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武器商人とヨタカとラスの話~生まれてくれてありがとう~
登場人物一覧
ほんのりと風が甘い春である。豊穣の忍の屋敷、そこの縁側へ腰を据えて、ヨタカと武器商人は仲睦まじく落雁をはんでいる。この桜色の落雁は忍の台所担当が作ったもので上品な味わいだ。
「これならうちでも取り扱いたいくらいだ」
「ふふ、紫月…。今日は商売抜きのはずだよ……。」
ヨタカがさやさやと笑う。庭を桜風が通り抜けていく。薄桃色が苔むす緑に映えていた。あの一件を経て、ヨタカは少しずつ生来の明るさを取り戻しつつある。その様子にホッとしながら、リリコは口を開いた。
「……私の銀の月にもわからないことがあるのね」
「特別な日ってのはわかるんだよぅ。だけど、子どもが相手の『特別』はまた違うだろう? 我(アタシ)にはそんな記憶はないから、どんなのが喜ばれるのかわからないんだよねぇ。ほら、おまえの誕生日にブローチを持っていっただろう? あのくらいは我(アタシ)にだって考えつくさ。だけどそれ以上となるとさっぱりでね」
「俺はうまいもんが食えるなら何でもいいんだけどな」
「おれもれもー」
ユリックの尻馬に乗ってザスがきゃっきゃと笑った。ふたりとも落雁のカスが口の端についている。それを乱暴に拭ってやりながらミョールが言った。
「やっぱりケーキよケーキ。それも手作りがいいわ!」
断定するのは彼女の悪い癖だなあとばかりにベネラーが苦笑いをする。
「ケーキにろうそくや花火を立てて祝うのも豪華でいいでちねえ」
「お部屋を飾り付けるのもありだよね! ねえねえ、武器商人さんとヨタカさんが手を組めば、すっごくカワイイデコレーションができるんじゃない?」
「部屋を飾る。おお……。それは思いつかなかったねぇ」
チナナとロロフォイの助言を受けて武器商人はぽんと膝を打った。
「子供向けのことでしたら、子供時代を過ごしたヨタカさんのほうが詳しいのではないでしょうか」
「そういう…ベネラーは…?」
「まず神へ感謝の祈りを捧げます」
「あ。うん……ありがとう。もういいよ。」
こっちは参考にならなさそうだ。
「どう思う? 紫月。」
ヨタカが武器商人へ座ったまま半歩近寄った。膝同士がピッタリとくっつく。
「うーん、おまえが小さな頃はどうだった? 聞かせておくれ我(アタシ)のかわいい小鳥」
「……俺? 俺はね、…誕生日が楽しみだったな…。毎年いろんな趣向を凝らした料理とケーキを作ってもらってさ。部屋いっぱいに風船やモールが飾りつけられて、これでもかとクラッカーが鳴らされてさ。ちょっとした…お祭り騒ぎだったよ…。」
ばあやが気を利かせてくれたんだよとヨタカはうれしげに微笑む。
「その日だけはね、無礼講でさ……。ただ飲んで食べるだけじゃなく……身分関係なく色んな人にいっぱい遊んでもらえて、うれしかったな」
「……パーティーといえばゲームよね」
リリコもおだやかにうなずいた。
「ゲーム、ゲームね。ふむ、それも楽しそうだ」
武器商人も楽しげに唇の端を持ち上げる。おおかた頭が回転しだしたのだろう。
「シスターはどう思う? これだけの子がいるからには、毎回いろいろ企画したりしてるんだろぅ?」
「そうですねえ……。お子さんはたしか一緒に暮らし始めて一年でしたよね」
「そうだよ」
「でしたらわたくしは『いっしょに体験する感動』を贈りたいと思いますわ。記念日はただ好意を伝えるためだけでなく絆を深めるためにもあるのですから」
「絆か。そうだねぇ。我(アタシ)もさんざん絆されてこうしているわけだし」
「紫月……!」
武器商人がひょいと唇をヨタカの頬へ押し付けた。それを見た子どもたちから冷やかしと小さな拍手があがった。
最近パパさんとお父さんが楽しそうだなあ。と、ラスヴェートは思っていた。
