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BOYS DON'T CRY 中編

登場人物一覧

エドワード・S・アリゼ(p3p009403)
太陽の少年
エドワード・S・アリゼの関係者
→ イラスト

 ピアノの音が聞こえる。
 哀愁を帯びた水色の旋律は、まるで一匹で空を泳ぐクジラのようだ。
 悲しい寂しいと叫んでいるのに誰にも声だと分かってもらえない。
 そんな独りぼっちのクジラの唄。
「おーい、フウトーっ」
 エドワードが呼んでいる。
 明るく照らしてくれる太陽みたいな彼。
 向日葵みたいに手を振っている僕の道標。
「今行くよ」
 エドワード、僕も夢をみていいかな。
 いつか君があのクジラを救う――……そんなユメを。



「もう少しで頂上だっ」
 毀れそうな水晶華の花畑も二人の歩みを止めることは出来ない。
 むせかえるほどの緑の中を少年たちは歩いていく。
 光の向こう、紫のジャカランダと薄桃色の合歓の木が花雨を降らせるトンネルを抜けると視界が白に塗りつぶされた。
「わっ」
 燦々と輝く太陽。
 遮るものなど何一つない青藍の舞台しま
 広々とした海は星空のように煌めいては白浜に寄り添い、崖から空へと昇る天つ風は夏を詠う。
 白南風にのって微かな音が聞こえた。
 ピアニストの女性が弾いているのだろうか? 眼下に見える白い積み木のような三角屋根をエドワードは目を凝らして見てみるが、どこから聞こえてくるのか分からなかった。
 島全体を一望できる切り立った崖は自然の展望台だ。
 遂に頂上へと辿り着いたエドワードとフウトは、暫し言葉も忘れて初めて見る島の全景に見惚れていた。
「……結局ここまで探したけど、マボロシチョウって呼ばれるだけあって簡単には見つからねーなあ」
 落胆した様子もなくエドワードは今来た山道を振り返る。
 橙、赤に紫、白に黒。
 ここに来るまでに沢山の蝶を見かけたがお目当ての翡翠は見当たらなかった。
 滅多に見られないからこそ『幻』の字を名前に冠しているのだ。
 見つからない。この結果はエドワードの闘志にかえって火をつけるものだった。しかし――……。
「ん?」
 頭の後ろで手を組んだエドワードは、親友が沈黙していることに気がついた。
「フウト、どしたー?」
 太陽のような麦わら帽子が崖の傍で立ち尽くしている。
 答えはない。聴こえていないのかと一歩近づく。
「あんまり崖のそばにいると危ねーぞー」
 それとも、と背中に向かって呼びかける。
「マボロシチョウ、見つかったのか?」
 振り返ったフウトの顔色は雪のように白かった。
 エドワードを見つめる眼差しはどこか翳りを見せ、表情を無くした顔に無機質な絶望が浮かんでいる。
「……どうしたんだよ、フウト」
 風が吹く。世界から音が消える。
 それ以上かけるべき言葉が見つからず、理由も分からず。エドワードは困惑しながらも親友に寄り添うように並んだ。
「何でも無いよ」
「そんな顔して、何でも無いってことはないだろ?」
 フウトは答えない。
 薄く笑った寂しげな唇が、何か言葉を紡ごうとして固く閉ざされる。
 こんなにも真っ青で爽やかな日なのに、フウトの周りだけが色を失くしたように霞んでいた。
「なんか嫌なことでもあったのか……」
 エドワードがフウトの肩に触れようとした瞬間、朧げな翠が二人の間を横切った。
「あ」
 オレンジ色の瞳に映る薄翅の緑柱石。
「フウト! 周り! 周り見てみろよ!」
 エメラルドグリーンの優雅な羽ばたきが次第に数を増やす。まるで夏の浅瀬が陸に焦がれて遊びに来たかのように、自由自在に遊び回る。
 エドワードが差し出した人差し指に一羽の蝶が止まる。呼吸をするように翅を休めると、再びふわりと踊り始めた。
「やっぱり間違いねぇ! マボロシチョウだ! これ、全部……!?」
 蝶は青嵐に舞う木の葉のように崖の下から次から次へとやってくる。
 風船のように、紙吹雪のように。自由に、優雅に二人の周りで円を描く。

