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花風に揺れる
登場人物一覧
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花が踊るとはまさにこの事か。
キャペリンを深く被ったネーヴェも、その車椅子を押すシャルティエも思わず歓声をあげた。
「うわあ、凄い……!」
「はい……! 花が、こんなにも沢山……!」
幼い頃に一度だけ訪れた避暑地に向かいたい、とネーヴェが告げたのは時計の針が今から逆向きに一周した頃。昼下がり、穏やかな青い空の下で散歩と通院を行っていたその帰りのことだった。
からからと小さく音を立てる車椅子は練達製のゴムのタイヤがついており、幻想の町並みの石畳から衝撃を吸収してくれる。ネーヴェが怖がる様子もなく楽しげに町を見ているのは、シャルティエにとっても救いであった。
「クラリウス、様。この後、何かご予定は……ございます、か?」
「いいえ、ありませんよ。今日は風があるとはいえ暑いですし、ネーヴェさんを送ってから帰ろうかと思ってました」
ネーヴェの細い腕では車椅子を家まで押し切るのは辛かろう。それに今はシャルティエがいるからいいとは言え、もしもネーヴェが倒れてしまったり車椅子から落ちてしまったらと思うと、ネーヴェ以上に心配になってしまう。だからこそ責任を持つと決めている。それが、手が届かなかった者の責任だ。
「……でしたら、少しだけ。寄り道を、しません、か?」
「寄り道?」
シャルティエは瞬いた。
近くには小さなパン屋やブティックはあるものの、大きなテーマパークがあるわけでもなければ市場に恵まれているわけでもない。そんな住宅街だったからだ。
「実は、その。幼少期に……この辺りに、来た覚えがありまし、て」
「なるほど……それなら、お昼も買ってそこに向かってみるのはどうですか?」
「……確かに、ありかも、しれません」
「はい! もうお昼も過ぎてますし、ちゃんと食べないと夏の暑さにもやられちゃいますから」
嘘だ。車椅子に……ちょうど、シャルティエのお腹の前に座ったネーヴェは知っている。先程からシャルティエのお腹はすっかりくぅくぅ鳴ってしまって、腹ペコなのだ。それでも空腹を隠して笑っていてくれるから、ああ、優しいなぁなんて嬉しくなってしまう。赤らむ頬は夏の暑さのせいにして、二人はパン屋のドアベルを鳴らし――そして冒頭に戻る。
夏の風にさらわれ踊る鮮やかな花は空へと天高く舞う。それは両親と来た昔日とも変わらず。いや、それ以上かもしれない。
「ここで、間違いないですか?」
「はい。ありがとうございます、クラリウス様。あちらに確か、小さなスペースがあったはず、ですから。先に、お昼にしましょう」
「え? でも、周りを見たりとか……いいんですか?」
「クラリウス様、お腹が先程から……」
「なっ、い、いや! 僕のことは……い、いいや、やっぱりお言葉に甘えます。いつまでも鳴らしてちゃうるさいだろうし……すみませんほんと……」
情けないような照れ臭いような。くすくす笑うネーヴェはやはり年上のお姉さんで、なんでも見透かされているような気持ちになってしまって、悔しい。
せめてもの反抗にとゆっくり進めた車椅子は、熱気を孕んだ夏風と共に日陰へと進んでいった。
「うわぁ……!!」
「美味しそう、です、ね……!」
プラスチックのトレーに入ったカラフルなサンドイッチは、二人で選んだものだった。栄養バランスを考えることも大事だけれどもパッと見の印象だって重要、たくさんのたまごがつめられたたまごサンドはもちろん、しゃきしゃきのレタスと生ハムのサンドイッチやトンカツサンドなどなど、バリエーションに富んでいたそのサンドイッチセットは人気のようで運良く手に入れられたラストワン。『お兄さんたち運がいいね』なんて言われてしまっては、今日の晴天もなんだかツイているような気すらしてくるものだから、幸せは案外すぐ側にあるものだと思う。
「クラリウス様、クラリウス様! こちらのトマト、とても美味しいです……!」
「ネーヴェさん、こっちのお肉もすっごく美味しいですよ!」
花畑の麓、小川の側にて思いがけないピクニック。それはなんとも幸せで、隣にある声が、笑顔が。それは嘘ではないと証明してくれるようで、夢みたいで。
「……ふふ」
「?」
首をかしげたネーヴェに、シャルティエは優しく微笑んだ。
「口にたまご、ついてます。ほら、ここ」
「ま、まぁ……わたくしったら……!」
「あっ、そっちじゃないです……もう。ほら、これで取れましたよ――って、ああ!!? 僕、いや、そんなつもりは……すみません、勝手に触ってしまって……」
わたわたと慌てるネーヴェがあんまりにも可愛いものだから、はにかみながらティッシュで拭ったシャルティエ。
(……わ、わたくしったら、ほんと、もう……!!)
