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一羽の鳥に白を塗る
登場人物一覧
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りりん。
りりん。
「……?」
ローレット、幻想本部。
今日は友人であり情報屋でもあるグレモリーを食事に誘おうと思って訪れていたベルナルド。
(兎角、グレモリー・グレモリーという男は食事をしない。食事をしながら絵を描いていればまだ良い方で、時には水分補給すら忘れて絵に没頭するのだから、ベルナルドとしては放っておけないのだ)
声を掛けようとした其の刹那、ふと鈴の音が耳に入って周囲を見回した。
「グレモリー、さん」
「きみは閠」
「はい」
鈴の音の主は直ぐに見つかる。白い髪に、白い衣服。目元を隠す黒い布。まるで絵画から飛び出して来たかのような神秘的な存在に、気付けばベルナルドは視線を奪われていた。
あの髪の白を表現するには、どの絵の具が良いだろう。
衣服と髪を異なる白で表現するには、如何したらいいだろう?
――声を掛けてみたい。けれども、突然“絵のモデルになって欲しい”だなんて、グレモリーを介したとしても(彼が名前を憶えているという事は知人なのだろうし)怪しいのではないだろうか。
うんうん悩んでいるベルナルドを、グレモリーが見付けない訳がない。
「?」
「で、……あの、どうしました、か?」
日常の話をしていた閠だったが、グレモリーの視線を辿ると一人の男に行き着く。そういえば、いつか遊興船で出会った顔のような気がする……けれど、直接の知人ではない。己の周囲を護ってくれているシロとクロが、相手から閠に意識が向けられていると警戒し、唸っている。
……何だろう? 何か落とし物をして、拾ったとか?
閠は己の懐を探る。落し物はしていないようだ。
「あのベルナルド、怪しいね」
「えっ」
グレモリーは容赦なく言い放つ。
「ちょっと話をしてくるので、其処で待ってて」
「は、はい……」
――ベルナルドは悩んでいた。
声を掛けたい。彼は絶対に、絵になる。
だがこんなオッサンが声を掛けても良いものだろうか?
「ベルナルド」
明らかに怪しい誘いじゃねぇか?
いやでも、グレモリーに怪しくない事を証明して貰えれば或いは?
「ベルナルド」
「いてっ」
丁寧に整えられた髪、おいては頭をぺちりと叩かれて、ベルナルドは正気に還る。はっと前を見ると、グレモリーが無表情のまま此方を見ていた。
「どうしたの、怪しい顔して。怪しい事考えてたの」
「いや、……あの、白い兄さんだが」
ええいままよ。
思い切って話を切り出してみる。グレモリーはベルナルドの視線を辿り、閠だね、と呟いた。先程もそう呼ばれていた。彼は閠、というらしい。
其の先をベルナルドが紡ぐより先に、グレモリーが口を開いた。
「君の言いたい事は判る。モデルにしたいんでしょ」
「……!」
「何故なら、僕は既に閠をモデルにしたから」
えっへん。
ちょっと自慢げなグレモリー。審美眼はベルナルドと同じらしい。
「怖がらずに声を掛けてみなよ。何か言われたら僕が助け舟だすから」
「ありがたい……! でも、結局俺が声をかけるんだな」
「そうだよ。君の絵だからね」
言うとグレモリーは背を向けて、再びカウンターへと戻る。不思議そうに此方を見る閠という青年にベルナルドは意を決し、近付く。
「よう、こんにちは」
「……こんにちは」
「俺はベルナルド=ヴァレンティーノ。其処のグレモリーの友人で、画家をやっている」
此処まではベルナルドの計算通りだった。
けれど。
閠は画家、と聞いたとたんにきらきらと表情を明るくしたではないか。
「画家……! 絵を、描かれるんですか?」
「ん? あ、ああ」
「ベルナルドは青が得意なんだよ」
「青……!」
きらきらきらきら。
閠の純粋な憧れの視線(布で隠れてはいるが)を受けるベルナルド。うっ眩しい。
「海とか空とか、そういうのが得意なんだ」
「……そう、ですか……海、空、……」
見てみたいなぁ。
閠の雰囲気がめちゃめちゃにそう言っていた。
これにはベルナルドも苦笑い。勇気を出して声を掛けたが、そう難しく考える必要はなかったようだ。相手はきっと、絵を見るのが好きな手合いだろう。
「此処から少し行ったところに俺のアトリエがある。来てみるか?」
「!!! い、良いんですか……?」
●
「グレモリーも来るのか」
「君が閠に無体を働かないようにね」
