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珈琲の湯気も霞んだ。
登場人物一覧
浅蔵 竜真にとっての澄原 晴陽のファーストインプレッションは常に厳しい表情をしている人、であった。
微笑程度なら見せることもあるが、社交辞令の範囲に留まり表情のころころ変わるという従妹や感情表現はそれ程上手くもないだろうが語らう事が出来る弟とは大きく違っていた。
希望ヶ浜で活動していれば、目につくほどの大病院である澄原病院の若き院長は多忙に日々を過ごし、時折夜妖に関する仕事をイレギュラーズにも齎すそうだが――彼女に関しての印象はもう一つ。燈堂 暁月との関係性であった。『祓い屋』として屋敷を構えている暁月と共に過ごす燈堂 廻との交友関係を有する竜真は時折噂で晴陽のことを聞く。
彼女と暁月の間には只ならぬ因縁があるそうだ。その詳細は二人とも語らいは為ないが、曰く『暁月が晴陽の大切な親友を斬った』事に起因するらしい。その詳細は闇の中であり、晴陽が必要以上に人と付き合うことがないのはそうした理由があるのだろうか、と。
竜真は『救う側』であるとい自己認識が強い。そうした価値観の元、彼女に興味を持ったのだ。最初はお節介だと言えるだろうか。
偶然――だったのだろう。希望ヶ浜市街を歩いているときにその背中を見付けたのは。
「晴陽さん」とつい、声を掛ければ何時も通りの余り表情の変わらぬ能面のようなかんばせを此方に向けてから「こんにちは」と挨拶を返した。
「こんにちは。何か用事でも?」
「……いえ、水夜子にリフレッシュがてら散歩をしてくるようにと追い出されましたので。ついでに仕事中に飲む為の茶葉や、水夜子の菓子を買い出しに来ただけです」
相変わらずの様子ではあるが問いかければ答えてくれる彼女は人付き合いが『下手クソ』という印象ではない。
そう、どちらかと言えば一線を引いているのだ。簡単に人を懐には入れたくはないというある意味の拒絶は感じるが、其れは保身のためであるとなれば無理も言えまい。
「そうか。買い物はこれから? あまりそうした店に詳しくないんだ。もし良ければ手伝っても良いか?」
「ああ、はい。店までご一緒する程度でしたら。ご随意にどうぞ」
淡々と返す彼女から話しかけられることはあまりない。それが心を許してくれていないという事になるのだろうかと竜真はちくりと心が痛んだ。
街をすたすたと進む晴陽の背を追掛けて竜真はその背中を眺める。どうにも彼女は会話を余り必要としていない印象だ。
「どんな茶葉を買うんだ?」
「来客用です。自分の為のものばかりですと、お好みに合わない可能性もありますから」
「菓子は?」
「水夜子が好きなものを。仕事を手伝ってくれますし、来客時にお茶請けにも出来ますから。私は余り菓子は食べないので……」
食事に頓着していないのだという晴陽はふと、足を止めてから可愛らしいマスコットキャラクターを掲げている珈琲店を眺める。
少しばかり不細工な猫が描かれた珈琲店は時間も相俟って混雑はしていないようだ。晴陽は何気ない仕草でaPhoneを取り出してから「ふむ」と呟いた。
「晴陽さん?」
「宜しければ珈琲はどうでしょうか。よく行く店なのですが……あまりお店をご存じないとのことでしたから、ご紹介しておこうかと」
表情は余り変わりなく晴陽は言うがaPhoneではバッチリと店舗のSNSが表示されている。行きつけである事には違いないのだろう。
指先がささっとスクロールしたのは珈琲店の新作告知であった。シーズン商品を注文するとマスコットキャラクターのマグネットが1つオマケとしてついてくるらしい。
「ああ、良ければ紹介してくれ。お勧めの珈琲があればそれも」
「分かりました。折角なのでシーズン限定のものを注文しましょう。オマケの『ねこもどきさん』が着いてきますが必要なければ私にでも投げて渡して頂ければ」
やけに饒舌になったものだと竜真は晴陽をまじまじと眺めていた。どことなく嬉しそうに見えたのは珈琲を購入することが出来るからなのだろうか。
すたすたと店に入って行ってから慣れた様子で珈琲を二つ注文し、aPhoneのアプリでポイントを貯めている。行き着けというのは本当の事らしい。
「お代は――」
「年下に払わせるわけには参りません。これでも病院の院長です。……金銭には困っておりませんから」
さらりと視線を逸らして告げる晴陽は店員から手渡された珈琲をそそくさと竜真に渡してから背筋を伸ばしてその場を後にする。
淡々とした様子の彼女が『年齢に拘る』のは何か理由があるのだろうか、と竜真はあまり己のことを語らぬ晴陽の背中を眺めていた。
ふと、思い当たったのは彼女の弟だ。龍成。風の噂で聞いた話では晴陽は随分と龍成を可愛がっていた。R.O.Oの動乱の際は弟が帰らぬ身と聞いてわざわざと前線に乗り込んでくるほどに弟を溺愛――と、言ってもあまりに感情表現が下手すぎて龍成には伝わっていなかった――しているらしい。
