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それは薬毒のような夢
登場人物一覧
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──それは夢のようなひととき。
──それは記憶に存在しない平穏な日々。
その診療所で生計を立てる医者の名前は
「せ、先生……居るか?」
「あん? ああ、薬か?」
「ああ……まぁな」
そう言って十薬の診療所に来た男の患者はソワソワしながら椅子に座る。見たところ懐が寂しいように見受けた十薬は男の背をバンと思いっきり叩いた。
「なんだいその湿気た面は? 治療費・薬代気にしてんなら余裕がある時でいいって言ってんだろ?」
「いつもすまねぇ……働き口は探してんだけどよぉ……」
「まぁ焦るこたぁねぇさ! 慌てて探したって禄に見つからりゃしねぇぜ?」
「ほんと……先生には借りを作ってばかりだな」
「ははは。俺は病人を一人でも多く助けたい……その気持だけで
「全く……人が良すぎるぜ先生」
十薬はこの近辺では腕利きの医者である。……しかしこの通り『目の前にいる患者を全て救いたい』という気持ちが強すぎて儲けはその辺の底辺医者よりも少ないと思われる。お人好しは昔から損をすると言われているが、彼はそれを絵でも書いたかのような人物なのである。
「父さん」
「ん? ああ、■■■■か」
十薬と患者が話しているところに、一人の青年が現れ治療具の整備や薬草の管理をテキパキとこなしていた。
「先生ン所の息子さんは働き者だなぁ。俺も働き口を探さねぇとだが、うちのバカ息子も見習ってほしいもんだ。父親が薬飲んででも探してるってのに家ではぐうたら外で女と馴れ合ったりしててよぉ〜」
羨ましいったらないぜとボヤく男に十薬は診察中にも関わらず嬉しくなってしまう。
「ガハハ! そうだろそうだろ! 自慢の息子だからな!! こないだだってよ〜」
「その話はいいから手を動かして」
また自慢話が始まる気配を察知した冷静に止める息子。
「なんだよ冷てぇな」
「父さんの自慢話は長い上に毎回同じような内容だからね」
「んなこたねぇって! ほら、あん時だよ山に行った時の!」
「そりゃこの前聞いたなぁ〜さっすが先生ン所の息子さん、先生もこりゃ一本取られましたな?」
「な! ちげーって! あん時の別の話をだな……」
「はいはい」
患者の前での息子とのやり取りはいつもこんな調子である。
■■■■は何もその綺麗な顔だけが母親に似たわけではない。その種族は病毒の八百万……母親の
「お母さん、そろそろ出かけてくるね」
「ん、手習い?」
「ええ、皆楽しそうに聞いてくれるからやり甲斐あるのよ」
この手袋のおかげで二人はいろんな事が出来ている。父への、夫への尊敬や感謝はいつも絶え間ないという。
「俺も出るから、途中まで一緒に行くよ」と
そう言って■■■■は母の荷物を持つ。■■■■は本当に親思いの優しい子に育ったと静羅刹は思い思わず笑みが溢れてしまい、ニコニコしながら自分を見ている母に■■■■は「なに?」と尋ねた。
「ううん。もうすっかり大人になったと思って」
「当たり前だろ。いくつだと思ってるんだよ」
「ふふ、そうよね。でも嬉しいの」
そんな風に素直に嬉しいと言う母親を前に、照れない息子は多くはないだろう。■■■■も例外なくその言葉にどんな顔をして良いものかと嬉しいとは思いながらも戸惑いを見せた。
「お母さん、あなたを産んで本当によかった」
「……もう何回も聞いたよ、それ」
「あら、そうだったかしら」
■■■■を産んだ当初こそ病毒の八百万として産んでしまったことに悲観的になっていた静羅刹だったが、十薬の賢明な言葉や様々な取り組みによってその心は彼の未来がどのようになるか……不安ではなく楽しみにすらなっていたのだ。
「とと……ふふ、■■■■と歩いているとあっという間ね」
そうこう話しているうちに静羅刹が開いている手習いの場所まで辿り着く。
「……楽しそうな母さん見るの好きだから頑張って」
「うん?」
「……何でもない」
聞こえていない様子を見せた静羅刹に■■■■はガラにもないことを言うもんじゃないなと静羅刹から目をそらすと、彼女の方からクスクスと小さな笑い声が聞こえた。
「……聞こえてたのに聞こえてないふりは意地が悪いんじゃない?」
「ふふ、ごめんなさい。……嬉しくてつい、ね? 許してくれないかしら?」
「……全く」
今回だけだからなと不貞腐れた様子を見せる■■■■に静羅刹はまたその表情を笑顔で溢れさせていた。
──別日。
静羅刹がご近所から山菜、■■■■が友人から魚をもらってきた。
「今日はお夕飯は豪華ね!」
