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カーマインの抱擁
登場人物一覧
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スマルトの青に浮かぶ月が白い翼を照らしていた。
赤い血飛沫が弧を描く。
共に舞い上がる雲雀(あなた)の鳴き声に。
――私の心は、確かに震えていた。
――――
――
私が知覚する全ては物語の一頁だ。
眼の前を通り過ぎる人々は本の中の一文で表される。
その中の一人をクローズアップするのも面白いし、指で弾くみたいに冷たくあしらってみるのも悪くはないだろう。
誰もが同等に物語の駒。自分自身でさえも。
物語が進むのならこの身だって道化になろう。
だって、その方が面白い。
静かになった戦場で、私は目を覚ました。
辺りを見渡せば、仲間たちが傷を負い倒れている。
「ああ。私達は負けたのですね」
元奴隷の魔種と戦った私達は全力で戦い、けれど寸前の所で取り逃がしたのだ。
上半身を起こし、視線を流す。
悲しいだとか悔しいだとかそういう感情は一切湧いてこない。
ただ、今回の物語ではこうあっただけの話。
「それよりも……」
戦場の隅で横たわる少女の元へ向かう。
魔種に羽を無残に引き千切られ意識を失ったアルエットの側に。
直ぐ様回復を施したから機能不全にはなっていないだろう。
でも、きっとまだ完全にくっついている訳ではない。
内部の神経、深部の皮膚細胞は回復しきっていないはずだ。
金色の髪を一房掬い上げる。つるりとしたキューティクルの上に乗った血をハンカチで拭き取る。美しい髪が汚れてしまうのは忍びないから。
「アルエットさん」
呼びかけにぴくりとも動く様子は無い。回復の為に深く意識を落としているのだろう。
痛みに痩けた頬を撫でる。指先に伝わる感触は柔らかくきめ細やかな肌触りだ。
いつもなら微笑みを浮かべている小さな口が今は閉じられている。
指先を頬から唇へ這わせれば。ふにふにとした弾力に、思わず口の端が上がった。
想像していたよりも遥かに心地よい感触が指から脳へ駆け上がる。
「ふふふ」
私は骨腕でアルエットの小さな体を抱えあげ、仲間と共に戦場を後にした。
ふわふわの睫毛がゆっくりと持ち上がる。
焦点の定まらぬ視線を漂わせアルエットは深い眠りから覚めた。
「わっ、ぇっと?」
みるみる内に柔らかな頬が赤く染まっていく。
無理もない。ベッドの上で私に抱きしめられているのだから。
アルエットの背に回した腕に力を入れる。密着した少女の髪から仄かに花の香りがする。それをもっと味わいたくて気付かれないように息を吸い込んだ。――ああ、なんて芳しいのだろう。
「ふふふ。よく眠れましたか?」
状況がうまく飲み込めて居ない様子の彼女は、あたふたと視線を泳がせていた。
此処は私の自室。あの場に居た回復手として重傷のアルエットの予後を引き受けたのだ。
建前上は。
「……覚えていますか。羽根のこと。あの後、私達は負けてしまったんです」
「えっ!? じゃあ皆は? 大丈夫なの?」
不安気な眼差しで見上げてくるアルエットの頭を優しく撫でる。
重傷者は多数。けれど、イレギュラーズに死者は出ていない。
簡潔にわかりやすく伝えれば、彼女は安堵の表情と悲しげな瞳を滲ませた。
ああ、きっと自分のせいだと思っているのだろう。健気で可愛くていじらしい。
「私が倒れたから……」
ほら。そうやって、すぐに涙を浮かべてしまう。
「いいえ。皆が死力を尽くした結果です。今回は一歩及ばなかっただけですよ」
そう、今回は及ばなかった。
物語は時として残酷に試練染みた過程を辿る。今回の様に。
ならば、次はどうだ。
底まで落ちた道筋ならば。
「次は勝てますよ。きっと」
目指す先は上にしか無いのだから。そう、言葉を紡げば雲雀の瞳が笑顔に変わる。
未来の確約なんて出来はしないのに。
簡単な言葉だけで絆されてしまう。
幼気で庇護欲が湧き上がる一方で。
それ以上に嗜虐心が首を擡げてしまう私の心なんて、ちっとも理解していないでしょう。
無垢とは時に残酷だ。
●
二人でベッドの上に寝転がって微睡む。
朝日がカーテン越しにシーツの上を照らしていた。陽の当たる部分は暖かく影が落ちている場所はひんやりと冷たい。
「四音さん……」
「はい、何でしょう」
腕の中に閉じ込められたままの体勢に、アルエットが少し困った顔で視線を合わせてくる。
間近で見る彼女のエメラルドの瞳には私の顔が写り込んでいた。
くりりとした大きな瞳はなだらかな弧を描き、髪の色と同じ睫毛は細かく生え揃う。
雲雀の赤い唇がゆっくりと開いて可愛らしい歯が見え隠れするのを目で追った。
「怪我、大丈夫?」
少女の白い指が私の額に置かれる。瘡蓋になった傷口に触れられ、じくりと熱が広がった。