 ――苦労して見つけても、どうせ消えてしまうのに。

「ん?」
 興奮したエドワードとは反対に、フウトはぼんやりとした目でマボロシチョウを見つめていた。
「どんなに頑張って見つけても、手に入れても、最後には名残も残さず消えてしまうのに」
 フウトの呟きは独り言だったのか。それともエドワードへの問いかけだったのか。
 戯れる蝶たちは止まらないのに、二人の間は時が凍ったかのように静かだった。
 持ち上げたフウトの手にマボロシチョウが止まりシャボン玉のようにパチリと弾ける。最初から存在などしなかったと、見せつけるように白い手が翻った。
「エドワードはどうしてそんなに、笑っていられるの」
 幽遠たる幻の蝶が花嵐に舞う。
 そんな美しい風景を見もせずに、フウトはただエドワードだけを見ていた。
「あー、そうだな」
 それはエドワードの知らないフウトの一面だった。
 フウトにとってマボロシチョウが捕まえられないのは深刻な悩みであるのかもしれない。
 けれども頬を掻くエドワードにとってはそうではなかった。
「確かにこいつらは捕まえらんねーし、飾ってもおけねー。……けど」
 エドワードの指に止まったマボロシチョウが再び羽搏く。新緑のジェダイドは、蒼天の下で笑う太陽の周りで楽し気に見えた。

「お前と一緒に、こうやって見つけられただろ?」
「え?」

 虚を突かれた声を出し、フウトは呆然とした表情を浮かべてエドワードを見つめていた。
 紫水晶の瞳にあった翳りは驚いた拍子に吹き飛んでしまったようだ。
 エドワードはフウトを驚かせるのが好きだ。いつもこうやって、思いもよらない方法でフウトを驚かせる。
「フウトと一緒にマボロシチョウを見つけた。これってスゲー思い出だろ」
 エドワードは笑っていた。ただ無邪気に、どこまでも純粋に。
「こっから眺める景色も、マボロシチョウも、きっといつまでも、オレ達の胸ん中に残り続けるんだ!」
 エドワードは嬉しかった。
 マボロシチョウを親友フウトと共に見たコトも、大人には内緒で二人で山の中を冒険してきたコトも。全てが素晴らしく楽しかった。
「その思い出があれば、寂しくねえ!」
 その景色を、事実を、感じた思いを、エドワードはずっと覚えている。
「消えてしまっても。もういなくても、一緒に居る」
 エドワードはずっと忘れない。
 そう言って誇るように自分の心臓を示す。
「思い出はそこにある」
 ひとさし指が、フウトの心臓をノックするようにトンと一度だけ突いた。
「思い出があれば、消えてしまっても寂しくない。だろ?」
 フウトはエドワードの触れた場所に手を当てた。
 まるで彼のぬくもりが飛んで行ってしまわないように、小さな胸の中に閉じ込めるように、力強く握りしめ続ける。
 この太陽のような思い出をフウトは一生忘れないだろう。
 そして二人で紡いだ思い出も、彼の記憶のなかに在り続けるのだろう。そうであれば良いとフウトは願う。
「ありがとう、エドワード」
 ふっきれたように白い歯を出して笑うフウトは普段よりずっと明るい表情をしていた。
「どーいたしまして。ってかさ。そんなに悩むことないだろ?」
 カラカラ笑いながらエドワードは告げた。
「マボロシチョウがここにいるってのは分かったんだし、見たくなったら二人でまた来ればいいじゃん。何度でも、何度でも。オレ達だけの、秘密の宝物としてさっ」
 フウトはエドワードの言葉に笑った。
 笑った、だけだった。
「じゃあ、そろそろ戻るか」
「ちょっと待って」
 フウトは麦わら帽子を小枝にかけ、満足そうに頷くとエドワードの元へと戻ってきた。
「帽子、おいてくのか?」
「うん。僕がここに居た証に。エドワードと一緒に蝶を見た記念に。いずれまた戻ってくる時のために」
「無くさねぇか?」
「名前が書いてあるから大丈夫」
 少年は笑い、手を差し出した。
「さぁ、いこう。エドワード。僕と君、二人の思い出をいっぱい作りにいこう」

