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ポインセチアが咲くように
登場人物一覧
――ジャバーウォックの一件から漸く立ち直った頃合いの街は、春めいた気候が漂っていた。
「澄原先生」
待ち合わせ場所に選んだのは、仮音の拠点として利用しているアパートに程近いコンビニエンスストアであった。
指定を行ってきたのは晴陽の側である。どうしてその様な場所を、と首を捻った昼顔ではあるが一先ずは仮音に晴陽との待ち合わせがあると声を掛けて二人で連れ添ってコンビニエンスストアにやってきた。昼下がりの時間帯、学生が出歩いているのも妙な時刻ではあるが今日は大事な用があるんですよと言いたげに昼顔はびくびくと身を竦める。
「ああ、こんにちは」
「晴陽先生、こんにちは。昼顔さんが周囲の目を気にしていたので遅れました」
「仮音氏……!」
あけすけと言葉を発するようになった彼女は十分に日常生活を謳歌していたのだろう。勿論、過去の記憶は存在せず――現状も昼顔に全てを頼って生活しているのは確かだ。
色素の薄い髪には花の飾りを、まだまだぼんやりとした萌葱色の瞳には僅かな生気が宿っただろうか。連れ立って店内に入った晴陽はそそくさと籠を手に昼顔と仮音に向き直る。
「少し込み入った話だと聞きました。仮音さんは必要な物品以外の購入をしませんし、昼顔さんもまだ学生です。
金額は気にせず菓子類や軽食を籠に放り込んで下さい。食事がまだでしたらデリバリーしても構いません。飲み物類だけでも購入しましょう」
「良いんですか?」
「ええ。貴女は嗜好品を贅沢だと思い込む所があるでしょう。此れは、年上の気遣いと治療だとして受け取って下さい」
小さく頷いた仮音は昼顔をちょいちょいと手招いた。コンビニエンスストアの菓子売り場だけでもこれだけ嬉しそうにしてくれるのだ。昼顔は何処か気まずそうに晴陽にぺこりと頭を下げた。
――正直なことを言えば、新しい1日が来るのを恐れていた。昼顔は次の日が来たという感覚を恐れて眠る事を拒絶していたのだろう。勿論、空腹を感じることもままならず食事を抜かすことも何度かあった。それでも、仮音の世話だけは全うせねばならないと彼女の元に顔を出す日々で彼女は昼顔の状態に気付いて晴陽にSOSを出したのだ。
『昼顔さんが不健康そうで食事もしていないので、一緒にお菓子やジュースを買って、食事もしたい』
晴陽から見ても昼顔はまだ17歳の年若い少年だ。まだまだ成長期の可愛い盛り。弟の龍成とも仲良くしていると聞き及んでいることから、仮音の言葉は聞き流せるものでもなかった。「分かりました」とだけ返して斯うして仮音の為にコンビニに遣って来たと言う理由で昼顔に食事を、と考えたのだろう。
「昼顔さんも、何か選びましょう? 晴陽先生が後でデリバリーで注文してくれるから、ジュースと菓子だけ。頼むのはピザがいいですか?」
「いや……その、拙者……僕は……」
「あたしが食べたい。一人で食べるのは無理じゃないですか?」
少し拗ねたような仮音の表情に、昼顔は肩を竦めた。表情が少し増えてくれるだけでも嬉しいというのに――自分は、どうしても割り切れないままで居る。
自らの命を対価に大切な人を救った彼等を肯定する為にも、自分もそうして身を削らなくてはならないのではないかと考えることが増えたのだ。
誰かを救うために、誰かが自らを犠牲にする。そんな連鎖ばかりで生きることを諦める人が居ないように。そんな事を考えながらも、自分の本心が陰った事を感じ取る。
曖昧に笑った昼顔に「晴陽先生は何を飲みますか?」と仮音は外方を向いた。
(……怒らせた……?)
