PandoraPartyProject

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誰に誤ったものだろう

登場人物一覧

佐藤 美咲(p3p009818)
無職
佐藤 美咲の関係者
→ イラスト
佐藤 美咲の関係者
→ イラスト


 気分が落ち込んでいると、どれだけ空が澄み渡っていても、陰って見えてしまうもので、美咲がレンズ越しに見上げたそれは、春の薄い色をしたそれとは関係なく、どこかモノトーンのように見えていた。
 雨は昨晩限りであがったというのに、いまだどんよりとしたものが漂っているように見えてならない。
 下を向いて、ため息を一つ。花弁が散って、土と混ざった地面が見える。木についていたときはあんなにも綺麗なものだったのに、あるべき場所からもがれた姿はこんなにも汚らしい。
 振り向いて、その建物を見上げる。派手な装飾はなく、ただ『写真屋』と現地の言葉で看板を出した店。入り口のノブにかけた看板をくるりと回し、『close』から『open』に切り替えた。
 ここはグアラレニード領、領都。その街に新しくできた写真屋。それが、美咲の今の肩書だった。
 からんころんとなる扉。始めは少し可愛く思えたものだが、数日も経つとなれてしまった。
 店内に飾られた写真を見て回る。家族写真、風景写真、動物のそれ、食べ物のそれ。どれも、美咲が自分で撮影したものではない。これらは全て、美咲が写真屋として振る舞うための小道具に過ぎない。
 それでも、訪れた客はこれらを美咲の作品だと誤解して、その腕を見誤ってくれるだろう。まあつまるところ、写真屋というのも一種の隠れ蓑に過ぎないものだった。
 からんころん、もうひとつ鳴子の音。朝も早くから客が来るというのは珍しい。
「いらっしゃ……あ」
 入ってきた美丈夫に、反射的に挨拶をしようとして、思わず身をこわばらせた。
「おはようございます。お邪魔しますね。ああ、どうぞ、そのように固くならず、楽にしてください」
 無理を言う。緊張しないでなど、いられるわけがない。朝も早くから、このような新顔の写真屋を訪ねてきたのは、グアラレニード領内務室長、アルバート・フラクタニスであった。
 知人、ではない。ただ、領内での有名人であるから、顔を知っていただけだ。だから、大丈夫。まだボロは、出していない。さっきの「あ」は、失敗ではない。
 何をしに来たのか、というのは聞かないほうがいいだろうか。新しい、写真屋。明らかに西洋系ではない顔立ち。カメラを持ち歩いて違和感のない職業。それらから、何を連想する。何を訝しむ。
 それでも、用件を伺わぬわけにもいかぬ。店を構えているのだ。客の注文を取らぬ方が不自然だろう。
「どのような御用、でスか?」
 今度は、平然を装う事ができた。突発的なものでなければ、心臓が跳ね上がることもない。ほんの数秒でも、心の準備さえできてしまえば、仮面をかぶることなど容易いものだ。
「え、ああ、すいません。写真を撮っていただきに来たわけではないんです。こちらのお店はまだ新しいでしょう。そういうところは把握しておきたくて、いつも、私が自分で脚を運ぶことにしているんですよ」
 内心で舌を巻く。グレアレニード領都は、無論、王都に比べれば劣りはするものの、それでもそれなりの規模を持っている。その全ての店舗を、一度は訪れ、全て把握しているというのだろうか。
 いいや、違うのかもしれない。『怪しい店』だけをピックアップし、それを脳内でリストアップしているだけなのかも。問題が起きた際に、真っ先に候補をあげられるように。
 しかし、懸念したそれは杞憂であったのか。何かをしつこく聞かれたり、店内の隅々まで覗かれる、調べられるといったことはなく、フラクタニス氏は初めたてで困っていることはないかだけ尋ねると、せっかくだからと写真を一枚撮って、それだけで帰っていった。
 帰り際、「雰囲気の良いお店ですね。今度はまた、家族で来ることにします」と言って手を振りながら去っていった。思わず、手を振り返して、何をやっているのだろうという自問にまた、囚われた。
 何をするでもなく、少しの間。
「……写真、現像しなきゃッスね」
 うまく、撮れていただろうか。そんなことを考えてしまう。この仕事にあたり、それなりの練習はしてみたが、あくまでそれなりだ。素人目を誤魔化せるほどであれば、いいのだが。
 良い街だ、と思う。同時に、規模が大きくないからこそかもしれない、とも。
 あのように、都市運営の中枢にいる人物が、一店舗を視察に来る程度には、ここは平和で、小都市であるのだ。
 それが知れただけでも、良かったかもしれない。
 窓から、空を見上げる。少しだけ、色がついたように見えた。
 それが鳴るまでは。
 音が鳴る。扉が開くそれとはまた、別の音。
 美咲の顔が陰り、否、無表情と呼んでいいものとなり、奥の部屋へと足を進める。
 それは、美咲を呼び出す、そのふたりを知らせる音だった。


