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SS詳細

BOYS DON'T CRY 終幕

登場人物一覧

エドワード・S・アリゼ(p3p009403)
太陽の少年
エドワード・S・アリゼの関係者
→ イラスト

「はっ、はっ、ハァ……ッ」
 光の無い山道を駆けあがる。
 どんなに美しい景色も、不思議な光景も、今のエドワードを止めることは出来ない。
 たびたび眩暈のような頭痛に襲われては、頭を振る。伸びた草や垂れ下がる蔓が、無防備な白い肌に幾筋もの赤い線を刻んでいた。
 けれどもエドワードは走り続けた。
 一匹のマボロシチョウが木立の中に姿を現す。
 昼間とは違って仄蒼く燃える蝶は、夢の浮橋を彷徨う魂のようだ。
 また一匹、更にもう一匹。導くように現れては玉響の間に消えていく。
「こっちだな!?」
 翠蝶の灯篭はエドワードを山頂へと誘う。
 島で一番高いとは言え子供の足で登れるほどの山だ。
 けれども何時までも全力疾走が続けられるほど優しい道のりではない。
 気を失いそうになりながら、道を失いそうになりながら、それでも抗うようにエドワードは月の見えない暗夜を走った。
 虫の声を失ったこの島の夜はあまりにも静かすぎる。
 清廉なピアノの旋律だけがエドワードを導くように聞こえ続けていた。
「……っはあ、はあ、…っ」
 ようやくたどり着いた山頂から見える景色は昼とはまるで違って見えた。
 漆黒の夜空には金銀に滲んだ星彩が瞬き、鏡合わせの星海に玲瓏なる光を鏤めている。
 灰色に眠った白い砂浜はここから見ると白雲のようだ。
 木々に隠れたあの辺りには輝く秘密の洞窟や秘色の温泉が眠っているのだろう。
 夢と現の境を渡り歩く蝶たちは淡い燐光に包まれながら、崖の上に咲く毀れやすい天瑠璃の花に止まっていた。
「フウトォォォォーーーーッッ!!!!」
 肺に残った空気を全て絞り出す。
 一日中問いかけ続けた喉をすり潰す大声で、エドワードは彼の名前を叫んだ。
 酸素を求める体の疲労を無理やり押しとどめて、闇の中に白を探す。
「ここは良い景色だね」
 風がそよぐ。藍の世界に麦わら帽子が揺れた。
「君が今までいろんな冒険してきたんだって、よく分かるよ」
 崖から覗いた白い満月の中に彼は立っていた。
 後ろ手を組んだフウトはエドワードの方を見ないままだった。
「……フウトっ!!」
「来たんだね、エドワード」
 名を呼んだ拍子にエドワードの細い顎から汗が伝って流れ落ちる。力が抜けていく身体を支えるように両膝に掌を当てた。
 荒ぶった呼吸はなかなか落ち着きを見せず、頭蓋を苛む痛みは冷静な思考を奪っていく。
 それでもエドワードはフウトが居た事実に安心した。言いたいことや伝えたいことが沢山あったが、唾液と一緒に飲みこんで薄く笑った。
「こんなとこに居たのかよ……!!」
 息切れの合間にエドワードが言葉を紡ぐのを聞いて、フウトは雑音のように擦れた笑い声をあげた。
「うん。思いの他早く、ここにもう一度来ることになったよね」
 ゆっくりと振り返ったフウトの顔色はあの時のように真っ白で、それでも、あの時のように寂し気な表情はしていなかった。
「ごめんね。急に居なくなって」
「ほんとだよ。すっげー心配したし、探したんだからなっ!?」
「……鬼ごっこは僕の勝ちだったけど、かくれんぼは負けかぁ」
「これで一勝一敗だな」
「本当に、よく見つけられたね」
「へへっ、当然だろ。フウトがどこに隠れていたって、オレが見つけてやるよ」
「本当?」
「ああ、マジだ」
 フウトはどこか満足げな表情をしていた。だからエドワードは、フウトはマボロシチョウが見たくなって山を登っただけなのだと、そう思う事にした。
「今日は大変だったんだぜー? フウトは朝から急にいなくなるし、誰もお前のこと、覚えてねーし……」
 本当に大変な一日だった。
 足が棒になるまで島を駆けずり回って、潮風に声が枯れるほど尋ね続けた。
 何度もくじけそうになって、何度も転んで。それでも、必死に探し続けた。
「けど、見つかってよかった。ほら、一緒に帰ろうぜ」
 鼻をすすったエドワードはフウトに手を差しのべた。
 その瞬間、ぱちりと、白い欠片が嵌まる感覚がする。

 オレ、前にも何処かで誰かに手を差しださなかったか?

