SS詳細
殺人鬼は微笑む
登場人物一覧
真夜中、血を被った青年が狼男のように街に立っていた。青年の顔は陶器のように儚く、鮮血が痣のように顔を濡らしている。冷たい風に赤が混じり、青年は静かに笑った。良い匂いだと思った。口の中は、尖った歯と少しだけ長い舌が唾液に濡れている。青年は人差し指を口に咥え、尖った爪と皮膚のすき間に挟まった肉片を舌先でちろちろと味わい、うっとりと目を細め、指を咥えたまま、その場で踊り始める。踊りなどまったく知らなかったが、乱暴なステップは青年の心を弾ませていく。
「見つけたぞ!」
その声は怒気を孕み、ピストルの弾のように青年の耳に届いた。青年は反射的に踊ることを止め、紫色の目を細め、振り返った。白い服の男が怒ったような顔をしている。特徴のない顔だった。主役の為に存在する、脇役のような男。それでも。
「速いね、凄いよ」
青年は微笑する。男は特別なのかもしれない。目の前に男が飛び込む。青年は下を見た。月光が男の左手のナイフの在処を教えてくれる。男は驚くほどに吠えた。そのすべてを、青年にぶつけるように。男は強引な動きでナイフを青年の右肩に突き立て、ねじ込んだ。忽ち、赤い液が舞い上がる。青年は倒れ込む身体を無意識に両足で支え、小首を傾げた。どうしてだろう、
「……素直に降参してくれないか? U、君は人を殺しすぎた。もう、飽きた頃だろう?」
男が笑った。とても硬い笑みだった。蒼白い顔は吹きでる汗でぬらぬらと光っている。
「うるさい」
耳障りな音に舌を鳴らす。青年は頭を尖った爪でがりがりと掻き、右肩に食い込んだナイフを一瞬で引き抜く。そして、青年は笑いながら男の懐に飛び込み、狙いを定める。
「静かにしてくれ」
青年は呟く。瞬く間に男の喉にナイフを突き刺し、崩れ落ちる男を乱暴に突き飛ばし、駆けだす。ひゅうと男の喉から息が漏れた。青年はハッとする。何故だがその音は「今だ」と叫んだように思えた。
「!?」
突然、回転した脚が見えた。鋭い攻撃に青年は弾けるように飛び退いた。それでも、回避しきれなかった。手を蹴られ、持っていたナイフを衝撃で手放してしまった。気が付けば、左耳がぱっくりと割れ、血を流している。女の匂いを感じる。
「ああ……」
青年は知った、男の背を踏みつけていることを。硬い男の肉と浅い呼吸を感じた。男はまだ、
「なんだよ、これ」
青年は呟き、自らの胸に手を当て唇を歪ませる。心臓は興奮で脈打つ。可笑しくて、吐いてしまいそうだった。
「いい、最高だよ」
青年は男から離れ、笑う。どうしても、にやけてしまう。
「急いで何処に行くんです? 殺人鬼さん?」
津久見・弥恵(p3p005208)が青年の前に立ち、にっこりと微笑んだ。青年は驚き、目を瞬かせた。女だと思っていたがこんなに美しい女であると思っていなかった。長い髪は月明りによって星のように輝き、弥恵の心地よい声に心を奪われる。弥恵の白磁の腕がほっそりとした腰に触れている。誘うような艶めかしい仕草に青年は引き込まれしまう。
「おや、シャイな方でしたか?」
弥恵は言い、地に伏せる男をちらりと見た。
「うん。そうなんだ。わたしも初めて知ったよ」
青年は言いながら、おやと笑った。弥恵の眉根が僅かに寄ったこと、そして、タイミングの良さから青年は男が弥恵と組んでいたことを知った。
「……なんです、その顔は」
弥恵は身構える。
「どうして、人は死ぬ?」
「……」
「分からない? 私が殺すからだよ」
青年は飛び、ステージに立つ演者の如く、男の背をぐにぐにと踏みつける。青年は聞こえるであろう
「止めなさいっ!!」
弥恵の端正な顔がすぐに歪み、青年に真正面から挑む。
「へぇ、素敵だ」
青年は迷いなく、飛び込んできた弥恵を見つめる。確かな正義が黒色の濡れた瞳から溢れ出す。
「どきなさい!!」