唇を尖らせる仮音に昼顔は「あ」と小さく声を漏した。拗ねた様な仮音が晴陽の持っていた買い物籠に適当に菓子を放り込む様子を眺めている。
年の離れた姉妹のようにも見えるその様子に、昼顔は顔を伏せたまま大仰に息を吐いた。
――駄目だな。
彼女を支えるべきだと考えていたのに。精神的な不安定さが彼女にも心配を掛けている。ケアの結果、何も変わらなくとも、彼女を受け止めて上げようと考えたのに自分が斯うも不安定であることは彼女の将来にも影響を及ぼしてしまいそうで。
「昼顔さん」
買い物袋を手にしていた晴陽は「済みましたよ」と昼顔の肩を叩いた。びく、と肩を跳ねさせてから昼顔は「はい」と蚊の鳴くような声で返事をした。
仮音の暫定的な生活拠点として使っているアパートは晴陽が過ごしやすいようにと気を配って手配したものであった。家具などはシンプルなものが多いが、仮音に趣味などが芽生えた時に何時でもテイストを変更すると伝えてあったらしい。
最初は白色のカーテンを用いていた窓辺も今は可愛らしい花柄のものに変更されている。
「あ、カーテン、変えたんだ……」
「はい。昼顔さんは心ここに非ずだったので。……あたしから、みゃーこちゃんに連絡して、晴陽先生にお願いして貰いました」
澄原家のフィールドワーカーである澄原 水夜子も調子伺いに彼女の元を訪れることがあったのか、と昼顔は驚いた様子で仮音を眺め遣った。
昼顔の精神不安定の間に随分と仮音の周辺は変わってしまったようにも思える。衣服にも頓着しなかった彼女は私服も三着程度用意したらしい。其れ等も花柄のものや可愛らしいワンピースなど少女らしいものが多い。
「昼顔さんもお疲れのようでしたから、水夜子にケアを頼んで数着二人で選んで来て貰いました。
靴も新しいものを用意しましたから……シトリンクォーツの際などに一緒に出掛けてみては如何ですか?」
買い物袋をテーブルに置いてから鞄からタブレットを取り出した晴陽は仮音に「好きなものを注文して下さい」と手渡した。
冷蔵庫に飲み物類を入れ、袋から菓子類を取り出す晴陽の様子をまじまじと見ていた昼顔は「はい」と俯き気味で頷くのであった。
「昼顔さん、何れにするか選んで下さい。晴陽先生はどれでもいいって」
「ええと……」
「あたしはピザの経験がありません。あったかもしれないけど、覚えてないから。
だから、昼顔さんが初心者向けだと思うものを選んで下さい。宅配ピザなんて初めてです」
サイドメニューというものもあるんですね、とタブレットの画面を遷移させながら楽しげに話しかけてくる仮音に昼顔は唇をぎゅ、と噛んだ。
彼女を保護した責任が自分にはあった。
仮音(かのん)と呼び続ける事は彼女にとって失礼だと思う事もある。彼女のその身の色彩と花言葉を合わせてぴったりの名前は考えてきた。
だが――どうしても、其れを言い出す事が出来なかった。気に入ってくれるだろうか、護って上げなくては、支えて上げなくてはならない彼女に否定はされないだろうか。
昼顔にとっての仮音は『庇護しなくてはならない大切な存在』だった。それは愛だ恋だとは明確に違っているのだろう。自分が救った手前の責任感もある。だからこそ、不安定な自分が彼女に名前を与える事だけでも怖かったのだ。
「セ……仮音氏」
「はい」
「これとか、良いんじゃないかな。4種類の味があるし、店舗の看板メニュー……だし」
もごもごと告げれば「じゃあそれにしましょう」と仮音は晴陽を振り返った。頷いた晴陽が注文処理をしてくれている間に、仮音は購入してきたチョコレートを開けて、ソファーへと腰掛ける。
「昼顔さん、今日はあたしにお名前をくれるんですよね」
「――え」
どうしてそれを、とぎくりと肩を跳ねさせた昼顔に仮音は「分かりますよ」と肩を竦めた。
使いっ走りのようにフィールドワークの傍ら此方に寄る水夜子ではなく、晴陽を呼んだ。しかも、込み入った話になりそうだというのだ。
それならば昼顔が仮音に「仮の名前」として「かのん」と名付けた以上、正式な名前を与えてくれる為の場を用意した事位直ぐに推測できる。
「楽しみです。昼顔さんの選んだ名前」
チョコレートを摘まみながらそう言った仮音に昼顔は「気に入って貰えると、嬉しいけど」と呟いた。
