SS詳細
サンドリヨンに王子はいない
登場人物一覧
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「うっ……ぐずっ……」
「う、ひっく……」
「おい」
「……ひゃいっ!?」
どれくらいそうしていただろうか。自分以外の誰も居ないと思っていた少女は思わず飛び上がった。顔を上げると絶世の美女が自分を覗き込んでいることに気がつく。
「あなた、は……?」
「画家だ。お前にモデルになってほしい」
「モ、モデル!? 私がですか!?」
「そうだが?」
全く思いもよらなかったお願いに、少女は素っ頓狂な声をあげる。
「む、無理ですよ……モデル、なんて」
「別に難解なポーズを取れとは言わない。座ってるだけでいい」
「無理です、無理……だって……うっ、うううう……」
「……、」
『どうやら、この少女にモデルをしてもらうには話を聞かないと先に進まなそうだぞ』と悟った美女……ルティア・メルシエは少女の隣に腰掛けてマイペースに言葉を待つことにした。
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「……うわ、最悪。目ぇ合った」
「気色悪っ」
「ちょっとゴミ堂〜。あんたのせいで教室の空気が臭くなるじゃん!」
「おいブス。学校に来るなよ」
「なあ御堂。お前、もう少しみんなと上手くやれないのか?」
「……司。父さん疲れてるんだ、ごめんな。また今度話を聞くよ」
どうして。
私が醜いから、こんな目に遭うのでしょうか──?
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「醜い、か。ふむ、そうかもしれんな」
御堂 司と名乗った少女の話を聞いて、ルティアはあっけらかんとした様子で司を眺めた。彼女がモデルを断った理由は『自分が醜いから』。どうやらそのせいでイジメられているらしい。直接的な暴力行為こそ免れているものの、司への暴言、嫌がらせが日常的なのだとか。
「やっぱり……」
司は諦めたように笑う。司自身、自分の顔は並み以下の造形だと思っていた。ブスと言われだして初めの頃は傷付き泣いたものだが、そうすると鏡の前の自分はますます醜くなっていき、ブスという評価が正しいものに思えてきてしまうのだ。ましてや絶世の美人に醜いと言われるのであれば「はいそうです」と答えるしかない。
「ああ、勘違いするな。私にもそう見えると言ったわけじゃない」
「……そういう嘘は、いいです」
「違うぞ。その同級生達の中では、お前は何をしてもブスなのだろうというだけだ。……だが、そうだな。お前、一日私に付き合う気はないか」
そう言って、ルティアはおもむろに立ち上がると司に手を差し出した。司は困ったようにルティアの顔と差し出された手を見比べる。出会ってほんの少しの時間しか経っていない人に、着いて行ってもいいのだろうか。何か詐欺に巻き込まれているのでは? そんな葛藤。
「私は美を探求する画家だ。悪いようにはしない」
……この美しい人に騙されるなら、それもいいかもしれない。どうせ私に何かあっても、気にかけてくれる人なんていないんだから。
そっと握った手は温かく白く滑らかで。その眩さに、司はまた涙をはらりと溢した。
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──ルティア・メルシエ。芸術家たる彼女がイレギュラーズになって、最初に目を留めたのは練達という国だ。それまで
閑話休題。
「わぁ……」
そのアトリエに連れてこられた司はその内部を見回して思わず呆けた。カンバス、絵の具、パレットナイフ、クロッキー帳、絵筆……ありとあらゆる画材がそこかしこに散らばっている。
「き、汚い……」
「こっちだ」
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってください!」
ルティアは慣れた足取りで、司は床の画材を踏まないように小さく跳びながらアトリエの内を横切って別の部屋に入る。
「わぁ……!?」
司は先ほどと同じ、しかし今度は驚愕と感嘆を込めて声を漏らす。司の視界に飛び込んできたのは布地の海。練達風のトレンディーな服はもちろん、各国の普段着に使われる服や民族衣装まで……そこはルティア・メルシエという女の興味のままに集められた色とりどりの服が詰め込まれた衣装部屋だった。しかも、こちらはメイク道具に至るまできちんと整頓されている。
「司、こっちに来い」
ルティアが手招くので素直に従うと、彼女は司の腕の中に次から次へと衣服を落としていく。えっ、えっ、と慌てる司に有無を言わせず靴の入った箱まで持たせると、デパートの試着室のようなボックスを指差して着替えてこいと押し出した。
「あの、私こんなの似合わない……!」
「いいから着ろ」
「……はい」
横暴だぁ……と思っても、なにせ相手は絶世の美人。じっと見つめられるとそれだけで凄みがあり、司はすごすごと試着室の中へ入って行く。
「着ました……」
「よし、こっちに座れ」
試着室から現れた司は薄く柔らかなピンクのロングプリーツスカートと黒いトップス、濃茶色のショートブーツを身に纏っていた。普段、司が絶対選ばない様な甘く上品なチョイスだ。そのまま椅子に座らされ、司の前にファンデーションやチークやら……見たことないような物も含めてコスメがずらりと並ぶ。ルティアはそれらを手に取ると、慣れた手つきで司へ化粧を施し出した。
