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三日月の様な日々を想う
登場人物一覧
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猫は自分の死を悟ると、姿を消す――というは『実はそうでない』と、幻想の獣医学者クティノス=フランムは語る。
「昔からそういう特性が語り継がれていましたが、実際のところは飼い猫を室内のみで飼育する飼い主が少なかっただけだからだ……というのが事実です」
ライターがペンを取り、ネタを控え終わるのを見届けてから彼は話を続ける。
「猫だって人間と同じなんですよ。誰にも邪魔をされず、なるべく静かで外敵に見つかりづらい場所で、回復するまでじっとしていたい。
ただ休憩場所で安静にしようとした結果、それが死期と気づかぬまま、亡くなってしまうケースが多かったのです」
「それは何だか、可哀相ですね」
「えぇ。病んだ猫が消えるのは、飼い主に死んだ姿を見せたいからじゃない。本当は彼だだって心細いんです」
だからいつも以上に人に甘える猫もいるのだとクティノスは語り、膝にのってきた愛猫の頭を丁寧に撫でた。ごろごろと膝の上で喉を鳴らしながら甘える温もり。彼らが一匹でも多く、幸せな一生を送って欲しいと彼はいつも考える。しかし
窓越しに見上げた月は青い三日月。その静かなる光に彼は願う。
(何をも照らし出す月よ、どうか病に苦しむ者全てをお救い下さい。心細い夜を過ごす彼らに祝福があらん事を――)
「ぅ……く、かはっ……」
時を同じくして、幻想の住宅街の一角――民家の寝室に
(どうしちゃったのにゃ、僕の身体……)
ベッドの上で丸まりながら『少年猫又』杜里 ちぐさ(p3p010035)は身震いした。かふ、と咳をすると唇から――一枚の花弁が零れていく。
鮮烈な黄色の
(……まるで、棺桶の中にいるみたいにゃ)
死者を送り出す時に、その旅路が寂しくないようにと人間は沢山の花と共に死者の身体を燃やすのだという。お別れの挨拶をする時に綺麗な姿で見送れるのは大切な事だと、長く生きる中でちぐさは何度か痛感していた。唇から零れたばかりの花弁を手に取り、霞む思考でじぃっとそれを見つめていれば、懐かしい思い出が瞼の裏に蘇る。
(そうにゃ。確かこの花は、
香る夏風。7月が過ぎる頃、黄色い蕾を膨らませはじめた金盞花。それを丁寧に世話するママは、幼い猫にも分かるよう丁寧に教えてくれた。
――金盞花の花言葉は『寂しさに耐える』
だからほんの少しでも寂しさが和らぐ様に、花が咲いたら仲間の近くに植え替えてやるのだと。
それを聞いたちぐさは、花の一輪にさえママは愛情を注いでいるのだと、とても誇らしかった。
(あついよう、苦しいよう……さびしいよう……)
大切な人との思い出が、ちぐさの胸をいっそう締め付ける。今はもう、あの幸せな時に戻れない。
このまま息を引き取っても――ひとりぼっち、ひとりきり。
布団を抱えて丸くなった彼を、青い三日月だけがただ、ぼんやりと見おろし続けていた。
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最初に異変を感じたのは、ローレットへ討伐依頼の報告をした直後だった。
(なんか暑いにゃ。頭も痛いし、どうしたのかにゃー?)
