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絵画の少女とお出かけと海と
登場人物一覧
今日もお屋敷の主であるクウハは屋敷内を歩いていた。わざと大仰な音を立てながら階段を上がる。いつもと違うのは片手には抱えられるほどの大きさの透明な何かを持っていること、それ以外は何も変わらず二階の廊下を歩いていく。目的の相手は廊下の壁にかかっていた。金髪に青い瞳、可愛らしい十歳程度の少女の絵。
「よォ、レディ。ご機嫌はどうだ?」
クウハがいつものように声をかけると、パチパチと瞬いてから絵の中の少女──レディが答えた。
「うーん、それなり。お兄ちゃんが場所を移してくれたから退屈はしてないけど」
動けないからすぐに景色も見飽きると拗ねたような態度を見せるレディ。それを相変わらずだとクツクツ笑って、クウハは抱えていた透明なソレをよく見えるように絵画の前に浮かべた。
「それは?」
「まぁまぁ、今日は一つ提案があるんだが、俺様とお出かけにでも行かねーか?」
「えっ?! でも、私……」
「オマエさんを運べるだけのいい鞄を見つけたんでな。これなら外も見えるだろ。デートといこうや、麗しのレディ?」
クウハの言葉に合わせて透明なソレが揺れる。それは透明なキャンバス入れ、しかも少女の絵画を入れるのにぴったりのサイズだ。
レディの瞳が瞬いて、しばらくしてからようやく言われたことを理解したのか頬が赤く染まる。
「いいの? いいの!?」
「誘っといてダメってことはねェだろ。但しそのお喋りな口は人目に付くところじゃあ、閉じててもらうことになるかもしれんがね!」
「黙る! それぐらいなら余裕で黙ってみせるわ。だから連れて行って!」
よし来たと壁から絵画を外して持ってきた透明なキャンバス入れに絵画を入れる。後はひょいとクウハが肩に掛けたらそれでもう移動準備完了だ。もちろん、外側にレディの顔が向くようにするのは忘れていない。
「じゃあ行くか。っと、その前に忘れるところだった。そういえば、オマエさん名前はなんだっけ?」
「私の名前?」
肩に掛けた絵画をもう一度持ち上げるようにして顔を見ると、少し迷うようなそぶりを見せてから彼女はこう言った。
「レディでも間違いじゃないんだよ。この絵に名前が、タイトルがないから、みんな『レディ』って呼んでた。でもお兄ちゃんが聞きたいのはそういうことじゃないんでしょ?」
内緒ね、と唇に人差し指を当てるしぐさをして続ける。
「この絵に封じられた哀れな少女の魂の名前はBell、ベルって言うのよ。鈴を転がすみたいな綺麗な声でしょ?」
「そうかもなァ。リンリンリンリン、やかましいや」
「ちょっとぉ!?」
プンスコ怒る少女の絵画を肩に掛け直して、ケラケラ笑いながらクウハは屋敷を後にするのだ。
「ほわぁ!? これが海!!!」
しばらくして二人(?)がたどり着いたのは海だった。暑くなってきた日差しの中、人々が思い思いに海水浴を楽しんでいる。そんな景色を見て肩のキャンバス入れから感嘆の声が上がった。
どこまでも続く青い空、舞う白い鳥、波打つ海、砂浜で楽しむ人々と奥で時折跳ねる魚。吹き付ける潮風は強く、クウハのフードを飛ばしキャンバス入れをバタバタ揺らす。レディから文句が飛んでこないのは黙っているという約束よりも感動して言葉にならないからだろう。先先ほど我慢できずに上がった声も目立つことなく人々の声にかき消えていく。
どこに行きたいか。そんな問いを投げかけられてレディが答えたのは『海』だった。
曰く、生きていたころに覚えている景色は街に出たことと近所の森や草原で遊んだこと、病気になってからは家の中だったから本で読むことでしか知ることのなかった海に憧れていたのだそう。元気になったら海で遊ぶのが夢だったのだと彼女は語った。それは結局叶うことはなかったわけだが。