「しないが!?」
「無、体……?」
「いやなんでもない。なんでもないぞ」
グレモリーはベルナルドには容赦なく冗談を浴びせる。余り笑えないジョークが多いのが悩みの種だ。
不思議そうにする閠を宥めながら、アトリエの扉を開く。
閠は一歩踏み出すと、黒い布で隠された目で周囲を見回した。
「……結構広い、ですね」
「判るのか?」
「あ、はい。音の、反響で……」
――エコーロケーション。
音の反響で周囲を把握して、難しければ霊魂のシロとクロに手伝って貰う。ギフトを封じる為に眼を隠さなければならなかった閠の、第二の目とも言えた。
「……閠。少し絵を見て回るかい」
「い、いいん、ですか……?」
「僕とベルナルドは入り口で喋ってるから。モデルになってる間は眼を動かす余裕もないと思うから、今のうちに見て回ると良いよ」
「ああ。作りかけの絵ばかりだが……」
「いいえ、……見られて、光栄です……!」
「……俺達は入っちゃ駄目なのか?」
ベルナルドは閠のギフトを知らない。
目隠ししているのには何か意味があるのか、と隣の友に問う。
「僕も詳しくは聞いていないけど、閠は目隠しを絶対に人前では取らないんだ。何かあるんだろうね。でも、絵を見る分には大丈夫。僕のアトリエでも大丈夫だった」
「そうか……いや、目隠しをしたままでも、十分モデルにはなり得るな」
「でしょ。白い鳥みたいだよね」
「……鳥、か」
変化で隠している翼が、しくしくと痛んだ。
知っている。翼をいっとう好む聖女を、知っている。
「……“彼女”には、会わせられないね」
グレモリーが静かに言った。
ベルナルドは頷いて、……スキットルの中の紅茶を、こくりと飲む。
「グレモリーさん、ベルナルド、さん……!」
声がかかって、二人は振り返る。嬉しそうな閠が、ありがとうございましたとベルナルドに頭を下げた。
「作りかけばかりでつまらなくなかったか?」
「いいえ……! あの、海の底の、絵……! とても、素敵でした……! 海の底に、都があったら……とても素敵だろうな、って……」
「あれはいま描きかけの絵でな。もう少しすれば完成して、世に出せると思う。出す前にもう一度見に来るか?」
「良いんですか?」
「ああ。売れちまったらもう見られないと思うからな」
で、だ。
ベルナルドは此処まで閠を連れてきた理由を、漸く口にする。
「閠」
「はい」
「……絵のモデルになってくれねぇか?」
「え」
シロとクロは、ベルナルドは敵ではないと認識したのか、閠の周りをくるくる回っていた。
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「もう少し顔を右だな」
「こ、こうですか?」
「ああ。そのまま少しだけじっとしててくれ」
白い翼。白い衣服。白い髪。
閠はあらゆる白を試すには非常に好条件な人物だった。
ベルナルドは“こんなオッサンに誘われても嬉しくないかもしれねぇが”と苦笑いしたが、閠は少しだけ霊魂と会話した後、“そんなに変わりませんよ”といって二人を驚かせた。実際何歳なのかは判らない。何故なら二人とも年齢がUNKNOWNだから。
けれど、閠にはベルナルドはとても控えめで真面目な人物に見えたのだ。自分が絵を見て回っている間、決して彼は振り向かなかった。きっとこの黒い目隠しの下が気になっているだろうに、終わった後もそんな素振りを見せないで。
だから、モデルになってくれ、と言われて、勇気を出して頷いた。
以前グレモリーの絵のモデルになった事もあるけれども、其れはある意味勢いに任せた事。改めて相手から頼まれるというのはこんなに緊張するのだと、閠は高鳴る鼓動が二人に聞かれやしないかとそわそわしていた。
ベルナルドは灯りに照らされる閠の姿を見て、ペンを走らせながらほうと息を吐く。
白いものは美しい。そんな“天義じみた審美眼”に囚われているとは思っていないが――其れでも、閠は絵画から飛び出してきた一羽の鳥のように美しかった。
其の感性も、ベルナルドと同じほど生きたとは思えない純粋さを持っている。子どものようにはしゃいで、大人のように笑う。このように神秘的な人がいたのだな、と、ベルナルドは輪郭を掴みながら感じていた。
「よし、大ラフは終わりだ。あとはアタリだな。閠、もうすこし頑張ってくれ」
「は、はい……! あ、あの」
「ん?」
「この絵は、売る、ん、ですか……?」
震えた声で聴かれて、思わずベルナルドは笑ってしまった。
売らないよ。隣で俺を睨んでいる、怖い人がいるからな。