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ジュートとケイクの話~僕達は空で出会った~

登場人物一覧

ジュート=ラッキーバレット(p3p010359)
ラッキージュート
ジュート=ラッキーバレットの関係者
→ イラスト

 空は自由だ。どんなしがらみからも解放される。
 ジュートは青と緑の皮膜に覆われた翼でもって大気を打つ。空をとぶのは、水を泳ぐよりジュートにとってたやすい。
 今日はなんだか調子が悪かった。朝食のパンをバターを塗った面を下にして落っことすし、階段を一段踏み外してひとりボケツッコミをせざるをえなかったし、外へ出れば出たで安物の服を試着したらみごとに裂けたし、弁償と称してとんでもない額をふっかけられたし、そんなの払ってられないから逃げ出すしかなかったし。どうにもうまくいかない。腹が立っても誰のせいにもできないから、ジュートは空を散歩することにした。
「今日は翼の調子がいいな」
 よし、とジュートは思った。最高速度の新記録を出してやろうじゃないかと。体を鳥のように水平にし、翼を大きくはためかせる。雲が白い線となって後方へ流れていく。視界が狭まっていく。どうせならとことんやってやれとジュートは翼へ力を込めた。風圧が痛い。それでもジュートは飛ぶのをやめない。今日あった小さなアンラッキーを禊ぐように。
「ハッハー! 今日は飛ばすぞもっと!」
 一筋の線となってジュートが真昼の星になる。
 やがてキラリと天が光った気がした。飛ぶことに夢中なジュートは気づかない。それが落ちてきていることなど。このまま行くとジュートとそれは接触することなど。お互い、ものすごいスピードだということなど。結果、どうなったかというと。

 ぐわっちゃん、めきゃごしごりゅ。

「ごめんなさい」
「いや、もういい」
「ごめんなさい」
「いいって言ってんだろ」
「ごめんなさい」
「いやだから、いいってば!」
 高高度から落ちてきたのは、一人の女だった。手足は金属でできており、ふくよかな肉体を強調している。青みがかった真っ白な長い髪が、肉体を男の視線から避けるように縁取っている。ぴょこんと生えた耳はしょっちゅうくりくりと動いていてこれも愛らしい。右目の下と大きな胸にほくろがあるのが印象的だった。
「でも……怪我はなさいませんでしたか?」
 女は瞳をうるませてジュートを見つめた。その神秘的な相貌は並の男なら簡単に落ちるだろう。ジュートはでれっと相好を崩した。彼もまた並の男なみの自制心しか持ってなかったので。
「見ての通りピンピンしてる。ラッキーだったな」
(ぶつかったのがあの大きな胸だってのも幸いしたよな。うーん。むにっとして、やわらかくて、とにかくラッキーだったぜ!)
 感触を思い出して、ついへらへら笑い出したジュートに女の方もほっとしたようだった。なんであれ笑顔というものは人との距離を近づける。
「俺はジュート=ラッキーバレットっていうんだ。プリンちゃんの名前は?」
「プリン?」
「あ、いや、なんでもない」
(ぷりぷりだからプリンちゃんなんて言ったらさすがに怒られるよな)
 冷汗を垂らしていると、女はうつむいた。
「プリン……」
 ぐぎゅるうううううううううう。
 腹の虫がこれでもかと鳴った。

