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有毒Do or Not
登場人物一覧
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それは買い出しにいこう、と。二人で並んで街を歩いていたときのことだった。
二人で暮らすには色々と必要なものもたくさんなのだ。幻想の街はいつだって人が多いから、と。少しだけ拗ねたような道――スラムを通ったのがよくなかったのかもしれない。
幻想の街は治安にも上下がある。スラムは言わずもがな下だ。
それは人々の纏う恨めしげな気配であったり、店の安っぽくて、それでいて底の見えない雰囲気であったり。キャッチの女達の目が獣のようであったりと、もうそれは様々な理由があるのである。
金のみをターゲットとして近寄ってきた、化粧の粉の香りの強い女。シルヴァの表情は曇るが彼女らは適当に追い返そうとすればするほど粘着質になるだろう。そういうものである、と。知っているから。
「お兄さん、お暇?」
ねちゃ、と。絡みつくよな声に、思わず笑みがひきつるが。ここはきっぱりと断らねばならない。
「あー……今は連れがいるんでね」
と語らう金を見たのが昼過ぎのこと。
豊かな四肢を巧みに扱い笑みを浮かべた女。連れと称された少女――シルヴァをみれば、くすくすと嘲笑って。
「あら、今は『妹さん』とお出かけかしら? また夜にでも会いに来てちょうだいね」
「……ああ」
優しさを見せたのがまちがいだった、と。金は後悔することになる、否、今その後悔の真っ直中にある。あーあ!
嫌な予感がすると思いつつも見ないわけには行かないので、そろりと目下の乙女をみれば。必死に平静を保とうとはしているものの、頬がぷっくり膨れている。
(…………)
取り繕うような真似をすればきっと、さらに不機嫌になってしまうだろう。大人しくまっすぐ家に帰ることにしようと内申でため息を付いたその時のことだった。
「……すまない、少し買うものが増えたので、先に帰っていてくれないか?」
「? それは別に構わないが……」
「ありがとう。じゃあ頼んだ」
シルヴァは二人で半分こしていた荷物をすべて金に押し付ける。それはあてつけか、はたまた怒りか。慌てて受け取るも両手は既に一杯、先程の女性のことを少し恨めしく思う金なのであった。
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金が帰ってから一時間後。シルヴァも無事に目当てのものを変えたようで、なにやら紙袋を持って帰ってくる。
女性には必要なものもたくさんあるから、きっとそういう類のものだろう、なんて心配することはなかった金。彼女も飲むだろうと思って、アイスコーヒーを追加でグラスに注ぐ。彼女の飲む分はミルクを多めにがお約束。
「ただいま。荷物を置いてくる」
「おかえり、カフェオレはいかがかな」
「頂こう」
承諾を頂く前に作り始めていたのは事実だけれど、彼女が飲まなければ自分が飲めば良いのだから大した問題ではない。
それよりも損ねてしまった彼女の機嫌をどう取り戻すかが問題なのだが――
(やれやれ、これは面倒なことになってしまった)
興味もない人間にかき乱されるのはなんとも不愉快でたまらない。そしてそんな人間に心を乱されるほど金は子供ではないと知っているだろうが、それでもシルヴァは心を乱されている。なんとも心の余裕が足りなかったのだろう、これからはこまめに愛情を伝えていかなくては。
なんて思いながらテーブルにカフェオレを運ぶ。己の分はブラックだ。
(……さて、どうしたものか)
うんうんと唸っている金の横に腰をかけたのは――
「??!」
――スモーキーチャイナを纏ったシルヴァだった。
「……ええと。それは、どういう?」
冷静を必死に取り繕う。シルヴァは気付いていないようで安心したけれど、金の胸の内は混乱と動揺と興奮で溢れている。
普段は嫉妬をすることも少ない――いや、隠しているシルヴァが、こうも明確に嫉妬を示しているのがたまらなく嬉しい。
緩みそうになる口元を押さえてシルヴァを見つめる。その表情には恥じらいも浮かんでいるが、同時に酷く執着の色が滲んでいた。
「なあ」
「……うん」
「ああいう綺麗でセクシーなお姉さんが好きなのか?」
――ああ、かわいい。
どうしてこんなものを、と己に困惑しているのであろう。けれどこうでもしなければ、金が離れていくとも考えたのだろう。
確かにシルヴァよりも彼女たちのほうがいくらかは豊満で、セクシーだ。けれどそんなことをされようとも金は彼女らには靡かない。心底シルヴァに惚れているからだ。
案ずる必要はないのに、とはいわない。折角ならば彼女の『努力』をしかと受け止めねば。
「今から……金のことを、誘惑する、から」
「ああ……うん」
そんなにもストレートに誘惑を宣言するものがいてたまるか。
シルヴァは酷く真剣な顔をして金をソファの上に押し倒す。ぎし、と深く沈みこんだスプリングは忌々しげに音を吐く。
照明を消して赤らんだ顔を隠したシルヴァ。無防備な太ももを通る太い血管から、彼女の拍動がいかに早いかを示している。たまらなく、愛おしい。
緊張で荒くなる呼吸を聞き思わず頬を撫でれば、ご不満なようでたまらずそっぽを向かれてしまう。可愛い。
白い肌に黒いレースのスモーキーチャイナはなんとも刺激的で蠱惑的だ。彼女が自らそれを選んだのだろうか、と思うとなおさらに。
シルヴァは金の上で四つん這いになっているから、必然的にシルヴァの銀糸が金の頬を擽る。
何をしようかと考えているのだろう。彼女はいつだって真剣で、素直だ。そんなところも愛らしくてたまらないのだけれど。
同じシャンプーを使っているはずなのに、それなのにシルヴァは酷く甘く香るのだ。
「……私の方を見ろ」
普段は大人びていて、つんつんしていて。甘えることもねだることも少ない彼女が、今はこんなにも甘えている。
緩む口元を隠すことはもうやめた。彼女の瞳とまっすぐに目をあわせれば、彼女の方から目をそらしてしまう。ああ、かわいい。
「……」
ちゅ、と。頬や角に触れるだけのキスが落とされる。
それはまるで自分だけを見ていてほしいのだと告げるようで。小さな熱をもった雨が、いくつもいくつも、金に降り注ぐその多幸感たるや。
何が起きているのかと冷静になってしまっては魔法がとけてしまう。こういうのは押し通した方が勝ちなのだ。
「……シルヴァ」
「何?」
「無理は、しなくていいんだ」
肌と肌とを僅かに隔てただけのスモーキーチャイナは、シルヴァがひどく熱くなっているのを容易に伝えていた。
それでは意味がないのだ、と拗ねる子供のように首を横に降るシルヴァを嗜めるように頭を撫でた金は、そのままシルヴァを反対にソファに押し倒してしまう。
「……誘惑の仕方を教えたつもりはなかったんだけどな」
「勉強した方がよかったか?」
獣になりそうな己の本性を押さえつけて、金は余裕綽々といった表情を浮かべる。すべては彼女をリードするため。大人であれ、紳士であれと心を必死に保っているのだ。
……だから。こうも可愛らしい側面を見せられては『困る』。
「……っ」
「大人の男を誘惑したら……どうなるかもわかっているんだろう?」
唇を奪い、長めのキスをする。柔らかく曲線を描いた腰にそっと手を這わせ、彼女に寸分の逃げ場すらも残さない。少々『大人げない』キスに動揺しつつも、シルヴァは金の首に手を回し、言葉少なくねだってくるのがいけない。
「まったく……大した女を恋人にしちまったなぁ」
黒のリボンがほどけていく。
後にシルヴァが語るには……三割ましで大人げなかったのだとか。