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宵の風にも冷めやらぬ
登場人物一覧
我が物顔した入道雲が立つ晴れ空の下。そこかしこに『夏の福引キャンペーン!』の幟がはためき、八百屋に花屋、魚店、精肉店と軒を連ねる下町の商店街には鮮やかな色と声が集う。暑さに早くも辟易としている人々を活気付けるべく催されたイベントは、それなりの賑わいを見せている。しかし、最も人々をざわつかせたのは連れ立って歩く美丈夫の存在だった。
「まぁまぁ、目の保養ってヤツだわねぇ! うちにも寄ってってちょうだいな!」
「きっとモデルさんか何かでしょうよ。撮影かしら、お忍びかしら」
割烹着や店名の入ったエプロン姿のおばちゃん達が興奮して口々に言う。ちょっとそこらでは見ないようなふたり組なので無理もない。
「姦しくてすまんね、にーちゃんら。ほいよ、木綿2丁とがんも、それから福引券な」
包んだ商品を差し出して申し訳なさそうにする豆腐屋の店主も、興味は隠せない様子で「で、友達かい?」と続けるくらいなのである。話題の中心となったヨタカ・アストラルノヴァがどれにどう返事をしたものかと考えるうち、狭い店内から片割れの武器商人が顔を出した。
「小鳥は
さらりと落とした惚気と称賛。ついでにヨタカの肩を抱き寄せ、代わりに豆腐を受け取ってみせれば黄色い声と指笛が一斉に周囲を満たした。
「あらやだ、もう! デートならそうと言ってちょうだい? おジャマしちゃったわ!」
アツアツのおまけ付けたげるから許してね、と豆腐屋の女将がヨタカに握らせた袋には豆乳おからドーナツがふたつ。店主はと言えば、揚げたてのそれに負けないくらい熱くなった顔を明後日の方向へ向けるので精一杯なようだ。
「やぁね、照れちゃって!」
女将にバシバシと背中を叩かれて咽せる姿が微笑ましく、ヨタカと武器商人もつられて笑う。そこからは好奇の視線は控えめに、サービス精神はより手厚くといった具合の人情味あふれる通りを散策することとなった。
「ん、美味しい……ラスも、一緒に来られたらよかったのに……」
サクサクほろほろの牛肉コロッケを齧ったヨタカが呟いた。豆腐屋に負けじと張り合う精肉店でもらったものである。対して武器商人は路地裏の陰に身を浸し、影色の猫に食料品を託してから振り返る。
「たまにはと思ったのだけれど、ふたりっきりは嫌かい」
「っ、そういうことは、言ってない……紫月はずるい」
しょんぼりした気配を匂わせた番の銀糸を絡めた指をやわく引いて抗議すれば、ふふ、と上機嫌が溢れるのだから『ずるくて』愛おしい。
「ちゃあんと合流するのだし、また改めて訪ねる日が来るならば格好良く案内してあげたいだろう?」
早速、次はお薦めの喫茶店とやらに行ってみようか。そう促して頬を擽ってやれば、頷く仕草で擦り寄ったヨタカを武器商人は見せない瞳で存分に愛でた。
——きっかけは1枚のチラシだった。
福引の文字に添えられた風鈴の絵。テカテカと原色が目に刺さる、とある商店街の催事の告知だ。下部の説明によれば夕方から縁日も開かれる日もあった。なるほど、夏らしい。
巨大なマーケットを有するギルド『サヨナキドリ』の長である武器商人は商売事の面では付き合いも多い。きっと何かの折に紛れ込んだのだろう、積まれた書類の中で異彩を放つそれを指で摘んで考えた。他所へ足を伸ばすのも刺激になるかもねェ、と。
そこで各々の日程を照らし合わせたのだが、残念ながら愛しい息子には勉学の予定が入っていたのである。午前中だけであるし、休ませてしまう案もあった。けれど、安易な甘やかしは育ち盛りの彼には毒にもなる。自分のやるべきことをやりきるというのも仕事を学ぶ上で大事なことだ。縁日までには合流できるのだから、それをご褒美にすればいい。
そう告げて「下見を兼ねて先に出向くのも良かろ」と腕の中に囲った小鳥を誘ったのだ。
ちりん、ちり、ちりりん——扉を押した武器商人は、おや、と顔を上げる。出迎えたのは思ったよりも軽やかで涼しい音色。耳の良いヨタカも勿論すぐに気づく。ベルはベルでも硝子でできたまあるいそれは、向日葵柄の風鈴だ。
「いらっしゃいませ! 2名様でよろしいですか?」
『異国の夏の風物詩』は彼らの目にどう映ったか。元気な声で席へ案内してくれた店員に仔細を尋ねれば、商店街の中にある硝子工房で作られたものだという。ふたりの手元でカランと氷を鳴かすお冷のグラスも同郷だそうで、そこの職人がとある旅人に教わって以来、『この町の夏の風物詩』へと変わり始めているのだとか。件のチラシが風鈴のイラスト付きだった所以である。
