PandoraPartyProject

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しがらみと空白

登場人物一覧

鹿王院 ミコト(p3p009843)
合法BBA
鹿王院 ミコトの関係者
→ イラスト


 カコン。
 水の重みに耐えかねて、竹が頭を垂れる音がする。
 時折耳にするなら心地よいものだが、絶えず聞き続けるハメになるとそのような感情も薄れてくるものだ。むしろ、牛歩のように進む時間のことを、疎ましくさえ感じ始めている。
 もう、四半刻。四半刻も何もせず。否、何もできず、こうして正面を向いたまま、その音を聞くことしか出来ていないのだから。
 場所は鹿王院家所有の庭園。時間は昼下がり。隣には彼の婚約者である鹿王院なごみ。彼女もまた、何もせず、あるいは何も出来ず、ただ設置された腰掛けに座ったまま、その時間を無為に過ごしている。この状況は何なのかと、ナナセは内心で頭を抱えていた。
 その日は、午前中に詰め込まれた仕事を終えれば、その後は特に予定がない日のはずだった。ところがスケジュールを確認したところ、この庭でなごみと時間を取る旨が追加されていたのである。
 見覚えはない。秘書に尋ねても頭を下げるばかりで、仔細を教えてはくれない。それ以上を追求するのもかわいそうになって、大人しくこの庭に脚を運んでみたのだが。
 本当に、この状況は何なのだろう。
 空を仰ぎたくなる衝動を、ぐっとこらえて前だけを見つめている。はじめ、なごみが自分に何か用があるのだと思っていた。それには少し、ほんの少しだが、期待をしていたものだ。
(可能性は限りなく低いが)プライベートな話なら嬉しい。妥当なところ、仕事の話であるのだろうが、それでも顔を合わせられるのだから、それでも良い。そんなことを少しだけ、ほんの少しだけ考えてはいたのだが。
 蓋を開けてみれば、なごみは挨拶を交わしたきり、何も口に出さず、虚空を見つめている。ただ無為に過ごすくらいなら、顔を見て何か言葉を交わしたいところであったが、場の異様な空気がそれを否定させていた。
 見られている。巧妙に視界から隠れてはいるが、視線を感じている。しかし悪意ではないため、それを指摘はしていない。気配は知っているものだ。鹿王院に属するもの。だから、彼らの行動は監視ではなく、護衛なのだと察していた。
 必要なのだ。鹿王院当主であるナナセはともかく、隣に立つ、なごみには必要なのである。
 鹿王院なごみに戦闘技能はない。一般的な術者の域には達していても、鹿王院としては見られたものではない。瞳術の類もなく、その細腕では武力も見込めない。
 だから、彼女には護衛が必要なのだろう。それは理解できるのだが。
(落ち着かない……)
 見られているのがわかっていて、それでいて何もしない時間。本当に落ち着かない。この『予定』に何の意味があるのか、ナナセはまた、頭を抱えたい衝動にかられた。その時だ。
「ごめんなさい、ナナセクン。あの人が無理を言って」
 なごみが口を開いた。そのことに驚いた顔をせぬよう、意識を言葉の意味に這わせてみる。なごみがいう、あの人というのは―――
「あら、聞いていないかしら。これはあの人が無理にねじ込んだものなのよ。ナナセクンが午後からフリーだと聞いて、私と会う時間を無理矢理つくらせた。当主の時間にさえ自分の我儘を通そうとするだなんて、呆れるわ。秘書の子、泣きそうだったんじゃなくて?」
 なごみの言う、あの人というのは彼女の母親のことである。その言いぐさから、あまり親子関係が良好でないのは見て取れるだろう。たしかに、なごみの母親にはそういうところがある。
 細かいところで、鹿王院内での権力を行使しようとするのである。度が過ぎればナナセやミコトの怒りに触れようものだが、今回のように、少し困る程度の範囲でのみその力をふるう。なんというか、強かであるのだ。
 頭を下げていた秘書のことを思い出す。たしかに泣きそうな顔をしていた。当然だ、権力者の板挟み。今回の一番の被害者は彼女かもしれない。後で何か、労うものを贈っておこう。
「あの人、まだ諦めていないみたい。今でも十分過ぎるくらい、自由に振る舞っているでしょうに」
 それで合点がいった。どうしてナナセの予定に、なごみとの会合が含まれていたのか。
 鹿王院なごみをナナセの婚約者として推したのも、彼女の母親である。正直なところ、婚約者の中になごみの名前が上がったとき、ナナセは喜んだものだ。それが彼女自身の意志ではなかったと知って、後で落ち込んだものだが。
 今回も同じような気分である。この会合自体、なごみが望んだものではなかったのだから。
 内心で落胆し、しかし表には出さぬよう取り繕っていると、なごみがこちらを向いていることに気がついた。先程の、少しキツイ物言いとは反対に、優しい目でこちらを見ている。これが一番、表情を出さぬように苦労したものだが。
「怒ってる?」
 少し、考えに耽りすぎたかもしれない。何も言葉を返さない自分のそれを、怒りの現れかと勘ぐったのだろう。
「いいえ、空いていたのは事実ですから、特に怒りを感じてはいませんよ。それでも、そうですね。秘書には後でなにか、贈り物をしておきましょう」
「あら、それはそれで気が重いかもしれないわ。他の娘達の嫉妬に晒されたりしないかしら」
 その言い方にもう、棘はない。彼女がくすりと笑うだけで、先程まで感じていた緊張感も、溶けていく気がした。
「そんなわけだから、もう少し付き合って頂戴。私とナナセクンが同じ時間を過ごしたと言うだけで、あの人は満足すると思うから」
 そうやってまた、前に向き直る。それでも、無為に思えた時間がこの会話だけで報われたような気がした。少なくとも業務的な話ではない。なごみ自身の内心は伺えずとも、今は婚約者としてふたりでいられるのだ。
 それはなんだか、幸せな時間であると思われた。


