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弾正と道雪の話~誰かのせいにしたい~

登場人物一覧

冬越 弾正(p3p007105)
終音
冬越 弾正の関係者
→ イラスト

 ふむ、と道雪は首をひねった。弾正を見つめていた彼はひとつの仮説を導き出す。このままでは遠からず研究は頭打ちになるだろう、と。それは困る。弾正の観察による人間の機微の研究はまだまだ上澄みをスプーンで掬ったにすぎない。しかし、観察対象である弾正が心を閉ざしてしまったとなれば研究は頓挫したも同然だった。
 最近の弾正は明るく振る舞っている。笑顔を見せ、子どもには温かく、お年寄りには優しく、同胞には親切に。だれかの誕生日にはケーキを焼くし、フォーチュンクッキーなど作ってみたりして皆へ配り憩いの花を咲かせた。
 できすぎている。それが道雪の感想だった。今の弾正は道化の仮面をかぶっている。弾正はもっとストイックで孤独な男だったはずだ。それがどうして急に方向転換したのか。これは本人に問いただしてみねばなるまい。そう道雪は心に決めた。ある日イーゼラー教の礼拝室へから弾正が出てくるのを見計らい、道雪は自然に彼へ寄り添った。
「いい天気だな、弾正」
「いい天気過ぎて暑いくらいだ。そうかと思うと冷えるし、毎年空模様に振り回されてげっぷが出そうだ」
「ハハッ、違いない」
 いつになく饒舌な弾正。道雪はさり気なく弾正の行き先が談話室になるよう誘導した。硬い殻に覆われた弾正の心をどうにかするには、話し合いとカウンセリングが必要だと道雪は考えていた。もちろんそれは技術に過ぎず、道雪自身の心に響くものはなにもない。ただモルモットに異常が起きたならば治療するのは当然のことだ。幸いにも弾正もまた道雪と話したいと考えていたらしく、すなおに談話室までついていった。
 談話室はオフホワイトと渋いオレンジの壁紙が特徴的な物静かな部屋だった。ひとつだけある窓は縦長で大きく、ガラス越しに大自然の息吹をつたえてくる。木漏れ日が心地よく室内を照らし出し、明かりなどは野暮なくらいだった。
 白い机と椅子が並んでいる一角に道雪は弾正と腰を据えた。
「ここに誰もいないとは珍しいな」
 不思議がる弾正へ曖昧に答え、人払いをした本人である道雪は、まずは引きの一手を打った。
「恥ずかしい話なんだが、最近俺の研究がはかどらなくてな」
「発明のことか。それならお安い御用だ。俺がいくらでも実験につきあう」
 あんのじょう弾正は乗ってきた。今の弾正には強く迫るよりも弱みを見せるほうが簡単だ。道雪はここまではよし、と言葉を続けた。
「なんというか、ネタ切れ、というやつだろうか。ついついクオリティばかりを追い求めて、結果何もできなくなる」
「道雪殿、言わせてもらうが、それはよくない傾向だ。道雪殿にとってはガラクタでも、俺には光り輝いて見えるものばかりだ。ぜひ研究を続けてほしい」
「ありがとう弾正。はあ……やる気を出すにはどうしたらいいんだろうな」
「イーゼラー様へ祈るんだ。心の中の靄が晴れるぞ。爽快な気分になる」
「俺にはそうは見えないんだが」
「イーゼラー様の教えを疑うのか?」
「めっそうもない」
 道雪はするりと弾正の心の襞へ手を差し込んだ。
「俺にはあれだけ熱心にイーゼラー様へ祈っている弾正が、誰より救いの手を求めているようにみえるんだ」
「道雪殿……」
 弾正が顔を曇らせる。はたしてこの一手は彼へどのように作用したか。その点だけでも興味深い。道雪はしんぼうづよく答えを待った。
 ガタン。椅子が鳴った。弾正は両手を机に叩きつけて立ち上がっていた。
「いまその話をする気分じゃない」
 道雪は笑みを深くし、弾正へ座るよううながした。この反応が引き出せただけでもなかなかの収穫だ。やはり弾正は自分の心を鎧で覆っている。仮説が実証され、道雪はいい気分だった。
