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食すは愛
登場人物一覧
「今日は小鳥の作ったパエリアがいい」
時刻は夕方。
武器商人と呼ばれるモノはそもそも、"無辜なる混沌"へ召喚される前から食事を必要と思っていなかったのだという。他者から供されれば口にするものの、それらの食べ物が栄養になっているかどうかもわからないまま生きている。必然的に食への興味も薄く、あったとしてもそれは『隣人』たちをより知るためのツールのひとつ程度でしかなかった。
その1つがまさに今、
元々、与えられるだけでなく自分も愛しい番に美味しいものを食べさせてあげたいと料理の練習を始めたヨタカだが、その積み重ねが今や
そんな愛する番からのリクエストならば、ヨタカが叶えない理由はひとつもない。
「いいよぉ……あと数時間もすればラスも帰ってくるから、今からお買い物してこようか。紫月も一緒に食材、選んでくれる……?」
ヨタカが絹糸の様に触り心地のいい銀の髪をよしよしと撫でれば、紫月と呼ばれた
◆
サヨナキドリ商店街。
「ええと……まず海老は欠かせないね。あと貝類と、イカと……それからサフラン、パプリカ、トマトに、香味野菜……」
「であれば野菜から買おう。今の時期なら傭兵産のトマトが欲しいねぇ。海洋産の魚介類は今朝、鮮度のいいものを仕入れたと魚屋が言っていたようだから連絡を回して取り置いてもらおう」
通常ならば案内人や地図が必要になるほど複雑な場所だが、其処は
「小鳥、品数も欲しいからサラダもどぉ?」
「いいね……それならレタスも買おうか」
「出来ればパエリアと被らない野菜を使ったサラダにしたいねぇ。……そうだ、ドレッシングの代わりにアンチョビを使おう? オリーブオイルとアンチョビ」
「わ、美味しそぉ……。魚だからパエリアとも合うね」
こちらの野菜の方が身が詰まっている、サフランは少なくていいけど品質のいいものを、ついでに製菓用の食材を買い足そう……わいわいとお喋りしながら買い物カゴの中身を増やしていると、ヨタカが精肉店の試食コーナーで足を止めた。
「ソーセージ焼いてる……」
「練達の手法を真似てるのだろうね。ほら、やはりニンゲン、実際いい匂いがして美味しそうな食べ物が目の前にあると買いたくなるらしいから」
それはそう……とヨタカは小さく頷いた。実際、甘みのある肉の香りを漂わせながら、焦げ目の程よく付いた皮やふっくらと膨らむ断面を見せつけられると口の中に自然と唾液が滲み出てくるのを感じてしまう。
「貰ってみたらどうだぃ?」
「……じゃあひとつ」
笑顔で皿を差し出すお姉さんから楊枝の刺さったソーセージを一欠片摘んでそっと口に運んでみる。口に入れたそれを咀嚼するとパリリッと皮の破れる小気味のいい音と共に、ぎゅうぎゅうに詰まった肉からしっかりと肉汁が滲み出てきたのを舌で感じることができた。ハーブか香辛料か混ざっているのか、後味にほんのりと爽やかな辛味を感じるのがまた心地よい。
「ん、ん〜……っ! 美味し……」
「そいつは重畳」
ほぅ、と感嘆のため息を吐くヨタカに、
「美味しいねぇ」
「ん、ん……そうだよね。折角だしこれも買っていかない……? こんなに美味しいなら、ラスにも食べさせてあげたい……」
「……そうだね、別の食事の時に使おう。このソーセージをいただこうか」
毎度あり! とニコニコ笑顔のお姉さんが保管ケースからソーセージの入った袋を取り出そうとするのを、「ああいや、」と
「奥の箱の中にあるものを貰おうか」
お姉さんが笑顔のまま固まった。え。とか、は。とか意味のない言葉の切れ端が唇から滑り落ちる。ひょろりと細長い痩身がお姉さんの真正面に立ちつと、
『随分とみみっちい手を使うじゃあないか』
『デモンストレーション用には高級な肉、実際の販売にはそれよりランクの劣った肉を使っている』
『製法もあからさまな程ではないが、手を抜いているね? 大方、文句が来ても"保管や調理法の問題"とシラを切るつもりだったのだろうが……』
