SS詳細
街はずれのお菓子屋さん
登場人物一覧
街のはずれに佇む、小さなお菓子屋さん。黒猫の看板が目印のそこは、知る人ぞ知る名店だ。
決して行列ができるとか、常に話題に持ち上がるとか、そういった有名店ではない。しかしいつも誰かしらがそこを訪れて、笑顔でお菓子を買っていくのだ。
やさしい味、懐かしい味、切ない味。感想はまちまちだが、多くのひとがおいしく、特別な気持ちになれるお菓子を求めて、黒猫の看板の下を訪れる。
「マドレーヌと、マカロンくださいな」
幼い少女の声に、ひとりの少年が返事をする。少年は紙袋にそっとお菓子を詰めると、少女の側までいって、視線を合わせるようにかがんだ。
「どうぞ、召し上がれ」
「ありがとう、ジョシュアお兄ちゃん。リコリスお姉ちゃんにもよろしくね」
「はい。帰り道は、気を付けてくださいね」
接客は得意ではないけれど、こうして微笑みかけられると、胸の奥がふわりと温かくなる。ぱたぱたと店から出ていく少女を見送って、少年――ジョシュアは息を吐いた。
ジョシュアはこの店で、店主であるリコリスと共に働いている。お菓子を作るのは主に彼女で、ジョシュアは仕込みを手伝ったり、商品の陳列や売渡しをしたりすることが多い。弟子のような同僚のような、そんな関係を彼女と築いている。
ここで過ごすようになってから、まだそんなに日が経つわけではない。だから、仕事は慣れないこともあるし、お菓子の作り方も分かっていない部分もある。それでも、ここでの日々は充実していた。
「ジョシュ君」
リコリスが、キッチンからひょいと顔を覗かせる。その瞳には、期待の色に不安が混ざりこんでいる。
「今、いいかしら。味見をしてもらえると嬉しいのだけど」
リコリスが指をさした先にあったのは、苺がふんだんに使われたミルフィーユだった。
「春らしいお菓子を、出したくて」
「良いと思います。見た目も綺麗で、おいしそうです」
リコリスがどこか緊張した面持ちで見つめてくる中、ミルフィーユを口に運ぶ。ぱりぱりとした食感と、みずみずしい苺の香り、ほどよいクリームの甘さがふわりと広がった。
「おいしいです」
素直に、言葉が零れた。口の中に残る味はどこかきらきらとしていて、穏やかで幸せな気持ちにさせる。
「よかったわ」
心底ほっとしたように、彼女が表情を崩す。店に出してもいいかと問われ、ジョシュアは頷いた。このミルフィーユを、他の人にも食べてもらいたかった。
「それなら、明日からジョシュ君にも手伝ってもらおうかしら」
「ええ、是非。お手伝いしたいです」
そっと微笑むと、リコリスは表情を明るくさせた。
明日が、楽しみになった。
ジョシュアが量った小麦粉に、リコリスが手際よく他の材料を加えていく。彼女の表情はとても真剣だけど、それと同じくらい優しさが込められている。
「おいしくなあれ」
それは、ジョシュアがこっそりと教えてもらった魔法。気持ちを形にする魔法がかけられた液体が数滴、生地の中に溶け込んでいく。
かつて「毒薬」と呼ばれたそれは、ジョシュアの一言がきっかけで、毒ではなくなった。誰かを想う、穏やかで真っすぐな心を伝えるための、「イリゼの雫」だ。
その魔法を使えるのは、彼女が魔女であるからだ。だけどジョシュアは、彼女だからそんな願いを込められるのだと思う。
「きっと、喜んでくれますよ」
「そうね。ジョシュ君が言うなら、きっと」
ゆっくりと笑みを浮かべたリコリスに、次に使う材料を渡す。彼女がかけた魔法に、誰かがかかる時が待ち遠しかった。
「ジョシュアお兄ちゃん、それ、新しいお菓子?」
店を訪れたのは、昨日お菓子を買っていった少女だった。彼女は目を輝かせて、ミルフィーユが大好きなのだと教えてくれた。
「ここで食べてもいいかな」
「ええ、勿論ですよ」
店の机に案内して、少女の前にミルフィーユを置く。綺麗に色づいたパイに、艶やかに輝く苺と、雪のようにまぶされた粉砂糖。リコリスと一緒に心を込めたものだから、目の前で誰かに食べてもらうのは、何だかとてもどきどきする。
ぱくり。少女の口に運ばれた、さくさくのパイと雪のかかった苺。
おいしいですか。そう聞きたかったけれど、声に出すのはなかなか難しい。静かに少女の様子を見守っていると、星のように輝く瞳がジョシュアに向けられた。
「すっごく、おいしい」
ああ、よかった。そんな言葉が、胸の中で弾けた。キッチンから顔を覗かせたリコリスに向かって笑いかけると、彼女もまた、ジョシュアと同じように笑みを浮かべていた。
「喜んでもらえましたね」
大切そうにお菓子を食べて、少女は店を後にした。リコリスと二人になった店の中で、ジョシュアはかみしめるように呟いた。
「ここであなたとお菓子を作れることが、とても嬉しいです」
彼女はほんの少し驚いて、やがて表情を綻ばせた。
ありがとう。大切そうに零された言葉に、ジョシュアの胸もまた、ほんのりと温かくなった。
おまけSS『その日の夕方』
今日は、普段よりも売り切れるのが早かった。ミルフィーユが評判を呼んだのか、普段よりも多くの人が店を訪れたのだ。
あまり慣れない接客にてんてこまいになりながらも、きちんと全員にお菓子を渡して、見送ったのが先ほどのこと。最後の片づけと明日の仕込みをする前に、ほんの少し休憩をはさんでいる。
「お疲れ様。大変だったでしょう」
そう言うリコリスも少し疲れているようだけれど、晴れやかな表情を浮かべている。紅茶を淹れようかと尋ねれば、彼女はにこやかに頷いた。
「ジョシュ君、今日も一日ありがとうね」
爽やかなリコリスの声が、どこか心地よい。
「いえ。明日も、よろしくお願いします」
明日も頑張ろうと言いながら、用意した紅茶を二人で味わう。混ぜたジャムの甘みが、疲れを優しく癒してくれる。
商品にならなかったお菓子の端っこや、ほんの少し残ったクリームを少しつまんで、ジョシュアとリコリスは立ち上がる。
おいしいお菓子と、そこに込められた心。喜んでもらいたいと思う気持ち。それがあるだけで、不思議と力が湧いてくるのだった。