 島で一番高い山とは言え、子供の足でも登れるほどだ。
 帰りは行きの半分程の時間で戻ってくることができた。
 二人は村へと戻らず、そのまま山道を抜けて海岸へ出る道へと向かった。
 白い太陽が天中へと差し掛かる。水色の空は穏やかで、高く見えた。
「上から見るのも綺麗だったけど、やっぱ間近で見たくなるよなぁ!」
「そうだね」
 二人は砂を蹴って飛び出した。


 白砂の上を透明な波が寄せては引きを繰り返す。アクアマリンのように透明な海が、柔らかな砂浜で宝石のように煌めいていた。
「昼飯にしようぜ」
「うん」
 二人はサンドイッチを取り出すと、どちらともなく砂浜に足を投げ出した。
 じわりと人肌のような温かさを宿した砂の上で、ハムやレタスの挟んであるパンを齧りながら海を見る。
 どちらともなく喋るのを止めた。
 朝起こしてくるフウトみたいな穏やかな波の音、太陽を反射してエドワードみたいにピカピカ光る海。もうすっかり見慣れた景色なのに、どうしてこんなにも美しいと感じるのだろう。
「な、フウト」
 爽風のようにエドワードが口を開いた。
「昨日秘密にしてた夢の話なんだけどさ」
「うん」
「最近、夢を見るんだ」
 フウトは驚いた様子もなく頷いた。
 同じ部屋だ。薄々気がついていたのかもしれない。もしかしたらオレが話すのを待っていたのかも。そう考えるとエドワードは晴れ晴れとした気持ちになった。
「オレ達が見たこともない場所を、誰かと一緒に冒険する夢。真っ白な砂丘や、翡翠色の洞窟や、ぱちぱち鳴る焚火の音。行く場所行く場所、すごくキレイで、すごく楽しくて」
 焚火を見守るようにエドワードは静かに語る。
 慈愛に満ちた表情でぽつりぽつりと、見た事もない世界の一頁を見せていく。
「もっと聞かせて」
「ん?」
「エドワードの夢の話。僕、聞いたことないから」
「良いのか?」
「当たり前でしょ」
 エドワードはよく笑う子供だ。
 無邪気で純粋さで、他人に手を差し伸べることを躊躇わない。その強さに救われる者は多い。
「それじゃあさ。火を吐くワイバーンの雛の話はどうだ?」
「ワイバーン? 雛だとしても怖いな」
「それがすっごい人懐っこいワイバーンでさ。目がくりっとして可愛いんだぜ。フウトはきっと気に入られると思う。アイツ、気に入ったヤツの膝の上で寝たふりして困らせるのが好きだから気をつけろよ」