『"内部監査課"に教えたら、実に愉快な結果になりそうだなァ?』
ひっ、と喉の奥から引き攣った声を出すお姉さんに、
「よしよし、いい買い物ができたね。おまたせ小鳥。シーフードも買いに行こ?」
「……、……ねぇ、紫月」
「んー?」
「何を話してたの……?」
「ああ、えっとねぇ。仕事に精が出るねぇって話してたんだよ」
「そうなの……? それにしたって、その……なんか、近かった様な……」
少し離れて2人のやり取りを見ていたヨタカはどこか心配そうにぽそぽそと小声で呟きながら、まるで周りに牽制する様に先ほどよりも密着した。流石に自身の立場で白昼堂々と店舗の不正を指摘できずに声音を絞ったのがいけなかったか、と
後日、精肉店のお姉さんはサヨナキドリの監査官の調査によってぎっちりと締め上げられた。何せ肉を安くしてはもらったが、「報告しない」とは一言も言っていないのである。
◆
家に帰ったヨタカと
「お父さん、パパさん、ただいま!」
「「おかえり、ラス」」
パタパタと足音軽やかにキッチンに姿を見せたのは2人の養子であるラスヴェートだ。サヨナキドリで実施している基礎教育を終えて帰ってきた彼に2人はそれぞれ頬におかえりのキスを贈る。
「今日も頑張ったね、いいコ。もう少ししたら晩ご飯ができるからねぇ」
「パパさんが、パエリアを作るから……楽しみにしてて?」
「パエリア!? やったぁ! ……あの、僕も手伝うことある?」
「そうだね……それじゃあ、手を洗って……お父さんと一緒にサラダを作ってくれるかい……?」
「うん! わかった!」
元気よくお返事をしてくれるラスヴェートを
まずは細かく刻んだ玉ねぎやセロリ、ニンニクなどの香味野菜とイカをフライパンでじっくりと炒める。油は香りのいいオリーブオイルを使い、香ばしさと旨味の素になるのでイカにはしっかり焼き目を付けるのが望ましい。それと同時に米を炊く用の水も火にかけておく。
玉ねぎが透明になったらパプリカと細かく潰したトマトを入れて水分を飛ばす。少ない水分で育てられる傭兵産のトマトは非常に甘いが、水分を飛ばしてじっくり炒めることで更に酸味が和らぎコクが増すのでここは焦らず丁寧に。
「紫月……固形のブイヨンって、まだあったよね?」
「ン、調味料棚に残ってるはずだよぉ」
「ありがとぉ……」
ラスヴェートと一緒にレタスをちぎっている
トマトが煮詰まってきたら横で沸かしていた湯の中へ固形ブイヨンを投入し、フライパンの中へ注ぐ。ヨタカのこだわりだが、この時にブイヨンスープは全て注がず少し残しておいて、一度スープの入った鍋の火を止める。残したスープもこのパエリアに使われるのだが、注ぐタイミングが少し違う。
「美味しそう……」
「ふふっ……まだかかるよ、ラス……。そっちは順調?」
「うん。今ね、お父さんと一緒にズッキーニを切ってるの」
「ヒヒ、ラスヴェート。包丁を使っている際は余所見をしないこと」
「あっ……ごめんなさい」
それまで漂っていたトマトの香りに魚介類のものが混ざり、食欲を刺激し始めたところで1度火を止め、しっかり火の通った魚介類を皿へ移す。そのままにしていると、この後の工程で逆に火の通し過ぎになってしまうので最後にパエリアと混ぜるのだ。
さて、ここからがひと手間。ヨタカは細かいネットで出来た料理用の巾着を取り出すと、その中に茹で上がった海老の頭や殻を千切って放り込む。
「あちち……」
頭の付いた海老は見た目は豪華だが、少々食べにくい。かといって、折角の旨味の詰まった頭をそのまま捨ててしまうのももったいない……そこでヨタカは残していたブイヨンスープに海老の頭と殻を入れた巾着を浸し、トングでぎゅっと挟みながら軽く煮立てる事で海老の出汁を取ることにしている。この濃厚な海老の出汁をフライパンの中で合流させることで無駄なくパエリアに旨味を閉じ込める工夫だ。
「小鳥、何か手伝うことはある?」
