PandoraPartyProject

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いつかの明日を待つ2人。或いは、病魔払いの巫女に関する顛末…

登場人物一覧

トキノエ(p3p009181)
恨み辛みも肴にかえて
トキノエの関係者
→ イラスト

●雲の厚い日
 今にも雨が降り出しそうな、重たく暗い空だった。
「一昨日来やがれ、このすっとこどっこいがぁぁ!!」
 雷鳴もかくやといった怒声が響き渡った。
 次いで、手あたり次第に何かを投げつける騒音。
 知らぬ存ぜぬを決め込みたいが、悲しいかな怒声と騒音はトキノエ (p3p009181)の目的地……視線の先にあるボロ小屋から聞こえて来た。
 ひと目見ただけでは到底そうとは分からないが、ボロ小屋が診療所であることをトキノエは知っている。オンボロ扉を蹴倒しながら、飛び出して来たのは神主らしき服装をした初老の男だ。
 青白い顔に焦りを滲ませ、痩せた手足をばたつかせて跳ねるように逃げていく。
 すれ違ったその男からは、隠し切れない血と肉と毒の香りがしていた。
 眉間に皺を寄せつつも、自身には関係のないこととトキノエは歩を前へ進める。
「よぉ、酒持ってきたんだが……立てこんでたか?」
 地面に倒れた木戸を持ち上げ、小屋の主へと問いかけた。
 小屋の主は、髭面をした中年の男だ。男らしいと呼ぶには少々粗野に過ぎるが、彼は腕のいい医者である。名を十薬という彼は、荒い呼吸を繰り返しながら土間に散らばる薬瓶やすり鉢、書籍を拾い集めている。
 視線をあげた十薬に、トキノエは持参した酒瓶を掲げて見せた。
 数秒の沈黙の後、大きくひとつ溜め息を零す。
「いや……上がるんなら上がりな」
 そう言って十薬は、顎をしゃくって今を示した。
 そこには薄い布団が一組。
 顔に布を被せられた女性の遺体が寝かされていた。

●とある外法について
 とくとくと杯に酒を注いだ。
 澄み切った酒精の香りが部屋に漂う。並々と酒を満たした杯を傾けて、十薬は遺体の唇を湿らせた。
 残りの酒は遺体の枕元に置く。
 静かに両の手を合わせた十薬に倣い、トキノエもまた名も知れぬ遺体の冥福を祈った。
「あぁ……悪いな。最後の手向けってわけでもないが、何も飲めねぇ食えねぇで逝ったもんでな。少しぐらい美味い酒を飲ましてやってもバチは当たるめぇよ」
 そう告げた十薬は、悔しそうに視線を伏せた。
 トキノエは黙って、手元の杯に酒を注ぐ。その片方を十薬へと手渡し、コツンと縁を打ち合わせると、強い酒精を喉の奥へと流し込む。
「……仏さんは酒好きだったのかい?」
「いや。知らんな。俺ぁ、彼女の名前も知らんし、声も聞いたことが無い。ここに運ばれて来た時点で、既に手の施しようがなくってよ」
 その言葉にトキノエは眉をピクリとさせた。
 十薬が腕のいい医者であることを知っているからだ。そんな彼が、手の施しようが無かった、というのだから、それは相当のことである。
「またいつものかい?」
 トキノエは問うた。
 十薬は呵々と笑って酒を煽る。
 是とも否とも答えはしないが、その態度が雄弁に物語っているのだ。つまり、十薬はどこかで生き倒れていた女性を拾って、治療を施していたのだろう。
 彼女が既に末期であると知りながら。
 治療の成果に関わらず、命を落とすと知りながら。
 その行為が一銭の稼ぎにもならぬと知りながら。
 ただ“放っておけなかった”というそれだけの理由で。
「脳の萎縮する奇病だ。きっと、自分が何者なのかも覚えていなかっただろうし、意識だって随分前から無かっただろうさ」
「そうかい。それで、仏さんはどうするんだ? 裏にでも埋めるってんなら、穴を掘るのを手伝うが」
「いやさ。近くの寺で供養してもらおうと考えてる。だってのに……あぁ、ったく。思い出したら、また腹が立って来た」
 杯の酒を一気に煽った十薬は、荒い手つきで酒瓶を掴む。
「さっきの神主か。何者だい、ありゃ? 身ぎれいにしちゃいたが、染み付いた瘴気までは隠せねぇぞ」
「ふん。ありゃ“山奥の社”の神主よ。どこで聞きつけたのか、彼女が死ぬのを待っていたような時期を図ってここを訪ねて来やがった。遺体を引き取らせてくれ、とそこだけ聞けば、身寄りのない仏の供養にも聞こえるだろうが、実際は違う」
 酒の肴とするには少し暗い話題だ。
 それでも聞くか? と、十薬は視線でトキノエへと問うた。
 トキノエは手酌で追加の酒を杯に満たすと、静かにひとつ頷いた。
「……山奥の社には“病魔払いの巫女”と呼ばれる女がいる。名前こそ大層なもんだが、その実態は生きた薬……いや、呪いの触媒ってところがせいぜいだな。身寄りのない子どもを拾って来ては、毒を食わせて無理矢理に抗体をつけさせる。そんで、その肉を患者に売って食わせるわけだ」
 毒をもって毒を制す、と言えば聞こえはいいかもしれない。
 抗体を持った血肉を喰らえば、自身も抗体を得られるという考えによるものだ。無論、人工的に数多の毒を喰わされた巫女の寿命は短い。
 巫女が死ねば、次の巫女……身寄りのない子どもを拾ってきては、また毒を……その繰り返しだ。
「初めは俺も、冷静に対応してたんだ。人も獣も死ねばそれまで。とはいえお前……あんまりじゃねぇかよ」
 人の肉を喰わされる巫女に同情もあっただろう。
 けれど、神主を名乗る男はしつこく十薬に食い下がった。

