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幸せを紡ぐ夜
登場人物一覧
春風はジュリエット・フォン・イーリスの白銀の髪を撫で、陽光は祝福の輝きを降り注ぐ。
歩く度に揺れる細かいプリーツのスカートが視界の端にちらついた。
麗らかな春の日差しを浴びて煌めく虹色の髪が美しいと、ギルバート・フォーサイスは心に浮かんだ言葉を躊躇いも無く口にする。
美しいという言葉は、王女であるジュリエットにとって聞き慣れた賛辞である。
驕っている訳ではないが、その言葉一つ一つに乙女の如く返していては、要らぬ好意や妬みを受けてしまいかねない。だから、失礼の無いよう柔らかく感謝を告げる。それが王女としてのスマートな振る舞い。
されど、ギルバートに告げられるその言葉は、平然を装おうとするジュリエットの頬に朱を散らせ、上手く発声するのが遅れる程甘やかな響きだった。
「あ、えっと……、ありがとうございます」
隣で歩幅を合わせ歩いてくれるギルバートの顔を見上げる事が出来なくて、ジュリエットは少し俯く。
視線を揺らし、今の言葉の躓きは変に思われただろうかと、無意識に指先がスカートを掴んだ。
このヴィーザル地方の村ヘルムスデリーにはまだ雪が沢山残っている。
それでも、春を告げる息吹は雪の下から芽吹いていた。
村の入口からギルバートの家に向かう道行きで、足下に咲いていた紫色の花を避けるように小さくジャンプしたジュリエットは雪で泥濘んだ地面に足を取られ僅かに蹌踉ける。
「ぁ……」
「おっと、危ない。大丈夫かい?」
後ろから支えてくれたギルバートに頷いて、少しはしゃいでしまっている自分を改めて自覚した。
「今日の主役が怪我をしてしまっては大変だからね。お手をどうぞ愛しき姫君」
差し出されたギルバートの大きな手と彼の顔を交互に見つめる。
「はい……」
指先を重ね、手を繋いで歩いて行く二人。
ギルバートの家を訪ねるのはこれで何回目だろうか。
片手では足らず、両手なら収まるぐらい。多いのか少ないのか。
この雪深い村はおいそれと訪れる事が出来る場所ではない。普段は離れた場所で文通をしているのだ。
けれど、今日は特別な日。
ジュリエットの二十歳の誕生日なのだ。
ギルバートの強い願いで、ジュリエットの誕生日を彼の家で祝う事になった。
「君の誕生日なのに、来て貰って悪いな」
「いえ……嬉しいです」
誘われて温かい暖炉の傍にある大きなソファに腰掛ける。
テーブルの上には、細かく摘まめるオードブルと、苺のケーキ。それに葡萄酒が置かれていた。
「これは、ギルバートさんが作ったのでしょうか?」
「そうだよ……と言いたい所だが、少し友達に手伝って貰ったんだ。ケーキは特に難しくてな」
正直に答えるギルバートにくすりと微笑んで、ジュリエットは「嬉しいです」と応える。
注がれるグラスにはワインレッドの色彩が煌めいた。
暖炉の火を反射するグラスを掲げる。
「ジュリエット、二十歳の誕生日おめでとう。君と出会えた事が何より嬉しく幸せだ」
「ありがとうございます。私もギルバートさんにこうして誕生日を祝って貰えるなんて嬉しいです」
乾杯と小さく重ねたグラスの音。
ギルバートが一口葡萄酒を飲むのに習って、ジュリエットも初めてお酒を口に含む。
ジュースのように甘い味と香りの中に駆け抜ける不思議な痺れ。これがアルコールなのだろうか。
「ふふ……初めてのお酒だからね。飲みやすいように甘いものを選んだよ」
「美味しいです」
度数はそこまで高く無いのだろう。それでもアルコール特有の喉を灼く熱がジュースではない事をジュリエットに示す。
ケーキと甘い葡萄酒。デザートを食べるようにジュリエットはお酒を舌に転がす。