「こりゃあ、からかいがいのある人間も多そうだなァ」
海の中でちょっと足を引っ張ってやると面白そうだなとか考えていると肩のキャンバスがカタンと潮風も関係なく揺れた。呟きの聞こえたレディの文句だろう。言葉にするなら「デートなんでしょ!」と言ったところか。
「わかってるって、今日はしねェよ」
我が儘なお姫様にトントンと軽くキャンバス入れを叩いて、いろんなところを見せてやるかと歩き出す。砂浜、波打ち際ギリギリまで、多少濡れたってキャンバス入れが守ってくれるが絵が痛むのはよろしくないからほどほどに。
靴の中に砂が入ったと苦い顔をしたらどこからともなく聞こえる楽しそうな笑い声。仕返しにキャンバス入れを
「おや君、素敵な絵を持ってるね」
歩いていると突然に声をかけられた。身なりからして、いいところの坊ちゃんか金持ちの商人か、若いがどこか誠実そうな男性だ。
「あァ、このレディかい? 可愛らしいだろ? オマエさんは見る目があるねェ!」
「レディという絵なのか。遠目でちらっと見えたときに気になっていたんだが、こうして近くで見ると実に素晴らしい。どこで手に入れたんだい? それとも君が描いたのかい?」
「いいや? 買った訳じゃねェ。そして、売りに行く訳でもねェよ。コイツはさ、俺が買った館に『居た』んだよ」
「居た……?」
まるで存在するかのように語られ困惑する男性にクウハはクックと笑った。少しばかしレディを渡しても面白いことになるかもしれないが、今日は自分が誘ったデートだ。だから、彼女の手は離さない。どんなに怒りっぽくても煩くても自分の屋敷の家族でもあるのだから。
それに
「よーく見てやってくれ。今にも動き出しそうだろう?」
「あ、あぁ……見れば見るほど本物のように見える良くできた絵だよ」
(後でレディの文句がうるせェだろうなァ……)
ひたすらに絵だ、絵だ、と繰り返す男性に内心苦笑して。それを表に出さないように、頼んだとキャンバス入れの上から絵画の裏を押す。
「だからよ。絵、絵、ってそんな物みたいに言わないでやってくれねェか。麗しのレディが泣いちまうかもしれねェからさ」
「だって実際、ただの絵だろう? 絵の中の少女が泣くことなん……て……」
言葉を返すためにクウハへ向いた男性の視線が絵画に戻り、そこで硬直した。クウハの考えが通じたのだろう。先ほどまで正面を見て微笑を浮かべていた少女の絵は、今や俯いて悲しそうな表情をしている。キャンバス入れに入っているから光の加減かもしれないが、目じりに涙が浮かんでいるようにも見え──。
「ひっ、ひぃ……!!!」
声にならない悲鳴を上げて逃げ出した男性を見送って、腹を抱えてクウハはケラケラ笑った。ひょいと絵画を見えるように持ち上げてウインク一つ。
「やるなァ、レディ。迫真の演技だったんじゃねェか?」
「ふふん、私のことをよく知らずに勝手に批評した罰よ。上手いもんでしょ」
「ずっとそうしてたらお淑やかに見えるのになァ」
「怒らせるのは誰よ!」
またプンプンと怒るレディ。だがすぐに二人は顔を見合わせて笑いあった。
太陽が海を橙色に染め上げて沈んでゆくまで、二人はそこでゆっくりと海を眺めていた。
お屋敷に帰るころにはすっかり日も落ちて幽霊たちの時間。起きだしてきたお屋敷の住人たちの中で元の場所に掛けられた少女の絵画だけは静かに幸せそうに眠っていたという。
おまけSS『後日談』
「ねぇお兄ちゃんお兄ちゃん! 次は山! 山に行きたい!」
「あァ、はいはい、気が向いたらな」
「気が向いたらっていつよ! 数百年後とか無しなんだからね!」
今日も怒りっぽい絵画の少女とのやり取りもあってお屋敷は賑やかだ。ただ一つだけ変わったことがあるとするなら、たまーに移動する絵画の少女の隣には必ず透明なキャンバス入れが掛けられるようになったことだろうか。
少しばかり砂と塩に汚れたそれを見て微笑む少女を時折お屋敷の幽霊たちが目撃するようになったのだとか。