お作法や姿勢は大事だけど……人を綺麗に見せるのは、内側からの美しさなの」
 言われるがままに足を崩して一息ついたソアを、労わるように鳴は言う。
「内側からの、美しさ……?」
 難しい話は苦手でも、その言葉はソアの心にすとんと落ちた。

 人が好き。だけど時々、分からない事もある。人間同士で、どうして酷い事をするの?
 答えが見つけられないまま、戦いに身を投じた時もあった。その疑問全てが晴れた訳じゃないけれど、鳴の言葉に嘘はない。――信じていい。そんな気がした。

 薄く開かれたソアの唇に、小指でそっと紅をさす。

「はいなの。ソアさんには始めから備わってると思うのっ! だから……きっと、夢は叶うの」
 人間になりたい。お風呂でソアが語った夢を、鳴は純粋に応援したいと思っていた。
 交わる視線と重なり合う手。冷たい夜風が身体の熱を奪っても、寄り添いあえば、きっと心は温かい。


 楽しい夜はあっという間に過ぎ、日が昇る頃には天気雨がぱらぱらり。天雨屋敷の周囲を濡らす。
 今度は鳴から番傘を借りて、ずぶ濡れ対策はばっちりだ。
「気を付けて帰るのー」
「うん! おかげで助かったよ。ありがとう鳴さん!」
 玄関までお見送りに来た鳴に、ソアは傘をくるりと回しながら、笑顔を向けて礼を言う。
 そのまま帰路につく前に――ひとつだけ、彼女は鳴に問いたかった。
 照れたように頬を染め、すぅと息を吸い込む。
「あのね、鳴さん! 最後にお願い、ひとつ聞かせてもらっていいかなっ!」

「ボクの……お友達に、なってくれる?」

 その一言に、鳴の尻尾が嬉しそうに揺れたのは言うまでもない。
 一夜を仲良く過ごした二人。その関係がどれほど深まったかは、ソアと鳴。そして、屋敷に咲いたネリネだけが知っている。

“また会う日を楽しみに”

  • 天涙に紅をさす完了
  • NM名芳董
  • 種別SS
  • 納品日2019年10月16日
  • ・焔宮 鳴(p3p000246
    ・ソア(p3p007025

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