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陽色の花は遠い色
登場人物一覧
再現性東京のみならず練達を襲った竜種の凶行が過ぎ去り、街の姿も一変していた。未曾有の大災害に襲われたとされる希望ヶ浜は急ぎ足での復興が行われて居た。
現場では基本的には竜種による襲来はなかったことになり天災による大規模災害の発生という事で処理されたらしい。
勿論、澄原病院にもこの一件に巻込まれた患者達が詰め寄せている。ライフラインの復旧を急ぎながらも、治療を並行して行い日常に戻って行くのは流石は
澄原病院に訪れて、簡単な肉体のチェックを外科医によって受ける事になった天川は随分と大きな怪我をしたものだと鏡に映った自分の姿を見て嘆息した。単身で復讐に乗り込んだ時も命の危機は感じたが伝説にも準えるような竜種相手だと流石に状況も違ってくる。命が幾つあっても足りないとは言うが可能性を幾らか消し飛ばした己は満身創痍とも言えるだろう。
共に戦った仲間達も療養や治療を各々で行っているはずだが――さて、天川には少しばかり気がかりなことがあった。それはジャバーウォックの動乱の際に新たに仲間入りした秘宝種の肉体について学びに遣ってきていた澄原家の二人についてだ。
澄原 水夜子も重傷を負っていたが、彼女に問いかければ「姉さんが私ばかり優先するのです」と拗ねたように言葉を発し、従姉を心配していたのだ。
彼女に確認を取れば澄原 晴陽は自身の治療もそこそこに病院業務に戻っているという。訪ねるのならば院長室へとの事だ。
片腕にギプスを嵌めて傷だらけの男が院長を訪ねてきた。そう噂する看護師達は治療ミスでもあったのかと心配そうであった。その噂は天川が院長室に到達する前に晴陽の元へと届けられ「一体何があったのか」と彼女の頭を悩ませたのは病院側だけの秘密である。
幾らのノックが聞こえ「どうぞ」と晴陽が堅い声音で応えれば「よぉ、先生」と天川が慣れた様子で顔を出す。カウンセリング等を含め『知らない人』から『知人』更には『何となく同じ環境下の存在』程度には両者が認識するようになってからは気易く話しかける事の出来る相手である。
「ああ、天川さんでしたか。……看護師達が傷だらけの方がいらっしゃると言っていたので身構えてしまいました」
「いや、確かにそうだな。傷だらけだ。何せあの竜種と相対したんだからな。……そう言う先生も傷だらけじゃないか」
カラカラと笑った天川に「まあ」と晴陽は肩を竦めた。出来るだけ衣服で傷を隠しては居るが顔に貼り付けられたガーゼなどは痛ましい。イレギュラーズが救援に入ったと言えども、『可能性』を宿さぬ身にはさぞ辛い仕打ちであっただろう。
「先生、お互い命拾いしたな。先生は……元気……とは言えんか……」
「全治一ヶ月は見込もうかと思います。其れだけ休んでいては患者にも悪いので働きますが……」
「まあ、俺も同じだな。仕事がありゃ、仕事をする。
……だが本当に無事で何より。花って柄じゃないんだが……こいつを」
ほら、と天川が差し出したのは小さな紙袋であった。中身はオレンジとイエローが主体のプリザーブドフラワーのアレンジボックスである。
見舞いの花だと声を潜めて告げる天川に「可愛らしいですね」と晴陽は頷いた。ぎゅっと花が詰め込まれた可愛らしいアレンジボックスはコンパクトなサイズでテーブルの上にも飾っておくことが出来そうだ。
「最近は花でも色々あるんだな。プリザーブドフラワー? って奴らしい。造花みてぇに枯れない加工した本物の花らしいぜ。この認識で合ってるかは分からねぇんだが……」
「ええ。生花だと世話もありますし、直ぐに枯れてしまいますからね。
最近は衛生的なこともありますし、入院患者さんでもプリザーブドフラワーを受け取られる方はよく見ます」
小さく頷く晴陽に「成程なあ」と天川は頷いた。背筋をぴんと伸ばして院長としての仕事を積み上げたデスクに向かっていた晴陽は「お茶でも用意しましょうか」と立ち上がる。
「立ち歩いて傷は痛まないのか?」
「座ってばかりでは腰を痛めそうですから」
お待ちくださいと給湯室へ向けて席を立った晴陽の背を見送ってから天川の脳内では彼女の姿が義弟――鉄心に重なった。
妻であった晶の年の離れた弟である鉄心は名前とは裏腹に物静かで落ち着いた印象を与えていた。丁度、鉄心は晴陽と同い年位だっただろうか。プライベートなことだが、年齢は位ならば晴陽も直ぐに教えてくれそうだ。
天川は晶との結婚前から、神代重工と神代家の跡取りしての重圧を背負い気丈に振る舞う鉄心を気に掛けていた。物静かで、そうした面を余り見せない青年ではあったが大企業を担うという事は其れだけでも負担は計り知れない。それが澄原家と澄原病院を背負う晴陽の立場とどうしても被って見えたのだ。