みるみる赤くなる頬を押さえて、ふるふると首を横に振る。
「ち、ちがうのです……へいき、平気です、から!」
「はっ、はい、ごめんなさい!」
それからはサンドイッチの味なんてわかるはずもなく。静かに、口に運ぶだけの無音の時間を過ごしたのだった。
(……大きくなられたなあ、なんて。わたくし、何を考えているのかしら!)
ごっくんと、照れも恥じらいも飲み込んだシャルティエは立ち上がって砂埃を払いながら、花畑を指し示す。
「……それじゃあ、行きましょうか」
「……はい」
風に揺れる花はビビッドなキバナコスモス。夏のパキッとした色合いは、こちらまでも笑顔にしてしまうものだ。緩やかに上がっていく口角をみて、そう思う。
「あ、そうだ」
花冠を、作りたいのですが。
ネーヴェの言葉に頷いたシャルティエは。いくつかの花を詰んでくると、ネーヴェの隣の地面に腰掛けて、のんびりとその様子を眺めることにした。
華奢な指先が花を編むのは、魔法のようにも思える。花が足りなくなればあなたのために花を届ける。その繰り返しは花束を届けているようだ。
「花冠はこの前、友人と作ったことが…あるのです。今回も、なかなか上手にできたと、思うのですが。どうでしょう、か?」
「おぉ……! 凄い、器用なんですね! 見入っちゃいました……」
嬉しそうに頷いたネーヴェは、はにかみながら小さなおねだりを、ひとつ。
「では、その……屈んで、頂けますか?」
「……え、僕が付けるんですか? えぇと、僕には少々華やかすぎるような気も……」
ぽりぽりと頬を掻くけれど、ネーヴェはそんなこと気にしないといった様子で腕を伸ばした。だからそのおねだりを叶えるために、シャルティエも膝をついて。
「……ふふ、よかった。ぴったりです」
「もしかして、花を増やしたのは僕の頭に合わせるため?」
「はい。ですから……大きめがいいかと思ったのです」
「へへ、嬉しいな。ありがとうございます」
ネーヴェが笑っている世界は、太陽のひかりをぎゅっと集めたように温かくて幸せになる。
胸の奥にある小さな気持ちは、まだ芽吹こうとはしないけれど。特別な、きらきらした気持ちがあるのは間違いない。
黄色の花が舞い踊る。空の青に溺れる黄色は、波にさらわれた麦わら帽子みたいだと思った。
「また一緒に来たいです」
口から零れた素直な言葉。ネーヴェは、笑って頷いた。
「はい……ぜひ、共に」
おまけSS『はなことば』
「僕も編んでみたいな、花冠」
「でしたら、やり方をお教えしましょう、か?」
「い、いいんですか? 是非!」
~数分後~
「「……」」
ぐ ち ゃ あ
「い、いや、まだリカバリー出来るはず、です」
「……ネーヴェさんは、優しいなあ」