「お客さん、興味があるなら紹介しようか? お土産にするんでも、見学だけでも……そうだ、今なら体験もやってるはずだな」
気安い調子で付け加えた店主は話題の硝子職人と親しいらしく、話を通しておこうと言ってくれた。地域の活性化に繋がるという点でも積極的に推しているようだ。武器商人は商売の匂いを感じつつ、どうするかね、と視線で問う。
「結構響くのに、あれは耳に痛くない……いい音が側にあると潤うし、ラスのお土産にもいい、と思うよ」
「それなら折角のお誘いだ。昼食を済ませたらお邪魔しようか」
その答えを聞いて店員は両手で大事に抱え込んだままだったメニューを慌てて差し出し、店主は苦笑い。
「つい話し込んじまったな。ゆっくりしてってくれ」
ご注文の際はお呼びください、と告げた店員と共にカウンターへ引っ込めば店内には落ち着いたジャズが戻ってくる。それが何だか面白くて微笑み合ったふたりは一緒の冊子に目を落とした。
どれも商店街内で仕入れた食材であると謳われたメニューはトーストやサンドイッチ、フライドポテトなどの軽食に始まり、カレーやオムライスのご飯もの、ナポリタンにカルボナーラとパスタ類も豊富だ。デザートやドリンクに至っては、差し込まれた期間限定のものも合わせるとそこらのスイーツ店では太刀打ちできない種類が並んでいる。
店主か、はたまた店員か。どちらの趣味なのだろう。話のネタが尽きない店だと感心しながら静かにページを捲る番の目の輝きを見守る武器商人は、はたと手が止まったのには首を傾げた。
「決められないかい?」
「……その、さっき食べたドーナツとコロッケが」
それぞれ半分こずつお腹に収めたおまけが判断を迷わせているらしい。ふたり揃って大食らいでもなければ、目移りするままに頼むには許容量が心配なのは確かだ。それ故に——
「あ。当店、なんと全て小さめサイズもご用意できますよ!」
あれもこれもって欲しくなっちゃいますよね、わかります。各テーブルへランチメニューを配置していた店員がうんうんと頷きながら齎した提案は、実に魅力的だったのである。
「お待たせしました!」
運ばれてきたのはココットに似た小さなスープカップふたつに注がれたポタージュだ。淡紫色をした『紫じゃがいものヴィシソワーズ』は、生クリームで描かれた円のコントラストも相まって1品目にして惹きつけられた。
いただきます、と並んで合わせた手は次にスプーンを取る。そっと掬えば鼻を抜けるポロネギの甘い香りの後、濃厚なクリームとじゃがいもの旨味が舌の上をひんやりと滑っていく。重なった「美味しい」の一言はトレーに2品目を載せてやってきた店員を喜ばせた。
続いて、刻まれた茄子やズッキーニ、パプリカ、ベーコンを真っ赤に染まるまで煮込んだ『夏野菜のラタトゥイユ』。ほかほかと湯気立つスープ皿の縁にはバゲットも添えられている。
これもまずはスプーンでひと口。噛めばとろっと溶けるもの。シャキシャキ歯応えを残したもの。トマトの酸味を纏った具材ひとつひとつが主役となって楽しませてくれる。お次はカリッと香ばしいバゲットの船に乗せれば、夏をまるごと味わうような心地になった。
「……レストランみたいに、本格的だ」
「地元民のお勧めなだけあるね。ほら、こっちをお向き」
自然な動作で武器商人がヨタカの唇の端に付いた赤色を拭う。ぽっと染めた頬が恥じらうのは料理に夢中になって口を汚したことか、それとも拭かれたことそのものか。ありがとう、とちいさく伝える声に——
「ごちそうさまです。違った、『海老とアボカドのジェノベーゼ』です!」
——何故か被った店員の合掌。そして3品目。大ぶりな海老とサイコロカットのアボカドが乗った、爽やかなバジルの緑にニンニクとオリーブが食欲をそそるパスタが到着した。
くるり、くるり、手際よく小皿に取り分けていく様にもどぎまぎとヨタカの心臓は跳ねる。何度繰り返しても、ふとした瞬間に恋の甘さを思い知る。愛で結ばれていたって、この味はいつだって鮮明なままなのだ。
「さあ、お食べ」
たったひとつ、彼の月が差し出すものを余さずいただく。願わくば永く永く同じものを分かち合えますように。
まとめて1人前程度の量に抑えられたそれらは、もう少しだけ欲しいと思ってしまう絶妙な加減でふたりのお腹に収まった。
「食後のデザートと紅茶、お持ちしました! 『プチスイーツプレート』のフルーツですね」
しかし混沌を含む遍く世界共通の法則として、当然これは別腹である。
蜜柑やパイナップル、キウイ、桜桃にベリー類、それからスイカとメロン。クラッシュされた黄金色のワインゼリーの海を泳ぐ色とりどりのフルーツ達。
