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青空と桜と
登場人物一覧
薄付く桜の花弁が視界を流れて行く。
この希望ヶ浜は今、そこら中に桜が咲き誇っているらしい。
美しく青空を彩る花の色に、チェレンチィは目を細めた。
いつもの戦闘服ではなく希望ヶ浜に溶け込めるように現代風の衣装を身に纏うチェレンチィ。
肌を見せる事は少し戸惑うから、自ずと少年のような服を選んでしまった。
その整った顔立ちも含め、希望ヶ浜の住人からすれば外国人の美少年に映るだろう。
清廉な空気を纏わせて歩くチェレンチィへ遠巻きに視線を送る者はあれど、話しかけてくる者は居ない。
……片手に地図とaPhoneを持っているにも関わらずだ。
「カフェ・ローレットへの道は、こっちで合ってるはず」
地図をぐるぐると回しているチェレンチィ。
手元のaPhoneのナビゲーション機能を使えば簡単に目的地へと案内してくれるというのに、生憎とチェレンチィは発達した文明の利器を使いこなせていない。
「……多分、こっち。いやこっち? 前来た時と違う?」
羽で飛ぶことが出来れば、上空から見つける事も可能だろう。
しかし、ここは希望ヶ浜だ。彼らにとって超常的な能力は使えない。
「ううん……」
道の真ん中で立ち尽くしてしまったチェレンチィは眉を下げ困った顔をする。
チェレンチィは完全に迷子であった。
龍成は前方を歩く少年に視線を上げる。
片手に地図とaPhoneを持って辺りを見渡している様子から迷子である事が予想された。
顔を見遣れば、この辺りではあまり見ない金髪の少年。希望ヶ浜の外から来たのだろう。
「……ん?」
龍成は首を傾げて少年の顔をじっくりと見つめる。
カフェ・ローレットで見かけた事があるような気がするのだ。
ということは、おそらくイレギュラーズなのだろう。
雰囲気から察するに、複雑な希望ヶ浜の立地に迷子になっている。或いは、何か依頼を受けて任務中なのかもしれない。
以前の龍成ならば、さっさと踵を返して別の道に逸れていただろう。
人との関わりを新しく築く事に戸惑いが無くなったのは、親友達のお陰だ。
「おい……、何やってんだ」
龍成は地図を持った少年に声を掛ける。
「……!」
目を瞬かせた後、少年は安堵の表情を浮かべた。
「貴方は、ええと、確か……澄原、龍成さん。でしたよね」
龍成は少年が自分の名前を知っている事に驚いて「おう」と応える。
「ボクはチェレンチィと言います。ええと、初めまして……でいいんでしょうか」
言葉を交わした事は無いが、初めて見る顔でもない。そんな曖昧な関係性。
「確かに……まあ、一応初めましてってことで。よろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げたチェレンチィに龍成は目を細めた。
「んで、何してたんだ? ローレットからの仕事? 手伝おうか?」
「いや、これは……その」
素直ではないチェレンチィは龍成からの申し出に戸惑う。
道に迷っているなんて、手を叩いて笑われてしまいそうで。
されど、カフェ・ローレットへ辿り着かねば依頼を受ける事も出来ない。
カフェで会ったことのある龍成ならば道も知っているに違いない。それは分かっている。
だが、揶揄われてしまわないかと不安になり、視線を上げれば。
「ん? どうした?」
見た目は怖そうなのに、彼は思ったよりも優しい表情でチェレンチィを見つめていた。
「……み、道に、迷ってしまいまして」
「ああ、やっぱりか。地図持ってaPhone握り締めてるからそうだと思った。この辺は『子供』には入り組んでて難しいだろ? 心細かったな」
「むぐ……」
悔しそうに頬を染めたチェレンチィにぎょっとした龍成は、「どうした?」と顔を覗き込む。
「子供では、ありません……」
地図をくしゃと握り締たチェレンチィは拗ねたように視線を逸らした。
「え? あー、マジで? 大人なのか」
チェレンチィは龍成の胸の辺りまでしかない大きさなのだ。
イレギュラーズに出会う前の龍成なら、子供と決めつけてそういう扱いをしていただろう。
されど、子供のまま見た目が変わらないイレギュラーズも居る事を知り、考えを改めた。
「初対面なのに悪かったな」
「いえ……ボクも迷子の子供にしか見えなかったでしょうから。こう見えても21歳です」
初めて言葉を交すのだから、何もかもが手探りで。少しだけ擽ったく思うチェレンチィ。
「え? タメか? こんな美少年にしか見えない同じ歳……廻も結構幼いけど、これは」
男物の服を身につけているから龍成にはチェレンチィが『少年』に見えているのだろう。
女扱いをされるのを好まないチェレンチィは、敢えてそこは訂正しなかった。
「まあ、いいか。んで、何処に行きたいんだ?」
「あ、はい。カフェ・ローレットまでお願い出来ますか?」
チェレンチィの声に「了解」と笑みを浮かべる龍成。
「此処からだとちょっと遠回りになるけど、桜が綺麗な場所があるんだぜ。そっち通って行くか。チェレンチィがあんま希望ヶ浜来た事無いんだったら丁度良いだろ」
前へ進み出した龍成を追いかけるようにチェレンチィも歩き出す。
「そうだ、aPhone使えんなら連絡先交換するか?」
「え……」
ぴたりと歩みをを止めたチェレンチィに龍成は振り返った。
「何、嫌だったか?」
「いえ。そういう訳ではないです。ただ、使い方、が分からなく……」
語尾を小さくしていく少年は照れくさそうに視線を逸らす。その仕草に「仕方が無い」と龍成は笑う。
「OKだ。チェレンチィ。俺が教えてやるから、もう」
「本当ですか。意外と優しいんですね?」
「おま……意外とは余計じゃね?」
チェレンチィからの軽いジャブに龍成は顔を綻ばせながらつっこみを入れた。
会話の間合いも、言葉選びも何もかもが手探りで新鮮で。
少しずつ龍成とチェレンチィは顔見知りから『友人』へと歩み寄って行く。
お互い友達を軽々と作れるタイプではないから。
この会話だって、実は双方が緊張しながら築いたものだ。
「ほら、登録できただろ?」
「はい。龍成さんのお陰で出来ました。ありがとうございます」
メッセージアプリにピコンと通知が届く。
チェレンチィは画面をタッチして龍成からのメッセージを見つめた。
そこには可愛らしいウサギのスタンプが押されていた。
『よろしくね』
これを目の前の龍成が送って来た事にチェレンチィは何だか嬉しくなって顔を綻ばせる。
「ふふ……」
「んだよ。ほら、お前も送り返してみろよ。ここ押せばスタンプとか出るから」
「成程」
ピコンと押した同じスタンプ。
画面から視線を上げれば桜並木が見えてきた。
ゆったりとした時間。
桜の花弁を追いかけて、青い空を見上げたチェレンチィ。
川に落ちた桜の花弁はまるで絨毯のようで。
「確かに、これは見事ですね」
「だろ? この季節は桜の花弁が川に落ちて、上を見ても下を見ても桜色なんだ」
小さな橋の上から川を見下ろす二人。
緩慢に流れて行く桜の川と青い空、満開の花。
相手の事を知るにはまだ時間が掛かるけれど、こうして見た桜の風景は思い出として刻まれる。
いつか、このひとときを共に語る日がくるといいなとチェレンチィは思った。
チェレンチィはカメラを構え、龍成と桜と青空を写真に収める。
ここから始まる、二人の物語のために――