「ミサちゃん、こんにちは」
「勤勉にしているか? ふん、愚問だったかな。貴様に真っ当さを求めるなど」
 通信で届くそのふたりの声は、聞くだけならばまるで正反対の印象を受けるものだ。
 だがどちらも、本質にそれほど違いがないことを、美咲は理解していた。
「喜べ、怠惰を貪る時間も今日で終わりにしてやろう」
「はーい、それじゃあ、今回のお仕事を伝えるわね」
 返事はいらない。美咲の仕事は、この二人の命令のまま、彼女らの求めるそれを遂行することだ。この都市で本業でもなんでもない、写真屋などという身分を偽っているのも、その一貫であるのだから。
 高圧的な方の声から、その後も数度、嫌味が飛んでくるものの、適当な相槌をうってスルーする。文句の一つを言ったところで、関係の改善など見込めない。ともすれば、自分の立場が、生命が危うくなる可能性すらある。
「―――の暗殺を命じる。今夜決行だ。速やかに準備をしろ」
「…………え?」
 だから、聞き逃してしまった。今、このありがたくもない上司はなんと言ったのだ。
「あらら、もう、ちゃんと聞いていてね。今回、ミサちゃんには、アルバート・フラクタニスを暗殺してもらうの」
 血が、淀んだような気がした。なんと言った。この女は今何と言ったのだ。誰が、誰を殺すといったのだ。
 もう聞き返すことはできない。役立たずだと思われてはいけない。だというのに、その先を求めてしまっていた。
「ど、どうして、ッスか?」
「は? どうして理由など教えてやらねばならんのだ」
「もう、いいじゃない。それじゃ、説明するわね」
 曰く、グレアレニード領はここ数年での成長がめざましく、都市規模に見合わないだけの発展を遂げ続けている。無論、それで何かイレギュラーな武力になりうる可能性は低い。しかし彼女らが所属する『00機関』はその成長を押し留めるべく、目覚ましい内務員を失脚させようと考えたのだ。
 つまるところ、出る杭があったので、とりあえず打っておこう。その程度の意識である。
「なかでも、アルバート・フラクタニスは優秀なの。だから、まあ念のためね」
「念の、ため……」
「痕跡を残すなよ。足跡の一つもだ」
 犯人不明。そのように見せて、彼を殺せという。その結果、グレアレニード領の内政は足踏みせざるをえないだろう、と。
 以上だと告げられて、通信は途絶えた。
「暗殺……」
 殺せ、という。いとも簡単に。なんの危機でもない。ただの予備案のような裏工作で、あっさりと殺せという。
 その場でうずくまり、膝を抱えて顔を伏せた。
 今さきほど見たばかりの、アルバートの顔が浮かぶ。今朝会っただけの人。何の関係もない。ただの通りすがりと大差はない。
 手の力がふっと抜けて、握っていたフィルムがからりと床を転がった。


