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オリーブのしずくとフランスパン
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……それは気まぐれだったのだろうか。或いは、自分がいい奴だ、なんて思いたかったからなんだろうか。
露悪的に考えれば、きっとその思考の奥の奥に、自分が気持ちよくなるための理由があるんだ、なんて結論付けられるんだろう。
ただ、その時の俺は、多分何も考えて居なくて…………。
そうすることが当然だったから、目の前の女の子に、パンをあげたんだ。
「零・K・メルヴィル。貴方のお友達……ですか?」
小首をかしげる女=クラウディア・フィーニーに、傍らで歩く少女=フラーゴラ・トラモントは静かに頷いた。
「うん……とっても、いい人、だよ……」
幻想国、スラム街である。うらぶれたバラック小屋のような建造物が立ち並ぶ、きらびやかな幻想の影。富める者の影に必ず存在する貧しき者達、その最下層に落とされた者たちが住まう、最後の砦。
本来ならば、犯罪者とさほど変わることのないもの達――それが生きるためだとしても、犯罪は犯罪であるが故に――が住まうスラム街は、当然のごとく治安は良くない、簡素とは言え、身なりの良いクラウディアと、幼く見える少女フラーゴラが、二人で歩いて無事でいらえるような場所ではない。だがしかし、殊このスラム街は、随分と治安が安定していた。
住民のモラルが高いのか、と言われれば、そういうわけではあるまい。貧すれば鈍するではないが、畢竟、明日餓死するかもしれない状態で目の前にパンを持った人間がいる時、迷わず餓死を選ぶことのできる高潔な異常者は世にそうそうはいない。誰もが道を踏み外す可能性はあるのだ、人間であるならば。
何を言いたいかと言えば、人間とはある種悲しい存在である以上、『モラルで以って治安を維持することなどは不可能である』という事だ。となれば、『治安が維持できる理由が存在する』に決まっている。
たとえば、強力な自警団が付近をパトロールしている。なるほど、そういう可能性はある。が、もしその手段をとったとしたならば、このスラム街がここまで『生の活力』に溢れているわけはあるまい。治安悪化の根源的な理由である、生命活動を脅かす不安はぬぐえていないのだから。
となれば、理由は一つ。『生命活動の継続がある程度保証されている』である。
「……具体的には、このスラムには……食料が配給されている……」
すれ違う、ボロボロの服を着た子供たちを見やる。手に、フランスパンを持った子供達。スラムには似つかわしくない、出来立てのような、暖かなパン。
「それが、零、という方のなされたことであると?」
クラウディアの言葉に、フラーゴラが頷く。
「……そう。ほら、あそこ」
指さす先には、ワゴンに大量のパンを詰め込んで、スラム街の人間に配っている、零の姿があった。
「オリーブのしずく?」
零は首をかしげる。聞いたことのない名前だ。
「そう……ついこの間、立ち上げたばかりの団体」
フラーゴラが言うのへ、零は頷いた。
「フラーゴラが立ち上げたのか?」
「そうだけど、そうじゃない……厳密には。ワタシは、支援者、になる」
「代表は、一応私という事になっています」
クラウディアが微笑した。
「元々、私はフラーゴラ様とは、ボランティア活動の過程で知り合ったのです。
昨今は、人同士の争いもありますが、それ以上に、魔のものとの闘いにより、傷つき、苦しむ人たちもいます。
そう言った人たちのケアの活動を行っていたのです」
「へぇ……」
それは知らなかった、と零は言う。フラーゴラは頷くと、
「でも……やっぱり、限界は、あるの。出来れば、ローレットみたいに、各国を股にかけて、人たちを救いたいの……」
「私も丁度、そう思っていた所なのです。現場でお会いしたフラーゴラと意気投合しまして。
各国を対象に、本当に困っている全ての人に手を差し伸べる団体……オリーブのしずくを立ち上げる至ったのです」
「それは良いけど」
零が困った顔をした。
「それで、俺に何の用?」
「……団体は、手が足りない。ワタシも、肉屋のお仕事があるし、支援者にとどまっているし……できれば、色々な構成員が欲しい。
特に、食料に関しては、最優先と考えてる……」
フラーゴラの言葉に、ははぁ、と零が頷いた。
「ギフトか」
零のギフトは、シンプルにフランスパンを生み出す能力である。そう、このスラムが食糧事情を解決した大きな理由は、零の存在にあった。
「零さんは、いい人だから……きっと、オリーブのしずくに賛同してくれると思った」
ふ、と微笑むフラーゴラに、零は頭をかいた。
「いや……俺は。そんな大したあれじゃあないんだ」
「ご謙遜、だと思いますよ」
クラウディアが言う。
「実際に行動に移せる方は、そうはいません。私だって、動き出すのに相当の迷いの時間がありました。