幾許かの時間が経過してから、昼食が届いたとテーブルに皿を用意した晴陽に声を掛けられた。其れまでの間、晴陽はタブレットで病院の業務をしていたようだが昼顔と仮音は生活について話していた。希望ヶ浜学園での生活は難しいことが多いと仮音は言う。右も左も分からない以上、寮生活は恐ろしく斯うして拠点を外に持っている仮音の不安を取り除いてやるのも昼顔にとっては重要なケアの一つだったからだ。
食事を食べに行きましょうと立ち上がる仮音は「食べないつもりですか」と昼顔を睨め付けた。「いや」と言葉に詰まった昼顔を眺めてから、仮音は肩を竦める。
「何を考えていらっしゃるのか、分かりません。私には『そうした何か』が残っていないから。
けれど、今の私は昼顔さんが保護した立場です。私のために、今は食事をしてくれませんか。初めてなんです、ピザが」
「……そうだね」
肩を竦めて食卓に着けば、食事をしながら本題に入りましょう、と晴陽は言った。
そろそろ昼顔がこの場を設けた理由を話さねばならないのだろう。
「……ええと、仮音氏の名前について。
時間が掛かってしまって……その、ごめんなさい。自分なりに沢山考えて……保護者でもある澄原先生にも立ち会って欲しくて……」
申し訳なさそうに俯いた昼顔に仮音は「続けて下さい」と言った。
「それで――……セチア」
「せちあ?」
「セチア、というのは、どうかと思って」
その理由はポインセチアに由来するそうだ。クリスマスの定番とも思えるそれには「祝福する」「聖夜」「幸運を祈る」「私の心は燃えている」という花言葉がある。
カラーによってはピンクは「思いやり」や「清純」、白は「慕われる人」「あなたの祝福を祈る」と意味が変わる。
昼顔は仮音の身を懸念していた。夜妖によって人生を狂わされた彼女が、再起の道を辿るのだ。
――罪を犯したならば、その分だけ思いやりを持つ人に。色んな人に慕われる人になりますように。
――いつかその心に燃える物が宿りますように。
――僕は君の幸運と祝福を祈ってる。
沢山の意味を込めて、セチアと名付けたいと告げる昼顔に仮音は晴陽の様子をうかがった。
「良いのではないでしょうか。勿論、仮音さんが良ければ」
「……あたしに、そんな名前をくれんですか?」
気に入らなかったか、とびくりと肩を跳ねさせる昼顔に仮音は珍しく笑った。違う、と首を振ってから「セチア、良い名前です」と頷く。
「沢山考えて付けてくれたんでしょう。素敵な意味ばかりがあって、あたしでいいのかと思って」
「名字は、その、ポインセチアが猩々木だから……」
「それは厳つくないですか? あたしも女の子だから、もうちょっと可愛い方が良いかもしれません。
昼顔さんは星影で、可愛いです。あたしも、可愛いものにしたいです。晴陽先生はどう思いますか?」
唇を尖らせる仮音――セチアに晴陽はぱちりと瞬いてから。「お好きなものを」と頷いた。
「なら、
音という字が欲しいです。昼顔さんが私に仮音と名付けてくれた、音を忘れたくはありません」
どうでしょうか、とセチアは昼顔へと向き直った。
思えば、彼女にとって『仮音』と言う名前も新しく生きていく為の初めての贈り物だった。仮の名前だからといえども『カノン』と呼ばれることに彼女は慣れてきたのだろう。
だからこそ、似たような響きの文字が欲しかったと彼女は言う。
「
昼顔さんが、また選んで。あたしに教えて下さい。花音……がいいかもしれません。『仮音』と呼んでくれていたから」
ピザを手にしながらセチアは昼顔に向き直った。美味しいと頬張る姿を眺めてから晴陽は「セチアは決まりですね」と頷く。
彼女の名前に関しての処理は晴陽が一貫して行ってくれるのだろう。
後ほど、決定した後に晴陽に伝えてくれれば良いとのことである。昼顔にとっての信頼できる大人である晴陽はペットボトル飲料のお茶を傍らに置いてから、タブレットを鞄に仕舞い込む。
「それで、少し話したかった事があります。仮音――いえ、セチアさんが私に相談してきた事です。
昼顔さんの体調が心配である、とのことだったのですが……貴方の瞳の色のことです。怪異の影響を受けて瞳の色彩が変化している、とは見受けられますが、治療は……」
晴陽は其処まで口にしてから「していませんね」と断定するように言った。
夜妖や怪異への対抗だ。晴陽が己の身を削りながら、治療を行ってくれていることは良く分かる。友人である龍成の姉である晴陽の命を削ってしまうことが昼顔にとっては申し訳なかった。晴陽の側に言わせればそれこそが自分の仕事であり、医者である自分自身の責務でもある。
