PandoraPartyProject

SS詳細

夜明けの焔は月と茨に抱かれて

登場人物一覧

紲 雨軒(p3p010444)
紲一族のお父さん
紲 蝋梅(p3p010457)
紲一族のお母さん
紲 白虎(p3p010475)
ドラゴニュート

 パチッ、パチッ、パチンッ——

 頭の奥、何かが変わる音がする。それは万雷の拍手の水端。ひとつずつ嵌まっていくパズルのピース。あるいは轟々と燃え盛る焔の、今はまだ小さな火種が薪を喰らう音に似ていた。


「蝋梅、蝋梅。大変だ、目を覚まさないんだ」
 ただいま。おかえりなさい。何度となく愛を囁き合った玄関は、駆け込んできた紲 雨軒の抱えるものによって少しだけ慌ただしい空気が流れる。
「少し強く当たりすぎたのかもしれない。まさか、こんな小さな子供だとは思わなくて……」
 呼ばれて腕の中を覗き込んだ紲 蝋梅は「まあ」と目を丸くした。指先でそっと翡翠色の髪を払えば瞼を閉じた顔は幼く、けれど痩せた手足は年相応の柔らかさに欠ける。その生い立ちを語るような泥や埃で薄汚れた全身を確かめ、蝋梅は取り乱すことなく告げる。
「大丈夫よ、雨軒さん。派手な出血も見当たらないし、きちんと息もしてるわ」
 雨軒の手から抱き上げた体の軽さに曇った表情も、ほんの一瞬だけだ。見る者を安心させる笑みは母の抱擁そのもの。
「まずは汚れを落として清潔な布団へ寝かせてあげましょう?」
 貴方もよ。そう指摘されて思い出されるどろどろとした不快感に、雨軒は身を清めるべく部屋へと急いだ。
 それから数刻。丁寧に消毒された切り傷擦り傷は見立て通りにどれも浅く、おそらく気を失うことになったであろう発端の打撲も骨折など重症には至っていない。それだけならもう目覚めても良い頃合い、とは紲家の御意見番ともいえる人物の言である。
「つまり怪我のせいではない、ということだよね」
 結論を口にしながらも申し訳なさそうな顔のまま、雨軒の視線は薬草の匂いに包まれて眠る少女へ。清められたおかげで色白な肌が病的にも見え、寝息に胸が上下していなければぷつりと糸の切れた人形のようだ。脳裏を掠める、鈍く光る飢えた獣の金色とは真逆の弱々しいこの姿が、とてもではないけれど自分を襲撃してきた者だとは雨軒には思えなかった。
「こんな小さな体で、一体どうして……」
 それは今は想像の域を出ない少女の過酷な人生と傷だらけの心身を案じるふたりに共通する疑問。そして、彼女の人生に欠けていた、ただただ純粋な優しさという灯火だった。
 未だ深い夢の中を彷徨う少女・白虎は知る由もない。彼らが後の父母になる人だなんてことは。

 パチ、パチッ——

 煙か、霧か、とにかく真っ白な中にいた。どこかはさっぱりわからなかったけど、迷子なのはいつだって同じ。それに今日は不思議と寒くはなかったから、前も左右もだめならと後ろを振り返ってみる。
 ああ、私がいる。たくさんのものを奪って生きてきた、独りぼっちの私が。
 両親なんてまるで覚えていないから泣かない。その暇があったら生きるために何だってしなきゃ——ほら、あそこの果物、美味しそう。盗っちゃおう。
 食うか、食われるか。周りは信じられないし、仲間なんて言ってくる奴は特に——やっぱりね、嘘は甘いって知ってるんだよ。バイバイ。
 自分の身を守る方法だってそう。真似っこしたり、いっぱい練習したから大人にも負けないくらい強くなって——奪いやすくなった。ご飯だって、寝床だって、命だって。
 昼間に雨が降った夕方。橙色に目が眩んで、水溜まりと滑りやすい地面と、あとはお金を持ってそうな人なら誰でもよかった。
 通りかかったのは綺麗な傘を持った、ちょっと見惚れちゃうくらい綺麗な人。財布を抜いて、あの傘も高く売れそうだし、抵抗するならいっそ殺しちゃってもいいか。それが私が生きていくための術なんだ。
 後ろから声をかけて、振り向いたら泥を投げつけて。目を潰したら鳩尾、うずくまったら喉とか顎、男なら股を蹴りあげれば大体パニックになって扱いやすくなる。
 いつも通りにやったのに、頭から泥をぼたぼたと溢している隙に突き出した拳は大きな掌に受け止められた。おかしい。そう思った瞬間には脚を払われて、体ごと腕を引っ張られていて。バランスが崩れて無様に晒した後ろ首に振り下ろされたのが、肘だったのか踵だったのかもわからないまま。

 バッチン!——

「いッ……たぁい!?」
 刈り取られた意識からあげ損ねた悲鳴が夢と現を繋げ、少女を覚醒させたらしかった。
 最後の記憶が雨上がりの街道だったものだから、飛び起きた先が真っ白で気持ちいい布団という状況を理解できない。寝惚けた頭でなければ、普段の彼女であれば、とっくに出口に向かっていたのに。声を聞きつけた蝋梅がやって来るまで丁寧に巻かれた包帯などの手当ての痕跡に戸惑っているだけだった。
「急に動いたらだめよ。丸一日眠っていたんだから、体が驚いてしまうもの」
 宥めるような手と声に悪意が微塵も感じられないのが逆に恐ろしかったのか。素直に寝かしつけられる少女の瞳に蝋梅が何を見つけたのか。撫でた頭がびくりと震えるのに驚く素振りもせずに一言。「もう大丈夫よ」と呟いたその意味も、閉じた心には伝わらない。帰宅した雨軒を見るなり怯えて威嚇し始めたのに対して、心の底から安堵した表情がふたつ向けられたことで彼女の混乱に拍車がかかったのも致し方ないことだった。
 それでも、それでも。ひとりで動けるくらいに回復するまでの数日間は表面上、穏やかに過ぎていった。