 *****

「ごめんなさい、私ったらこちらの世界に来てからも、なにも食べていなかったもので」
「いいって、いいって。がんがん食えよ」
 女は旺盛な食欲を発揮して次々と皿をたいらげていく。
(やばい、俺の財布ぺったんこになるかも。ちくしょう、アンラッキーだぜ)
 だがもきゅもきゅと美味しそうに食べている姿を見るのは心が和んだ。
「さっき、こちらの世界に来たって言ってたよな。ということは、ウォーカーなのか?」
「ウォーカー、ええ、彼女もそう言っていました。なのできっと私はウォーカーなのでしょう」
 彼女が何を意味するのか、ジュートにはよくわかっていた。空中庭園の巫子、永遠の少女。様々な二つ名で呼ばれる孤独な娘。
「君も会ったのか」
「ということはあなたも」
「ああ、イレギュラーズだ」
 ジュートはウインクをしてみせた。女の雰囲気がやわらかくなるのがわかった。
「お嬢ちゃんは召喚されたばかりなのか?」
「正確には五日と十四時間になります」
「そのあいだずっとはらぺこだったわけだ、ハハッ! かまわねえ、腹がパンクするまで食っちまいな、俺のおごりだ!」
 胸を叩いてみせると女は恥ずかしそうに下を向いた。
「おあしが無くて、すみませんご迷惑を……」
「気にするこたぁねえよ、ここのパブは俺の懇意だ。ツケもきくさ、な、マスター?」
 マスターはちらりとこちらを見やり、とんとんと指でカウンターを叩いて肩をすくめてみせた。
「あの、ほんとうに大丈夫なのでしょうか。私ったら、ついご厚意に甘えてしまって」
「いいんだって、君みたいな素敵な女性と楽しい時間を過ごせるならおごった甲斐もあるってものだ」
「私、そんな価値のある女じゃありません……」
 黙り込んでしまった女を前に、ジュートはくびをかしげた。

 *****

 ずっと空腹だった。最低限のガソリンで走り回っていた。
 航路が荒れようと、仲間が撃墜されようと、弾丸の雨をくぐって、冷たい海を走っていた。

 ……それでは行ってまいります。どうぞ幾久しくお健やかに。

 敬礼をする若き英雄たち。
 いかないでいかないで、偵察機なのに片道のガソリンしか用意できなかった私は、私は。最低の空母だ。もう我が軍の光明はとうに尽きている。わかっていて、なおも続くの、この戦いは。どうか一日も早く終わってほしい。非国民と罵られようとそれが私の本音。だけど英雄たちの前では凛としていなくてはならない。彼らを戦場へ送り出す側として。

 我が軍の敗北が決定的になったあの戦いで、ただの軽空母だった私に何ができただろう。せめて空が飛べたら、なにかが違ったかもしれない。そんなことを考えてしまうほどに。熾烈な戦いだった。

 お姉さま! 私も行きます!
 いいえ、転身しなさい。あなたはまだ走れる。
 私も戦います、お姉さまと共に戦って散ります!
 命令違反は軍法会議よ。それに、私はもう足をやられているの。あとはもう浮き砲台になるしかない。
 お姉さま……いや、離れたくない!
 下がりなさい、そして明日への希望をつなぎなさい!

 泣きながら後ろを向いて走り始めた私に魚雷が当たった。痛烈に思ったの、せめて前を向いていたかったと。

 *****

「……」
「あー、なんかいやなこと、思い出させちまったか?」
「いえ……過ぎた事です」
「泣きそうじゃないか、お嬢ちゃん」
 そっと彼女へハンカチがさしだされた。彼女はそれを受け取り、涙をぬぐった。綿の手触りが優しくて、涙は次々と溢れてきた。
「お嬢ちゃん、ってのもよくない呼び方だな。名前、なんて言うんだ?」
「う、ひっく、けいく、ぼ、の、ひっく、です」
「ケイク(cake)ちゃんか。うんうん、いい名前だ。なあ、こう考えてみたらどうだ。自分は生まれ変わったんだって。この世界では俺達はなんだってできる。それこそ、a piece of cakeでよ」
「うまれかわ、った?」
「そうそう。だから前向いていこうぜ。いまこの世界は滅びの危機に瀕してるらしいから、救っちゃおうじゃん。俺と君で」
 ジュートの笑みを見つめたケイクは思った。
 ――お姉さま、私、この世界ですること、見つかった気がします。
「ありがとうございます、名付け親さん」
「へ?」
「なんでもありません」
 くすんと鼻をすすった彼女は、ジュートへにっこりと笑いかけた。
 ――私、あなたのためなら、命を賭けます。

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