「う、あ……?」
 既視感が、エドワードの中で眠る何かを引きずりだそうとしている。眩暈がする。世界が歪んでいく。
 しかし明確な像を結ぶ前に、頭を振って追い払った。両手で頬を叩いて気合を入れ直した。
 今日は何度、その仕草を繰り返しただろう。もう覚えていないけれど、思い出してしまえば全てが変わってしまいそうで……強引に蓋をし続けている。
「帰ったらおばさんにもみんなにも、きちんとフウトのことを思い出してもらうんだ。方法は分かんねーけど、二人ならきっと」
「エドワード」
 フウトは手を後ろで組んだままだった。エドワードから差し出された手に優しい眼差しを送って、それでも彼の手を取らなかった。
「それは、無理だよ」
 残酷な言葉を優しく告げる。フウトが秘密主義なのは今に始まった事では無いが、今はその否定がエドワードの不鮮明な気持ちを波打たせた。
「何でだよっ」
 エドワードは思ったより自分が大きい声で叫んだことに驚いた。それ以上に、フウトが何もかも諦めたように笑っていることを否定したかった。いつものように「大丈夫だぜ」と言って、魔法のようにすべてを解決できる方法を思いついて、ほら何でも無かっただろと告げたかった。
「大人たちは僕の事を覚えてなかったでしょ。仕方ないよ。僕はもう、この世界にとって邪魔者なんだ」
「邪魔者って……どういうことだよ」
 震える声で問い返す。
「言葉のままだよ。ああ、ダメだな。肝心な時に上手く言えないや」
 フウトはエドワードにそんな落ち込んだ顔をさせたい訳ではなかった。いつものように明るい笑顔を向けて欲しかった。きっとそれは叶わない夢だけれど、最期くらいは顔を見て挨拶をしておきたかった。
「何でだよ」
 もしかしたら島の皆がフウトの事を知らなかったと言ったのはエドワードをからかってのことかもしれない。
「何でなんだよ」
 もしかしたらマボロシチョウの不思議な力が働いて、皆フウトのことを忘れてしまっているのかもしれない。
「オレはフウトのことを忘れなかったのに……」
「僕が今ここに立っているのも、エドワードが僕を覚えているのも、こうやってまだ話せているのも、ただの偶然……いや。僕に都合の良い言葉を使ってしまうなら『奇跡』なんだ」
 フウトはエドワードの手を取る。
 冷え切ったフウトの手は深海のようで、既にヒトの温度を宿してはいなかった。
「どうしたんだよ、フウトこれっ!?」
「どうして山に登ってはいけないのか。エドワード、前に聞いたよね」
「今はそんなこと言ってる場合じゃっ」
 エドワードの焦りを遮るようにフウトは呟いた。
「ここは夢鯨の眠りが一番浅い場所。一番現実に近い場所だからだよ。捕らえた魂を逃がさないように、此処には近づけないようにしていたんだ」
「ゆめ、くじら……?」
 フェアリーテイルのような言葉の響きをエドワードは繰り返す。
「うん。だけど、彼女はもうこの世界にいない。この島にはもう、僕と君。それと夢に囚われた魂しか残っていない。出るのは簡単だよ。元の世界に帰りたいと願うだけで良い」
 フウトは顔をほころばせた。
「止めろよ、フウト。その言い方だとまるで、まるで……」
 きっとまた夜が明けたら普段と同じ『いつもの日常』がやってくるに違いない。
 青藍島はいつもと変わらない快晴と青い海がどこまでも続いていて。常連ばかりで賑やかなトリトニスで、エドワードとフウトは朝からおばさんの手伝いをする。そして店が休みの日はフウトと一緒に思いっきり色んな冒険をして――……。
「いたっ」
 ずきり、熱を伴った脈を打つ。
 まるで頭の中に心臓を埋め込まれているようだ。
「なっ、んだよ、これ……」
「エドワードが眠っている間に、本当の記憶を解き放っておいた。思い出すまで少しかかるだろうけれど」
 痛い思いをさせて、ごめんね、と。優しく冷たい手がエドワードの額に当てられる。
「……けど、これでいいんだ。君の帰る場所は、ここには無いよ。君はここよりもっと広くて、もっと未知に満ちてる世界に旅立つんだ」
 希望に満ちた眼差しで、眩しそうにフウトは言った。
「……オレの返る場所はここだ」
 絞り出すようにエドワードは返した。
「おばさんがいて、フウトがいて、島の皆がいて。今までだってそうだったじゃないか。オレ、フウトが、何言ってるか、分かんねぇよ」
 いつでも、隣に親友がいると信じていた。
 いつまでも、一緒にいられると夢をみていた。
「確かに外の世界を見たいし、色んな冒険もしてみてぇ。でも、それはフウトも一緒に行くって話だろ?」
 エドワードは雨の降る青藍島を見たことがなかった。
 夏以外の季節を思い出せなかった。
 争い一つ無い優しすぎる真綿のような日常しか覚えていなかった。
 エドワードは聡い。その歪さに気がついて薄々真実を理解しはじめている。けれども拒むように嫌だと頭を振る。
 自分が認めてしまうことで目の前の友人を壊してしまうと理解しているから、嫌だ嫌だと痛みを耐え続けている。
「意地っ張りだなぁ」
 それは我慢強い優しさで、精神を痛める毒。
「ここは夢の世界。ここでの君の記憶も、僕も、本当は存在しない偽物で。──そして、それももうすぐ終わる」
「……なんだよ。夢の世界って。終わりってなんだよっ!! そんなの、わっかんねぇよ!!」
 どんなに否定したところで終幕の時刻は定められている。
 エドワードは叫びながら感情をこぼした。
 眦に溜まった銀の雫にマボロシチョウの燐光が映り込み、ゆらゆらと幻が滲んでいく。
「エドワード。君もなんとなく、気づいてるんでしょ? そろそろ、思い出す筈だよ。もう拒まなくても良いんだ」