実の所、天川は鉄心にあまり好かれていたとは言えない。何方かというと大切であった姉を奪った男として疎まれていた筈だ。だが、妻子を失う事件の後、改めて向き合った義父鋼弥と義弟鉄心は天川を一切責めることはなく、彼の心中を慮り心配して励ましてくれたのだ。
両親を結婚後に病で失い、國定家は親類とも疎遠であった天川にとって残された家族が義父と義弟となったのはあの事件があったからとも言えよう。
復習を終えた時、死刑囚となる天川に面会を求めた鉄心の声と涙は忘れることは出来まい。自身がいなくとも神代家はなんとかなるだろうが――義父と義弟を残して逝く選択肢をした事が天川にとっての心残りであったのだ。
……そんな義弟と晴陽が重なる。だからこそだろうか。ついつい世話を焼いて、ついつい『可愛がる』ように接してしまうのは。
鉄心が重責を担っていた時に深く問いかける事はしなかった。それはその姿を重ねてしまう晴陽に対しても、だ。
「申し訳ありません。お待たせしました」
「……ああ、有り難う」
「……何か?」
つい義弟のことを考えていた天川は視界に戻ってきた晴陽をまじまじと眺めてしまった。突然、真っ向から視線を投げかけられて晴陽の表情が曇る。
先程まで義弟のことを考えていたこともありその顔を思い出してみるが、斯うしてみれば彼女と鉄心に重なるところはない。
「先生って今幾つだ?」
「いきなりですね……今ですか? 26……もうすぐ27になりますが」
「やっぱりそれ位か。いや、実はな、晶……妻の弟が先生と丁度同い年なんだ。同じ年頃に見えた先生を見て丁度思い出しただけだ」
じろじろと見て済まないと謝罪をする天川に晴陽は「成程、弟さんですか」と俄に興味を持った。『弟』という単語が晴陽にとっては目に入れても痛くはない(と晴陽は言うが、弟側の気持ちはさて置こう)龍成を思い出させたのだろう。
「私にも弟が居ますから、同じ年頃の方を見ると思い出しますよ。あの年頃は皆可愛らしく思えます。
ご存じの通り私の弟は長らく澄原から家出をして、今は……まあ、居候先でちゃんと暮らしているようですが」
少し言い渋ったのは居候先が燈堂一門であったからだろう。天川は「先生の弟は龍成だろう?」と問うた。勿論、『祓い屋』をクライアントとして認識する以上は彼方の門下生については理解しておきたいというのが探偵心である。
「龍成は、今幾つだったか……二十歳かそこそこか?」
「はい。私とは少し年が離れてますので可愛くて。
弟さんが私と同い年という事は奥様――晶さんとも弟さんは年が離れていらっしゃったのですか?」
ティーカップを応接用のテーブルに並べて腰掛けた晴陽に倣い天川も対面に腰掛ける。頷けば晴陽は『興味があります』とその顔面に貼り付けているた。
「ああ、そうだな。晶の弟は鉄心って名前だったんだが……名前とは違って温和な奴でな。
晶が居たが神代の家の跡取りは鉄心に決まってたからこそ大変そうだった。神代は『神代重工』ってデカい仕事があったからな。それは先生と似たようなものか」
「……そうですね。私は女ではありますが長子ですので澄原病院の跡取りとして育てられました。龍成も同じように教育を両親が求めたようですが……」
その結果が彼を非行に走らせたのだと言いたげな表情の晴陽に天川は察して「まあ、責務なんて誰も担いたくはないさ」と肩を竦めただけであった。
晴陽にとって龍成は大切な存在だと聞いたことがある。年が離れていて可愛かったこともあるのだろうが、自身の所為で弟の境遇が大きく変化してしまったという罪滅ぼしのようなものも感じられる。鉄心と晶にはそうした確執がなかった分、彼一人にのし掛かる重責は計り知れなかった。
「それで、弟さんは?」
「ああ。……まあ、先生には言ってあった事だが『復讐』を遂げた後に晶と光星を護れなかった事を謝罪しに行ったんだがな――逆に励まされたよ。
鉄心は晶にはよく懐いていたからな、無理を通して結婚した俺の事は疎んでいたはずだが……気遣われちゃ堪らないな。こっちが鉄心を気に掛けてたつもりなのにな」
晴陽の表情が僅かに曇る。天川は妻子を亡くした事を神代の家に謝罪しに行ったのだろう。聞く限りは不幸な事故だ。それでも『彼も自分も不幸な事故の要因に自分を含んでいる』のだから救われない。
「……その時は何と?」
「またカウンセリングか? ……まあ、『気にするな』『大丈夫か』と。無理をしないで欲しいと気遣われた上で復讐については何も言わなかったさ」
自身も、彼らを巻込みたくはなかった。所詮は私怨だ。『自分の中で燻っていて、スカッとしたいから殺してくる』と言った理由に彼らを巻込む道理もない。
「逮捕後に会った鉄心は悲痛な顔をしていてな。あんな顔をさせた事だけが心残りだ――と、悪いな、先生。つい話し込んじまった」