お酒を飲むとどうなるのか、というのは知識として知っていた。
頬が赤くなり、ふわふわと良い気分になるらしい。
今のところそういった兆候は見られない。ギルバートの隣で楽しい時間を過ごしている。
そう、とても楽しいのだ。いつもより世界が輝いて見えた。
隣に座るギルバートの指に不意に触れてみる。
どんな反応をするか見て見たかった。子供みたいな純粋な気持ちだった。
「ん? どうしたんだい? 酔ってしまったのかな?」
「………………酔って? いぇ、酔っては、いませんよ?」
ギルバートの言葉を理解するのに少し時間が掛かるジュリエット。
心配そうに頬を包み込む大きな手が嬉しくて楽しくて、ジュリエットは顔を綻ばせる。
「ふふ……ギルバートさん、お酒って、美味しいですね?」
「それは良かった」
ギルバートの言葉に宝石のような瞳を上げるジュリエットは、ゆっくりと彼の肩に腕を伸ばした。
グラオ・クローネの時と同じように、ギルバートは少女を膝の上に乗せる。
「ジュリエット、お水を飲むかい?」
ギルバートは少女を抱え込みながら用意していた水のグラスを口元に当てた。
頬を真っ赤に染め酔っているジュリエットは目の前の水を少しずつ飲む。
口の端から零れ落ちる雫からギルバートは視線を逸らした。
溢れた水は彼女の胸元を濡らす。それを不快に思ったジュリエットはむずがるようにブラウスのリボンを解いた。露わになった首元も酔いから赤く染まっている。
「……、ジュリエット今タオルを持って来る」
「や……です」
駄々をこねる子供のようにギルバートの首に抱きついたジュリエット。
とろり潤んだ瞳。赤く小さな舌が覗く唇。柔らかな四肢の感触にギルバートの顔に熱が上がる。
「ジュリエット、拭かないと」
「うぅ……」
剥がそうとするギルバートの力に抗って、ジュリエットはより一層腕の力を込めた。
ギルバートは大きく息を吐いて、少女の肩を抱きしめる。
「分かったよ。今日は君の誕生日だ。ジュリエットがしたいようにするといい」
「ふへ。……ぁい」
ふわふわのとろとろ。満面の笑みでジュリエットがギルバートの胸板に顔を埋める。
そんな嬉しそうな顔をされてしまっては無理に引き剥がす事もできやしない。
「ギルバートしゃ……」
少女は青年の頬を緩く撫でる。両手で愛おしそうにギルバートの頬を包み込んだ。
「ありぁ、とう……ざいます」
頬に触れる親愛の口付け。王族である彼女が親しい家族と交わす感謝の気持ちを表すもの。
それほどジュリエットにとってギルバートは心を許せる相手なのだろう。
「大好き、ぇす」
だからこそ、彼女の純粋な気持ちを踏みにじるような事はあってはならない。
彼女は今とても酔っている。今夜の事を覚えていないかもしれない可能性だってある。
いくら、心の底からジュリエットの事を可愛いと思っていたとしても。
否、愛らしいと思っているからこそ。耐えなければならないものがある。
心を無にして、少女の身体がソファから落ちないように支えるに留めた。
暫くして腕の中で小さな寝息が聞こえてきたのに、ギルバートは目を細める。
初めてのお酒、誕生日。はしゃいで酔って寝てしまうジュリエットが可愛くて。
彼女が風邪をひかぬよう、ベッドに移し沢山の毛布と共に優しく抱きしめた。
腕の中に居る少女の睫毛はとても長く、白銀の髪も透き通る頬も全てが愛おしい。
ギルバートはジュリエットが起きぬよう、そっと頭に口付けを落し。
二人で幸せな眠りについた。
おまけSS『香りに包まれて』
心地よい香りと温かな感触。
好きな人の匂いで目覚める朝。
開かぬ眼はそのままに。
夢であるならばまだ覚めないでほしいと願いながら。
温かさに頬を寄せて。