「わ……紫月。大丈夫だよぉ」
サラダを作り終わったのだろう、
「後はご飯を炊くだけ……。美味しいの作るから、ラスと一緒に待ってて……ね?」
「……はぁい。であれば、カトラリーを出しておくかね」
構ってもらえて嬉しかったのだろう、長い前髪の奥でゆるりと瞳を細めたソレは、上機嫌に銀髪を揺らしてリビングの方へ。自分が作った料理を楽しみにしてくれている……紫月と、ラスが……。そう思うだけで湧き出てくる喜びを噛み締めて、ヨタカはフライパンへと向き直った。
再び火を入れると、ここからが正念場、と気合を入れ直しながらサラサラと満遍なく米を入れていく。ここから火加減は最大の注意を払わなければならない。水分を飛ばさなければ米がべちゃっとしてしまうが、ずっと強火で水分を飛ばし続けると「お焦げ」がとんでもない量になるし、米もアルデンテどころか生煮えの状態になってしまって美味しくない。
「ん……そろそろ、弱火に……」
ジッとフライパンの中身を見ながらヨタカは火加減を調節していく。最初のうちはこの時点でかなりの失敗を重ねたものだ。もうリゾットのなり損ないみたいな生煮えの米を愛するヒトの口に運ばせることは耐えられそうにない。子供には尚更だ。
赤く芳醇なスープが煮詰まっていき、米に吸われ、やがて鍋底がチリチリと音を発し始めて──
◆
「それでね、先生がそろそろ専門の教育を受けないかって……」
「ラスは受けてみたい?」
「え……っと、お父さんや、パパさんの役に立てるなら……」
「なるほどねぇ……何かを識る事は好きかぃ?例えば本を読むとか、調べたりとか……」
「……うん、好き」
「であれば、その好きを大切にするといい」
「紫月、ラス、おまたせ……できたよ……」
「おっと。ありがとーぉ、小鳥。運ぶよ」
リビングで
「ふわぁ……!」
ほかほかと温かな湯気に混じるほんのりと爽やかなレモンの香り。食欲をそそるサフランイエローのご飯に混ぜ込まれた色鮮やかなパプリカや具沢山の海の幸がラスヴェートには宝の山にも等しい魅力となって移る。
この家に迎え入れられてからラスヴェートが食べるものは何だってご馳走の様に美味しいが、とりわけパパさんの作るパエリアは見た目の豪華さも相まって自分が口にするのはあまりにも恐れ多いのではないか……とついお父さんとパパさんを見てしまう。すると2人は微笑んでこう言うのだ。
「美味しそうだねぇ、ラス」
「今回も自信作ができたから……ぜひ、食べてみてほしい……」
3人で食事前の軽い慣習を行ってから、皆スプーンを取ってそっとパエリアに差し入れてみる。香ばしいお焦げを程よく付けながらもしっとりと炊き上がったご飯。それを口の中で噛み締めると魚介とブイヨンの旨味がじゅわっと一気に広がった。じっくりと炒めた香味野菜もいいアクセントになっている。
「……2人とも。どう、かな?」
「っ、美味しい!」
「……ん、美味しい」
ラスヴェートはホロホロと優しい白身魚の味わいに耳をぴこぴこと揺らしているし、
「パパさん、えっと……サラダ、美味しい?」
「うん……すごく美味しいよ……。ズッキーニが一口サイズになってて食べやすいし……アンチョビの塩気とオリーブオイルのいい香りが相性抜群で、やみつきになりそう……」
「……よかったぁ」
ヨタカが素直な感想を伝えると、ラスヴェートは自分が調理に関わったサラダを褒められて笑顔を浮かべて自身もサラダをぱくぱくと口にする。その横で、
「小鳥」
「なぁに、紫月……?」
「今日はジュエリー・ストロベリーを買ってきただろう?ほら、デザート用に」
「ああ、大粒で美味しそうだったね……」
「だからねぇ、」
菫色の瞳が健気な小鳥を見つめる。それで形の良い唇は、本来は必要が無い筈の「おねだり」を紡ぐのだ。小さなおねだり、ちょっとしたわがまま。それらは全て、ヨタカだけに向けられるふれあいの所作。
「食後に、小鳥の淹れた紅茶が飲みたい」
いいよぉ。と頷いたヨタカの顔は、愛しいヒトに愛情を捧げる喜びで満ちていた。