SS詳細
幻のステージ
登場人物一覧
●一日だけの魔法
四月一日。
世間一般でこの日は
だが、今日この場所日本舞踏館に於いてはそれは嘘などでは無い。
厳しい抽選に勝ち残り数多のファンを篩い落とし、席を用意された選ばれし者達は今か今かとその時を待っている。高鳴る心臓の鼓動も、浅くなる息も全て本物で、嘘なんかじゃない。
やがてステージが段階を踏みライトアップされ、中央からスモークと共にリフトがゆっくりと上昇する。バックライトで照らされた二人のシルエットに大型モニターに『推し』の顔が映った時、一気に世界が極彩色に輝きだした
。
「キャアアアアアアア!!」
黄色い声が会場を包み込み、歓声に応える様に白いスーツに青と緑のチェックのスカーフを首に巻いたトスト・クェントが手を振った。
その姿をチラッと見た後真似する様に白いスーツに黒と銀のチェックのスカーフを腰に巻いたスコル・ハティも手を振った。
「今日はおれ達のライブに来てくれてありがとうーーーー!」
「アンタらも楽しんでいけよな!」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
彼らが挨拶を返すと黄色い声が更に高くなり、声量も増す。
トストとスコルは四つ歳が離れており、スコルがトストを兄の様に慕い、トストがスコルを弟の様に可愛がっている――というのが一般的なイメージである。
実際ライブの合間のトークショーではスコルがちょこまかトストの周りを動いて構ってアピールをしたり、それにトストが柔らかく微笑んでぽんぽんとあやしたりと仲の良さはかなりのものであった。互いばかりが目に入っていて、ファンを置いてけぼりにしていない気がしないでもないが『目の保養』ということでファンたちの視線も温かい。
はじめはしっとりとしたバラード、次は熱狂に震えるロック。
メロディもリズムもステップも多岐にわたるそれらを従え、トストとスコルは駆け巡る。
想いを歌に乗せ、情熱を踊りに込め太陽を追うような笑顔で。
夢のような時間は幻の様に過ぎていって ライブもいよいよクライマックス、熱気も最高潮に達しサイリウムが煌めき客席を光の海に変える。
クェントの楽しげに歌う声も、スコルの軽やかなステップも全てが完璧なステージ。
お馴染みの神曲の次の振り付けは二人が指を鉄砲の形にし、客席に向けてウインクをしながら撃つ物だった。(ファンの中では『バーン☆』と呼ばれている)
指を客席に向ける為に二人が腕を上げようとした時だった。
――コツン。
スコルの肩がトストの肩にぶつかってしまったのだ。
実はこの曲を踊る度に、何故か二人の距離が近づいていくというのは界隈民にとっての謎であった。わざとか? わざとなのか? って思うくらいには毎回近くなっていった。その内ぶつかるんじゃ無いだろうか、と言われてはいたが今回とうとう現実になってしまった。
ざわ、と緊張が走るがファンには息を呑む間も許されなかった。
人は交通事故に遭う直前等、かなりの衝撃を受けた際に世界がスローモーションの様に見えるのだという。脳が本能的に衝撃から逃避する為の防衛手段なのかもしれない。
なぜこんな話を急にしたかというと、ファンたちの時が止まり目の前の光景がスローモーションに見えたからに他ならない。それくらい衝撃だったのだ。
トストが、スコルの肩を抱いたのだ。
トストが スコルの 肩を 抱いたのだ。
「??????」
そしてスコルが柔らかく笑んでトストの肩を抱き返したのだ。
スコルが トストの 肩を 抱き返したのだ。
後にファンの一人はこう語る。
「一瞬宇宙が見えて何が起きてるかわからなかったが気づいたら号泣していた」
そのままステージは続行、大勢のファンの心に光を灯し、希望と喝采に包まれた夢の舞台は無事に幕を下ろした。なおこの時の事は後に『肩の奇跡』と呼ばれ崇め奉られることになる。
●尊すぎて消滅するかと思った
「マ゛ジでや゛ばがっだ」
語彙力皆無の感想と涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになって、嫁入り前の娘とは思えぬ表情でT都在住派遣会社勤務OL(25)は自宅の鍵穴に鍵を差し込んだ。
すれ違った隣人にぎょっとした顔で見られたがそんなの気にならない。正しく言えば目に入っていない。
社会的な死より今はライブの余韻に浸ることが大事なのだ。
今日この日の為に上司の延々続く愚痴も、客からの厭味ったらしいクレームにも耐え忍んできたのだ、顔面崩壊してても許してほしい。別に誰にも言われれないのに、言い訳をしながら給料と引き換えに手に入れたライブの限定グッズを丁寧にショッパーから取り出し、泣きながら写真に納めて一つ一つ頭を下げながら祭壇へと飾っていく。
「最高だった……神゛」
適当に二、三枚摘まんだティッシュで鼻をかんで、ゴミ箱に丸めて放り投げる。
暫く放心していた彼女だったが、五分ほど経ってから漸く落ち着いたのか、彼女はスマートフォンのSNSアプリを起動し自身のアカウントにログインした。
『関係者B済み』『tssk』 『skts』『永久鍵』『地雷なし』『リバ◎』エトセトラ……。
彼女のbio欄、所謂プロフィールを記載する欄には一件意味不明だが『同士が見れば分かる暗号』が列挙されていた。
「いや、マジ無理なんなん公式が殺しにくるんだが??? ありがとう世界」