 ――エドワード。
 ――エドワードさん。
 喫茶店で働く仲間のこと。優しい死にたがり屋のこと。
 食事が大好きな悪魔のこと。沢山の洞窟を探検した綿飴のこと。
 意外と情に厚い巨大な猫のこと。誰かを傷つけることを畏れた物語のこと。
 星海を共に見た真珠のこと。ゴーレムを探す気まぐれな紅蓮のこと。

「わっかんねぇよ……」

 ――エドワードくんっ。
 風のように笑う、虹水晶の相方のこと。

 強くペンダントを握りしめる。
 エドワードの言葉を裏切るように、硝子に似た音を立て世界に亀裂が奔る。フウトは安心したように罅割れていく己の手を見おろした。

 ちゃんと覚えている。
 混沌の世界での出会いも、別れも。
 友人のことも。相方のことも。ともだちのことも。
 ちゃんと、ちゃんと覚えている。
 たかが奪われたくらいで忘れるはずがない。
 
「エドワード。君は海へ遊びに行って夢鯨という魔物に見初められてしまったんだ。彼女の夢に囚われた人間は、永遠に彼女の傍らで幸せな夢を見続ける。だけど、それって君の望む幸せの形とは反対だから」

 ――僕がこの世界を終わらせた。だから邪魔者になったのさ。

 エドワードの矛盾を抱えきれなくなった夢の世界が均衡を崩し始める。
 世界が翡翠の燐光に包まれる。木も、山も、海も、蝶も、フウトでさえも。
 夢の世界はマリンスノーの風花と化して消えていく。
「エドワード。もしいつの日か母さんゆめくじらに会うことがあったら伝えておいて。僕を生んでくれてありがとうって」
 切なく清らかな目覚めの旋律が、夢の世界に響き渡っていた。それがフウトの最期の力によって奏でられているものだと、エドワードには分かっている。
 けれども、まだ目覚めたくないと。親友と別れる準備が出来ていないと固く目を瞑った。
「……さ、エドワード。目を覚まして」
 エドワードの胸で輝くペンダントにフウトは視線を向けた。
「君には向こうの世界を繋ぐ、強い絆の証があるでしょ。それがあれば大丈夫」
 二人は鏡合わせのように向かい合う。
「きっとここからも抜け出せるよ。君を心配して、呼んでいる人がたくさん居るんだ。その声に耳をすませて」
 ペンダントを贈った少女の名前を、エドワードは呟いた。
「……でもっ、なんでフウトが消えちまうんだよ」
「僕は、君の敵なんだよ、エドワード。君を夢の監獄に捕らえ続けるための、居心地が良くなるように夢鯨に創られた存在。だから、この結末は変えられないし仕方がないんだ」
「ちがうっ!! フウトはオレの敵なんかじゃなかった。いつだって一緒にいてくれて、いつだって……」
 ほろりと、涙と共に耐えていたエドワードの言葉が流れ出す。
「約束しただろ。一緒に海の向こうを見に行こうって。約束しただろ。一緒にずっと冒険しようって。あんなに楽しみにしてたじゃねーかよぉ……」
 あん時に笑った顔が嘘なわけ、無ェじゃねぇか。
 瞳から溢れ出したエドワードの涙が、地面を濡らしていく。この感情も幻なのか。夢なのか。消えてしまうのか。嫌だ。いやだ。
「泣かないで、エドワード」
 薄氷のような崩れかけの指がエドワードの頬を伝った涙を拭う。
「ここで僕に言ったこと、覚えてる?」
「え?」


