SS詳細
心地よい朝に
登場人物一覧
鳥のさえずりで、目が醒めた。
身体を起こすと、外から入り込む光が目に入る。もう朝になったのかと、ジョシュアは立ち上がって窓を開けた。
朝日は、優しい。その日の始まりを穏やかに告げるようなそれは、どこか包み込むような温かさがある。だから朝の光を浴びていると、背中をそっと押してもらっているような気持ちになるのだった。
今日も、一日が始まる。
フライパンに溶き卵を流し入れると、じゅっと軽やかな音がした。周りが固まり始めてからくるくるとかき混ぜて、全体に火を通していく。
自分のためだけに、凝った料理を作ろうとは思えない。食材がもったいないと思ってしまうのもあるけれど、自分だけしか食べる人がいないのは、やっぱり作り甲斐がないのだ。
エリュサと暮らしていたときはまた違ったけれど、今は一人だ。それでもこうして朝食のためにキッチンに立つのは、あの時の優しい味を確かに覚えているからだろうか。
卵に火が通ったところで、火をおろす。黄色のつやが綺麗な、スクランブルエッグのできあがり。
切ったばかりのバゲットに、あつあつの卵を載せる。ミニトマトに千切ったレタスを添えて、完成だ。
お皿をテーブルに移したとき、ちょうどお湯が沸いた。温めておいたポッドに茶葉を入れ、お湯を移す。苺ジャムをカップに入れて、紅茶を蒸らし終えるまで待つ。
ポッドの中をひとまぜすると、柔らかな香りがふわりと漂った。カップの中に紅茶を注ぎ込むと、紅茶の香りに苺の甘い香りが混ざりこんで、思わず口元が綻んだ。
準備はこれで良し。席について、いただきます。
まず紅茶に口をつけてから、バケットを手にとる。一口かじるとぱりと表面が崩れて、ふわふわの内側と、ほんのり塩味のするスクランブルエッグが口の中に転がり込んだ。卵は柔らかくて塩加減も丁度いい。今日も、おいしくできた。
卵がバゲットから落ちないように気を配りながら、少しずつかじっていく。みずみずしい野菜と甘い紅茶もゆっくり味わいながら、ジョシュアはこの後のことを思い浮かべた。
今日は、図書館に行くつもりだ。リコリスとお茶会をする前に、猫についてよく知っておきたいのだ。
猫に触れたことは今までほとんどないから、猫とどう接すればいいのかがよく分からない。カネルの嫌がることをしてしまわないように、まずは本に頼ってみるつもりだ。
そういえば、カネルをどう呼ぶべきなのだろう。カネルと呼びたくなるけれど、リコリスのことは「リコリス様」と呼んでいる。あの猫のことも、「カネル様」と呼ぶべきなのだろうか。
何となく、リコリスがカネルを抱えているところが思い浮かんだ。自分はカネルをどう呼ぶのか迷っていて、リコリスはそんなこちらの様子を、ふわりと笑って見つめている。
カネルでいいのよ。そんなことを言ってくれるような気はする。ただ、彼女にそう言ってもらってもないのに呼び捨てにしまうのも、何だか気が進まない。
悩みながら紅茶を再び口に運んで、ふと気が付く。最近、楽しみなことや、嬉しいことが増えたなと。
友達ができたこと。リコリスとお茶会の約束。
どうせ好かれないと思っていた自分だけれど、こうして温かく接してくれる人が増えたのだ。エリュサがくれた優しさを繋いで、手繰り寄せた縁が、こうしてジョシュアを包んでくれている。だから友達のことやリコリスのことを思い浮かべると、胸の奥がじんわりと温かくなるのだ。
なんだかむず痒いようで、心地よい。そんな温もりだった。
まだリコリスには、自分の毒のことを伝えられていない。毒について知られるのを怖いと思ってしまうことばかりだけれど、彼女に対しては、他の人ほど怖いとは思わない。
彼女がかつて「毒薬」を持っていたからというのはある。ただ、自分の全てを伝えた上で関わり合うことができたら良いとも思うのだ。
例え伝えるのに時間がかかったとしても、いつか。
期待と不安を飲み込むように、そっと紅茶を口に含む。ジャム入りの紅茶は、あのささやかな幸せを思い出すから、心が安らぐ。
そうだ。この前薔薇園で飲んだ甘い薔薇の紅茶。いつかまた飲んでみたいものだ。
その時の話をリコリスにしてみたら、どんな反応をするだろうか。
あの紅茶の甘さをどう言葉にしようか考えていると、ふと自分の頬が緩んでいることに気が付いた。
ああ、そうだ。楽しみにしていることや、嬉しいことがあるのは、良いことだ。毎日を過ごすための力になるのだから。
バケットの最後の一口を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。紅茶のカップも空になってから、ほうと一息ついた。
「ごちそうさまでした」
さて、出掛ける支度をしようか。そう立ち上がったとき、窓の向こうの景色が目に入った。すっかり明るくなった空と、近くの木にとまってい鳥。なんだかそれがきらきらして見えて、ジョシュアはそっと目を細めた。
おまけSS『陽だまり』
今日の朝食は、目玉焼きにベーコンを添えたもの、野菜たっぷりのスープ、クロワッサン、そしてジャム入りの紅茶。
「今日もおいしそうだね。ジョシュ君、ありがとう」
テーブルに置かれた料理たちに、エリュサが目を輝かせる。
二人揃っていただきます。最初に口をつけるのが紅茶なのは二人とも一緒で、思わず微笑み合った。
「また料理上手になったね」
そんなことは、と首を振ると、彼女は本当だよと笑った。
照れ臭さを紅茶を飲みながら誤魔化して、スープを匙ですくう。
野菜を煮込んだスープも、目玉焼きも、優しい味がする。こんな味を作れるようになったのは最近のような気がするけれど、自分でも気に入っていた。
朝日が差し込む部屋の中。ゆったりと過ごすこの場所は、まるで陽だまりのようだった。