「ご遺体は無駄にしない。同じ病で苦しむ人々の希望になる」
「亡くなった方も人の役に立ったほうが喜ぶだろう」
「本当はご遺体の扱いに困っているのでは?」
「先生の言い値で買い取らせていただきます」

 人様の遺体を、まるで物か薬のように言うのだ。
 初めは堪えていた十薬も、終いには我慢の限界を迎えた。生来、気の長い方ではない十薬だ。神主の話をそこまで聞いていただけでも大したものだ。
 結果として、十薬は怒鳴り、暴れて……神主は這う這うの体で逃げ出す羽目になったのだ。
「俺ぁ所詮、流れの町医者に過ぎねぇ。“病魔払いの巫女”については以前から知っていたがな、この辺りの連中にとっちゃそいつの存在は当たり前にあるものだ。金持ち連中だってこぞって巫女の肉を買い漁ってる。知ってるか? 牛や豚でも食うように、巫女の肉が夕餉の汁に入ってるって話だ」
 金も身分もない十薬では、社の所業を止めることは出来ない。
 病魔に侵された巫女を治療したくとも手が届かない。
 酒杯を握る十薬の手は震えていた。
 怒りか、悔しさか、それとも哀しみの感情によるものか。
 それっきり、無言になった十薬をトキノエはじぃと見つめていた。
 
●いつかの明日
 無言のまま、2人は酒を酌み交わす。
 酒瓶の中身が残りわずかになったところで、トキノエはやっと口を開いた。
「……もしもの話だが」
「あん?」
「その巫女をここへ連れてきたら……アンタは治してくれるか?」
 淡々と。
 そう問うたトキノエの顔には何の感情も浮かんでいない。
 しかし、十薬には分かった。
 トキノエの声に、悲哀の情が色濃く滲んでいることに。
「なぁ、どうなんだ?」
「一日でも長く生きれるように最善は尽くす。そいつが俺の役目だ」
 再度の問いに、十薬は一拍の間も置かずに言葉を返す。
「あァ……アンタならそう言うよな」
 十薬の回答を聞いたトキノエは、へらりと力のない笑みを浮かべて見せた。
「っと、そろそろ帰るわ。酒の残りは適当に飲ってくれや」
 なんて。
 それだけ言って踵を返すトキノエの背に、十薬は問いかけた。
「まさか掻っ攫ってくるって意味じゃねえよな」
「そんな事するか。俺は……待ってるだけだ」
 あいつが、生きる覚悟を決めるのを。
 最後に零した呟きは、十薬の耳には届かなかった。

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