彼女がそれだけ弟を可愛がっているならば弟と同年代も可愛がる対象だと言う認識でもされているのだろうか。竜真は、その認識を改めさせることは中々に骨が折れそうだと感じていた。竜真が『晴陽達を救う側である』という価値観を持つように、晴陽にとっても『龍成と同年代は自身が庇護するべき存在』だと認識しているのだろう。
(年齢は埋められないからな……)
財布を一度も出す事も許さない彼女は自立した大人として自己認識を確りと持っているのだろう。過去の多くを語らない理由とて『無関係の人間を巻込みたくはない』という事だ。あれだけ燈堂 暁月に対して感情を発露させるのは当の本人が根源であったと言う事と、彼が晴陽よりも年上で『高校時代を共にした』からなのであろう。
そのすれ違いは少しばかり感じるが、其れを理解出来ただけでもまだ彼女を理解する一歩とも言えようか。
「大丈夫ですか? あまり誰かと歩くことになれていませんので……歩調が合わなければ行って下さい。つい、いつもの癖で急ぎ足になってしまいますので」
スタスタと歩いて行く晴陽の背に追いつかなかったわけではないが、随分と子供扱いをしてくるモノだと竜真は肩を竦めた。
「いや、大丈夫だ。珈琲も冷めてしまう」
「そうですね。持ち帰りの袋に入れて貰いましたがそれも勿体ないです。飲みながら歩きましょうか」
歩調を緩めた晴陽は珈琲を取り出してからカップの『ねこもどきさん』を眺めてうんうんと頷く。とても満足そうな表情をしたのは、きっと、気のせいではない。
自慢げな彼女はチョコレートとラズベリーのフレーバーコーヒーを流し込んでからマグネットをまじまじと眺めている。
「それが好きなのか?」
「……ええ。可愛らしいと思って院長室に何時も飾っています。気付いたら水夜子がこの子達用の場所も用意してくれていたので」
「従妹と仲が良いんだな」
「そうですね。龍成とはあまり仲良く過ごして来る事が出来ませんでしたから。……その点、水夜子は気易い性格をしておりましたので、共に過ごす時間が長かったのでしょうね」
姉弟の距離は余り良くはなかった。完璧を求められ、其れに応じてきた姉に弟がコンプレックスをこじらせたのは仕方がない話である。
姉からの寵愛も、弟からの羨望も。どちらも上手くは伝えられないまますれ違っていた事を龍成が後から教えてくれたものである。
話によく挙がる名前である水夜子――晴陽と龍成の従妹はそんな二人とは適度な距離感で過ごすことが出来たようだ。ある意味でこの姉弟の理解者とも言えるのかもしれない。
「……龍成とは、それ程仲良くなかったのか。晴陽さんが嫌っていたわけじゃないんだろ?」
「ええ。どうしてでしょうね。……弟にも思う事があるのかもしれません」
自分はどうにも人付き合いが苦手なので、と肩を竦める晴陽に竜真はそれ以上は問いはしなかった。
出来れば笑って欲しい、と彼女に告げれば驚きそして困ったように首を振るのだ。「気に掛けて頂けることは嬉しいですが、私は、その、お答えできません」と困ったように肩を竦めて。
店舗の前に着いたと告げた晴陽は「私は幾つか商品を見てきます」とさらりと横を過ぎて行く。共に買い物をする機会は中々難しいだろうか。
竜真が追掛ければ、晴陽は淡々とした様子で商品を眺めていた。何気なく共に居る事を拒絶しない辺り『誰かと行動を共にする』事には慣れていないようにも思える。
「その、晴陽さん。また何かに誘っても?」
「……私を、ですか? 面白くありませんでしょうに……」
驚いた様子の晴陽は目を瞠ってから首を捻った。確かに、彼女とイレギュラーズの関係性は『ビジネスパートナー』だ。
例えば、彼女の弟の龍成はイレギュラーズを友人として認識して居るであろうし、彼女の従妹の水夜子は楽しい遊び相手として接してくれる。
幼い頃から澄原を担う重責を背負ってきた晴陽はそれ以上の関係性を余り求めてこなかったのだろう。そう、例えば『
「ああ。休憩がてらでも良い。忙しそうにしているし、よければ……」
「……ええと、その……私は余り友人というものには馴染みがありません。ですが、努力はしてみます。
私は友人を必要としておりませんでしたので、至らぬ所も多いでしょうが……ええと、知人と一線を引かず……良き友人となれますように」
何処か困った様子で笑った彼女のその表情こそ本心だったのだろう。友達の作り方さえ知らぬ様子である晴陽に竜真は「ああ」と小さく頷いた。
人と必要以上に距離を詰めることのない彼女にとっての一歩。それはどの様な存在よりも難しいことなのだろう。
幼い頃ならば『友達になろう!』の一言で距離は詰められるが、晴陽にはそうも行かない。先ずは友人に――そう認識してから竜真は「今日は有り難う」と晴陽を病院の前まで送り届けた。