「いいえ。私も龍成を一目見たときに同じような顔をした自覚がありますから……あの子には、酷い顔を見せてしまったな、と思って居ます」
「弟のことになると饒舌だな?」
「何を置いても弟のことですから」
それだけ弟を溺愛しているという事かと天川は笑った。
晴陽に性別も違う鉄心を重ねるのは彼女に悪いとは思いながらも、ついつい気を配る。どうせならば義弟とそのように過ごしてみたかったとでも己が感じているかのように彼女の世話を焼いてしまうのだ。
「私は弟さん……鉄心さんにはなれませんし、弟側の気持ちは余り分からないのですが……そうですね、弟さんと共に過ごせないことは酷く悲しいことだと思います」
「やけに弟と過ごせないことを推すな」
「私は
ええ、弟と過ごせない悲しみは痛いほどに分って居るつもりなのです。……水夜子と過ごすのも楽しいのですが、矢張り何処かで考えてしまいますね」
実の弟だから、というのがあるのだろうかと晴陽はぽそりと呟いた。その弟もR.O.Oでは危険に見舞われていたのだ。
晴陽が心中穏やかでなかった事を察し「そうだな、過ごせるときに過ごして置くべきだ」と天川は頷いた。
「その為には先生も早く怪我を治すべきじゃないか? 俺に言われたくはないと思うが……
仕事ばかりでは傷は中々癒えない。適度な休息を挟むようにしてくれ。花が目に癒やしを与えてくれればと思って贈ったんだが――」
「ええ。枯れませんので暫くは飾らせて頂きます。時折、来訪者に頂戴する品もあるのでその際は自室に持ち帰ります」
頷く晴陽に天川は「有り難いことだな」と頷いた。澄原病院の院長ともなれば来訪者は多い。休んでいる暇を与えてくれないほどの激務になる事もあるが、その際に細やかなお土産を持ち込んでくれる者は多かった。
「ああ、先生は土産はよく貰うのか?」
「え? ……お気遣いなく。頂く事も多いですが、それ程重要視はしてませんので」
晴陽にとってイレギュラーズは『好感を持てる仕事相手』である。誰がこの場所を訪れても厭うことはないが出来る限りフラットな関係で居たいことも確かだ。
友人と呼べる存在には余り慣れていない彼女にとってそれ以上の一線は中々に難しく、何らかのプレゼントにもお返しをしなくてはならないと淡々と考えてしまうのだろう。
「先生は気にしそうだしな……別に気にはしなくても良いがどうしてもと言うなら、花の礼は『今飲んでいる紅茶』と『新しい仕事の依頼』で結構だ」
「お気遣いを有り難うございます。そうですね。天川さんにはその方が良さそうです。……探偵も仕事を探すのは一苦労でしょう」
「まあ、な」
新たな拠点として探偵業を営む事とした天川はまだまだ駆け出しとも言えよう。強いパイプとなる晴陽と繋がっている事で仕事に逸れることがない――というのは二人の中での共通認識である。それならば、仕事の斡旋が立派なお返しにもなる。
イレギュラーズである以上はローレットとしての活動が中心である為、細かな失せ物探し等ではなく夜妖事件などの斡旋を特に晴陽に注文してから天川は時計を眺めた。
「長居しちまったな」
「いえ、休憩になりました」
何時も休息を取っていないと叱られているのだと肩を竦めた晴陽に「みゃーこにか?」と天川は揶揄う。従妹の水夜子は『ずけずけ』と物を申すタイプだ。
水夜子との交友関係もある天川は彼女から『姉さんは休憩するのも人を頼るのも下手クソですから!』と何度も口を酸っぱくして聞かされていたのだった。
(……まあ、此処まで簡単に訪問できたのもみゃーこのお陰だろうが)
どうせ『あの人なら院長先生を休憩させてますよ!』等と適当な言葉を並べた水夜子が晴陽への来訪を許諾して置いてくれたのだろうと、抜かりない『愉快な助手』を想像してから天川は立ち上がる。
「それじゃ、また宜しく頼む。先生。何かあれば依頼を待ってるぜ」
「ええ。お仕事のお願いをする機会もあるかと思います。どうぞ、宜しくお願い致します」
仕事のためにとプライベートの連絡先は交換した。時たまに、斯うして過去の話を交えるのも悪くは無い。
お互いに似たもの同士だ。過去の影に引き摺られるようにして立ち止まって居る事が多いからこそ、深く踏み込まず独り言ちるための相手として『利用』すればいい。
院長室を後にした天川を見送ってから晴陽は花をまじまじと眺めてから椅子に深く腰掛けた。
重責を担っていた義弟と重ねられたと云う事は自分は其れだけ切羽詰まって見えたのだろうか。
もしも、そうであれども――
「人に頼ることは苦手……ですよね。一人で何でも出来るようにと教育されましたから」
年齢が幾ら離れていようとも、独り言程度で『カウンセリング』に己の心情を乗せる位がやっとだ。
自分一人ではどうしようもないと感じた竜種との戦いが脳に過った後、晴陽は「私は本当に情けない」と呟いたのだった。