セチアの事もあるために昼顔は晴陽に負担を掛けたくはないとも考えていたが、どうやらセチア側から昼顔についての相談が行ってしまったのだ。それは盲点でもあったが、彼女が自身の事を信頼し、体調にまで気を配ってくれるようになったと思えば喜ぶべきなのであろうか。
「治療は、受けてません。セチア氏に心配させて……それは申し訳ない」
「構いません。治療を受けて下さい」
「セチア氏……」
――正直、セチアに名を授けた後は自分はこの場所から消えても良いと思っていた。晴陽なら信頼できる。セチアも晴陽が居ればなんとか生活できるはずだ。
名前を与えると約束したそれだけは護りたかった。だが、名前を決定するまでの間にセチアにも情が湧いていた、と言うべきなのだろう。昼顔のことを信用しているか信頼しているか、それはどちらかと言えば後者である。信用に足る存在であるかはこれからの生活で見定めるが、頼るべき存在であるのは確かだとセチアは真面目な表情で言った。
「放っておけば、何処かに消えてしまいそうです。
だから、昼顔さんは信用できません。あたしを保護したのに、勝手に食事もせずに弱っていく。あたしは其れを見ているだけ、腹が立ちます」
「……セチア氏、けど……」
「あたしは、戦えませんし、昼顔さんを止めることは出来ませんし、昼顔さんの力にはなれません。
ですが、あたしはここに待っています。待っているから……治療を受けて欲しいです。その目が怪異に触れた事で赤く染まるというなら」
俯き気味にそう告げるセチアに昼顔は所在なさげに俯いた。
晴陽の診断は『怪異に触れたことによる侵蝕の余波』である。その眸の色彩が変化する以外に現状は大きく影響を及ぼさないともされているが――
「龍成達と活動する中で怪異に触れることがあるかもしれません。そうした時には気をつけて下さい。
瞳以外に、貴方の外見に何らかの影響が出た時、その『瞳』を出入り口にして怪異が内部に入り込む可能性もあります。
目とは人間が認識するためにも重要なパーツです。その目が怪異に蝕まれたというならば、怪異はその出入り口を求めてやってくる可能性もありますから」
タブレットに昼顔のカルテを作っているのだろう、情報を記入する晴陽は「無茶はしないで下さい」と告げた。
「私にとっては、貴方はイレギュラーズ――つまり、澄原の仕事をお任せする相手ですが龍成にとっては友人なのでしょう。
私は弟の友人は多ければ良いと思っています。あの子は素直ではありませんし……姉として、心配しているのです」
「姉として、ですか?」
「彼も22歳。頭では大人だと分って居るのです。
ですが、離れている時間が長かったので、幼い頃がちらついてしまうので過保護に接してしまいますね。
……一応、燈堂一門に居候し、伸び伸びと彼らしく過ごしてくれるならばそれで良いとも思って居るのですよ。
暁月先輩――いえ、燈堂暁月には口が裂けても申し上げませんが」
セチアは「晴陽先生は弟が好きだもんね」と小さく笑った。幼い頃から、英才教育を施されていた晴陽にとって、龍成と何のしがらみもなく関わる時間は少なかったのだろう。
『出来が良かった』事が龍成にとってのプレッシャーとなり、晴陽にとっても龍成と関わる機会を失ったのは確かだ。
直系血族では無い事で晴陽の助手役になれと幼い頃から両親にせっつかれてきた水夜子などは逆に晴陽とのパイプを作るために傍に居た様だが、弟であった龍成がその様な行動を取る意味は無い。
「貴方が元気でなくては、龍成が悲しむのではないですか?」
心配そうな顔をして、困ったように笑う龍成が脳裏に過ってから昼顔はそうですね、と呟いた。
屹度、晴陽は自分のことなど二の次で弟のことばかりを大切にしようとしているのだろう。喪った姉弟の時間を取り戻すように。
――それは、昼顔にも良く分かった。セチアにだってそうして失せ物を少しずつ拾い集めて幸せになって欲しいと願っていたから。
「……また、何かあったら治療に行きます、その、澄原先生のご都合の良いときに……」
「晴陽で結構です。龍成も澄原ですから。友人の姉として気軽に接して下さい。
それに、セチアさんの保護監督者の一人でもあります。セチアさんに何かあれば気軽に申して下さいね」
小さく頷いた昼顔にセチアは早速と立ち上がってから「見たことないフレーバーのお菓子を食べてながら、あたしの名字を選んで下さい」と昼顔の手を引いてソファーへと導いたのだった。