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見知らぬ世界、額縁に閉じ込めて
登場人物一覧
●待ちわびた届け物
カタリ。
それは、荷物がポストに投函される音に違いない。
人よりも鋭いネーヴェの耳は、かすかな音を聞き漏らさなかった。
ネーヴェは刺繍の手を止め、針を針刺しに刺して椅子を降りる。
浮足立つ心を現すように、ぴょこりと耳が跳ねた。
ようやく、届いた。
ネーヴェはそっと玄関に出て、ポストを開ける。大きな包みが届いていた。
(ずっと、楽しみに、していました……)
思わず、ほう、とため息が漏れる。
そっと包みをほどいてみれば、美しい本が数冊姿を現した。
家の中に籠りがちなネーヴェにとって、読書は楽しみのひとつだった。
読書の秋。
新たな本に出合うには、ぴったりの季節だ。
思わず頬がほころんでしまう。ネーヴェは本をぎゅうと抱きしめ、扉を閉めようとする。
ふと、戸の隙間から、ふわりと秋の気配が香った。
どこか安心するような落ち葉と土のにおい。冬を目前に控えた自然は一斉に色づき、めいっぱい日差しを謳歌している。
(今日は、外で本を読んで、みましょうか……)
そんな考えが頭をよぎった。
●お出かけ
気まぐれを起こしたのは、どうしてだろう。
一度そうと決めたら、ネーヴェは意外と頑固である。そして行動派でもあった。
てきぱきと部屋を片付け、よそいきに着替える。さらさらとした長い髪を結いあげ、赤い髪飾りをとめれば、完成。
あっという間に外出の準備が整っていた。
(毎日、あたらしいことばかり、ですね)
以前は熱を出して寝込んでばかりだったネーヴェも、ずいぶんと外に出られるようになった。
新しいものを知り、新しい人たちと出会うようになった。食べたことのないものを食べ、知識でしか知らなかったことを知る、そんな毎日。
(どこが、良いでしょうか……)
耳をぱたぱたさせ、少し考える。
町の中は、少々さわがしい。人々が思い思いに生き生きとしている空間は、いやなものではないけれど。自分は、できれば静かなところがいい。
ブルーブラッドの兎の耳は、あまりにたくさん拾いすぎる。良いものも、悪いものも。
ネーヴェが思案していると、目の前を一匹の猫が歩いて行った。なにやらにぎやかさを避けるような、うんざりしたようなしぐさ。
「あなたも、おんなじ、ですか?」
猫はにゃあと一鳴きして、それからくるりと踵を返した。ネーヴェはくすりと笑った。
たまにはこんな導きに従ってみるのもいいだろう。
喧騒を離れて歩いて行けば、人の声はしだいに小さくなる。気が付けば道は小道に差し掛かる。なんとか抜けると、そこは森の中だった。
辺り一面紅葉の世界。
(こんな場所があったのですね……)
圧倒され、ネーヴェはぽかんと口を開ける。
今日はずいぶんと近道となったが、以前にも、ここに来たことはあった。だが、今、この季節。こんなにも紅葉満開の場所となるとは知らなかった。
誰も知らない、秘密の場所。
宝物を一つ見つけた気分になって、ネーヴェは気持ちが良かった。
自然の中はやはり落ち着く。
「ありがとう、ございます」
猫に礼を言う。
ゆっくりしていけ、と言うように、尻尾を振っていなくなった。
不思議なこともあるものだ。
ネーヴェはきょろきょろと落ち着ける場所を探した。木に身を寄せて、静かに座る。
柔らかい紅葉が、ネーヴェを受け止めた。
1ページ、また1ページとめくるにつれ、物語の世界へといざなわれていく。
●本の世界、箱庭の世界
本は良い。
本はいつだって、どこか別の世界に連れて行ってくれる。
物語は愛おしい。
ネーヴェが手に取った一冊目は、旅行記だった。
名もなき旅人の、他愛のない日記。異国の知らない料理。聞きなれない、スパイスの名前。どの屋台が美味しかったとか、どの宿はぼったくりであったとか、日常のことが簡素な文章で書き綴られている。
(どんな味がするのでしょう……)
思わず、未知の味に思いをはせる。
二冊目は、刺繍の図案の本。異国の伝統的な模様がおさめられた本だった。装丁からして美しい本は、見ているだけでも楽しいものだ。
幻想、海洋、正義……。そして、国家にとらわれぬ少数の集落に伝わる模様まで。模様の一つ一つに、思いが込められているのを知る。これを編纂した人は、きっと、人が好きなんだろう。
伸びをして、少しだけ休憩する。
三冊目。ネーヴェが手に取ったのは、よくある冒険譚だった。
美しい箱庭の世界に閉じ込められたお姫様。貴族として暮らす、不自由のない毎日。
けれど、本の中の主人公が心惹かれたのは冒険の世界。
武器を手に取り、いつしか戦いに身を投じる。
(ああ、わたくしは……)
ネーヴェも、また、戦っている。
両親が実践的な格闘技を教えたのは、初めは護身のためだったかもしれない。その技術は、ローレットで活動するようになってから、ネーヴェの戦う手段となった。
物語の主人公に自分を重ね、ときにはすれ違いながら。
ページを進める。心を躍らせながら、また、一ページ一ページと……。
●一面の紅葉
「ふあ……」
ネーヴェは、いつしかうとうとと微睡んでいた。
どうやら、寝ていた。夢を見ていたようだった。
内容は覚えていないけれど、心地よいような、懐かしいような。そしてもう手に入らないような、一抹の寂しさを覚えるような夢だった。
(不思議な夢、でした……)
顔をあげれば、辺り一面の紅葉が目に入った。
ネーヴェは、目を丸くした。
知らなかった世界。
秋の匂い。
(きれい、ですね……)
ネーヴェの瞳が、真っ赤に染まった紅葉を映す。
ざわりと、風に揺られて木々がそよいだ。
一面の紅葉のじゅうたんの中に、ぽつりと色を抜いたように白兎が佇んでいる。
幻想的な光景だった。それこそ、絵本の一ページのように。
(ああ、なんて)
ひらりと一枚の紅葉が落ちてきて、ネーヴェが開いていた本のページにはさまった。
(世界は、うつくしいのでしょう)
色づく世界。
落ちてきた葉っぱは、半分が紅葉しかけて、僅かに緑を残していた。
ネーヴェは少し考えて、自分の掌よりも少し小さい葉っぱをそっとしまい込んだ。
きっと、彼女の物語の一葉となる。
●描く
刺繍糸は絵の具。刺繍枠におさまる布はキャンバス。図案は紅葉。
あれから、ネーヴェは少しづつ刺繍を進めていた。
あの一面の紅葉を、少しでも思い出に留めておけたら。そう思って針を進める。
少しずつ、少しずつ。日々の合間を縫うようにして、ようやく半分ほど。
気が付けば、ずいぶん熱中していたようで日が沈んできた。
あの場所は、ネーヴェのお気に入りの場所となっている。ちょくちょくと足を運んでいるが、動物以外に誰も来たことはない。
(まだ、秘密の場所です、ね)
こうしている間にも、世界は少しずつ姿を変えるのだろう。眩しい日差しが、ネーヴェの横顔を照らし出していた。