SS詳細
こんにちは。さようなら。
登場人物一覧
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――怪しい壺を売っている男がいる。
再現性東京の穏やかな住宅街に生じたひとつの歪み。単刀直入に言うなら不審者だ。
交番にて転寝をしていた警察官の男はあくびを噛み殺し現場へと走る。
交番勤務になって早4年。警察官を志望した理由は何だったか、今となっては忘れてしまった。若かりし頃に――嘗ての
最初の頃こそ熱心にしていたけれど。憧れていた刑事課への配属はなく、地域警察という収まりの良いポジションになった。老けたおじさんとまでは行かずとももう20代も終盤、この先のキャリアに未来はあるのだろうか?
夜の春風は冷たく、4月も初旬だというのに薄青のシャツ一枚では足りないのだと嘲笑うように肌からじんわりと熱を奪っていく。
濃紺の星空に降る桜雨。
(確か、この先の公園だったっけな……)
夜勤だなんだと言えば付き合っていた恋人は辟易した様子であったのを思い出す。もうすぐ付き合って9年だったが、愛想をつかされて別れてしまった。結婚も考えていたけれど、もうどうしようもない。あいつだって浮気をしたような気配があったのだから、俺から『切った』。適当に処理して片付けて。今はもうどうなっているのかも解らない。
美しくも儚い白桜の俄雨を自転車で通り過ぎ、やがて警察官は『それ』に気付く。
(なんだ、あいつは……)
――中華風の服を着た胡散臭い男が怪しい壺を売っている。
と言うのが正しい通報の内容だったと思う。殺傷事件でもない限りそんなことを一々覚えている余裕はない。
の、だが。
通報の内容通りというか、なんというか。不審者が自己紹介のような男が、公園でレジャーシートを広げて、これまた怪しい壺をいくつか置いているのだ。
(……あれだな)
まぁ、逆にそれ以外怪しいものもない。疑うならばまずは目の前の大きな違和感からだ。
公園の前の適当な入り口に自転車を止め、まるで異世界の入り口にでも踏み込むような気持ちで公園のゲートをくぐる。ただの桜だというのに、公園の外と内を隔絶するような謎の神秘性を内包していて。
(なんだ……? 風邪でも引いたかな)
背を伝う汗が冷えたのだろう。そうでなければ、この寒気に説明がつかない。
(……年寄りってわけじゃあないだろうけど……別に若そうな感じもしないな)
否、見た目だけで言えば若々しい。それに整っている。が、雰囲気が違う。達観を纏っているのだ。
死化粧にも似た真っ白な肌に居る赤い竜が此方を向い――
(?!)
――た、ような気がした。
艶やかな目元の紅。爛々と輝いた黒い瞳が、まるで龍に知らされたのだとでも言うようにこちらの焦点を当てて。
「こんにちは。我輩の店へようこそある」
こんにちは? 時間帯は真夜中だ。こんな時間にこんにちはなんて、少々ずれている。
それに添えられた胡散臭い笑顔。ずずい、と両手を広げるさまは正しく商人のそれ。思わず呆気にとられるがそれでは警察なんてやってられない。しゃがみ込んで目線を合わせ、へらりと笑った。
「いや、お兄さんちょっと怪しいって通報来てるんですよね~。あと、露店をやるときって事前にこちらに申請が必要なんですけど、その辺ってどうなってます?」
「……?」
なんだそれ。と台詞でも付きそうな具合で首を傾げた男に、警察官は苦笑して。
「あー……なるほど。ちょっとお時間頂けますか、来てもらうことだったりって出来ますかね~」
「我輩はこう見えてもかなりの爺でな、」
笑顔は崩れない。瞬く様子もなく。笑顔の面を被っているようだった。能面を見たときのような、無意識に覚える恐怖がそこに『在る』。
「汝の様な皺だらけの小童なんぞより余程長く生きとるわ」
「……えーと。じゃあお爺さん、ご一緒頂けませんかね?」
「いいや」
……なるほど強情だ。変質者、いや不審者と通報されるだけある。
しかし此処で下に出るのが警察官だ。下手に刺激を与える必要もないので、ここは穏便に。
「……わかりました、ではそちらの壺を購入しますので交換条件にしませんか?」
「……小童よ、この壺が欲しいのか?」
「はい? ……まぁ、はい」
「そうあるか。じゃあ好きなのを選ぶあるね。決して安くはないが、これもまた一つの縁あるさね」
(なんでエセ中国語なんだ……)
まぁ安くはないだろうが、その辺は経費で落ちるだろう。実際に請求してみないことには分からないが、普段使っているわけでもなし、きっと問題ない。
「あと言い値ある。小童の元に帰りたがってるようだし、今回はそうして欲しいらしいある」
「今回……?」
まるで物に意志があるかのような言い草だ。思わず眉を潜めるものの、今此処は一対一の場なので背を向けるわけにも行かず。溜め息をついて財布を取り出した。
「では3000円で。領収書は頂けますか?」
「うむうむ、問題ないのである。少々お待ちをある~」
露店に関して話を聞くはずだったのに、なぜ自分はモノを買っているのか。口頭注意だけにして返したほうが良さそうだ。
なんてぼんやりと思いながら二回目の溜め息をつく。憂鬱だ。
男は壺を手渡しで渡す。受け取ってみるが、想像していたよりもやや重い。何かはいっているのだろうか? それとも、陶器だからこんなものなのだろうか。