「君が言ってくれたんでしょ? 例え消えてしまったって『ここに』思い出と一緒に、ちゃんとあるって」
 エドワードの胸を人差し指でトンと突いたフウトはあの日のように絶望などしていなかった。無謀な冒険へと挑もうとする時の、不敵な、エドワードの好きな眼差しだった。
「……っ!」
 エドワードは胸を押さえる。
「……ここに」
「うん。僕は、僕たちは、ずっとここにいるよ」
 フウトが触れた胸を、手のひらで擦る。ぐしぐしと、零れた涙を二の腕で乱雑に拭った。
「へへっ、ずりーよ。そんなこと言われたら、もう言い返せねーじゃねーか……」
「ふふっ、エドワードったら泣いてるの?」
「フウトだって泣いてるじゃん」
「あ、ほんとだ。やだなぁ、かっこ悪い」
「そんなことねぇって」
「ふふっ」
「はははっ」
 目元と鼻先に赤味の残ったエドワードの笑顔は太陽のように輝いていた。それは友との別れを嘆き悲しむ顔ではなく、いつかの再会を願う顔。
「エドワード。僕、この三日間が……とってもとっても楽しかった!!」
「オレだって……オレだって、すっげぇすっげぇ楽しかったぜ!!」
「僕は悲しい存在なんかじゃなかった。君と一緒に遊んで笑った。はじめての冒険に胸が弾んだ。感情に振り回された。この夢のような島で、僕は僕として生きられた。どうか、どうかその事を忘れないで」
 もう小指は結べない。もうお互いの胸を指すこともできない。
 仮初の時間で出来たフウトの身体は半分以上が消えてしまった。それでも心を結ぶ時間は残されている。
「……お前との約束。ぜってー果たすから。いつまでも、忘れねぇから。この島でのことも。フウトと過ごした時間も。思い出も」

 さようならは泣き顔より笑顔で言いたいんだ。
 
「僕は、君の傍にいるよ。消えてしまっても、もう居なくても、ちゃんと君の中に。一番近くに」

 ねぇ、エドワード。君は知らないだろうけれど夢鯨にエドワードの親友として作られた僕に名前はなかった。
 でも、目覚めた君は僕に名前をくれた。呼んでくれた。
 だからね。あの時、消えても良いかと思えるくらいには、君のことが大切になったんだ。

「……忘れないでね。この世界のこと。僕達の、大切な思い出。……君は、僕の。本当の──……」
 
 消える。消えていく。
 言葉も、島も、親友も。淡く白い光を纏って飛沫のように煌めきながら、夢の海へと還っていく。

「忘れるもんか」

 ピアノの旋律を聞きながらエドワードは太陽のペンダントへと手を伸ばした。
 世界を塗りつぶすほどの白光が放たれると、エドワードの足がふわりと宙に浮く。
 空へと昇っているのか、それとも空の方が近づいてきているのか。どちらでも良かった。
 帰り道に迷う事は無い。今まで出会ってきた絆が道を示しているから。
 あれほど暗かった夜はもう無い。
 やがて、すべてが真白に包まれて……。






 誰かに名前を呼ばれた気がして、エドワード・S・アリゼはゆっくりと目を覚ました。
 眩しい太陽の光が身体を包んでいる。白い鴎が空を自由に飛んでいる。
 寄せては返す波の音は、優しいピアノの調べによく似ていた。
 夢から醒めたばかりのエドワードしばらくぼんやりと身を横たえて空を眺めていた。
 じんわりと胸に広がる寂しさと温かさ。ぽっかりと心に開いた真新しい穴を、大切な何かが埋めている。
 エドワードは体を起こして、そっと胸を擦った。
 外には証。内には親友。

「──オレん中で、きっと見ててくれよな。フウト」

 返事は無い。けれども彼は、此処にいる。
 きっとこれからも忘れることは無いだろう。
 青い海を眺めながらエドワードは過ごした日々を噛み締める。
 どこかから流れついたのか。
 砂に埋まった銀鏡の欠片が太陽の光を反射して白く煌めいた。
 柔らかい世界を映すそれは親友にどことなく似ていて、エドワードは何の気なしに手にとって天空にかざしてみせる。

「今日も暑くなりそうだぜ」
 遠くで鯨が鳴いている。
 水色の空を見上げれば、何故だかそんな気がした、
 拭いきれなかった涙が名残りの真珠のように一粒だけ零れ落ちる。

 少年の夏は、出逢いと別れから始まった。

おまけSS『明星』

イメージ

空と海
鏡合わせ、雪と太陽、夏の霧

夏の星
七月流火、明けの明星、伴星

ステンドグラス
モザイク、世界の継接ぎ、硝子の世界

始まりと終わり
小夜曲

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