そう嬉しそうな様子の静羅刹に、十薬が申し訳なさそうな顔をする。
「お前たちにはいつも苦労をかけてすまねえな……」
「そうね、誰かさんがお金を取らないからいつまでたってもうちは貧乏よ」
「うぐ……す、すまねぇ……」
正論すぎてぐうの音も出ない十薬。いやわかってはいる。このまま金を取らずに入れば家族を養うことも出来なくなるのは。だが……と十薬が思い詰めているとそれを見て静羅刹は笑っていた。
「ふふ、冗談よ。苦労だなんてちっとも思ってないわ」
そう言いながら静羅刹は十薬の手をそっと両手で包み込むように触れる。
「あなたが目の前の患者さんを見捨てられるわけがないのは昔から知っているもの。全く……正直でお人好しな人なんだから……」
静羅刹の言葉にしゅんとしていた十薬の表情に赤みが現れてくる。
「それにあなたと家族になれて、一緒に暮らせて、今が一番幸せなの」
「シズ……お前……」
静羅刹の言葉にぐっとくる十薬。見つめ合う二人。そうだ、彼女は……静羅刹は添い遂げると決めた時もこうして俺を選んでくれたんだ。今更不安に思うようなことではないとは思いながらも、やはり家族に貧乏を強いてしまっている自覚は十薬にもあるようで、けれども目の前で苦しむ患者の存在も放っておけない性分である彼はこの先もこう考える瞬間は消えないだろう。その度に静羅刹の存在の大きさに気づきそして熱い視線を送り合う。
「……ゴホン」
そして気まずそうにする■■■■の存在に漸く気づくのは日常茶飯事なのである。
「……それ、飯のあとにしてくれない?」
「なんでぇ父と母が仲いいのは良いことだろ?」
「良いことだけど! 今は飯中だろ? そんなの……あ、あとでゆっくりでも良いじゃん」
「あなた、この子は照れているのよ」
「ガハハ! そうかそうか! ■■■■にはまだ早かったか?」
「ちっげーよ! 知識があるから尚更気まずいんだろバカ!」
「んだとー!?」
「ほらほら二人共」
外見は母である静羅刹似である■■■■は綺麗な見た目をしているのだが、その性格はやはりと言うべきか父の十薬に似て喧嘩っ早いところがあり、そんな二人を静羅刹は宥めながらも温かく見守っていた。
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──それはもしもの選択肢。
「なぁ」
「……なに?」
若い男女が都外れの診療所に二人きり。一人は薬草の八百万の男、一人は病毒の八百万の女。男は女の手首を治療し包帯を巻いているところだった。
「もう死のうとするのはやめてくれ」
「……とうとうあなたも私のことを治療するのが煩わしくなった?」
「そうじゃねぇ!!」
冗談のような口調で話してみたものの男にはこの手の冗談は通じないようだった。何度も何度も同じ場所を切るこの女。男はどうしたらそれを止めることが出来るのか躍起になっていたのだ。
「冗談よ。……病毒の八百万なんかじゃなかったら……良かったかもしれないけれど、ね」
自分に触れるために手袋をしないといけなかったり、自分も手袋をして相手に触れなくてはいけなかったり……そんなことが煩わいくて、情けなくて……時々程度ではあるが自分を殺したくなる瞬間というものは存在していた。
「んなこと言うんじゃねーよ……」
「昔から、昔から思っていたことなのに?」
「……せねぇ」
「え?」
男が言葉にした瞬間ふわりと感じた温もりに、思わず言葉が詰まってしまう。
「ま、待って! 抱きしめたりなんてしたらっ!」
「俺は大丈夫だっていつも言ってんだろ!」
「でも……」
薬草の八百万とは言えちょっとしたきっかけで毒を与えるかもしれない。女はその恐怖でいっぱいだと言うのに男は更に強く抱きしめてきた。
「本当に……っ!!」
「そんなもう顔させねぇ」
「っ……あなた、こんな私をも救いたいって? お人好しすぎないかしら……?」
「お人好しなんかでここまでするかよ普通」
「え?」
今なんて? という女の言葉よりも先に
「静羅刹、お前を愛しているから……だろ?」
「あ、い?」
この身体のことを親身に考えてくれた男が病毒で手に入れることを諦めていた愛を囁いてくれたことに、女は目を見開いて驚いた。
「悪いか? こっちは出会った時から惚れてんだよ」
「……でも、私は病毒の八百万で……」
「関係ねぇよ。……それすらもなんとかしてやる、一生かかってもな」
だから。
「だから……俺と夫婦になって欲しい」
「……随分と凄い告白、なのね」
「っし、仕方ねぇだろ! こ、告白なんざお前が初めてなんだから、よ!!」
「ふふ、そうなの?」
「おい何笑って──」
「私も、好きよ」
ぶっきらぼうで短気なくせに人一倍正義感が強くてお人好しなこの男の気持ちを聞いて、女は思わず笑みが溢れていた。