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星灯る水面へ
登場人物一覧
キラキラ、キラキラ。空の天辺から降り注ぐあたたかな光に、我が世と咲き誇る花の色。こんにちは、と駆けていく誰かの笑い声を乗せたやわらかな風。
そんな綺麗なものを分厚いカーテンの向こうへ追いやった薄暗い部屋には溜め息だけが満ちている。懐かしい洞窟の中のようで、あの澱みも湿気もここにはない。おかげで本当ならもっと呼吸はしやすいはずなのに、どうしてだろう。こんなにも息苦しい。
ああ、思い出すんじゃなかった。遮断すればするほど意識してしまうのは、未だ帰り道の見つからない故郷とまるで正反対の地上の世界。
——出口を見上げるばかりだった停滞の日々に、終わりは突然に訪れた。届かなかった光も、急流そのものな世界に揉まれる今も、想像よりずっとずっと眩しすぎて煩かった。
たくさんの人、物、感情のひとつだって今まで触れたこともない勢いで通り過ぎていく。上手く受け止めることが出来ずに滝壺で叩き付けられたまま浮かび上がれないような、正直に言葉にするなら『とてもついて行けない』心地だった。
それでも、それでも。右も左も上下さえあやふやな時から手を貸してくれている友人に、この部屋に居候させてくれた友人もいるからこうしてなんとか生きている——けれど周りを歩く誰も彼もが当たり前の顔をしているのを横目に、澄んだ空気を吸い込む度に胸の底には劣等感が溜まる。それが、ふとした瞬間に溢れてしまっただけのこと。
『だってこの地上に自分がいる意味ってある?』
そう考え始めたらあっという間に溺れたベッドの上、もう一歩だって出たくないとちいさくちいさく丸くなる。詰まりかけた息を吸って、吐いて、吸ってを繰り返す。ぎゅっと籠った視界の端で鉢植えの緑は不満そうに見えた。
夜明けを待つように伸びた茎葉の先、銀色にも輝いて見える半球状の花は【アストランティア】というらしい。その形から星を意味する名を冠した花の【スノースター】と呼ばれる品種は、まさに夜空に灯る道標。植物を育てていると話したら花屋のおばちゃんが譲ってくれたんだった、と思い出せばとある少年の影が過ぎった。
初めて会ったのは討伐依頼で、それからはよく声をかけてくれるようになった。苺狩りに行ってからは食べ物を集られたり、一緒に食べに行ったりする仲だ。
随分と懐かれたと思うのと同時に、どうしてと疑問も生まれる。食い扶持を稼ぐ術も知っているし、そのための腕もある。自分より年下の彼の方がよほど強かで貪欲に生きているのに、わざわざ集りに来るのは何故、と。
『わからないけど、もしかしたら一種の甘えなのかな』
ふわり。軽くなったのは体か、心か。必要とされてる、というのが言い過ぎだとしても。求めてくれるのなら、甘えてくれるのなら——その気持ちにちょっと甘えてもいいかな。ねぇ、君はおれのことを気にしてくれてるって、思ってもいい?
力の抜けた腕の殻からゆっくりと顔を出す。カーテンの隙間でゆらゆら揺れる木漏れ日のような外の世界に、彼の側にいる時間と似たおだやかさを感じた。さっきまであんなに遠ざけたくて仕方なかったのが嘘のように。
必要なのは、ほんのひと摘み。きっとそれが地上でも重力に抗って立てるようになる魔法。どんな変身能力よりも、ギフトよりも、単純なのに難しい。まだ名前を付けられない、芽生えたばかりの気持ちだった。
「……今日はスコルくんを探しにいってみようか」
自分以外に聞く人のない声は、けれど泡にならずに世界を揺らす。嘘にはしたくないから、えいやとひと思いにベッドを抜け出した。途端に抗議を始めた腹の虫の、心なんかよりも圧倒的に素直な声が今はとても羨ましい。何か持って行こうか。どこかへ食べに行くのもいいかな。軽く身支度を整えながらあれこれ考えるうちに、意識せずとも呼吸ができるようになっていた。
踠きもせずに沈んでいた水底から掬い上げられた気になって、溜め息と逃げ出してしまったしあわせを捕まえに空っぽの自分だけを待って出かけよう。待つのではなく、自分から歩いていこう。地面は繋がっている。空に銀の星影があれば真っ暗闇でも迷わず進める。泡立つほどの急流でだって今なら息を継げると信じられる。
「そうだ。きみにもご飯をあげないとだね」
最後にカーテンを押し退ければ、あの地底湖にはなかった溺れるくらいの陽光に目が眩んだ。まだ少し直視するのは怖いけれど、これにもいつか慣れる日が来るんだろう。その時はきっと——
いってきます、と彼を思わす星の花へと呟く。ふわりと苺の甘酸っぱさが舌の上を転がった気がした。
——帰路を探して途方に暮れる足踏みの日々に、
おまけSS『Aster/lycos』
逃げる、逃げる、空巡る
ふたつの星は地を照らす
『知性』呑み込む獣から
逃げる、逃げる、空巡る
降り注ぐだけ飲み干して
『愛の乾き』に底は無い
陽光に焦がれた灰燼の瞳
月影に染まる白銀の毛皮
『星に願いを』託すなら
——きみなら何と紡ぐ?
そんな夢見た初夏の夜半
思考の迷路を巡り巡りて
ひとり微睡む、大山椒魚
「次は星見に誘おうかな」