その点でも、貴方は立派だと思います」
「いや……本当に、そんな立派な理由じゃないんだ。
ただ……なんだろうな、可哀そうだな、って思ったんだよ」
零が苦笑する。
「行動に移せるのは立派だって言うけどさ、それは、俺にとって、行動に至るまでのハードルが低かっただけなんだ。
こう言ったらなんだけど、普通の人が、これだけの量のパンを焼くってのは簡単じゃあない。俺はそれを、簡単に量産できるからね」
「……でも、零さんがギフトで作れるのは、シンプルなパンだけ。ここには、色々なパンがある……それをやったのは、間違いなく、零さん、だよね?」
フラーゴラが言う。確かに、零がギフトで生み出せるのは、シンプルなフランスパン、のみだ。だが、ここにはフランスパンを用いたサンドや、それ以外の様々な種類のパン、例えばクリームパンであったり、ロールパンであったり、そう言った零がギフトで生み出せないパンもあった。そのパンはどうしたかと言えば、当然、零が一から手で作ったという事になる。
「……キミは、優しい。そして、自分を動かせる強さもある、と思う……だから、力を、貸してほしい」
「力を?」
「私たちの団体に、ご協力を願いたいのです」
クラウディアが言った。
「お察しの通り、食料供給に関するラインを手伝ってほしいのです。
貴方はパン屋を営んでいる……という事は、各種の食材商人ともつながりがあるという事です。
貴方自身の力もそうですが、関与している商人たちの力もお借りしたいのです」
「ワタシも、肉屋の伝手で、色々な人に、協力を仰いでる……けど、やっぱり、それだけじゃ足りない……」
「そう言った各方面にコネがあり、そして実際に食料供給面で陣頭指揮もとれる方。つまり、貴方が必要なのです」
クラウディアが、真摯な瞳でそう言った。
「俺が、か」
零が、ふぅ、と息を吐いた。
――それは気まぐれだったのだろうか。或いは、自分がいい奴だ、なんて思いたかったからなんだろうか。
露悪的に考えれば、きっとその思考の奥の奥に、自分が気持ちよくなるための理由があるんだ、なんて結論付けられるんだろう。
ただ、その時の俺は、多分何も考えて居なくて…………。
そうすることが当然だったから、目の前の女の子に、パンをあげたんだ。
それが始まり。そこがスタート。いつしか、女の子の家族に、友達に、隣の人に、そうやって、そうやって広がって行って。
今、ここでこうしてパンを配っている。
ヒーローにでもなりたかったのか、と、口さがない奴は嘲笑するかもしれない。
自己満足で気持ちよくなりたいだけだ、と冷笑的な人間は笑うかもしれない。
でも、動かずにはいられなかったのだ。
飢える事の恐怖は、誰よりも知っていたはずだから。
同じ苦しみを、誰かに与えたくなかったから。
フラーゴラも、そうなんだろう。自分が経験した辛さを、誰かに味あわせたくはないから。
フラーゴラは、そうやって、自分のできる範囲で一歩を踏み出したのだ。
クラウディアも、きっとそうなんだろう。自分のできる事を、自分のできる範囲で。
手を伸ばす。手をつなぐ。それができるのは、きっと……自分たちなのだから。
だから、その時――俺は頷いたんだ。
力を貸す、って。
そうして――。
「ありがとうございます」
そう、クラウディアが微笑む。何処かの街。何処かの悲劇。それが起こる理由は、魔であったり、自然であったり――人であったりする。
いずれにせよ、そこに苦しむ人がいる。いるのなら。
オリーブのしずくが、動かない理由はないのだ。
「いや」
零は笑った。何人かのスタッフが、零と共にたくさんのパンを用意して、荷車につめて運んでいる。
最前線。多くの悲劇と危険が付きまとう場所。
どこであろうと、オリーブのしずくは向かう。どのようなしがらみがあろうとも、オリーブのしずくは向かう。
そこに、助けを求める人がいるのならば。
国境も、利害も、何もかもを越えて。
「これも仕事、だよ。うん。とってもいい仕事だ」
零が笑う。
「零さん、準備ができました」
スタッフが声をかけるのへ、零は頷く。
「よし、相手の様子を見て、食料を配ってくれ。
食べられそうな人には、パンを。そうでない人には、お粥をメインに。
くれぐれも、無理はさせないでくれ」
「はい!」
あわただしくスタッフがかけていく。
「……良かった。キミを誘って」
フラーゴラが微笑む。零は恥ずかし気に苦笑した。
「それでは、始めましょう。私たちの活動を」
クラウディアが言うのへ、2人は頷く。
これから何があろうと。
――彼らは歩み続けるのだ。
オリーブのしずくの名と共に、この世界に生きる、すべての人のために。
偽善と嘲られようと、無駄だと見捨てられようと。
その意志と活動は、尊いものであるのだから。
- オリーブのしずくとフランスパン完了
- GM名洗井落雲
- 種別SS
- 納品日2022年04月01日
- ・零・K・メルヴィル(p3p000277)
・フラーゴラ・トラモント(p3p008825)
・フラーゴラ・トラモントの関係者