なんだか普段よりもずっとニコニコして見守られているし、今日だって庭でボール遊びをしていたら、執務室からパパさんとお父さんがわざわざ出てきてくれて相手をしてくれた。普段は忙しいから、僕はなるべく邪魔しないようにひとりで遊ぶんだけど、今日はふたりとも「いいよいいよ」ってたくさん頭を撫でてくれた。とてもうれしくて、ついつい日が暮れるまで夢中になって遊んじゃったな。そのあと遅くまで執務室に明かりがついていたけれど、やっぱり僕の相手をしたぶんお仕事が遅れちゃったのかな。だったら明日はちゃんと断ろう。いい子にしてるよ。ちゃんといい子にしてるから。一人でも平気だから、寂しくなんかないから。今の生活が幸せすぎて、時々まだ夢なのかななんて思っちゃうんだ。目を覚ましたら僕はまたあの薄暗い部屋に居て、奴隷の姿でやりたくもないことをやらされる日々に戻ってるんじゃないかって……ううん、考えすぎだよね。だってパパさんがいる。お父さんがいる。ふたりが僕を守ってくれる。おねえちゃんもお兄さんたちもいる。だからへいき。だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、僕……。
眠る前に飲むホットミルクの香りが、温かくて柔らかい布団が、頭の埋もれちゃう大きな枕が、独り寝は寂しいだろうってパパさんがくれた大きなパンダのぬいぐるみが、暗闇から僕を守ってくれる。
だから、いい子にしてなくちゃ。パパさんとお父さんの期待に応えられるような、いい子に。いい子に。いい子って、どんなのかな。僕が僕のまま振る舞えばいいよってお父さんが言ってくれるけれど、ずっと命令されてたからわからない。だけどだいじょうぶ。きっとだいじょうぶ。だいじょうぶ、だよね?
眠る前に目を閉じるのが怖い。全部夢だったらどうしよう。
一日の始まりの朝日が大好き。今日も大丈夫だって教えてくれる。
パパさんもお父さんも、命令はしない。強制もしない。だから逆に不安になるのかもしれない。だけど毎日ビクビクしてお腹をすかせていたあの日に戻りたいわけじゃない。今が輝いているからこそ、一日一日を噛み締めていたいんだ。風があたたかくなってきて、気分も上向いてきている今日このごろ。パパさん、お父さん、僕、いい子にできてる?
ラスヴェートはゆっくりと目を覚ました。今朝は館の中がしんと静まり返っている。
彼は顔を洗い、髪をブラシですき、パジャマから普段着に着替えた。紺色のネクタイをきゅっと結び、そおっと廊下へ出る。
「パパさん? お父さん? どこにいるの?」
カタカタカタッ! 大急ぎで肘置き付きの椅子が駆け寄ってきた。いつもお父さんが執務室で使っている椅子のひとつだ。誰も座っていないし、誰も押していない。正真正銘、椅子だけが歩いてやってきた。大きく背伸びをして、椅子は自分の赤いクッションを肘置きで指(?)さす。
「え、乗れってこと?」
ラスヴェートがおそるおそる腰掛けると、お父さんの椅子はふわりと浮き上がって宙を飛び始めた。
「うわわわっ! わわっ!」
長い廊下を滑るように椅子は空を飛ぶ。右へ左へ飛んだり跳ねたり、ときにぐるんと一回転。でも問題なし、ラスヴェートはマシュマロみたいな見えないクッションで椅子から落ちないようになっていた。見慣れたいつもの景色がかっ飛んでいく。壁にかけられた肖像画いっしょになって飛んでいく。
「すごいすごい!」
ラスヴェートは頬を紅潮させて肘置きをぎゅっとつかんだ。しかし真正面に廊下の果てが見えてきた。大きく重々しい石壁だ。まずい、ぶつかっちゃう! ラスヴェートは目を閉じて身体を固くする。けれども、壁の直前で、アリスの穴のように椅子はすとんと下降した。真っ暗ななかで、力強い羽ばたきが聞こえた。誰かがラスヴェートをやさしく抱きしめる。もう片方から手が伸びてきて安心させるようにラスヴェートの頭を撫でる。ふたつの感触にはたしかに覚えがあった。だからラスヴェートはふたりがうながすまま、椅子から飛び降りた。羽ばたきがさらに強くなり、ラスヴェートの身体が持ち上げられていく。真っ暗闇の中から掬い上げられていくうちに、ふたりの姿が見えてきた。
「パパさん、お父さん……」
ラスヴェートにはふたりが天の御遣いに見えた。安心して体を任せ、ゆっくりと穴を昇っていくと、そこに見えたのは……。ラスヴェートはあんぐりと口を開けた。いつか見たことのある景色だ。なんだっけ、えっと、あれだ。そうだ。