「3五角」
「同、飛車」
「5六角打」
 幸せな時間とか気の所為な気がしてきた。
 仕事の話もなく、かと言ってプライベートな話に花を咲かせることもなかったふたりは、早々に会話のネタが尽き、どちらから始めたのか、気がつけば将棋を指していた。
 しかし、ここに大っぴらと将棋盤を広げるわけにはいかない。護衛と言えど、視線の彼らは報告の義務も受けている。ナナセとなごみの様子がどうでったのか、それは後でなごみの母に伝わってしまうだろう。
 そこで将棋を指していたなどと伝われば、またこのように無茶を言い出すともしれず、ふたりならともかく、周囲まで迷惑を被ることになるのは目に見えていた。
 そのため、ふたりは盤も駒もなしに将棋を行っている。つまりはエア将棋である。まさか護衛者も、ふたりが記憶力だけを頼りに指しているなど想像もしまい。そもそも、男女がふたりで時間つぶしにエア将棋するとか本当に誰も思うまい。
「……なごみさん」
「あら、もう手詰まり? ナナセクン、昔より弱くなったんじゃない?」
「いえ、そうではなく」
 確かに、なごみと過ごす時間は嬉しい。仕事の関係ではなく、ただの親戚ではなく、誰かの思惑であったにせよ、少なくとも本当に婚約者としていられるのだ。
 その思いを口には出すまいが、それでも噛み締めたいものであることに違いはない。
 でも違う。
 エア将棋は、なんか違う。
 脳のリソース持っていかれすぎて幸せを噛み締めにくいし。
「まあ、そうね。そろそろ、良い時間かしら」
 手首に巻かれた腕時計に目をやって、なごみが言う。こういう時、華美にすぎない、しかし流行りを抑えた小物を身に着けているところを見ると、彼女らしいと思えてしまう。
「もう、そんな時間ですか」
 気がつけば、それなりに時は進んでいたようで。貴重で幸せな時間を、無言の虚無とエア将棋で浪費したのかと思うとなんともないやるせなさでいっぱいになりそうだった。
 心の中でため息をつく。かと言って、選択肢があれば何が出来たというわけでもない。その証左に、わけもわからず突っ立っていたのだから。
「2時間と、7分。頃合いね。あの人も、満足するでしょう」
 彼女は、鹿王院なごみは、婚約者であるという身分に固執したり、甘えるような素振りを見せたことはない。年齢から来る焦りや、生き急いだ行動を見せたこともない。少なくとも、ナナセの前では。
 それが鹿王院として生きていく形なのだと。非才の身でありながら、鹿王院を冠することに何ら引け目を見せないその姿は、ナナセにとって、いつも眩しいものだ。
 我儘を言わず、しかし媚びるでもなく、正しく、鹿王院なごみは鹿王院なごみであることを放棄しない。彼女はどこまでも、認識されるままの鹿王院なごみであるのだ。
「―――」
 何かを言おうとして、やめた。何を言おうとしていたのかまるで思い出せず、最初から、何も言うことが見つからなくて、それを表す言葉が見つからなくて、何も言えなかったのかもしれなかった。