 パチ、パチパチッ——

 寝床をくれた。お湯で体を洗ってくれた。おいしいご飯をくれた。撫でたり、抱きしめたりするのは嫌だった。どんなに言っても蝋梅はいつも笑っているだけだったけど、話したくないことにはふれてこなかった。やわらかくて、むずむずする。やりにくい。
 自分を襲ってどうするつもりだったのか。雨軒と名乗ったあの綺麗な人は一度だけ聞いてきた。すぐに慌てて「責めているつもりはないんだ」って情けない顔。あの日、私を返り討ちにした人と同じにはまったく見えなかった。
 だからそんなのに答えてあげない。ただ、落ち着かなかったから名前だけは教えてあげた。親切なフリをして後から何か要求してくる奴もいたし、これは看病してくれた分の代金ということにしておいた。
 完全に治ったらどんな目に遭わされるんだろう。ひとつ包帯が取れる度に夜は眠るのが怖くて。蝋梅がくれるミルクも、ぽんぽんとリズムを取る子守唄も、一緒に潜る布団も、ゆらゆらと揺れる蝋燭の火も、何よりあたたかさに抗えなくなっていく自分が一番怖かった。信用できない、しちゃいけない。
「なぁに、おじさん達。そこ退いてよ」
 あんな『居心地の悪い場所』にいるから頭が鈍るんだ。ねぐらに戻れば元通りになるんだって、長く走る不安を残したまま抜け出すまでは簡単だった。
「嬢ちゃん、迷子か? 俺らが送っていってやるよ」
 棘を隠さない私の道を塞いでニヤニヤ笑う男達。わざわざこんな実入りの少ない子供を狙うなんて。数日前までは同じ集落の外れで寝起きしてたから知っているはずなのにと思っても、数と大きさの差があるからへたに動けない。
「なあ、いいとこの嬢ちゃんなんだろ?」
 言われて気づいた。蝋梅に着せられたままの新品で上等な服。散々使ってきた、金蔓の目印。
「何言って、私は……ッ!」

 ゴッ——

 後ろから差す影にハッとして上げた腕、その隙間。くぐもった嫌な音。すっかり見慣れてしまった女性の頭を棒が打ち付けて、地面に転がる姿が見えた。なんで。なんで。
「蝋梅! どうして!?」
 私はあの家から自分の足で逃げ出した。だからもう追いかけてもらう理由も、庇ってもらう理由もない。赤い、優しい笑顔が、赤く濡れていく。
「大丈夫? なら、良かった……」
 心配される理由だって。そんなふうに笑える理由だって。母親は子供の為なら何度でも死にかけるものだから、なんて。わからない。知らない。ねぇ、知らないよ!
「私? 私は大丈夫。だって」

 バキッ——

「あの人が助けに来てくれるって信じてるから」
 滲んだ視界に、嵐のように灰色の雲が渦を巻く。
「……大事な家族に手を出したのは、誰だい?」
 あの日と違って泥に塗れていない、真正面から見た雨軒は怒った亜竜よりも恐ろしくて綺麗だった。
「クッソ、紲家とか聞いてねぇぞ!」
 男達が喚き出す。それが合図だったように、たくさんの棘を持った茨の群れが全員地面に縫い付けて。
「ああ、血がこんなに! 蝋梅さんが格好いいのは認めるけれど、あまり無茶はして欲しくないなぁ」
 駆け寄ってきた時には、すとんと憑き物でも落ちたみたいな困り顔。そして、何度も聞いた「大丈夫よ」という蝋梅の言葉は最初から何も変わっていない。

 わかってしまった。勝てるはずがなかったんだ、こんなにも強い人達に。
 奪うだけじゃ鋭くはなれたって薄っぺらいままで。柔らかく受けとめて、誰かのために迷わず両手を差し出せるから、こうして重なり合って固く強くなれるんだね。

 雨軒が蝋梅を抱き上げる。きっとこんなふうに私も連れ帰ってくれたのかな。私にはないものを持っているふたりが、急に遠くに感じられて俯いた。
 さあ、帰ろう。さよならしようと思ったのに、差し出された手の先でふたりが微笑む。帰るって、どこに?
「みんなの家にだよ、白虎。本当は目を覚ましたらちゃんと話をするつもりだったんだ」
「もう白虎ちゃんはお母さんの子供なんだから。ほら、手を繋いで」
 帰りましょう。早くみんなに紹介しなくちゃね。涙でぼろぼろだったけど、いつの間にか笑顔はみっつになっていた。


 パチンッと最後のピースが嵌まる音。パチパチパチと誰かの拍手が響き渡る。小さな火種は今、煌々と夜空を赤く染め上げて——

 ——そうして泥と孤独に塗れた『私』は、おとーさんとおかーさんに向けた敵意と一緒に過去に置き去りにしましたとさ。めでたし、めでたし!

  • 夜明けの焔は月と茨に抱かれて完了
  • NM名氷雀
  • 種別SS
  • 納品日2022年05月16日
  • ・紲 雨軒(p3p010444
    ・紲 蝋梅(p3p010457
    ・紲 白虎(p3p010475

PAGETOPPAGEBOTTOM