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観音打至東の妖刀案件・徐々
登場人物一覧
夫に酒瓶を買って帰るような心持ちで、観音打至東は長細い白包みを抱え、往路を急いだ。
制服官憲の注視をくぐり、時には壁を駆け、規制線を大胆に跨ぐ。
そうして裏路地――封鎖の最奥、いまだに血腥い香の立つ、あの官憲の死亡現場へと辿り着いた。
「ン……」
煙草をくゆらす女官憲が、こちらに気づく。気づかせた。
「お前さんは」
「妻です。こちらにて亡くなられた、あの刑事様の」
「そうか」
明らかに吊るしではない、タイトな高級スーツの胸ポケットから、女官憲は携帯灰皿を取り出す。
近くの雑居ビルの壁に煙草を押し付け、消した。
「あいつの妻だと言い出す美人がいたら、通してやれと言われている」
「おや、気の利いたことを言ってくれるものですね」
「違うんだろ?」
至東は包みを解いた。中から出てくるのは、あの――『未練杉二号』。
「ええ。後家をやっております」
「やっている……ね」
拵えた鞘に食まれた元妖刀は、至東が抜くと凛と震え、場の雰囲気を清める。
今更至東の乱入に気づき、何事かと覗いてくる制服官憲も、その異様さに言葉を失い、行動を見失った。
「あいつから聞いているよ。なんでも、妖刀探偵のようなことをしているらしいじゃないか」
女官憲の言葉に、至東は苦笑する。未練杉二号を包んでいた白布で、そのまま顔に被った。表情を隠す。
「妖刀なんて云う物は有りませんヨ」
髪をすっかり隠して、至東はそう言い切る。
「あるのは死者と、形見と、遺言と、それを尊び偲ぶ人の心です」
「なるほど」
女官憲はカツ、カツと、ハイヒールを高らかに泣かせて、ポイントに向かった。
そこにあるのは、やはり白のテープで模られた、あの官憲の最期の姿。女官憲はその封鎖を解く。
風雨届かぬ裏路地の、そこだけ日の光の届く円い空隙には、死に血がべっとりと残っていた。
「観音打さんと言ったか。これでいいか?」
「ええ。間に合ってよかった……」
道を開けた女官憲と入れ違いに、事件現場へと入ろうとする至東を。
ようやく正気を取り戻した、ある若い官憲が止めにかかる。
「おい、待て! そこから先は聖域だ! 女が妄りに入って良い場所ではない!」
至東の肩を掴み、振り向かせた官憲の目に、艶めかしい女の唇が見えた。
「な」
ア行で開いた前歯の隙に、至東は己の舌をねじ込んで、蹂躙する。
口唇を抑え、歯肉を硬口蓋を舐り、呼吸と唾液を流し込んだ。
それですっかり気勢を失った若い官憲が、女の舌に男の舌を伸ばそうとするのを、至東は未練なく離れることで制する。
つばきの銀色の橋が、幻のように消えて、ただ口の端を拭いもせぬ至東の、婀娜な涎に跡を残すのみ。
「神聖さで云うならば、女より古く、深く、強くそれに関わっているものは居ませんヨ。男はいつも、あとから入ってきて禁を破り、我が物顔に大暴れするのみです。……あ、こういう事言うと最近は平等院警察がうるさいですかネ?」
「くっく……なに、こちらも民衆の扇動には慣れている。その程度の前戯でガタガタ言わせんよ」
若い官憲は、その場に尻餅をついた。
なにか圧倒的なものが、眼前の女二人から発せられている。
「ば」
その先を云うのは、憚られた。若い官憲が思い出したように口を拭うと、至東がその頭を撫で、微笑む。
「いいこ。いい子ですネ。御飯のあとにちゃんと歯を磨くのはいい子です。気に入りました、継いで差し上げても?」
女官憲は壁に背を預け、次の煙草に手を伸ばした。
「ああ。だが説明はしてやれよ。ただのよく斬れる刀じゃないんだろう、それ」
「そうなりますネ」
放心した若い官憲を置いて、至東は再び奥へと進む。
血溜まりの手前に膝を付き、恭しく正座に構えると、未練杉二号の刀身を、その紅に漬け込んだ。
――止めるべきだ。
若い官憲はそう思う。思うが身が上手く動かない。頭も上手く働かない。
――なんの呪いだ。
若い官憲はそう考える。答えは向こうからやってきた。
ビョォンッ!
至東が、刀を振って血を飛ばした音だ。真円を描く軌道の先が、世界に線を引く。
こちらとあちらを分かつ、かのような。
「刀は持ち主の血を吸って妖を帯びると伝えられています。少なくとも彼はそう信じていました。
ですが妖刀なんて云う物は有りません。あるのは妄執と、意地と、気概と、好奇心です」
「禊は済んだんだな」
女官憲は、首肯した至東から未練杉二号を受け取ると、若い官憲に突き出した。
「お前が持て。形式上はオレから渡さざるを得ん。が、説明はちゃんと聞けよ」
「そんな、難しいことはないですヨ。ただ、貴方が死んだらちゃんと血を吸わせてあげて下さいね、というだけで」
若い官憲は、その重みを腕の中に感じて、――全てを理解する。
「ああ……」
彼もまた、未練杉二号を作り出した、無銘の妖刀工を追うチームの一員であった。
「僕に跡を継げと、云うんですね先輩。……ひどい遠回りです、ホント」