 たくさんのワクワクを仕舞った宝箱。
 それをエドワードは惜しげもなくフウトに見せた。
 花守りをしていた白い獅子の話。
 温泉を求めて旅をするトカゲの話。
 お昼寝が好きな黒いオオカミの話。
 大切な一頁を、綺麗な夢を分かちあうように、夏の海に茜が射すまでエドワードは語り続けた。
「……だからオレ、この島を出て、この海の向こうが見てーんだ」
 エドワードの瞳はどこか海の向こう。遠く彼方の、フウトには見えない世界を見据えていた。
「水平線の向こう側には何があるんだろうな」
 蒼い海、果てすら見えない場所へ行ってみたいんだとエドワードは手を持ち上げる。
「そこにはオレ達の見たこともないものや、ワクワクするもんがこれでもかってくらい溢れてるって……このペンダントを見てると、そう思うんだ」
 エドワードは胸元に触れた。
 そこには太陽を象った、美しい黄金色のペンダントが揺れている。
「だからさ、オレ達で見に行こうぜ! 外の世界」
「うん」
 膝を抱えたフウトはエドワードの夢を眩しそうに聞きながら楽しそうに頷いた。
「海の向こうも、さらにその先も、一緒に見よう」
 一緒に。
「へへっ、おっし、約束な!」
「約束だね」
 差し出されたエドワードの小指にフウトは自分の小指を絡めた。
「エドワード。冒険に出る時はここの砂を小瓶に詰めて持って行くと良いよ。昔から白い砂は願いが叶うって言い伝えがあるもの」
「その話はオレも知ってるぜ。どっかで読んだのかな? じゃあ今から二人分詰めるかっ!」
「気が早いって。それはまた、今度」
 堅く固く、誓った小指をするりと解く。
「さて。そ、れ、じゃ、あ!」
「ん~? 何か御用ですかー?」
 ニィと笑ったエドワードにフウトはとぼけてみせる。
「分かってんだろ? 今度はフウトが秘密を話す番だぜ! みんなが島に登っちゃだめって言う理由、知ってんだろ? 教えてくれよっ」
「どうしようかなぁ~」
 なあなあと強請るように腕を揺らすエドワードに負けず劣らず、フウトもニヤリと悪どい笑みを浮かべてみせた。
「残念、まだ秘密」
「えーっ。なんでまだ秘密なんだよー!」
「タイミングが来たら教えてあげるよ」
 本当か、と言ってエドワードは手を放す。
「タイミング? それっていつだよ」
「ん~……秘密」
「結局秘密ばっかじゃん!?」
 笑いながらフウトは素早く立ち上がり、砂浜に転がしてあった弁当包みと封筒をつかんだ。
「エドワードが僕より先に『トリトニス』にゴールしたら考えてあげても良いよ」
「おっ、本当だな!?」
 茜色に染まり始めた白い背中をエドワードは追う。
「家まで競争だ、エドワード!」
「ずるいぞフウトーっ。あっ、待てーー!!」

 夕日が沈む浜辺に子供たちの笑い声が響く。
 そんな夏の始まりに、彼らの冒険は終わりを告げた。


 チリチリと鈴の音が響く。
 静かな子供部屋に吹きこむは夜風と虫の鳴く音。
「フウト。今日の冒険、すっげー楽しかったな」
「うん」
 星空すらも瞬きを忘れ眠り始めた夜更けに、二人で一つの寝台を分かちあう。
 半醒半睡のエドワードは溶ける夕陽のように微笑んだ。
「……また冒険、一緒に行こうな」
 フウトも月のように微笑んだ。
「うん」
 ゆるゆると落ちていく小さき太陽の白い瞼と意識を見守り、額にかかった朱色の前髪を優しく払う。
「おやすみ、エドワード」
「……へへ。おやすみ、フウト」




 其の日、エドワードは夢を見た。
 優しいピアノの夢だ。
 夕暮れのように切なくて、けれども心を包み込むような優しい曲。
 ピアノを弾いているのはフウトだった。
 彼はエドワードを見ると楽しそうに手を振った。
 だからエドワードも手を振り返した。

 フウト、ピアノ弾けるのか?

 フウトはいつものように柔らかく頷いた。

 もっと早く言ってくれたら良かったのに。

 スポットライトに照らされた白い指が鍵盤の上を踊る。
 夕暮れのように切ない曲は転調し、朝焼けの曲へと変化する。
 黎明が来るのだとエドワードは感じた。
 曙に染まるフウトの瞳に明けの明星が輝いている。
 曲が終わるとエドワードは大きく手を叩いた。
 フウトはちょっとだけ恥ずかしそうに微笑んでから、ぺこりとピアニストのようにお辞儀をした。
 白い髪の先から泡になり、空へと昇っていく。
 エドワードの夢の中にいるフウトは楽しそうだった。
 