ちぐさは最初、風邪のような症状に戸惑いを隠せずにいた。無辜なる混沌に来てからは勿論の事、以前いた世界でさえ『猫又』という妖怪であったが故に、風邪をひいた記憶がなかったものだから……それこそ100年以上、健康な日々を送っていた事になる。強いて挙げるなら、熱を出して苦しんだのは猫又になるもっと前。ちぐさが何の力も持たない、ただの猫として生きていた時だ。
「ちぐさ君、ちょっと顔色が悪いんじゃない?」
「本当だ。何か息が上がってるみたいだな。どっかから風邪でも貰ってきたか?」
「大丈夫にゃ。へいき、へっちゃらにゃ! ……でもちょっとだけダルいから、今日はまっすぐお家に帰るのにゃ」
心配してざわつきはじめた仲間達へ平常通りの笑顔で言いきり、ちぐさはギルドを飛び出した。いつも以上に息が上がる。頭が痛い。
(これが風邪にゃ? 寝てれば治るって知ってるにゃ、寝るにゃ……)
誰にも邪魔をされず、なるべく静かで外敵に見つかりづらい場所へ。猫の本能がフラフラとバランスを失い始めた身体をつき動かす。
彼にとっての安全地帯は、ローレットの近くの借家だった。
「ただいまにゃ」
呟きは誰に届く事もなく、薄暗い玄関へ吸い込まれる。空中庭園で目を覚まして以降、ちぐさはずっと独り暮らしだ。
挨拶の癖が抜けずにいるのは、この予測不可な現象の多い無辜なる混沌なら、何処かでパパとママに会えるかもしれない。ある日突然「おかえり」って、温かな返事がかえって来るかも――そんな淡い期待を寄せずにはいられないからで。
希望を抱き続けるほど『現実』という絶望が心を抉ると気付かずに、ちぐさはぺたぺた力なく廊下を歩く。
着替える気力も失って、まっふりとベッドへ沈む様に倒れ込めば、喉元からせり上がる不快感。
「こほ、こほ……なんにゃ、これ……」
苦しい状況の中で、思い出の花弁の美しさは残酷なほど際立った。やがて時は流れ、ベッドの上に積もる金色たち。小さい身体で命を吐き出す様な咳を繰り返し、満身創痍のちぐさはぼんやりと窓の外へ視線を上げる。
(パパ……ママ……)
見上げた空には青い三日月。それはまるで今のちぐさの心の様だ。ぽっかりと空いた穴を埋める手段なんて何処にも無いのに、求めてやまない愚かなカタチ。
(つらいよぅ……心が、いたいよぅ……)
手を伸ばしたって掴めやしない。そんな事は分かっているけれど、ちぐさは縋る様な思いで窓の方へ手を伸ばし――そのまま気を失った。
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斜陽が窓から射し込み、柔らかく頬を照らす。眩しさを嫌がってピクピクと揺れる猫耳。寝返りをうった後に、ちぐさは跳ね飛ぶ様な勢いでベッドから起き上がった。
「……!! て、天国じゃないにゃ?」
猫又の狭い額にぺたっと掌を当ててみる。伝わって来るはひと肌の温もり。見回しても金盞花は花弁ひとつ見つからず、昨晩の気だるさが嘘の様に身体は軽くなっていた。
ただの悪夢だったのかもしれない。けれど、夢や幻と言い切るにはリアルすぎる痛みばかりを思い出す。魔物を討伐した時に悪いものでも貰ったのだろうか――結局、原因は分からず終い。
ただ、ちぐさはひとつ気づいてしまった事がある。仲良くしてくれる友達は沢山。目標にしてる人もいる。けれどまだ、弱った時ぐらいはパパやママに甘えたい。
そしてその願いを叶えられる事は、奇跡でも起こらない限り無いのだろうと。
後から後から零れ出る大粒の涙を隠そうと、抱きしめた毛布。その表面に点々と染みが広がる。世界を救い、この世界が平和になろうと、そこに
「ふ、ぇ……うえぇえん…」
取り戻せない過去の幸福。満ち足りない欠けた心。――三日月の様な日々を想う。
おまけSS『お医者さんだってちぐさ君を補給したいっ!』
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幻想の獣医学者クティノス=フランムは思考する。この無辜なる混沌には様々なルーツの生物が存在し、我々獣医がどこまでの命を救えるか、判断を強いられる事があるのだと。
飼い猫のシンシアはごく普通の猫ではあるが、たとえば猫の獣種は人に近い生態の物もいるるし、デーモン・キャットという種族は猫と同じく魚を好むが、分類は悪魔・魔物にあたるという。
そして目の前にいるこの幼げな少年はというと――
「なるほど。確かに『猫又』が風邪をひいた時に医者を頼っていいものか、悩むところですよね」
「そうなのにゃ。だからクティノス先生を頼りに来たのにゃ……」
青い三日月の夜、
しかし自分は妖怪だ。普通の獣人や猫と同じような治療が受けられるかも分からない。頼る先がなく途方にくれるちぐさだったが、そんな彼の視界に新聞のコラムが目に入る。
『猫と名の付くものは何でも診る、名医クティノスを突撃取材!』
「安心してください。記事の触れ込み通り、確かに私は何でも診ますよ。先週は怪我したウミネコの診察をしましたし――」
「待つにゃ、ウミネコは猫じゃなくて鳥にゃ」
「昨日は車輪が上手く回らなくなった猫車を診ました」
「工事現場で荷物はこぶヤツにゃ? そこまでくると生き物ですらないにゃ」
「いやぁ、猫が好きすぎて」
「猫の判定ガバガバすぎるにゃ……」
もっとも、そのこだわりの無さゆえに自分が診て貰えるというのもあるが。ちぐさが呆れ顔をしている事を気にもせず、クティノスはちゃっちゃか診察の準備をし始める。
「それじゃあ早速、この検査着に着替えてね。奥の部屋を使っていいから」
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「杜里さん、着替え終わりましたかー?」
「終わったけど……これ…本当に検査着にゃ?」
クティノスから渡された検査着を広げた瞬間、ちぐさはちょっと眩暈を覚えた。
だってどう見ても男の子用ボンテージ。魅惑のヘソチラ、黒革のガーター。ご丁寧にぶかぶかの首輪までセットになった代物で、ゾッとするぐらい服のサイズはちぐさの身体にジャストフィット!