サックリ狐色のパイ生地に包まれたあまい煮林檎。気軽に摘めるその温度で添えられたバニラアイスがとろりと雫を溢す。
真っ白な杏仁豆腐の上には、うっすらピンク色のシロップに沈んだやわらかな桃。淡い紅白の層がかわいらしく、互いの香りを引き立て合う。
『フルーツポンチ・ジュレ』、『ひと口アップルパイのバニラアイスのせ』、『杏仁豆腐と桃のコンポート』——透明なミニグラスに盛り付けられた3種を、あたたかい紅茶と共に。
「少し、食べるのが勿体ない……」
そう呟きつつも仲良くシェアすればあっという間だ。空いた皿を下げる店員も、お代わりの紅茶を運んできた店主も、ご馳走様でした、と合わさる声には満足げに微笑んだ。
それから小休止。悩んだ末にテイクアウトを決めたアップルパイの箱、福引券と一緒に硝子工房までの地図を受け取り、風鈴に見送られて喫茶店を出た。
少し歩けばじわりと汗ばみ出す昼下がりの熱を再び忘れさせるように、ちりんと手招く声。こちらだよ、と呼ばれるままに音色を辿れば目的地はすぐそこだった。
どろりと蕩ける橙色はまるで水飴。炉の中から長竿の先で巻き取り、空洞へとまあるく息を吹き込めば水風船のように膨らんで——
こうして見るだけなら単純そうにも思える硝子吹きだが、正確さを損なわずにスピードを保つのはやはり熟練の為せる業である。職人の手助けを借りながら試行を繰り返し、ようやく納得のいく形になる頃にはヨタカも昼食をすっかり消費しきったような気持ちだった。
硝子が冷めるのを待つ間に絵付けの説明を受け、鳴り口と呼ばれる風鈴のぽっかり開いた縁を鑢で整える。完全に滑らかにはせず、ギザギザを残すのが『エド風鈴』の音色の肝なのだそうだ。試しに爪先で弾けば喫茶店や工房の入り口を飾った彼らともまた異なる、たったひとつの音がした。
「小鳥のヴァイオリンにそっくりだねェ」
「俺には……紫月の声みたいに聴こえた」
きょとんと互いを見つめてくふくふと笑い出す。硝子が溶けちまうよ、と職人が揶揄った。
デザインの案を出し合ったところで作業は武器商人にバトンタッチだ。絵付けは内側に行うため、左右が反転することも意識しつつ筆を潜り込ませなければならない。銀色と灰色で三日月と鳥を、金色で星を散らすしなやかな指へ注がれる真剣な視線に気付いた武器商人は「今度は
最後に薄く紫色を塗る工程は職人が請け負う。厚く塗り過ぎれば音が悪くなってしまうから、と手伝いを申し出てくれたのだ。
「折角の出来だ。最高の音でお宅らの空間を彩りたくなったのさ」
そうして風鈴には、満天の星の中、月へ向かってはばたく一羽の鳥が描かれた。紐を通し、舌と呼ばれる錘部分と短冊を結んで仕上げる際に息子へのお土産なのだと伝えれば、そりゃあいいと職人が大層喜んでいた。
大切に大切に木箱に包んでくれている間に、硝子製品を販売している店舗部分を見て回る。風鈴にグラス、箸置き、アクセサリー類の他にはランプシェードまであった。聞けばこれらも体験で作ることが出来るらしい。
「良ければ次は息子さんも連れてきな」
紙袋を差し出した硝子職人はにっかり人好きのする顔で送り出した。お互いが贈るためにこっそりと選んだ風鈴の簪とピアスも忍ばせて。
徐々に人出が増え、少しずつ祭りの空気に染まりゆく商店街。溜まった福引券を引き換えに行かなければ、とチラシを頼りに会場へ向かう。
勇んで取っ手を掴むヨタカだが、アナログな抽選機から出るのは白やら赤やら、景品でいうならポケットティッシュ、トイレットペーパー、良くてお醤油だ。それら何気ない日用品類を抱える武器商人の姿は、見る人が見れば日常と非日常の混ざりきらないマーブル模様のよう。
そうして最後の最後、ころりと金色が西へ傾き始めた太陽の下で輝く。
「おぉめでとうございまぁす!」
力一杯振られた鐘の音。そこかしこから続く拍手の波。驚いた手をぎゅっと掴まれても事態を飲み込めていないヨタカは「一等はファミリー旅行券です! 楽しんできてくださいね!」と言われてようやく嬉しそうに振り返る。
よかったじゃないか、と唇を弧にする武器商人。しかし賞品を受け取るためにヨタカが向き直った途端に前髪越しの視線は繋がれた手に刺さり、福引係はそそくさと離れていった。
「また、お土産が増えちゃった……」
「まだまだ増えるんじゃあないかね」
ふふふと無邪気な笑み。知らぬは番ばかりなり。
スピーカーから祭囃子が流れ出す。そろそろ合流の時間だ。今日の勉強を終えた我が子をたっぷり労ってやろうとふたりの足は入り口のアーチへと急ぎ、それから星の様に眩く愛しい影を伴って縁日へ繰り出していく。
その隙間。小鳥、と自分にだけ届く声に振り向いた頬へ落ちる、あまやかな唇の熱から生まれた火照りは——