PandoraPartyProject

SS詳細

15の罪

登場人物一覧

クラリーチェ・カヴァッツァ(p3p000236)
安寧を願う者
クラリーチェ・カヴァッツァの関係者
→ イラスト

 ――寒々しい冬の夜だった。びゅうびゅうと音を立てる風の音色を聞きながらクラリーチェはランプを手に見回りを続ける。
 厚くはない外套に身を縮め、白い吐息を吐き出したクラリーチェは敷地内に何かが落ちていることに気付いた。
 野犬か、それとも何らかのモンスターか。身構えながらも、放置は出来まいとそろそろと近寄って行く。
 それは人であった。肩で息をする彼は御伽噺の竜を思わす翼を有し、ぐったりとしている。
(……ドラゴンと呼ぶのでしたか)
 クラリーチェは倒れている彼に「大丈夫ですか」と緊張したように声を掛けた。青年はそろそろと顔を上げ浅く息を吐く。
「私はこの教会の修道女です。酷い怪我をなさっているようですが……動けますか?
 此処では凍えてしまいますから、一先ず手当を致しましょう。貴方がお許し下さるのでしたら、ですけれど」
 伺うように告げるクラリーチェのアメジストの眸を覗き込んだ男は緩やかに頷いた。
 まだ齢15の少女の華奢な肩では男を全て支えきれない。その足を引き摺りながら、ランタンの明かりを頼りに教会の隠し部屋へと男の体を運び込む。
 呻く声が聞こえ、痛ましい傷の応急手当をしなくては、と扉を閉ざしてからクラリーチェは尽力した。
 彼を引き摺った痕は寒々しい冬に降り積もった白雪が覆い隠した。
 それがクラリーチェ・カヴァッツァの15歳の罪の始まりである。


「……お早うございます。お加減は如何ですか?」
 がたん、と音を立てて隠し部屋の扉を開いたクラリーチェは手桶にたっぷりと入れた湯と浸したタオルを手に男の元にやってきた。
 朝の気配に瞼を上げた男は腕をのろのろと上げるだけだった。
「まだ痛みますか」
「……ああ」
「痛み止めも少しばかり用意しましょう。お体をお拭きしても?」
 男は頷いた。クラリーチェは応急手当も全て済ませなくてはならないとその体を湯で清めてから痛み止めの軟膏を体に塗り、包帯を巻き付けた。
「……お前はここの『修道女』か」
 痛みで朦朧としていた意識がはっきりしてきたのだろうか。男はのろのろと口を動かした。クラリーチェは小さく頷きを返す。
「……俺はアッシェ。仕事でトチって追われる身だ。この体じゃ、何処にも行けやしない。
 傷が癒えた頃に出て行くと約束する。……それまで此処に居ても構わないだろうか」
 クラリーチェは頷いた。アッシェも理解はしているだろうが、この場所は教会の隠し部屋だ。誰かが立ち寄る場所でもない。
 つまり、アッシェがこの場所に居る事はクラリーチェしか知らない状況だ。
 追われていると云うならばその方が都合は良い筈だ。此程の重傷患者を見捨てよと神様も言葉にはすまい。クラリーチェは「承知しました」と返して傷の手当を開始した。
 幾日も手当と食事の時間だけ、クラリーチェは決まった時間に従うように隠し部屋に訪れた。
 アッシェも傷の具合が良くなる事に少しずつ、自身の世話を行ってくれるクラリーチェに身の上を話す。
 自身が旅人である事。イレギュラーズと呼ばれる存在ではあるが、世界で生き抜くならば生活基盤は自身で用意したいと考えていること。
 その言葉にまだ年若い修道女は穏やかで温かな笑みを浮かべて頷いていた。そうですか、とそれ以上に踏み込む事はない。
 試しにアッシェが自身が召喚される前の世界の話をして見たが――クラリーチェは穏やかに微笑んで「その様な場所なのですね」と仔細を問う事はしなかった。
 今まで笑みを浮かべていると思っていた女の表情が張りぼてである事にアッシェは気付けない程に愚鈍ではない。
 手当の為に包帯を運んできたクラリーチェが手際よく傷の具合を確かめている様子を見下ろしながらアッシェは「シスター」と呼んだ。
「はい」
「シスターよ。お前の目には何が映っている? 何を考えている? ……そして、お前の名は何という?」
 名乗りもせず「この教会の修道女です」とだけ身分を明かした女のかんばせをアッシェはまじまじと覗き込んだ。
 深いアメジストの瞳の真意は今まで読めなかった。だが、大仰にその瞳が揺らいだのだ。
「わ――私は『修道女』。個を指す名などとうに捨てました。どうしてそのようなことを?」
 動揺を直隠すようにクラリーチェの表情は直ぐに常のものへと戻る。アッシェは見逃すまいと彼女をまじまじと見遣った。
「そうか」
 アッシェはそっと目を伏せてからそれだけ言った。

 それ以上問われなくて良かった、とクラリーチェは部屋を後にしてから息を吐いた。
 壁に凭れ、ずるずると座り込む。
 クラリーチェ・カヴァッツァ個人に興味と関心を持つ人間など、殆ど居なかった。
 敬虔なる修道女として、信仰の柱となるようにと育てられたのだ。育ててくれた教会の関係者さえクラリーチェに求めたのは篤き信仰の心である。
 興味を持つ人間など、居なくて良かった。
 常に人の生と死を見詰め、心の迷いを受け入れて、祈りを捧げるだけの日々だった。求道者として、その道が正しいと認識していたのだ。
 とうの昔に全てを諦めていたのだ。天に帰る日を待つだけの『クラリーチェ』など、誰の目にも留まる必要も無かった。
 只の修道女であれば良かったというのに――