●DAY3
 
 泡が弾けるように、ぱちりと目が覚める。
 まだ朝日の出ていない灰色の部屋のなか、エドワードは眠い目をこすりながら起き上がった。
 奇妙な胸騒ぎのする朝だった。やけに静かで、灰色だった。
「……あれ、フウトの奴、居ねーなー」
 部屋にはエドワード一人だけ。
 がらんとした無機質な部屋の中を見渡せば、皺ひとつない、がらんどうのベッドが反対の壁に置かれていた。
 灰色の影が満ちる部屋の中で、かちかちと固い秒針だけがやけにはっきりと聞こえる。
「まだ6時半……フウト、随分早起き、したんだな?」
 妙な気分だった。
 予感と言い換えても良いかもしれない。
 焦るように寝着のまま階段を下りていく。
「おばさん、おはよー」
「おう。今日は早いじゃないか、エドワード。朝飯食っちまうかい?」
「なぁ」
 キッチンで上機嫌に笑うおばさんにむかってエドワードは声をかけた。
「フウトってどこか出かけた?」
「フウトって誰だい?」
「え?」
 てっきり「早く起きてたから牛乳を取りに行かせたよ」と返事がかえってくるものだと思っていたのに。エドワードに帰ってきたのはおばさんの訝し気な表情だった。
「だから、フウトだよ」
「知らないねぇ、そんな客」
 血の気がひいていく。からかうにしたって性質が悪すぎる。
 けれどもおばさんは理解できないといった顔をするばかりで、エドワードをからかっているようには見えない。
「…い、いやいやいや、なに言ってんだよおばさん! フウトだって! オレの親友の!」
「親友?」
 おばさんの顔に薄らと心配の色が浮かぶのを、エドワードは愕然としながら見上げていた。
「エドワード。夢のなかで友達を作るのは構わないけどね。起きたんなら寝ぼけてないで、さっさと顔洗っておいで」
「~~っ! ちょっとオレ探してくる!」
「ちょっと、エドワード!!」
 エドワードはコートハンガーにかかっていた上着を掴んで走った。
「ゼルギニのおっちゃんっ」
「お、エドワードか。今日はやけに早ェじゃねえか。こりゃ雨が降るな」
 漁に出る前の男に聞けば分かるだろう。
「あのさ、フウト見なかったか?」
「フウトぉ? 誰だ、そりゃ」

 ――ほら、起きて。もう朝だよ、寝坊助さん。
   ……寝坊助ぇ? 変な名前だなあ。

「ペンド爺ちゃん!」
「エドワードか。どうした、そんなに汗をかいて」
 カウチで寝そべる老人に聞けば分かるだろう。
「爺ちゃん、フウトが、フウトがどこにもいないんだ。誰も、島の誰も知らないって」
「エドワード」
 老人は憐れみをこめた眼差しで少年の頭を撫でた。
「小さい頃は誰しも心の中に友人を持っているものじゃ。しかし、いつか歳をとると消えていく……」
 それ以上は聞きたくないと、エドワードは皺だらけの手から逃げ出すように再び走り始めた。

 ――オレ、このミートボールがまた食べたかったんだよなっ。
   ……こういうの、巡り合わせって言うんだろ? オレ達、不思議な縁があるのかもな!!

「あたま、いてぇ……」
 誰もフウトのことを覚えていない。
 今にも立ち止まりそうな速度になってもエドワードは歩き続ける。
「フウト。……どこ行っちまったんだよ」
 何でどこにもいないんだよ。
 気がつけば一人、夕暮れの浜辺に座り込んでいた。
「また一緒に冒険するって。約束しただろ……」
 抱えた膝の中に顔をうずめる。
 フウトがいれば、きっとキレイな夕陽を見て目を細めてくれる。あの夏の朝焼けみたいな瞳で――。
 ふと、思い出す。まだ探していない場所。
 もう一度立ち上がって、駆け出した。

 真珠の白島。
 翡翠の海と願いの叶う砂丘。
 太陽を象ったペンダント。
 焚火と卵、輝く洞窟、乳白色の湯煙。

 齣切れの風景が頭を過るたび、湿度のようにじわりとした痛みが滲む。
 それでもエドワードは行かねばならない。
「あそこなら、きっと……っ」
 マボロシチョウの棲む、あの山に。















