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学業論

登場人物一覧

只野・黒子(p3p008597)
群鱗
只野・黒子の関係者
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●執務室にて
 点る灯り一つを除けば、何も照らさぬ時間であった。積み上げられた資料に黙々と目を通していた只野・黒子の耳に、コツコツというノックの音が飛び込んだのは。
「どうぞ、お入りください」
 穏やかに声を返した黒子。訪れたのが誰であるのかを、彼は振り返るまでもなく知っている――そうするよう来訪者へと求めていたのは、他ならぬ彼自身であったのだから。

●ピエタリの疑問
 こんな夜更けまで文字や数字ばかりを睨みつけているこの教師を快く思ったことなんて、どれだけ今まであっただろうか? アドラステイアに残してきた家族や仲間達を救うという自分の目的のため、彼とのが有益なのは承知している。けれどもふとした拍子に黒子が見せる、人ですら統計値の一つでしかないかの如き数値と法則に対する研究熱心さはピエタリに、まるで彼が人ならざる者――嘗て一度はそういうものだと受け容れたものの今では憎しみの対象でしかなくなったファルマコンよりも、遥かに化け物じみた存在であるかのようにすら錯覚させることがある。
 今、言いつけ通りに何とか今日中に終わらせてきたレポートを彼に提出することが。果たして本当に自分と家族達の為に繋がるのかを。どこにも疑問なく信じていられているとは自分でも到底思えなかった。目の前で黒子が資料から顔を上げ、のっぺりと貼り付いた微笑みを此方へと向ける。自分がこの手に握ってきた羊皮紙の束なんて、凡そ人類にとって不必要なものなのではないか? 怪物の論理の中にのみ価値を見出だし得るものに過ぎぬのではないか? 自ずとそんな疑念が鎌首をもたげていたのは、遅い夜が生み出す心細さの所為だけなのだろうか?
 きっと、夜闇の仕業に違いないのだ。そう自分に言い聞かせ、ここ数日の成果であったレポートを持ち上げるピエタリは。
「できた」
 震えていたかもしれない声を気取られないように、最低限の言葉とともに差し出してやった。
「よくできました」
 すると心の中を覗き込むかのように顔を近付けてきた黒子。思わず密かに息を止め、読まれまいと身を固くしたものの……結局は、起こったのは伸し掛かっていた羊皮紙束の重みが、手の中から消え失せたのみだ。
「内容は確認しておきましょう。貴方は明日に備えてよくお眠りなさい──」

 黒子の言葉はピエタリを安心させるための言葉だったに違いなかったが、その瞬間、少年の心の奥底で燻っていた思いが、あたかも凝り固まった抑圧が開放されるかのように突然の勇気へと姿を変えていた。すなわち、このどこか超然味を帯びた教師面の協力者に対し、自分は、人間は、そんなに理解した気になれるものじゃないぞと鼻を明かしてやりたいというちっぽけな欲望だ……。
 故に、ピエタリは今しがた自分が必死になって書き上げたレポートを指差して、こんなものが何の役に立つというのか、ただの衒学に過ぎないのではないかと問いかけてやった。
 黒子はしばし拳を顎に当て、微動だにせぬままピエタリの主張を聞いた。それからやおら立ち上がると、自ら来客用の椅子を引っ張り出すと座るようピエタリに促した。
「良い機会です。少し時間が掛かりますが、こういった疑問は明日には回さずにおく方が良いでしょう――」

●黒子の回答
「貴方の今までの経験上、幾つかの知見を得たと思います」
 黒子はすぐには彼の椅子には戻らずに、暫く室内を歩き回りながら語ってみせた。
「世の中には、利用するために平気で諸々を捻じ曲げてくる人達がいる、と。貴方はその一つの例をご存知でしょう」
「アドラステイア……」
 ピエタリがその単語を口にすると、黒子は満足そうに頷いたように見えた。
「しかし、かの街にはその事にすら気付けなかった者達が今もいる。何故か? そう、ある事柄が『捻じ曲げられているかどうか』を判断するには、捻じ曲がっていない『物差し』が必要だからです。これもまた貴方はよく理解したはず。
 では……その『物差し』とは何か? 多くの情報を入手し、分析/判断を経て蓄積することで得られます。これら3つの知見を既に貴方は得たと言えます」
 であれば、自分はピエタリに何を求めてレポートを課したのか?
「回答を先に述べるなら、『これらへの【私なりの】対策』になります……とはいえこの結論は、『棟梁』の実体験と『荘官』一門の伝統の双方からも賛同を得ているので独り善がりなものではないと考えてはいるのですが」
 そして『物差し』を醸成するための手段は……大まかに3つあると考えられるのだと黒子は続けた。

「ひとつめ。『蓄積する情報の入出力手段の習熟』です。これは言語と算術が該当します。言語に関しては……敢えて理由を説明するまでもないでしょう。人の思考は言葉として出入りするのですから。
 ご理解いただいているならば問題ありません。では、算術に関しては?
 ……ふむ。では少しばかり補足しましょう。早い話が、『数字と諸記号、それらを一定の法則で運用する筆記言語』と見方を変えれば『算術もまた言語』とも言えます。大雑把な感覚的なものではありますが、単語が意味を表すように、記号や数字も意味を表す。そして単語の並びに文法規則があるように、数式の計算順や法則等もまた規則であるとは言えないでしょうか?
 とは言え、情報とは、何もかもが言語の形で訪れるものではないでしょう……ではふたつめ。『今までの経験とそれを整理/分析したものの収集』です。即ち、社会と理科。対象が人の振る舞いであるか自然の振る舞いであるかこそ異なれど、統計から法則を見出す教科である、と考えておいてください。
 何故分けるか、ですか? いい質問ですね。両者は目的こそ類似したものなれど、本質的に異なる部分があるためなのです。自然はある種、機械的です。『働きかけが一定ならその結果は一定』と言い換えても良いかもしれません。一方で人の振る舞いは……ええ、『気分次第』と言えるかもしれませんね。勿論、自然とて『気分次第』に見える時はあるものですが、それは『未だ観測できていない働きかけがある』せいだとするのが理科的な考え方でしょう……その未観測を突き詰めていった時、『やはり自然が気分という概念を持っていた』と判る可能性もまあ否定できないのですが。しかしまあ、そこに至るまでの演繹が無駄になるわけではありません。この違いは先に述べた『入出力手段』の主軸が、理科は算術、社会は言語と異なるのとも対応しています。
 そして、みっつめ。前述の2つは道具ですから、まあ『使い慣れ』ねばなりません。衒学ですって? 今はそれで結構。武術が実戦にそのまま持ち込める訳でもない『型』を尊ぶのと同じで、実戦には『型』では超えられぬ事柄が現れるものです……それを超えるには、型がそうある理由を理解した上で『型破り』になる必要があると私は考えています。故に、『型』を学ぶのです……ああ、皮肉でも何でもなく、私も貴方ほどの歳の頃にそれを知れていれば!」

●夜更けて
 そこまで語ると黒子はピエタリに、もう休むように促した。少年は未だ納得のゆかぬ様子ではあったが、今ではないいつの日にかストンと腑に落ちれば十分だろう。
 少年は退出し、黒子はふうと一息を吐いた。そして……何もないはずのに目線を向ける。

「……というのが私なりの理解なのですが。さて、はどう思います?」

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