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Nobody will ever know
登場人物一覧
まだ肌寒い夜、風そよぐレンガ道の端で少女が地面に尻もちをついて惚けていた。
伝う汗が頬から顎、首元からインナーへ零れ落ちていく。立ち上がろうにも腰が抜けているからか、上手く力が入らない。どうにもならないのならば仕方がない、少し休めば何とかなるだろうと暇潰しに空に流れる星々を眺める。とても綺麗で煌びやか、元の世界の外もこんな綺麗な––。
「ちょっとアンタ、大丈夫かい?」
靄がかった思考が急に引き戻された故か、最初はその声に気づかなかった。
「こんな夜遅く、暗い中で危ないじゃないの」
振り向いた先、恰幅の良い女性が此方に手を伸ばす。特に警戒も無くその手を取るこの女性の警戒心が足りないのか、彼女に脅威足りえるものを持っていなかったからなのか。
なんであれ、幾ら夜道と言えど■■歳で見た目もそれ相応の体格なのだから怪しくないと言われれば頷きかねる所だ。
「小さい
そう、己の歳相応の身体であったのなら、である。
「わ、私はぁ〜……」
「わたしは?」
「私は誰ぇ〜?」
ずり落ちそうな分厚い瓶底メガネ、はだけているどころかほぼ脱げているジャージは着るというより被っていると言った方が近い。
心配してくれている女性の顔も見上げなければならない程の身長。
「本当に大丈夫なのかい……お嬢ちゃん?」
「あ、大丈夫、大丈夫ですよぉ。ありがとうです〜。名前も覚えてますのでぇ」
大蛇森 トーラ、本人曰く外界とのワンクッションを担っているらしい瓶底メガネの下に、確かな知性の光と達観とした落ち着きを宿した
此方の台詞だと言わんばかりに溜め息を吐いた女性はトーラの手を引っ張りあげて立たせると、早く帰る様に促してその場を後にするのであった。
●
「もう、行きましたかねぇ」
助けてくれた女性の背中が消えるまで見送り、再度周囲に人気が無くなったのを確認してから改めて己の身体を確かめる。
「(あちゃあ、随分と久しぶりですねぇこうなったの)」
それを視認出来たのは数瞬。淡い光にトーラが包まれたかと思えばそこに存在したのは妙齢の女性。豊満な身体付きで着崩れていたジャージがピッタリと合い、ずれていた瓶底メガネを掛け直せば此方もまた再びずれ落ちる事は無かった。
纏う雰囲気は変わらずのんびりとしたものだが、この大人の姿こそが大蛇森 トーラという女性本来の姿なのである。
「(はてさてどうしてこうなったのやらぁ。確かお酒を買いに行く途中だったと思うんですけどぉ)」
子供の姿への変化、そのトリガーは"動揺"、"驚愕"。他にもあるかもしれないが精神的不意を崩された時が一因となっている。
「ただ驚いたから成る、訳でもないんですけどー」
口に出すのは思考の整理。
「何があったんでしたっけ」
そして少女となって腰を抜かしていた原因、直近の事柄にも拘わらず薄ぼんやりとした記憶への一抹の不安。
「考えても仕方が無い……っと。お酒ついでにスイーツでも買いに行きやしょー!」
己に発破を掛ける余裕があるのは大人から子供に成る事が不可逆であるが、子供姿から元に戻るのは自分の意思で可能としている所もあるだろう。
「(なぁにがあるかなお酒のツマミ〜♪)」
辿り着くだけでバタバタしてしまったが、漸く到着したマーケットに上機嫌で入店する。
夜遅く、何時でも好きな時に酒や甘味を買いに来れるコンビニという施設は彼女にとってオアシスである。
「(ちょっと疲れたし奮発してデザート二つとか……いやでもそうすると飲み用のチーズが……)」
あれやこれやと悩むのも楽しみの一つ、結局デザート二つにチーズ、酒を購入し店を出ればまだ肌寒い風が身体を撫で震わせるだろう。
「ふんふんふーん♪」
ご機嫌に鼻歌を唄いながら歩いてきた道を戻り歩く。
先程幼児化していた所に着くといよいよ我慢できずに。
「ちょっとお行儀悪いですけ、ど……っと」
カシュッ!
小気味よいプルタブを開ける音に追従して炭酸が抜けていく感じが好きなのだ。缶に口を付ければひんやりとした感触に冷えた酒が喉を通る。至福の一時だ。
「ふはぁ! これですよこれぇ~。人肌のも悪くないんですけどやっぱりキンッッ……キンに冷やしたのが最高なんですよぉ~。ひゃ~! 我慢なりません!」
家まで我慢するつもりであったチーズを取り出し口に含む。独特の香り高さと発酵させた乳の旨味、すかさず酒を流し込めば口の中が天国だ。
缶のパッケージを見てみれば酒に溺れる系アイドルが着飾って微笑んでいる姿が載っている。なんとなしに見詰めて思考するのは家で干されているジャージ達。
「そろそろ新しい服も買おう、とは思うんですけどねぇ」
流石にアイドルのような服ではなくても、替えもジャージなのでそろそろ
「うぇへへ……消えちゃうんだぁ。
呑兵衛ではあるが真面目に働く、美味しいお酒を買う為に。
呑兵衛ではあるが友達はどんどん作りたい、美味しいお酒を飲む為に。
呑兵衛ではあるが身体は鍛えたい、いつまでも美味しく飲む為に。
ゆらゆらとにへら顔を浮かべている彼女ではあるが、その根幹はお酒を中心に回っているだけなのだ。
元気にビールも、しっとりとウィスキーも、心燃やすウォッカも全て楽しいから飲むのだ。
「今日も一日頑張りました! 明日も一日頑張ります! おいし~ぃ一杯になりますように!」
輝く夜空の下、一風変わった晩酌で頬紅く。
寒さも酒気で心地好い。
明日の英気の為に、今暫くこの高揚感に身を委ねて。
●
脳裏に、否、更に深層。砂嵐でよく視えない其れはなんだろう。
思考ができない。
本能が拒否している。
見たくないものに蓋をして今だけを映している。
この世界に来る前の
この体質には何か理由が?
わからない、解らないのだ。理解できないまま彼女は、私は今を生きている。
掛けられた魔法のようなものは
雁字搦めの記憶の楔を解くには時間が必要になるだろう。
「でも……わからないものを今考えても仕方ないですよねぇ~」
ぐびぐびぐびと缶を呷ると一息に命の源を喉に通す。
そういえば何故あの時子供姿に戻ってしまったのだろうか。
「さて、私をこの体質にした誰かさんに……似た人でも居やがったんでしょうかぁ」
なんてね、と独り言ちると、いそいそと二本目を開けるのであった。
結局、家で飲む筈のものどころか備蓄用に買っておいた酒まで飲みほしてしまうトーラであった。