不穏な言葉を吐いて推しを産んだ世界に感謝しながら、彼女は同じ言葉をスマホのキーボードを高速で叩いて入力し、ペンのイラストのアイコンを押す。
ぽんっ、と自分の呟きが反映されたかと思うと『界隈民』が半ば反射的に書き込んだのであろうワードが海月の様にふわふわ
『は????』
『待って???』
『???????』
わかる、めっちゃ分かると呟きそれぞれに『それな』という意味を込めてハートマークを押す。マジそれな、脳の処理が追いつかねぇんだわ現在進行形で。
『いやマジでtssk匂わせやん、肩コツンってさりげなくぶつかり合ってたやん、付き合いたてのカップルか?ありがとうございます』
『もうさぁ、skがさあおんなじ曲なのにわざわざtsの方に寄っていってさぁ、tsがそれに気づいてにこーって笑ってんのよ。両想いじゃん????式場はここですか?』
『肩ぶつかってさ、あっ……ってなったのに咄嗟にtsがskの肩抱いてさtsも抱き返したの神だし、あれは付き合ってる。なんならわざと肩ぶつけたまである(幻覚)』
『むしろ私ら(観客)が異物だった……?(名推理)』
「ほんとそれ、それなんよ。あそこの空気になりたかった。なんなら床でもいいから推しカプの邪魔をせずに近くで眺めていたい」
ちなみに彼女達は当たり前のようにトストとスコルが付き合っている前提で話しているが、トストとスコルが恋人関係だという事実はない。正しく言えば発表されていないのであって真実は定かでは無い。
彼女達の様に実在する人物でカップリングを起こし妄想するジャンルを『ナマモノ』もしくは『nmmn』と言う。これは所謂BLだけでなくNL、ないしは夢小説と言われる物も分類分けされるが、話し出すと長いので今回は省略させて頂く。そしてBLを好むオタクのことを『腐女子』『腐男子』と言う。
さて、公式に付き合ってはいない二人を掛け算(左右違いで戦争が起きることもある)するにあたり、架空の人物の漫画、アニメ、ゲームとは違い、先にも述べたがナマモノは実在する人物の掛け算である。
よって版権BLと呼ばれる物の中でもかなりデリケートであり取扱いには十分な注意が必要だ。何かの間違いで本人達の目に届かぬ様に周辺関係者をブロックし、本人達の投稿はリストか別のアカウントで確認する。
鍵と言われる非公開アカウントにすることで自身が許可を出した同志以外に投稿を確認されない様にする。さらに念には念を入れて検索除けと言い彼らを隠語、ないしは絵文字等で表し一般的なファン(ここではナマモノの概念すら知らない純然たるファンを指す)の目に入らないようにし事故を防ぐ。配慮絶対。
攻め(掛け算の左側)と受け(掛け算の右側)を表明し戦争が起きない様に予防線を張る。(なおリバーシブルの略でリバと言いどちらでも美味しいという者もいる)
まるで現代に生きる忍者、ないしはスパイかという徹底ぶりだがそうでもしなければナマモノ界隈では生きていけないのだ。
そもそも実在の人物で妄想するな? 止められたらこの界隈いねぇんだわ。
「ああーーーまって上絵師さんのライブレポ最高なんだが、わかるーーーーあと絵が可愛いーーーー」
流れてきた推し絵師のライブレポにいいねをつけ、助かると拝み倒す。
リア友に「助かるって何?」って聞かれたけどなんだろうな、助かるんだよな。色々。主に命かな。
「個人的にはねーやっぱりスコがトスのことめっちゃすきすきしてる系歳下攻めスコトスなんどけど、トスのおっとりしてて全て包み込む大人の余裕と魅力と色気たっぷりにスコ翻弄しちゃうトススコも好きなんだよなー」
ベッドの上で大の字になり、スマートフォンに充電ケーブルを挿しながら、彼女は即今回のライブのBlu-rayを予約した。そして興奮冷めやらぬ様子でSNSに妄想と幻覚を叩き込む。即通知欄にとんでくる同志にありがとう……わかってくれて……と感謝の念を抱いた。
なお実際に彼らが両片想いと言われる関係である事を当然彼女が知る由もない。
おまけSS『勢いあまって書いた(sktssk)』
無事に降りた幕の裏、喝采を浴びてホテルへと帰還した二人はシャワーで汗を流し就寝しようとしていた。
「なぁ……あの時ごめんな。トストがフォローしてくれなかったら俺、パニくってたかも」
いつもの様に布団に潜り込んできたスコルが口を開く。あの時、というのはライブ中に肩がぶつかってしまった時の事だろう。ファンからは見えなかったかもしれないがあの時のスコルの目には明らかに動揺が走っていて、咄嗟に肩を組みその場をやり過ごしたのだ。
「ううん、気にしないで。怪我がなくてよかった」
「でも、俺が立ち位置間違えちまったから」
「それを言うならおれもそうだよ。ごめんね」
落ち着かせるようにとんとんと背中を叩いてやり、トストは大丈夫だと言い聞かせる。
大人びて見えるがスコルはまだ十七歳、子どもなのだ。自分がしっかり守ってやらないととトストは思う。
「それにスコルくんはすぐにこっちの意図を察してくれたじゃないか。よく機転を利かせたね。凄いよ」
「……うん」
ゆるゆると髪を撫でられふにゃりと目元を緩めたスコルは徐々に瞼を降ろしていった。緊張と疲れ、そして大好きな人の体温と匂いに包まれて安心したのだろうか。やがて規則正しい寝息が聞こえてきて、トストはベッドサイドのランプへ手を伸ばす。
「おやすみ、スコルくん」
愛しい君へ、そっと額に口づけを一つ。