長髪が絢爛と踊り青年の目を打った瞬間、胸部に膝が打ち付けられた。弥恵は手ごたえを感じたのだろう。今度は腹を蹴り上げられた。獅子奮迅 、弥恵の攻撃は軽やかで重い。次の動作の予測がつかなかった。
「見惚れると怪我をしますよ?」
美しい声がぼんやりと脳に響いた。
「があっ……」
青年は無意識に血を吐き、駒のようにくるくると地を滑った。俯せのまま、青年はゆっくりと近づく弥恵をどうにか見上げる。涙を流し、呼吸を乱す。青年は両足に力を込め、弥恵と対峙する。地面に濁った唾を吐いた。
「まだ、立ち上がりますか。ふらふらですよ?」
弥恵は警告している。
「うん」
青年は言い、動いた。弥恵に背を向け、男の元に駆けていく。
「なっ!?」
弥恵の驚く声が聞こえると同時に弥恵の気配が迫る。素早い動きに青年は舌を巻く。しなやかな身体をバネのように動かし、青年の前に一気に躍り出る。華麗な動きは舞姫に相応しい。
「これ以上の侮辱は私が絶対に許しません!」
弥恵は瀕死の男の前に立った。青年は弥恵が避けないのだと思った。唾液を呑み込めば血の味がする。
「うん、それはいいことだ」
だから、弥恵の細首を掴み、頬を二度、傲慢に殴った。弥恵は衝撃に僅かに身体を揺らすが、その場を動かない。青年は高揚する。弥恵は口を結び、青年を強く睨みつける。弥恵の首には青年の爪が食い込み、血が滲んでいく。
「痛くないの? 大丈夫?」
「ええ、心配いりません!」
弥恵はしっかりと答えた。青年は喉を鳴らす。本当に良い女だと思う。自己犠牲。愛に正義。何もかも、奇麗で狂っている。青年は首から手を離し、弥恵の腫れていく顔に爪を振るう。赤く歪んだ短い線が奇麗な顔に現れ、血を零していく。弥恵は震え、必死に耐えている。青年はああと苦しそうに呻き、身体を痙攣させる。まるで、痛いのは自分であるかのように。青年は堪らず弥恵の腕に咬みつき、瞬時に唇を離し、息を吐きだした。恋をしているかのように、弥恵に夢中だった。
「待って、いかないで」
青年は懇願し、転倒する弥恵の脇腹を蹴り上げ、男を気にする弥恵の髪を掴み、乱暴に立たせた。男は弥恵に守られ、確かに生きている。
「あっ……」
髪を掴まれ、弥恵はようやく小さな悲鳴を上げた。青年は弥恵からぱっと離れ、口を押え、嗚咽を漏らした。悲鳴と鮮明な赤に青年の目が輝く。
「奇麗だ……」
青年は見る。弥恵の左の鼻腔から鼻血が流れている。青年は頭を右手で押さえ、よろける。自分がちゃんと生きているような気がした。弥恵は青年をしっかり見つめている。その執着に身震いする。もっともっと見つめて欲しいと思った。そして、喘ぎ、血を流し、助けてと叫んで欲しい。でも、弥恵は左右に身体を揺らしながら、必死で痛みに耐えている。血塗れの身体は鎧よりも重いだろうに。
青年は笑った。
「それは、わたしも同じこと……」
集中力のお陰だろうか。痛みを感じることはなかった。ただ、この眩暈の正体を青年は知っている。四肢が痙攣し始める。自由がきかない身体で、弥恵を殺したくないと強く思った。
「だから……また、
青年は弥恵の頬にこびりついた赤を舌で舐めとり、唖然とする弥恵からよたよたと遠ざかっていく。
おまけSS『P』
「お嬢さん、お嬢さん」
「へ? 私でしょうか?」
「そうそう、君だよ。津久見・弥恵さん」
「ど、どうして私の名を!?」
「見えるんだよ、ワタシにはね。貴女の未来も名前さえもね」
「ギフトでってことです?」
「……まぁ、そんなものだよ。で、お嬢さんは今から落とし物をキャッチするんだ」
「落とし物を……キャッチ? え、はッ!? 上から何か飛んできて……あっ! 女物のパンツです!」
「そう、パンツだ!」
「ええ、パンツですけれど……と言うか、何でパンツが降ってくるんです!?」
「流行ってるんだよ、好きな人のパンツを空に放り投げるのがね。しかも! 高ければ高いほど恋が叶うってさ」
「え? それって本当に叶います? え? あっ!? また、降ってきて……!?」