自分の方が重傷なのにこんな時まで他人の心配をするなんて馬鹿な子だ。
雲雀が居なければ時間の許す限り眠りについていただろう。そんな、傷の具合。正直な所身体を動かすのも気怠い。
「アルエットさんよりは軽傷ですよ。……翼はどうですか」
背中側が開いたホルターネックのネグリジェは私のものを着せてみた。普通のパジャマだと彼女も私も背中が窮屈になってしまうから。
腕の中に広がる温かな羽根の感触。滑らかで一枚一枚がビロードの様に繊細だ。
そっと羽根の中に指を忍ばせる。
外側は少しだけ固く、皮膚に近いアンダーコートはふわふわの羽毛。
「ん、ちょっとくすぐったいけど。大丈夫みたい?」
広げたり畳んだりするたびに、ふわりと部屋の中に羽根が舞う。
ああ、だけど。大丈夫だと紡ぐその表情が違和感に歪んでいた。
きっと思ったように動かせていないのだろう。
深く羽根に差し込んだ指を動かす。
細い羽毛が指先に絡みつくの感触が楽しい。掻き分けて、形の良い羽根を一枚摘んだ。
それを一気に――引き抜く。
「っ!」
腕の中でびくりと震えた小さな身体。
アルエットに見えぬ様、その抜き取った羽根を半分喰んで千切った。
口の中にほんのりまだ暖かい少女の体温が広がる。何処かお菓子みたいに甘くて口が緩んだ。
「……羽根の中に傷んだのがあったんです、ほら」
半分だけになった羽根を目の前に出されて、ほっと胸を撫で下ろすアルエット。
「そう、なの。ありがとう四音さん」
こんな事されてるのにお礼を言ってしまうなんて。
本当に、いじらしくて――めちゃめちゃに壊してしまいたくなる。
「ふふふ」
でも、壊してしまったら其処でお終い。そんなの勿体無い。
面白い駒にはまだまだ動いてもらわないといけないのだから。
物語の主人公は様々な逆境の中成長していく。
私の経験上。強い負荷ほど大きな効果を生むもの。
そう、例えば。肉親を目の前で殺されたあの子みたいに。
木の陰から聞いたのは絶望に裂ける音――鼓膜を揺さぶる絶叫は甘美な蜜だった。
「……くふふ」
思い出しただけでも首筋が疼く。
まあ、折れる危険も増すのだけど。それは、それで悲劇として楽しめる。
あらあら、いけないわ。
心の傷を抉る行為を喜ぶなんて、まるで悪魔みたいじゃない。
意識を目の前の雲雀に向ける。
肩甲骨のあたりから生える雲雀の翼。その生え際に指を這わせた。
「四音さん?」
まだ完全に再生していない柔らかで敏感な部分を触られ不安そうな声を上げるアルエット。
「無理やり千切られてしまいましたからね。痛かったでしょう?」
「……ぅ、ん。痛かった」
その場面を思い出し、涙を浮かべる少女。重くのしかかった猫の爪は羽根を仕舞う隙きすら与えてはくれなかったのだろう。
メリメリと皮膚が裂ける音がしたのだろうか。ゴキリと骨が外れる音がしたのだろうか。
聞かせて欲しい。どんな痛みだったのか。どんな音が身体を駆けたのか。
「きちんとくっついているか見てみましょうか」
翼の太い骨を握って少しだけ引っ張ってみる。
どんな顔をするのだろう。
面白い物語の頁を捲る様に気持ちが高揚した。
「やだっ……!」
エメラルドの瞳から大粒の雫がこぼれ落ちる。
引き千切られた感覚を身体が覚えているのだろう。抱きしめた腕に雲雀の震えが伝わってきた。
嫌がるように首を横に振るアルエット。
記憶のフラッシュバックとは怖いものである。
もう終わった事なのに、繰り返される悪夢が心を苛むのだ。
ああ、でもやりすぎてしまいましたか。
いけない、いけない。
「ごめんなさい。痛かったですか? 大丈夫ですよ。もう怖いのは終わりました」
「ぅえぇ……っぅえん!」
泣き出してしまったアルエットをぎゅうと抱きしめる。
大丈夫と紡いで、額をくっつけた。
伝わってくる体温が高い。泣いて少し熱が出てきてしまったのだろうか。
「ほら、もう眠ってしまいましょう」
小さな幼子をあやす様にトントンと背中を叩く。
しばらくそうしていると、瞼が落ちていき、すうすうと寝息を立て始めた。
衝撃が強すぎて、まだ記憶の整理が出来ていないのだろう。
けれど、これは期待できそう。
口の端が自然と上がっていく。
こんなにも乱れた反応を見せてくれるのならば、この先も羽根に触られるのを嫌がるだろう。
大丈夫と口で言ったとしても内心は掻きむしられる程の恐怖が支配するのかもしれない。
確かに記憶に刻まれている。
次に触れた時、どんな仕草を見せるのか。
それを思うだけで心がざわついてしまう。
先程毟った半分になった羽根を光に透かしてくるくると回して見る。
しっとりと油分を含んだそれは艷やかな光沢で陽光を反射した。
ああ、まだまだ。この物語は楽しめそう――
――――
――
カーマインの抱擁は茨の楔。
触れてしまえば赤い血に絡め取られ、逃げることすらままならぬ。