「谢谢〜。お代、きっちり頂戴したあるよ。ところで汝は外つ国の”ちっぷ”なる風習を知ってるあるか?」
「……はぁ。お爺さん、流石に今日は遅いんでとりあえず帰りましょうか。立てます?」
「なっ、馬鹿にするでないあるよ。立つくらいできるあるね!」
けら、けら。
あまりにも穏やかだ。
それなのに、肌を伝うこの嫌な気配はなんだろう。
(……気味が悪いな。名前だけ聞いて、しばらくパトロールを増やしや方が良さそうだ)
一応は購入した商品である壺を抱える。その気配は一層強くなったように思えて、口を結ぶ。今日は何かがおかしい。
「さて、と」
男はすくりと立ち上がり、テキパキと荷物を纏めた。が、見た目に何ら変わりはなく、そこにあったものが綺麗サッパリ消えてしまったように見えた。
正体がわからない。一層気持ち悪くて、関わりたくない。
(――ああ、)
これは再現性東京に住まうものの傾向だが、彼ら希望ヶ浜の社会は、怪異の存在を信じて――より正確には認めて――いない。
よって、この警察官もまた、認めたくはないのだ。
正体不明のなにか――今回に限って言うならば、壺売の男を。
「我輩はこれにて失敬するが、何か言い残すことはないあるかね」
「言い残すこと……? ……日本の方では無いんでしょうね、ちょっと日本語がおかしいと思いますよ」
だいぶ、苛立っている。が、仕事なので抑えなくてはいけない。
対人職はこれが不便なのだ。学生時代の飲食系バイトを思い出し思わず舌打ちが出そうになる。
「否、正確あるよ。ほれ、六文だけ餞別を残しておいてやる、川を渡る時に役立つであろう?」
「いや……こんなお金ここじゃ使えませんけど。あの、お爺さん、」
「さて、それではお暇するあるね。さようなら、ある」
なぜか鼻を擽る線香の香り。死臭を隠すかのようだ。
そして。
「……?!!!」
男はあっけに取られた。ただそこには壁しかなく。ぬるりと壁を通っていってしまったのである。
「え、」
腰が抜ける。一種の心霊体験でもしてしまったかのようだ。
手から滑り落ちた壺が割れる。3000円が水の泡だが、それどころではない。
まさか幽霊でも見てしまったのではないかと思わず目をこすったが、もしも幽霊だったならどうして霊感もないはずの自分にも他人にも見えているのだろうか。どうして壺やら領収書をきっちり渡せたのだろうか?
疑問は尽きず、比例して恐怖も消えず。
後に残ったのは、桜雨と割れた壺、それから腰を抜かした男だけ。
「な、なんだったんだ……?」
夢かと思わなくもない。桜に包まれた夜、消えてしまった男。何もかも怪談じみていて、それから不気味だ。
割れてしまった壺を見る。これでは経費なんて落ちるとは思えない。
「あーあ……」
3000円が砕け散った。
本当に、自分は何をやっているのだろうか。
惨めになって、貼り付けるように上げた口角も力が抜けてしまって。
でも、割れた壺をそのままにしておくこともできない。とりあえず手を伸ばそうとして――気付く。
「……これ、なんだ?」
そうだ。壺は、割れたのだ。
先程は気付かなかったが、壺が空洞であったならば大きく割れた音がしてもいいはずだ。
公園の砂はやや赤黒く染まり。中から出てきたのは。
「……な、なんだよ、これ」
丁度この間別れた恋人だった女の頭。
それによく似た、なにかだ。
そうだ。
男は切ったのだ。
愛しいはずの女の首を、切ったのだ。
切った後の身体も痕跡も適当に片付けてしまったのだ。だから、見つかるはずもないと、そう思っていたのに。どうしてこんなところに、これがあるんだろう?
先程の男を追いかけることなど出来るはずもない。
壁を通り抜けていったのだ、捕まえたって無駄だろう。それに、今此処で生首を置いて逃げる警察官だって不審者そのものだ。持ちたくはないけれど抱えた生首がやけにあたたかい気がして、見たくはないけれどじっと見る。
「ねぇ、」
どうして、わたしのこと、殺したの?
「ひっ」
死んでいるはずなのに。
生きているはずはないのに。
爛々と輝く恋人の瞳。
絶対に閉じないだろうと確信してしまうほど鋭い眼光。
ああ、俺は。
一体、何を買ってしまったんだろう。
後に残ったのは。
首から下のない男の遺体と、桜雨。
おまけSS『第六感』
●你好。再见。
「川を渡った先が浄土とは限らねえあるがな……さて、どうしたものあるかね」
これは依頼だった。
姉の死体を見つけた妹からの依頼だった。
心当たりは恋人だと告げられていた。特に綺麗に隠されていたわけでもない。つつけば証拠は山のように出てきた。
「いいのあるか? ……嬢ちゃんの姉御さんの魂はもう元には戻れないあるよ?」
「それでも……そうだとしても、良いんです。あの男に一泡吹かせてやりたいから」
首なし女の夜妖の話題は最近流行のうわさ話だ。
きっと、この頭の持ち主の身体だったのだろう。
「では、遠慮なく。もう嬢ちゃんの元にもどってくることもないある、別れはしっかりしとくあるね」
「はい……」
付喪紙は取り付いた。
憎き敵を殺すために。
その憎悪を餌にして。
「それでは嬢ちゃんも、
(そうしないと、)
(三途の川は深くなりかねないあるからね)