「なんで、ここにいるんスかね……?」
 自問しても、答えは帰ってこない。
 時間は深夜。美咲は、フラクタニスの屋敷に忍び込んでいた。
 やりたい仕事、ではない。好き好んだ仕事、でもない。だけど抜け出せない。美咲は、この仕事から逃げ出すことができない。
 それに、と自分に言い訳をする。自分が逃げ出しても同じことだ。どうせ、同じような境遇の誰かが自分の代わりに派遣され、今度こそ、アルバート・フラクタニスを殺すだろう。どうせ遅いか早いかの違いなのだ。だから仕方がない。自分がここで仕事を放棄しても、結果は変わらないのなら、誰がやっても、同じことだ。
 自分に言い聞かせながら、屋敷の中を進む。音は立てない。気配も悟らせない。見回りに出くわすこともない。美咲にとって、この仕事はイージーだ。だから、この暗殺はきっと成功する。それが、一歩一歩をより重く感じさせていた。
 アルバートの部屋にたどり着く。思案の時間は数秒もなく、意を決してその扉をあけた。
 ギィとも、キィとも言わせずに、その中へを身を滑り込ませる。
 調度品のひとつもない、寝室。部屋の主が、あまり飾り立てることを好まないのだろう。
 大きなベッドに、二人分の影が見える。アルバート本人と、その奥方に違いなかった。
 胸中で同じ言い訳を繰り返しながら、作業を進める。寝ている人間を殺害する。そこに行動的な難易度は存在しない。振り上げたナイフを、心臓に突き立てる。それだけだ。それだけで、ほら、アルバート・フラクタニスは簡単に生命を失った。
 死に顔は見たくなかった。それを見ないようにしながら、脈を測り、血流が活動していないことを確認する。任務が終わった。殺したのだ。
 奥方を起こさないよう、また同じように部屋を出て、深い溜め息をつく。思わず目をつぶり、瞼に指先をあてると、震えて思わず、涙と嗚咽が出そうになる。それがまた、嫌悪感をもたげさせた。
「ごめんなさい」
 そうつぶやいても、誰も聞いていない。聞かせる相手も、もういない。
 その場で膝を抱えて、うずくまりたくなった。だけど、そうしていては痕跡が残ってしまう。別に、あの女のオーダーに忠実でありたいわけじゃない。ただほら、見つかると、今度は自分が窮地に立たされてしまうから。
 大丈夫だ。何、いつも通りじゃないか。いつも通り、命令で、動いただけだ。誰かに回ってくる仕事を、自分がやっただけなのだから。
 唇を引き結び、顔をあげる。しかしそこで、彼女に声をかけるものがいた。
「お姉ちゃん、だあれ?」
 慌てて振り向いた。振り向いてしまった。顔を見せてしまった。
 そこに居たのはまだ幼い少年だ。目鼻立ちや、髪の色がとてもアルバートに似ている。きっと、息子だろう。
 何もしなければ彼がみられた。次の休日にでも奥方と彼を連れてみられた。きっと写真を撮りに来たのだろうみられた。
 だからその身に覆いかぶさり、口と鼻を塞いで、暴れる体を押さえつけ、声を出せないようにして、それだけを祈りか、呪いのように繰り返した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 誰に誤っていたのか、自分でも最後までわからないまま。


 看板を、『open』から『close』にひっくり返す。
 荷物のたぐいはない。少なくとも、写真業を営むだけの一式や機関と連絡を取り合うための通信機はあったはずだが、美咲が一晩寝ているうちに誰かが来たのだろう。目を覚ましたら、何もかも綺麗サッパリなくなっていた。
 だから、ここから持ち帰るものはひとつもない。だから、ここにおいていけるものはひとつだけ。
 街を去っていく。声をかける者はいない。始まったばかりの写真屋を、まだ誰もよくは知らない。終わってしまった写真屋を、誰かが不思議そうに眺めるだろうか。
 ここに美咲を知る人は誰もいない。誰も、居なくなってしまった。
 すっかり何もなくなった写真屋。扉を開けても誰もおらず、誰も帰ってくることはない。
 それでも小綺麗な店の床に、ひとつ写真が伏せられているばかりだ。

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