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観音打至東の妖刀案件・序
登場人物一覧
――数年前、巷を騒がせた『妖刀』辻斬り事件は、既に解決している。
依頼主であるこの官憲が加害者に縄を打ったことで新たな被害者は出なくなった。
裁きも済み、証拠能力を喪失したかの妖刀『未練杉二号』の処分に困っての、至東への依頼である。
「ご自身で差せばよろしいのでは?」
という至東の第一声に、官憲は大きく首を横に振った。
「恩賜の刀がある故、不敬に当たる」
「ヤレヤレ宮仕えはすまじきものですネ」
「聞き流そう」
言って、官憲はパイプに火を落とした。至東は窓を開ける。
「お前と俺の仲だ」
入れ替わる空気に、街の雑踏が乗って流れてきた。
「妖刀なんて云う物は有りませんヨ」
風に髪を洗わせながら、至東はそう言い切る。
「あるのは被害者と、妖刀に呪われた加害者です」
「……んん?」
官憲は首を捻った。杉のマッチを灰皿に捨てる。
「では、だが、呪う主体としての妖刀は確かに存在するではないか」
「いえ、全ては結果です。妖刀の持ち主は、呪われる被害者では有りません。私の継いだ楠切村正もれっきとした妖刀ですが、未だ私は加害者になっておりませんでしょう。謂れを鑑みれば、それこそ貴方が持ち込んだ『妖刀案件』と較べても、一枚上を行くものですが」
「『妖刀案件』……に、格の差があると」
「ええ」
至東はそう言い切るのである。
「例えばその『未練杉二号』が、真に妖刀ではなかったとしても……例えばかの『妖刀』辻斬り事件が、『なまくら』辻斬り事件だったとしても……起こり得る『事件』でしょう。精々十五人くらい、それも人気のない夜道です。斬るのは容易い」
「だが」
官憲は調査資料を紐解く。
「説明できぬこととして公認された事実がいくつかある。裁きには不要故、握りつぶされたようなものだがな。例えば被害者だが、どれも脊椎を縦一文字真っ二つに、しかも正面から割られている。けだし神業であろう。そして加害者に剣の心得はない。俺も逮捕の時に立ち会ったが、あやうく一打ちで殺すところであったぞ。何より『未練杉二号』は、一切研ぎ直された痕跡がなかった。刃は欠け、茎は腐り、鞘に至っては血でべっとりと汚れ、抜くのにも苦労するほどであった。
「今は打ち直されているので?」
「ああ」
官憲は答えた。
「血まみれの刀を裁判に出すわけにも行かなくてな。
状態をつぶさに調べ上げ、調査証拠としてお墨付きを頂いた後、ある刀鍛冶に預けた」
「刀鍛冶の名は?」
「さあな……なんだったか……ともあれ御用聞きの誰かだ。それが何か関係があるのか?」
冷め始めた珈琲を、官憲はぐいと飲む。
「まさかその刀鍛冶が怪しいなどと言い出さぬよな」
「言いません言いません。知っている鍛冶であれば、この刀をどう直したか聞けると思ったからです。それはきっと、私の推理を裏打ちするものですので」
「推理」
至東は棚から取り出したハンカチーフを口に咥えた。官憲は、『未練杉二号』を至東に渡す。
「気をつけろよ」
「なあに、観音打に妖刀など効きません」
――抜いた。官憲の目から見ても、これが業物であることは間違いない。
日を受けて鈍く輝く銀は、数多くの肉骨を食んだものだ。自分の恩賜刀と較べても、持っている凄みが違う。
刃紋は平ら。だが切っ先に一つだけ、木のように飛び出した部分があり、それが銘の由来なのだろう。
至東はそこまで抜くことなく、白鞘に収めた。
「……はあ。腕の良い鍛冶を使うのも考えものですね。大方ただ『直せ』とでもお命じになられたのでしょう。だから鍛冶は、業物に直した。次からは素人に洗わせるがよろしい」
「なにっ。まさか、鍛冶師が証拠品に細工を?」
「これはもう、ただの
至東は、『未練杉二号』を卓に置く。
「見たかったんですけどね。
「なる、ほど……………………!」
切れ者の官憲だ、さすがに頭が早い。
しかし問わざるをえない。
「しかしそんな腕を持つ刀鍛冶がいるというのか? 牛を裂くに牛刀、人を斬るに打刀、しかし、そんな――」
「居ますよ。居るでしょうよ。銘を切らなかっただけの、無名の、おそるべき刀鍛冶です。村正……の流れでしょうか、それとも正宗、長船……いえ、アナトミーが広まったのはそれより後でしょうから……」
「…………そう、か」
官憲は『未練杉二号』を引っ掴んだ。
「そうと聞いては、ここには居れぬ。邪魔したな、至東」
「ええ、お達者で。今度はまた夜にでもおいでませ。時間を空けますヨ?」
「俺にその時間がないさ。未練だがな、お前の――」
官憲はその先を言わず、部屋から出ていくのであった。