「なあに?」
 自分から、彼女になにかしてやれることはない。何か出来たとしても、きっとそれを、彼女は喜ばない。与えられるばかりを良しとせず、与えられるままと否という。ナナセにとって、なごみとはそういう人間だ。だから。
「いいえ、なんでもありません。行きましょうか」
 そういう、当主らしい顔を見せるのが精一杯。彼女は当主の婚約者であり、彼女は当主の為に時間を割いていた。そうすることで、彼女の地位は守られるのだ。それはナナセが、なごみにしてあげられるせめてものこと。きっと、その行為も、ナナセがそう振る舞う意味も、なごみは理解しているだろう。きっと顔には出してくれないし、何も言ってはくれないだろうが。
「そうね、じゃあ行きましょう」
 そう言って、なごみが手を差し出してくる。
 手を差し出してきた。
「……え?」
 不意打ちだった。
 これはアレだ。エスコートというやつだ。つまり、ナナセはこの手を握って良いのである。握り、引いて、共に歩いて良いと示されているのである。
 突然の、しかし確かに婚約者らしい行動。しかし気持ちを押し込めるナナセからすれば、サプライズにも等しい。その手に触れて良いのだろうか。その手を握って良いのだろうか。それらしく振る舞って、良いのだろうか。
「あの、人目もありますし」
 日和った。鹿王院当主、日和った。みんなが見ているところで手をつなぐなんて恥ずかしいって言ってしまった。
「ええ、そうね。だから、人目を気にしなさい」
 その言葉で、なごみの行動に納得がいく。
 なごみを護衛をしている、視界に映らない彼ら。彼らはなごみの母に、今日の会合がどのようであったか報告する義務がある。何もなかったとなっては次にどのような行動に出てくるかわからず、かといって明らかな進展を見せたとあっては、他の婚約者にも角が立つ。彼女はそのバランスを保たねばならないのだ。
 落胆と尊敬の念が同時に湧き上がる。何もこのようなことまでと思う傍ら、どこまでも『鹿王院なごみ』を貫く彼女が、美しく、誇らしいものに見えてならなかった。
「そう、ですね。そうしましょう」
「どうしたの? 何かあって?」
「いいえ、なんでもありませんよ。では、お送りしましょう」
 その手を取って、歩き出す。送ると言っても、ほんのそこまで。スケジュールがほんの少し噛み合っただけで、よくよく顔を合わせるわけでもない。次に会えるのが何時になるのか。当主であるナナセにもそれはわからない。
 それに、それを望んでもいけない。そのような行動は、彼女の意思と振る舞いを無下にするものであるのだから。
 その手を握る。忌避のないようにしっかりと。しかし痛みを伴わないよう気遣いながら。
 前を向いてしっかりと、誰が見ても当主であるという顔をして。
 それでもその温もりに、少しくらいはドキドキしたって、罰は当たるまい。

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