「ん~~~最っっ高にてぇてぇ……!」
「おいにゃ」
感極まって拳を握るクティノスを半眼で見るちぐさ。流石にまずいと思ったのか、クティノスは慌てて補足する。
「その衣装の生地には霊的なものを調査するための魔術が織り込まれているんです」
「本当かにゃ? すごく恥ずかしいにゃ……。理由はともかく、どうしてこんなデザインしてるのにゃ」
「私のやる気が跳ね上がるからですね!」
「おいにゃ、やっぱり先生おかしすぎるにゃ」
ドン引きするちぐさに向かい、解析をかけようと身構えるクティノス。白衣をひらめかせ呪文を唱えたかと思えば、彼は突然「うっ」と呻いてその場にしゃがみ込んでしまった。
「どうしたにゃ!?」
「……足りません、やる気が。やはり触診をしてテンション上げてからでないと」
「真顔でとんでもなく怠惰な事を言い始めたかと思ったら、それ診察じゃなくてセクハラだにゃ! 絶対にお断りにゃ!」
「高熱の原因が分からなくてもいいのですか?」
「そ、それは困るにゃ……」
膝を叩いてウェルカムムードのクティノス。暗に座れと指示されて、ちぐさはおっかなびっくり座ってみた。
細腰を撫でられビクッと震える。薬のにおいがする細く長い指。黙っていればそれなりに見れる顔だというのに、医者の暴走は止まらない。
「ひゃっ!? そ、そんなとこ本当に診察する意味あるのにゃ?」
「はぁはぁ……小さい…可愛い……杜里さんだけ吸って生きていきたい……」
「何か息が荒いにゃー……『吸う』ってお医者さんの専門用語か何かかにゃ?」
「ッスゥーーーーーーーー」
「なんか吸われてるにゃーーーー?!!」
後頭部に顔をうずめられ、息を吸われる感覚にぞわぞわと尻尾の毛がよだつ。
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――二時間後。
「もう駄目にゃ……正直、帰りたすぎるにゃ……」
吸われすぎてカピカピの干物になりかけたちぐさの足元に、光が集まり魔法陣が現れる。
ようやくクティノスのやる気が最高潮に達し、解析魔術が起動したのだ。
「……」
「どうかしたのにゃ、クティノス先生」
呪文を唱え終えたクティノスは、一瞬だけ目を見開いた後、神妙な顔つきでぽつりぽつりと診断結果を語り出した。
言葉を選び、医者が患者を想って紡ぐ真摯な姿に思わずちぐさも姿勢を正す。
「検査結果についてですが、杜里さんが昨日戦った魔物。その魔術が検出されました。貴方は呪われていた様です」
「妖怪が呪われるなんて効いた事がないのにゃ。それで、呪いは解けたのにゃ?」
「えぇ。貴方に憑いている思念が打ち消したみたいですよ」
思念とは――生者でなく死者でもない。誰かを強く想う意思の塊であるとクティノスは語る。
「杜里さんは本来、血を吐き死に至る恐ろしい呪いを身に受けていました。
それを和らげたからでしょう、魔法陣に微かな反応のみ残るだけでしたが……男性と女性、二人の思念が貴方を守った形跡があります」
「…………ぁ」
呪いを
今はもう届かないところにいても、その
力尽きていたはずなのに、後から後から熱いものが目元へと込み上げてくる。
「先生……僕、ひっく…涙が止まらない、にゃ……ぐすっ。これも病気にゃ…?」
「いいえ。貴方の大事な人の想いを、病だなんて言えるはずがない。……泣きたい時の治療法は、精一杯泣く事ですよ」
「~~ッ!!」
溢れた感情がせきを切って溢れ出す。窓の外にはぼんやり揺蕩う三日月。その柔らかな光は、ちぐさを優しく照らしている様だった――