「ジンベエザメ!」
美しい青に囲まれて、華やかな魚の群れが珊瑚の花畑を泳ぎ回っている。強い熱帯の光がさんさんと降り注ぐも、ほどよく水面に散らされて、明るくゆるやかな陽光がラスヴェートたちを出迎えてくれた。
「初めてのジェットコースターはどうだった、ラス?」
くすくすと武器商人が問いかける。
「最初はびっくりしたけど、なんかね、わーってなって、ぐるーんってなって、すごくおもしろかった!」
それにね、と興奮もあらわにラスヴェートはふたりへ抱きつく。
「お父さんとパパさんのふたりに出迎えてもらえてうれしい!」
「……ふふふ、今日はね。俺たちのこと、……独り占めにしていいんだよ。」
「え、いいの? お仕事は?」
「いいんだよ…この日のために厄介な仕事は全部かたをつけてあるから…。4/9、お誕生日おめでとうラス。」
「おめでとうラス」
ふたりからラスヴェートの頬へ親愛のキスが送られる。ぽうっとゆであがった彼はお礼より先に疑問を口にした。
「おたんじょう、び? どうして?」
「どうしてって。今日はラスを迎えてちょうど一年になる日じゃないかァ」
ラスヴェートの心へさざなみが生まれた。それは大きな感動となって胸を揺らした。そんな些細な事を覚えていてくれていたなんて……。あらためて、ラスヴェートはふたりに引き取られた幸運を、めぐり合わせの幸せを、心から感謝した。
「ありがとう、パパさん、お父さん……」
ふたりと手をつなぎながら海中トンネルを歩いていくと、真っ白なテーブルクロスを掛けられた大テーブルが現れた。まだ湯気を立てているチキンの丸焼き、緑の鮮やかなサラダ。添えられているのはサフランライスが食欲をそそるパエリア。そしてその中央には、のっぺりと丸い白いものが置かれていた。ラスヴェートが近寄ってみると、それはどうやらただ生クリームを塗っただけのケーキであるように思われた。
「……これからゲームをしよう、ラス。じゃんけんをして、ひとつずつケーキを飾りつけていく。……最後にこれを載せた人が王様だ。」
ヨタカが説明をし、武器商人が箱を取り出す。開けてみるとそこにはマジパンやクッキー、マシュマロ、砂糖漬けのゼリー、金箔スプレー、そして中央にはうやうやしく『Alles Gute zum Geburtstag』と綴られたデコレーションプレートが入っていた。
飾りはどれも木や建物や人の形をしており、並べていけば小さな町ができる趣向になっている。またその飾りの愛らしいこと、ラスヴェートは目を輝かせ、さっそくじゃんけんのために拳を握る。
「さいしょはぐー、じゃんけんぽん!」
武器商人が人形のクッキーを置く。
「さいしょはぐー、じゃんけんぽん!」
ヨタカが木の形のゼリーを置く。
「さいしょはぐー、じゃんけんぽん!!!」
勝った。ラスヴェートが勝った。さっそくどの飾りにするか手をウロウロさせる彼の横顔は幸せに満ち満ちていた。
やがて立派な街ができる頃、最後の勝負にラスヴェートは挑んだ。ここまできたら勝ちたい。いつになく執念が燃えている。あの飾りを置くのは自分だ。そして王様になってさっきしてくれたみたいにパパさんとお父さんへいつもありがとうのキッスを贈るんだ。
「さいしょはぐー!」
勝負開始!
「じゃんけん、ぽんっ!」
ええいままよと突き出した拳。ヨタカはチョキ、武器商人もチョキ。
「やったあ、勝ったあああ!」
両手をあげてばんざいするラスヴェートの笑顔に。
(ごめんねぇ、ちょっと視させてもらったよ)
心のなかで謝りつつ武器商人はヨタカと視線を交わす。
やはり今日の主役は彼にこそふさわしい。金に輝くデコレーションプレートを真ん中へ置き、ラスヴェートは世界に一つしかないケーキを眺めた。その視界がじわりとゆがむ。
「ラス……?」
「ラスヴェート、どうしたんだい?」
「う、ふぐ、う、ひっく」
ラスヴェートは必死に涙をこらえていた。
「ごめんなさい、うれしくてどうしたらいいのかわかんな……」
「泣いていいんだよラス。心のままに」
「そうだよ…。」
幸せは涙に代わるのだと、ラスヴェートは知った。