●DAY2.5

「遅かったね」
 顔色を変えて飛び込んできたピアニストを少年は微笑みながら出迎えた。
 息なんか切れるはずもないのに。真っ青な顔色で息を荒げる女性を海凪のような瞳が見つめている。
「ピアノを、弾いたの?」
「うん」
「どうして? どうして、そんな、危ないことをするの?」
 女は、ケートは足早に少年へ歩み寄る。
「アナタたちの望む通りにしたわ。マボロシチョウだって、夕陽だって、望むものは全部見せてあげたでしょう?」
「見せてあげた? それは違うよ。あのチョウはエドワードが自分自身で見つけたものだ」
「エドワード?」
「自分で捕らえた魂の名前も忘れたの? こっちとしては好都合だったけど」
 挑発するようにフウトは鍵盤を叩く。
「今すぐピアノから離れて」
「ピアノを弾く事がそんなに危ない? ……貴女にとっては、そうかもね」
 ごめんなさいと、硝子細工のように少年は謝罪した。
「どうして謝るの」
 紫水晶に後悔の色は無く、静謐な夕星のように煌めいている。
 穏やかなフウトの表情にケートは僅かにたじろいだ。
「僕は使命を果たせそうに無い」
 そう言って泡沫の少年は創造主を拒絶した。
「彼と一緒に見てみたいと願ってしまったから。この胸の弾みを望むままに叶えてみたいと願ってしまったから。自由な彼が羽搏いていく様に憧れたから。だから、僕は貴女を拒絶するよ」
 操り人形には生まれるはずもない感情。夢の中の登場人物には過ぎたる意思。
 幻覚なのに、本当に生きてるように動く不具合が喋り続ける。
「ね。もう止めようよ、母さん」
「どうして?」
 少女のように嫌々と頭を振る女性をフウトは見上げた。
「太陽は独り占めするものじゃないんだ。エドワードを元の世界に返してあげて」
「言っている意味が分からないわ。えっと……」
「フウト」
「そう。そうだったかしら? いえ、どうでもいいわ。ねえ、アナタ。この子は太陽じゃない。ただの人間よ。だから私はこの子が欲しいの。この愛しい子を幸せにしたいの。だからアナタを作ったのに。記憶を作ったのに。生まれた時からの親友と、そういう設定にして閉じ込めたのに。ダメでしょう? 正気になってしまったら。それってお互い不幸せだわ」
「……そうかもしれないね」
「でしょう? あの子はね。一生夢の中で私と皆と、私の作ったおうちで一緒に暮らすの。アナタはもういらないけれど」
 心から満足気に微笑む彼女に少年は憐れみすら覚えている。
 長い間を生きすぎて、独りが寂しすぎて、心が壊れてしまったクジラの化け物。
「それでは彼が死んでしまうよ」
「死んだら取り換えるわ。こんなにきれいな仔は滅多にいないけど」
「人の心は、忘れてしまったんだね」
「うるさい。アナタ、邪魔。消えて」
 女の細い腕が少年の首をつかむ。
 人形のように宙にぶら下がりながらも少年は微笑んだままだった。
 女によく似た顔で寂しそうに、けれども少しだけ薄らと笑って――。

 ボキリ、と鈍い音と共にピアノの音が途切れた。

「……?」
 
 女はほろりと崩れ始めた己の指先を見つめる。
 
「何をしたの」

 幻影は答えない。
 すでに身体は失われている。
 けれど名だけは彼から貰ったモノだから、少しだけ遺った。

「いったい、何を弾いたのッ!?」

 泡沫のように溶けながら、狂ったように女は叫ぶ。
 自分の夢なのに思うように操れない。
 零れ落ちていくように、夢の檻が自分の手から離れていく。

「返して、かえしてよっ!!」

 創造主が、自分の夢から弾き出される。
 
「混ぜたのねっ。私の夢にあの子供の現実きおくを混ぜたのね!?」

 あの島は魔物のきぼうであると同時に、あの子供のきぼうにも成っていた。
 いつから裏切っていたの。アレは、己を母と呼んだアレは……名前はもう忘れたけれど。
 わからない。わからない。また、独りぼっちにしないでよ。

 夢に棲む化け物くじらは大きな声で鳴いた。
 誰にも声は届かない。

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