 ――『私』を暴かないで。『私』を知って。

 二律背反する気持ちを抱きながら、クラリーチェはアッシェの手当を行い続けた。アッシェもその日以降は何も問うことはない。
「随分と傷の具合も良くなりましたね」
「ああ。怪我も随分と癒えた。明朝になれば此処を出る。お前には世話になったな」
 クラリーチェはゆるゆると頷いた。此れで彼との関係も終わりだ。ここから先は『何時も通りの修道女』に戻るだけなのだから。
「かしこまりました。貴方の道行きに幸せがありますように」
 祈りの言葉を捧げ、一礼してから部屋を出ようとしたクラリーチェの腕をアッシェはぎゅっと掴んだ。
 唐突の事に驚愕し振り向いたクラリーチェは掴まれた腕をまじまじと見下ろす。
「……『クラリーチェ』、お前はこれからも、そうやって生きていくのか」
 はた、とクラリーチェの動きが止まった。
「……どうして、私の名を?」
 名乗った覚えはない。だと、言うのに彼はクラリーチェの名を知っていた。この地で生活する間に時折部屋の前を通りかかった彼女が『クラリーチェ』と呼ばれていることをアッシェは聞いていた。彼女が持ち込む看病の品にも時折私物が混ざっていたのだろう『クラリーチェ』の名が刺繍されたハンカチーフなどもあった。
 名を呼ばれたクラリーチェはゆるゆるとその腕を下ろす。アッシェが掴んでいた腕を離せば、だらりとクラリーチェの腕は垂れ下がったままとなった。
「……『クラリーチェ』、お前は全てを諦めている」
「……どうして」
 どうしてそんなことを言うのかと問いたげなクラリーチェの腕をアッシェはもう一度掴んだ。
 其の儘引き寄せられれば彼の胸の中にすっぽりと飛び込む事となる。クラリーチェは抵抗する事もなかった。
 彼は生きる為に全てを受け入れてきた。それから生き抜く道を探すために此処を出て行くのだ。『私』とは違う――クラリーチェはゆるゆるとアッシェを見上げる。
 美しい色彩の眸だ。光の角度で色味さえ変わって見える。
 見蕩れるようにその眸を眺めていたクラリーチェの頬にアッシェは手を当てた。
「クラリーチェ」
 呼ばれた名が――どうしようもない程に、苦しい。

 全てを暴かれる感覚があった。
 笑顔の裏に隠してきた本音を、秘匿してきた自分自身を彼が丁寧に暴いていくかのようで。
 目の前には匿う切欠となった傷が癒えた男の裸。穿たれていた腹の皮膚は塞がり、幾分か痛ましい痕が残されている。
 クラリーチェはそっとその傷に手を伸ばし――アッシェに指先を絡め取られた。
「俺がここに残ることも、お前を連れて逃げることも叶わない。だが、心をお前にやろう」
 アッシェはクラリーチェの掌を己の左胸へと押し当てる。人間の生の気配、脈動、体温。クラリーチェはひゅ、と息を呑んだ。
「心を?」
「ああ」
 そっと、クラリーチェの右手にナイフを握らせた。其の儘腕を誘って左胸へと押し当てる。ぷつり、と肌を裂く感触にクラリーチェは目を見開く。
 アッシェに握り込まれた腕は、彼の左胸に十字の傷を刻み込んだ。
 赤い血がナイフから滴り、クラリーチェの指先をも汚して行く
「この傷を見る度にお前の幸せを祈ろう」
「――……ならば、私にも同じものをください。私に心があるというならば、それを差し上げます」
 心なんて必要なかった。心があるとはクラリーチェは思わなかった。
 戸惑うことなく衣服を脱ぎ捨てて、クラリーチェはアッシェにナイフを手渡した。
「下さい」
 再度、告げればアッシェは幾分か目を伏せてからその胸へと刻む。
 痛みに、引き攣った声が漏れた。外には悟られぬように、くぐもった声を布に押し当て堪える。
 血に濡れた左胸。同じ位置の揃いの――
「これは『修道女』としては持ってはならない気持ちを、貴方に差し上げた証」
 肌を寄せれば、傷口の熱が混ざり合う。ただ、揃いのそれを持っただけで『クラリーチェ』を連れて行ってくれるような感覚だけが残された。
「ああ」
 青年は呟いてからクラリーチェの傷を撫でた。痛みにじくじくと響いた傷口にクラリーチェは目を伏せる。

 ――瞼を上げれば朝が訪れていた。己の体の上からずり落ちたのは青年のマント。
 周囲を見回せど、アッシェの姿はない。
(……行ってしまった)
 痛みの残された左胸の傷跡を確認してからクラリーチェは傍らに残された紙片をそっと手に取った。

『傷が癒えた頃にまた会おう』

 うそ、とクラリーチェは呟いた。
 優しいうそだ。いっそ、連れて逃げてくれれば良かったに、そう思った心だけ彼は連れ去った。
 此処に残されたのはただの空っぽの修道女。
 あの感情の名前を、クラリーチェは知らない儘――

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