「弾正」
 道雪は椅子に座ったまま身を乗り出した。
「つれないじゃないか。俺で良ければ話を聞かせてくれ」
 ゆらゆら。弾正の瞳が揺れている。弾正の心が揺れている。
「俺は弾正を友だと思っていたんだが、弾正は違うのか。情けない話だ」
 つづけてとどめの一撃。
「どうせここには誰も居やしない。誰にも聞かれることはないのに、何をそんなに怯えているんだ?」
「怯えてなんか……」
「いる」
 語尾が消えゆく弾正の言葉を看取り、道雪はさらに左腕を前へ出した。
「弾正が苦しんでいるのを見過ごす訳にはいかない。友として」
「……」
 弾正は押し黙ってしまった。しかしそのうらで彼の保身と打算が激しく打ち合っているのを道雪は感じ取っていた。
「……これは、聞いた話なんだが」
 道雪は片眉を跳ね上げた。弾正は暗い瞳で机へ視線を落としている。
「俺の友人が、弟を失ったんだそうだ」
「……そうか」
 このそうかは同情するように。あくまで一定の距離を保ったまま道雪は相槌を打つ。
「友人と弟は長年不和だった。正確には友人が弟を嫌っていたんだ。弟は、そんなことなかったのにな……。弟は故郷の一族から生まれた時から褒めそやされ、兄は忌み子として嫌われていた。なにもかも正反対の双子、それが友人と弟だったんだ」
 わずかな沈黙が間を継ぐ。一度話し出してしまえばもう止まらない。
「弟は、友人の恋人を助けるために身を挺したらしい。現場を見ていないからわからないが、彼らしい死に様だったようだ。だが弟が死んだことにより、深緑から豊穣への一族移住計画に混乱が起きた。反対派と賛成派が分裂してしまったんだ。弟を慕っていた従者もひどく気落ちしていて……、友人はそのケアに必死なんだ」
「そうなのか」
「友人から聞かれたよ。俺はどうすればいいって……。俺は返す言葉も見つからなかった。そうだろう。あまりにあんまりじゃないか。一族の希望が見えてきた矢先。兄とも和解して時も待たず、それでいて最後まで兄のことを思って、弟は、弟は……」
 弾正は深い部分まで話している。そう感づいた道雪は大きな手で弾正の頭を撫でた。
「なっ、道雪殿、俺は子どもじゃない」
「頭を撫でられるとストレスが35%低減されるんだ。これは大人も子どもも関係ない。……弾正、つらい思いをしたな」
「こ、これは、あくまで友人の話で!」
「いいんだ。俺の前でだけは本当のことを教えてくれ」
 深くうつむく弾正の頭を道雪は撫で続けた。
「……俺は、どうしたらいいんだ」
 苦悶にまみれた声が絞り出された。
「俺を慕ってくれた弟を、俺は失ってしまった。看取ってやることもできずに……」
「よき魂はイーゼラー様のもとへ導かれる」
「そうだろう、そうだよな!?」
 勢い込んで弾正は顔をあげた。目元が真っ赤に染まっている。まるでウサギのようだなと道雪は感じた。
「弟はイーゼラー様のもと、幸せに過ごしているよな! 俺を恨んだりなんかしてないよな!」
 それが本音かと道雪は笑い出したいのをこらえた。死は不可逆だ。死者に想いなどあるものか。弟の影に怯え、罪悪感にまるまっているのが弾正の真の姿。それゆえか、それでもなおか、一族のためと身を粉にして働いている。なんて笑えるんだ。なんて愚かなんだ。自分の心の穴を埋めたいがために周りの人間を利用しているなどと考えたりはしないのか。ひたすら我が身可愛さで動いているこのエゴイストめ。だからこそ、もとに戻って欲しいんだ。これ以上ない研究対象だから。
「ああ、きっと弟はお前を見守る守護天使になっているさ」
「……道雪殿」
 弾正からほろりと涙がこぼれ落ちた。それが何を意味するのかは、じっくりと料理していこう。道雪は舌なめずりを抑えた。

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