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月と時雨の逢瀬
登場人物一覧
「セージ?」とディアナが柔らかに呼んだ。ソファーの上、セージの膝の間にちょこりと座ったディアナはその場所が自身の特等席であると知っていた。
「ん?」
「なんだか、懐かしいわ」
体に回った暖かな腕に甘えるように擦り寄ったディアナがセージの顔を見上げる。穏やかな笑みを浮かべた彼を見れば、最初はこんな顔をして居なかったと思いだす様にディアナは「だって――」と口を開いた。
――――
――
最初の出会いというのは何時だったか。偶然出会っただろう。
異世界より召喚され、見知らぬ土地に放り出される事となったセージにとって、混沌世界は脅威の連続であった。
荒事には強いが生活力が皆無であるセージにとって、突然寝食の場所すら与えられずにローレットで荒事を熟して身を何とか立てろと言われた状況は受け入れがたい者であった。
勿論、ローレットに行けば生活のある程度の基盤は整えられるのだろうが……そうすることにもやや抵抗を感じ街をぶらりぶらりと歩き回った。彼にとってはその街並みさえも先ずは受け入れる事に時間がかかったのだろう。
生活の基盤を整える――そうする為には住居の確保をしなくてはならない。
逸る気持ちの儘、辿り着いたのは貴族の屋敷の前であった。煌びやかで荘厳なるその屋敷を見上げれば、其処に住まう貴族たちと自分の差をひしひしと感じさせるようで。
「あら……?」
ふと、屋敷の窓辺より一人の少女が身を乗り出していた。塀に近い場所に窓があったのかとセージははっとしたが、それも時すでに遅い。彼女は明らかに自身を認識していた。
「さっきからここにいるけどどうしたの?」
「実はついさっき運命座標だか何だかだで召喚されたばかりでな」
召喚、と口にした貴族令嬢は「貴方も召喚されたの? お互い面倒な事になったわねぇ……」とぼやいた。
今、何と云っただろうか。召喚――この、何所にも何も困らないような貴族令嬢が?
「はは……こんなちんまいお嬢ちゃんも召喚されるのか……随分ブラックな世界だことで」
肩を竦めたセージに「ちんまい!?」と貴族令嬢が身を乗り出した。どうやらそれは禁句のようで――彼女自身自分を大人だと認識しているのか、身長の事には人一番過敏であった――む、と唇を尖らせる。
「ちんまいって何よ! 身長なんてすぐ伸びるんだから!」
ぷうと頬を膨らませて厭な男だなんだと繰り返した貴族令嬢。これは嫌われてしまっただろうかとセージは頬を掻きながらそれでも尚、窓辺から離れない貴族令嬢の姿を見上げた。
「ところで、お嬢ちゃんは召喚されてから、どうしてる? ……いや、こんなの聞く事でもないか」
「私? 私は召喚されたし家も窮屈だからこの屋敷で独り暮らしよ。
貴方はどうしてるの? 見た感じだとどうすることも出来ずに途方に暮れてるみたいだけど」
貴族令嬢のその言葉にセージはご明察と肩を竦めた。世界の命運がかかっているだとか、救うための可能性を蒐集できるだろうとか、そんな突拍子もない事を言われても「はい、そーですか」と頷けるほどにセージは人ができてはいなかった。
嗚呼、けれど、目の前にいる小さな少女までもが特異運命座標として駆り出されているのならば自身がぼんやりしてるのもおかしな話の様に彼には思えた。
「……ねえ。良い事を考えたわ」
「良い事? 何かいい仕事でもあるってのかい?」
「ここに住みなさい。困ってるんでしょ? いいわ。寝る所を提供するから私の生活のサポートをしなさいよ」
つんけんとした少女だとその時セージは感じていた。
最初は貴族令嬢の気紛れだったのだろう。落ち着くまでの仮の住まいを与える対価として彼女の生活のサポートをしてほしいというのは確かに理に適っている。
そうして過ごしていくうちに、セージにとってはディアナは愛らしく、そして可愛らしい子供であったが、ディアナからはまた違った。
誰もが彼女を貴族令嬢として扱い、金を目当てに擦り寄ってくることが多かった。特にこうして拾った相手なのだ、金だ何だで欲に目を晦ませるだろうと思って居た――思って居たのに、彼は『お嬢ちゃん』と呼び、あろう事か只の小娘として扱ってくるのだ。それが、逆にディアナには心地よかった。
只の一人の女の子。貴族も何も関係ない、彼の前では一人の少女になれるのだから。
だから、そっと、彼に近寄った。緊張と、淡い気持ちを孕みながら、唇を震わせて。
「名前で呼んで頂戴? ディアナって」
「お嬢ちゃん……?」
「ディアナ」
そうやって、口にすればセージの中でだって一人のレディとして意識するようになった。
つんとした態度に素直ではないその言葉。口では余りに言葉にしないくせに、態度には滲み出てくる好意がセージにとっては分かりやすかった。そのつんけんとしたところは彼女なりの大人ぶった態度のようにも思えて仕方がない。
「ディアナ」と何度も呼べば、彼女は嬉しそうにして目を背けるのだから。そうして、そうして手を取り合い、甘い関係になるまでに時間はかからなかった。
―――――
――
「ディアナ?」
思い出話を口にしてくすくすと笑った彼女の名を呼んだセージ。その儘顔を上げたディアナの頬を掌で撫でつけて小さく笑う。
「何を突然話してるんだか」
「いいじゃない。なんだか思いだしたんだもの。
だって、最初はセージはこの家に来たときにソファーでどうしたもんかなって呟いてたわ」
その言葉にセージは「そりゃそうだろ」と小さくぼやいた。あろう事か、大の大人がこんなにも小さなレディ(言葉にしたならば彼女はきっとお怒りだ)に寝る所を提供されるのだ。
それに、彼女自身は少女であり、自身は男だ。何か間違いがあった場合、と考えれば「どうしたもんかな」といいたくもなるというものではないか。
「どうかなった?」
「……悪戯が過ぎる」
そっと腕を回してぎゅっと自身を抱き締めてくるセージにディアナはくすくすと笑った。
出会った頃ならば確かに力関係は自身の方が上であるとディアナは認識している。だからこそ、何だかそうしてセージを言い任せるのが面白いのだ。
普段は態度からバレたその好意を汲み取って悪戯めいて話しかけてくるのは彼の方なのだから。
「ね、次は何の話をしましょう? せっかくの休みだから、寝てしまうのは勿体ないでしょう」
「そうだな――それじゃあ――」
今日は飽きるまで話して居よう。満足だと眠ってしまうまで。