「凄い……ルティアさんって、いつもこんなに沢山のコスメを使ってるんですか?」
「いや、全然」
司は椅子の上からズルッと滑り落ちそうになったが、ルティアに動くなと凄まれて大人しく座り直す。
「私の故郷はそもそもこんなに化粧品は無かったからな。私にとって、これらは筆や絵の具と変わらない。顔はカンバスだ。これがどういうことかわかるか?」
ルティアが全身鏡を持ってくる。そこに写っていたのはルティアの姿と……
「これが……私?」
安っぽい漫画みたいなセリフ、と頭の片隅で思いながらも、司は本当にそれしか言葉が出なかった。鏡の中に写っていた驚いた顔は、司の面影を残しながらも肌のトーンの明るさや目元の華やかさが明らかに違う。モデルの様な、とはいかずとも街角ですれ違ったら振り向く様な"可愛い"女の子がそこにいた。
「……可愛い……っ!」
まるで、目の前にいる自分が自分だと信じられない様子で司はくるくると鏡の前で回って隅々まで写す。ルティアはそんな彼女を、今度はエスコートする様に手を取ってアトリエへ連れてくると椅子に座らせた。ルティアはその前にイーゼルとカンバスを持ってきて彼女の姿を描き始める。
「見かけの美しいは、技術があればいくらでも作れる」
その頃になると、司はルティアの背筋を伸ばせ、足を少し傾けろ、などのポーズ指示にも戸惑うことなく従うようになっていた。指示されたポーズを意識して保ち続けるのは少し大変だったが、その度にルティアが指示し直してくれたし、何より彼女との話が楽しく、司は瞬く間に時間を忘れてルティアと話し込んでしまっていた。
時折、会話の中で司が笑顔を浮かべ始めたのに気がつくと、ルティアも薄く笑みを浮かべる。その微笑みは今まで司が見てきたどんなものよりも美しかった。
「少しは気が晴れたか」
「……はい」
「ならば何より。だが、忘れるな。"美"というものは物事の表面のみに宿るものではないということをな」
この美しさは、表面だけでは出ないんだ。そう言って、ルティアは出来上がった絵画を少女に見せる。
「綺麗……」
そこに描かれていたのは、輝くばかりの笑顔を浮かべる美しい少女の絵画だった。
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なんて不運だろう、最後の最後に。
「え? ちょっとあれまさか……」
「ゴミ堂?」
「嘘でしょ? ありえねーわキモッ」
「うーわ、イタい格好。必死すぎ」
帰り道、ばったりと出くわしてしまったのはクラスメート数人。ニヤニヤと笑って司を罵倒してくる。……が、今の司には不思議で仕方がなかった。
(ルティアさんが作ってくれた"美しさ"なのに、イタいって?)
今の司は、ルティアがコーディネイトした姿そのままだった。断ったのに、『モデル代』としてルティアに押し付けられてしまったのだ。当然メイクもそのままである。
センスのいい服装、完璧なメイク──その"美"は、ルティアが生み出した確かなものだと、少なくとも司にはそう思えている。あの感動は嘘ではない。元はどうあれ、この自分は間違いなく"美しい"。
(……そっか。この人たち、私が醜くても美しくなっても関係ないんだ)
スーッと、頭の中が冷えていく心地だった。ルティアの言葉が蘇る。
『その同級生達の中では、お前は何をしてもブスなのだろう』
その意味が今、真に理解できた。その途端、今までビクビクしていた自分の何もかもが馬鹿らしくなってしまって司は表情がストンと抜け落ちるのを感じた。
「疲れました」
「は?」
「付き合ってられません、馬鹿じゃないの」
心底呆れてしまって冷めた目で見ると何だか同級生達はポカンとしている。それが滑稽で、今度はにっこりと笑顔を作った。
「お望み通り、学校に来ないで"あげます"。私にあなた達は要らないですし、いちいち真に受けて相手していたのが本当に時間の無駄でした」
「なっ、……てめ、……こ、のっ」
「それじゃあ、さよなら。後は皆さんの中で新しいゴミを見つけてください、性格ブスの『ゴミ箱』さん達」
そう言って、司は走り出した。何やら後ろで破裂した様にギャーギャー騒ぐ声が聞こえた気がしたが知ったことではない。
「あは……あははっ!」
楽しそうに笑う司の姿は道行く人々の目に留まり、そして鮮やかで美しい夕日の中に溶けていった。
おまけSS『その後の話』
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「ルティアさん、このスペース、3日前に片付けたばかりなんですけど」
「そうだったか?」
「もー! コーヒーここに置いておきますからね! あっ、後でメイク教えてください!」
「見て覚えろ」
「(見せてはくれるんですね)……そういえば……なんであの時、私に声をかけてくれたんですか? モデルになりそうな人なんていっぱいいそうなのに」
「あそこに偶然居たから」
「……それだけ、ですか?」
「あの制服のデザインには興味があったからな。だから学校の生徒ということも把握していたし、あそこに居たことに興味を持った。ついでに絵のモデルも探してた」
「……。(普段着を着てたら、もしかしたら目に留まらなかったかも)」
ほんの砂粒分だけ、あの学校に感謝した司であった。